あらすじ
「真理」「ヒューマニズム」「セクシュアリティ」といった様々な知の〈権力〉の鎖を解き放ち、「別の仕方」で考えることの可能性を提起し続けた哲学者、フーコー。我々の思考を規定する諸思想の枠組みを掘り起こす〈考古学〉においても、我々という主体の根拠と条件を問う〈系譜学〉においても、彼が一貫して追及したのは〈思考のエチカ〉に他ならなかった。稀代の哲学者の変容しつつ持続する歩みを明快に描き出す、新鮮な入門書。
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Posted by ブクログ
フーコーの入門書で新書(5冊あり)というと、岩波新書のものがベストだと思います…が、岩波的な硬い文体が読みづらいと思うのなら、同じくベーシックな構成(著作順解説)で書かれたこちらで代替可能だと思います。
ただし発行年が古いので、情報が少し古いです。また、語り口は柔らかですが、難解度もこちらの方がやや上かも…。
匿名
色々としんどく生きにくい世の中をどうやって生きていけばいいのかという現代人のほとんどが抱えているであろう(そして考えてもしょうがないからとりあえず社会のルールにのって生きていき忘れられる)問いに真正面から答えてくれる部分があります。もちろん全体像はそれだけではないだろうし、また自分がその全てを理解できていると思わない。また理解できたと思ったものも誤読してるかもしれない。それでも価値があると思えた
Posted by ブクログ
簡潔かつ丁寧なミシェル・フーコーへの導き書。
キリスト教の司牧者権力と近代国家のポリツァイを同一の視点から分析するとは驚きました。
告解が罪の意識を作り、そこからまた告解へと戻る。無限のサイクルの内に人が閉じ込められている。
歴史を過去のものとして振り返る際、そこで表現「されたもの」と「されなかったもの」の差異、ディスクールを理解することの困難さと重要さ。
一面的な観点を見て単純素朴な結論に終着しないよう吟味することっすね。
Posted by ブクログ
基礎的なワードを丁寧に説明してくれ、入門書としてとても良かった。
また、初期から後期への思想の変遷と、その中で一環した目的など、よくこんだけ綺麗にまとめたな、、という本。
生権力に対して、抗うことは可能なのか。
「真理のゲーム」を続けなければいけない。
Posted by ブクログ
最近、ジュディス・バトラーの「ジェンダートラブル」と「自分自身を説明すること」を読んで、すごくフーコーの影響を感じた。
フェミニズム系の論者の間では、フーコーはあまり人気がないと思っていたので、個人的にはなんとなく意外であった。
というのは、私の個人的な偏見かもしれないが、アメリカの大学で政治哲学を学んだ2人の教授が、ともにフェミニズム系の女性で、一人は、「フーコーは女性のためになる哲学か?」みたいなエッセイを書いていたりしたことを思い出したりもするからだ。
さて、そのフーコーだが、その知識と権力に関する緻密な分析は、圧倒的なのだが、読んでいて、なんだか元気がでないんですよね。
だって、権力というのは、自分の外部に抑圧的な支配構造としてあるというわけではなくて、個人の内面に制度化されていて、それに対抗するという行為自体が、権力に取り込まれて行くみたいな話しで、ちょっと救いがない感じがするわけ。
そういうニュアンスでフーコーを読んでいたので、バトラーがフーコー的にジェンダー概念の社会的な構築を指摘しつつも、その秩序に対するパフォーマティブな攪乱を目指すという戦略につなげて行くロジックがいまいち分からなかったのだ。
で、「自分自身を説明すること」で、フーコーの「自己への配慮」への言及があったので、「そうか、バトラーが踏まえているのは、晩年のフーコーなんだ」と思い、フーコーへの再入門を行うべく本書を読んでみたという流れ。
で、とってもすっきりしましたよ。
