無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで200万冊以上配信中!
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
Posted by ブクログ
最近、ジュディス・バトラーの「ジェンダートラブル」と「自分自身を説明すること」を読んで、すごくフーコーの影響を感じた。
フェミニズム系の論者の間では、フーコーはあまり人気がないと思っていたので、個人的にはなんとなく意外であった。
というのは、私の個人的な偏見かもしれないが、アメリカの大学で政治哲学を学んだ2人の教授が、ともにフェミニズム系の女性で、一人は、「フーコーは女性のためになる哲学か?」みたいなエッセイを書いていたりしたことを思い出したりもするからだ。
さて、そのフーコーだが、その知識と権力に関する緻密な分析は、圧倒的なのだが、読んでいて、なんだか元気がでないんですよね。
だって、権力というのは、自分の外部に抑圧的な支配構造としてあるというわけではなくて、個人の内面に制度化されていて、それに対抗するという行為自体が、権力に取り込まれて行くみたいな話しで、ちょっと救いがない感じがするわけ。
そういうニュアンスでフーコーを読んでいたので、バトラーがフーコー的にジェンダー概念の社会的な構築を指摘しつつも、その秩序に対するパフォーマティブな攪乱を目指すという戦略につなげて行くロジックがいまいち分からなかったのだ。
で、「自分自身を説明すること」で、フーコーの「自己への配慮」への言及があったので、「そうか、バトラーが踏まえているのは、晩年のフーコーなんだ」と思い、フーコーへの再入門を行うべく本書を読んでみたという流れ。
で、とってもすっきりしましたよ。
あの難解なフーコーがこんなに分かって良いのかという感じ。
これは、まさにフーコーの主な著作だけでなく、講義録やインタビュー、小論文などなどが整理されて読む事ができるようになって始めて可能となった入門書だな。
ある意味、フーコーが最後にたどり着いた境地から逆算しながら、その思想の変遷を物語化している、という印象もなくもないが、フーコーの思想の一貫性がとてもよく分かる。
つまり、フーコーが、過去の権力のあり方を分析したのは、決定論的な社会的構築を述べるためでなく、私たちが今生きている社会を変革するためである、と。(途中、かなり悲観的なニュアンスが強くなる時期があるのだけど。)
フーコーが、晩年にたどり着いたのは、「実存の美学」という主体の問題。これは実存主義的な主体という概念に対して批判的だったフーコーにとって、一種の退行ではないか、とも批判されたところなのだが、その辺も含め、本書は一貫性をもってすっきり説明している。
あと、本書によると、フーコーの最後の境地は、「真理ゲーム」という概念で、これはウィトゲンシュタインをヒントとしたものらしい。フーコーは、このゲームのなかで、主体が、他者との関係性を変革を目指して、行動することを通じて、社会や権力が変化する可能性を見出していたとのこと。このへんは、私の最近の関心事にぴったりである。晩年のフーコーをもうちょっと勉強してみよう。
ちなみに、フーコーの個人的な社会変革に向けた実践とは、ホモセクシュアルであることを認めて、頑張ってゲイになること!
というところが、レズビアンで、それを公言しつつ、その生き方を通じて、他者との関係性の変化を志向するバトラーとフーコーはぴったりと合致していたんだ、と納得。
それにしても、ゲイの実践がたたったのか、84年に還暦前にフーコーはエイズで死んでしまったわけで、もう少し長生きして、その「実存の美学」や「真理ゲーム」の概念をちゃんと展開してほしかったと今さらながら思う。
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。