あの難解なフーコーがこんなに分かって良いのかという感じ。
これは、まさにフーコーの主な著作だけでなく、講義録やインタビュー、小論文などなどが整理されて読む事ができるようになって始めて可能となった入門書だな。
ある意味、フーコーが最後にたどり着いた境地から逆算しながら、その思想の変遷を物語化している、という印象もなくもないが、フーコーの思想の一貫性がとてもよく分かる。
つまり、フーコーが、過去の権力のあり方を分析したのは、決定論的な社会的構築を述べるためでなく、私たちが今生きている社会を変革するためである、と。(途中、かなり悲観的なニュアンスが強くなる時期があるのだけど。)
フーコーが、晩年にたどり着いたのは、「実存の美学」という主体の問題。これは実存主義的な主体という概念に対して批判的だったフーコーにとって、一種の退行ではないか、とも批判されたところなのだが、その辺も含め、本書は一貫性をもってすっきり説明している。
あと、本書によると、フーコーの最後の境地は、「真理ゲーム」という概念で、これはウィトゲンシュタインをヒントとしたものらしい。フーコーは、このゲームのなかで、主体が、他者との関係性を変革を目指して、行動することを通じて、社会や権力が変化する可能性を見出していたとのこと。このへんは、私の最近の関心事にぴったりである。晩年のフーコーをもうちょっと勉強してみよう。
ちなみに、フーコーの個人的な社会変革に向けた実践とは、ホモセクシュアルであることを認めて、頑張ってゲイになること!
というところが、レズビアンで、それを公言しつつ、その生き方を通じて、他者との関係性の変化を志向するバトラーとフーコーはぴったりと合致していたんだ、と納得。
それにしても、ゲイの実践がたたったのか、84年に還暦前にフーコーはエイズで死んでしまったわけで、もう少し長生きして、その「実存の美学」や「真理ゲーム」の概念をちゃんと展開してほしかったと今さらながら思う。
Posted by ブクログ
入門にしては難しかったが授業で習ったことが沢山出てきていて面白かった。これからも繰り返し見て復習したい、特に性の歴史の所が難しくてまだわからない。
Posted by ブクログ
史上最も偉大だとされる哲学者であるミッシェル・フーコーの晩年を、主要な著作とその概要を交えながら描いた本。解説もわかりやすいし、何よりこの一冊で、フーコーがどのようなことを問題意識として持ちながら人生を歩んだのかが良くわかる。この点において、本書はかなり有用だといえるだろう。
フーコーの数ある著作のうち、最も示唆的なものは「監獄の誕生」であると個人的には感じる。なぜなら、後から述べるように、従来信じられてきた「権力」に関する概念を全く新しいものに構築し直した上に、それは現代まで通じるものであるし、加えて、あらゆる学問分野・生活に適用可能だからである。これが幅広い読者によって長年読み続けられてきたのが何よりの証拠であろう。
さて、監獄の誕生において、フーコーは何を主張したのか。フーコーがこの著作を通じて主張していることは、「主体内部の権力」に関することである。古代ヨーロッパにおいては、罰則とはすなわち体罰を表した。それは鞭打ちに代表され、人間の身体に直接ダメージを与えるものであった。つまり、人間の「身体」という外部的なものに罰を与えることによって、人間の「精神」を正すことが目的とされたのである。これはいわば「従順な身体」を作ることだといえる。例えば、軍隊がいい例になろう。軍隊では規律を乱す人間には容赦なく殴る・蹴るなど身体的な罰則が与えられ、それに従って、やがって軍人の「精神」を持つようになるのである。つまり古代における罰則のベクトルは、身体⇒精神という方向性を持つものであったといえる。
だが、この罰則は中世ヨーロッパを境に激変することとなる。この変化をもたらした主要因とは、「監獄の誕生」であった。すなわち、罪を犯した人間を「監獄」という非社会的環境におき、精神の矯正を図る形の罰則が誕生したのである。従って、従来の罰則のベクトルが逆転することになる。監獄の誕生によって人間の「精神」という内面的要素を矯正することによって、「身体」の正統性の確立が目指されたのである。
フーコーは中世ヨーロッパにおけるこの監獄の誕生に着目し、新しい権力論を主張した。それはすなわち、従来の権力とは「相手を支配・抑圧」する力であったが、中世以降は「相手自身の内面から支配・抑圧」する力へと変わったと指摘したのである。これらはそれぞれ、前者が「身体⇒精神」の罰則、後者が「精神⇒身体」の監獄と対応している。複雑な近代社会を作り上げるためには、一人一人の人間を「従順な身体」にすることは不可能である。従って、権力者の意のままに動く従順な人間を作り出すためには、彼ら自身が自発的に行動し、近代というメカニズムの歯車になる必要がある。近代では、こうした主体を形成するために考え出された装置の一つが「学校」であり、先生が学生に知を「真理」として供与することによって、学生という主体を「精神」から支配するのだと、フーコーは主張する。
この原理を建築的に示したのが、イギリスの法学者であるベンサムであった。彼はパノプティコンという装置を考察した。これは、円環上に配置した建物の中心に見張り台が設置されているという状況である。重要なことは、見張り台からは建物の中で暮らしている人間を自由に監視することができるが、そこで暮らす人にとっては見張り台にいる人間が見えないことである。つまり、見張り台には常駐の監視者を設置する必要がない。それにもかかわらず、建物で暮らす人にとっては「見張られている」可能性が常時発生するので、自身の心の中に第二の監視者を設置してしまうのである。このようにして、パノプティコンは個人の主体の様々な欲望を絡めとり、内面からそれを支配するのである。このように、主体の内部から相手を支配することが、フーコーの主張した新しい権力論である。
このような監獄の誕生という歴史を踏まえたうえで、現代まで通じる権力論を展開したフーコーの主張は見事といわざるを得ない。フーコーが人生の課題としたことは、その時代において絶対に真理だと考えられていることは、実は歴史的・権力的に形成されたものに過ぎず、普遍的なものではありえないということであった。「監獄の誕生」はこの点を見事に表している著作だといえるだろう。
Posted by ブクログ
フーコーの思想には「真理のゲーム」など啓発させられるものが多かったです。
著者のHPでも様々な解説を載せてるそうなのでぜひ参考にしたいところ。
Posted by ブクログ
フーコーの思想を彼の著書をひもときながら、つまびらかにしていく。真理について、生権力と司牧者権力、統治性のプロジェクト、欲望、実存の美学、パレーシア、真理のゲーム。
とても分かり易く、面白い。生権力の福祉社会のパラドクスなど分かり易い。
Posted by ブクログ
世界に対する視点を180度転換するほどの威力。自分たちが今まで「真理」と信じてきたものが、歴史的産物に過ぎないということを示してくれる。フーコーの思想は間違いなくそういう威力を持っている。その威力は入門書ですら損なわれない。(というよりも、原典は誤訳もあるし、読みにくくもあるので、入門書の方が手取り早いといえば早い。)「言葉と物」の章は個人的にイマイチピンと来なかったんだが、「規律訓練型権力」や<生権力>を提示する他の章は抜群に面白い。
Posted by ブクログ
■著者が扱っているメインテーマ
思考のエチカとは?
■筆者が最も伝えたかったメッセージ
社会が用意した真理に従うより、自分の欲望が実現される世界に目を向けて、
自己と社会を変えていこうという意志。
■学んだことは何か
本当の自由って社会や集団が用意した場所に従って生きることではなく、
自分の欲望と向き合い、そこを追求していける人生なんじゃないか?
Posted by ブクログ
フーコーは『監獄の誕生』について少し知っている程度だったが、権力という一貫した主題をもって、考古学や系譜学といった考えや、装置などの基礎的な概念を知ることができた。とてもわかりやすく、おもしろい。次は実際にフーコーの著作を読んでみようと思う。
Posted by ブクログ
網羅的に、一貫性を持って、手堅く、フーコーの著作を解説。最初に読む本として、まさに入門として適切ではないだろうか。
・ある種の自由は、直接に制約を加える社会と同一ではないとしても、それに劣らぬ拘束的な効果をもたらす。
・カントが試みたのは、人間の理性の限界を明らかにすることだったが、フーコーにとって理性の定めた限界を〈侵犯〉することが重要な課題となる。
・精神医学が科学となったから狂気が疾患として認識されたのではなく、狂気が「精神の病」として位置付けられたからこそ、精神医学と心理学が可能になった。
・歴史に目的があるという考え方は抑圧的な機能を果たすことがある。「人間の目的」や「正義」に適った行為をしていると確信している人物は、他者に対して過酷な抑圧を行使することをためらわないからである。
・この生物学、言語学、経済学の誕生によって、〈人間〉という概念が誕生した。18世紀半ば。
・哲学に〈考古学〉の方法が必要となるのは、明晰な自己知が存在しないという認識があるから。
・ある思想が一つのエピステーメーにおいて確保していた位置ではなく、だれがその思想を真理と信じて行動するかの方が重要な意味を持つ
・これまで権力は「排除する」「抑圧する」「隠蔽する」「取り締まる」などの否定的な用語で考えられてきたが、権力は主体の内部から、現実的なものを生み出している力として理解する必要があるのではないか。
・レゾンデタ(国家理性)と同じ構造が司牧者権力にある。より大きなものの維持のため。
・司牧者権力が、他者の幸福を目的とするというみかけのもとで、教会の支配の原理を貫徹しようとすることにある。
・〈自由な社会〉が形成されるのは、自由な個人によってではなく、身体を調教され、精神を監視する大きな〈眼〉を魂の内部に埋め込まれた主体である、という逆説のもつ意味は大きい。
・身体が魂の牢獄なのではなく、魂が身体の牢獄なのである。
・社会が欲望の概念によって人々を組織しようとする時に、個人が社会の生-権力に抵抗することのできる重要な根拠は、自己の身体とその欲望である。
・福祉社会の先進国である北欧諸国やカナダと米国が、優生学研究の先進国でもあることに示されているように、生活を保障する社会は、「劣った」生命を抹殺することで、生活の質の高さを維持する方向に向かう危険性はないだろうか。
・ゲイに〈なる〉こと、それは現在の社会で公認されていない新しい生き方を模索すること、他者との間で友愛に満ちた新しい関係を模索することである。
・フーコーが示した可能性の一つは、人々が自己を放棄しないこと、自己の欲望を断念しないことにある。しかも自己の欲望を解釈して、自己の欲望の〈真理〉を求めるという〈オイディプスの罠〉にはまらずに、自己の欲望が実現されるような世界に向かって、わずかながらでも自己と社会を変えていくことである。
Posted by ブクログ
人間が「正常である」という思考そのものを侵犯しようと試みること、これがこれからのフーコーの思考のエチカとなる。p36
【レヴィ=ストロースの構造主義】p71
サルトルとメルロ=ポンティにおいては、人間の行為の意味と価値は、歴史の方向性が決定するものであった。しかしレヴィ=ストロースは、意味とは体系における要素の差異で発生することを示したソシュールの言語学に依拠しながら、意味を生み出すのは社会の構造であると指摘した。そして歴史とは、共時的な社会構造が内的な理由から変動することにすぎないと考えたのである。
<一般文法>p94
「思考は単一な操作であるとしても、言表することは継起的な操作である」
フーコー「富に秩序があり、これであれを買うことができ、金が銀の二倍の価値があるとすれば、それはもはや人間の欲望が比較できるからではない。身体を持つ人間が同じ飢えを感じるからでも、人間の心が同じ魅惑にとりこになるからでもない。人間が時間、労力、疲労、さらに究極において、死そのものに支配されているからである」p103
リカード「歴史の一刻一刻において、人間は死の脅威のもとで労働するほかない。すべての住民は、新しい資源をみいださなければ、消滅するように運命づけられている」このように経済を可能とし、必要とするのは、稀少性という基本的な状況であり、労働はこの稀少性を一時的に克服し、一時的に「死に打ちかつ」方法である。p104
生物学、言語学、経済学の誕生によって、それまでに存在しなかったある概念が誕生した。これが<人間>という概念である。p105
(人間は)「知にとっての客体であるとともに認識する主体として、その両義的な立場において登場する」p106
知として学んだものを身体に教え込み、身体の次元で学んだものが知として普遍化される必要がある。そのための一つの手段が試験であり、これは近代の特権的な<真理の保証>である。p143
パノプティコン:「権力を自動的なものとし、没個人化する」p145
⇒近代の新しい「政治解剖学」の基本原理
身体と精神の双方に働きかける戦略は、魂という「柔らかい脳繊維」の上に「強固な帝国」を築くことによって、身体の叛乱を未然に防止することを目的とする身体の「政治解剖学」として結実する。p147
プラトンは、身体が魂の牢獄であると考え、哲学とは魂をそこから解放するための「死の稽古」であると語っていた。フーコーはこのテーゼを完全に逆転させる。身体が魂の牢獄なのではなく、魂が身体の牢獄なのである。p147
ストア派では自己の吟味には四つの技術があったー書簡、良心の点検、アスケーシス(禁欲)、夢の解釈である。p217
【真理のゲーム】p228
①主体化の様式
②行動の戦略
③歴史的な条件
④客体化の様式
⇒絶対的な真理が存在するのではなく、個々の真理は自由な主体の行為としてしかあり得ないと考えると、すべての主体は自分なりの真理の確立に参加することができる。
Posted by ブクログ
生活に応用できる哲学。
今現在の自分の立ち位置を見つめ直すいい機会になりました。
途中はしょりすぎて意味不明、難解な箇所もありましたが(言説の部分)個人的に興味深い理論なので別の解説書を手にとって補おうと思います。
Posted by ブクログ
ちくま新書には、他にもカントやデカルト、ハイデガー等の哲学者や思想家の入門本があるので、それを読んでみたいと思った。自分は本来そういった分かった気になるようなものを読むのは好きでないのだが、思想の流れのようなものを大まかに掴んでみたいし、一人ひとり丁寧に作品を読んでいったのではかなりの時間がかかり疲れる。
以上の理由から本書を読んでみた。以前にバタイユ入門を読んだが、それよりも非常に分かりやすく、内容も自分にとって興味深かった。フーコーの造語であるエスピテーメー、エノンセ等の概念が理解しづらかったがそれ以外は問題なかった。以下に、自分が考えさせられたところを箇条書きで記す。
「人間学の罠」
人間を研究するということ自体が根本に矛盾を孕んでいるということが説明される。研究の対象それ自体が研究の主体になるという点で、新に科学的にはなりえない。
心理学の矛盾についても触れられる。精神学や心理学は精神病患者をとらえられている何かから解放することを目的としているが、精神病患者というくくりそれ自体が、人間は本来このようにあるべきという「人間性」を前提としている。このような人間性を用いている限りで、人間を解放するのではなく、実際には人間の抑圧を強化する可能性があるとフーコーは考える。
「知の考古学」
この章では狂気や精神病院や監獄やまなざしといったことが取り上げられる。読んでから時間がたっているのでその内容はうろ覚えなので、ここには詳しく書かない。概要は理性が信頼され全盛の時代に第二次世界大戦などの大きな戦争があり、大量の殺人がなされたことからなぜ有史以来最も理性的であった国家がこのような大量殺人を巣に至ったか、それをどのように合理化していったのか。また、これまで信じてきた理性について疑いを抱き、理性は必ずしも万能ではなく、理性以外の人間の原始的な欲望も重要であると考えられ、研究され始めるという流れが説明される。
「監視と処罰」パノプティコン・訓練・従順な身体
パノプティコンの概念は、フロイト心理学の超自我の概念に似ていた。
学校などの機関においての勉学の奨励、または罰則などの訓練によって、社会にとって都合のよい存在「従順な身体」を作っているということは私人も考えていたことで、面白かった。特に興味深いのは、社会における訓練が監獄に利用されたのではなく、監獄や精神病院において発展してきた訓練の概念が社会に利用されているという指摘だった。
レヴィストロース「構造主義」
社会を構造的に解析することによって、一見無意味に見えることも実は大きな意味があるというもの。レヴィストロースの思想は全く触れたことがなかったので、新しい発見だった。例として近親相姦の禁止というのは、遺伝子的な問題ではなく、女性の交換を通して集団を開いたものとするという目的があるという。これだけで説明できるとは考えられないが、親族結婚では子供に遺伝子異常が生じる可能性が高まるというのは、実は何の科学的根拠がないと、何かの本で読んだことがあるので、科学的な根拠がないと、社会・人文的問題であり、この説明が最も有力なのかなあと思える。
フーコーは全ての思考の過程で共通して、本書にも書いてあるように、「人々が真理だと信じているものが、実は歴史的な根拠から作り上げられたものにすぎず、普遍的なものでも、絶対的に正しいものでもないということを示すことによって、自明で見慣れたものと考えていたものを覆すこと」を目標としていた。私自身もこの世の中の道徳や規則など、納得できなかったり、あまりにも手前勝手なものであるように感じられることが多い。日ごろからこのようなことを感じているので、フーコーの思考は自分にとっても分かりやすく、共感できるところが多かった。
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
「真理」「ヒューマニズム」「セクシュアリティ」といった様々の知の「権力」の鎖を解きはなち、「別の仕方」で考えることの可能性を提起した哲学者、フーコー。
われわれの思考を規定する諸思想の枠組みを掘り起こす「考古学」においても、われわれという主体の根拠と条件を問う「系譜学」においても、フーコーが一貫して追求したのは「思考のエチカ」であった。
変容しつつ持続するその歩みを明快に描きだす、新鮮な人門書。
[ 目次 ]
序 現在の診断
第1章 人間学の「罠」
第2章 狂気の逆説
第3章 知の考古学の方法
第4章 真理への意志
第5章 生を与える権力
第6章 近代国家と司牧者権力
第7章 実存の美学
第8章 真理のゲーム
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
Posted by ブクログ
5/19
ルネサンス→古典主義に至って「まなざし」の覇権に。
監視の視線の内在化による抑圧。
「普遍的な真理」の欺瞞→「真理ゲーム」
ちくま新書の「○○入門」シリーズは質が高い。
Posted by ブクログ
知と権力には深い関係があるそうです
「人間は死んだ」
フーコーは狂気の研究を進めるうちに近代ヨーロッパ学問全体を支えている価値観に切り込んでいくことになった
Posted by ブクログ
いろいろなことを勘違いしていたかもなぁとしみじみした一冊。
と同時に、監視社会論でのこの人の引用の仕方は
何か変な解釈が混じっているようにも感じるけれど。
フーコーの流れはざっくりわかった気がする。
フーコーの本も読んでみようかな!
Posted by ブクログ
フーコーの足跡をたどるための一冊。
非理性という罪、人間の分裂、歴史の目的性と進歩、生かす権力と殺す権力などなど、これまで「監獄」以外ではあまり触れることのなかったフーコーの思想について理解することができた。
もっと強い刺激を受けても良いような内容だったが、あまりそうした面を強調しすぎず、あくまでフーコーの思想を淡々と追って行く内容で、これはこれでよかったのかも。
Posted by ブクログ
フーコーといえば『監獄の誕生』というイメージ。あと近代の人だと思っていたから20世紀の人だったのがちょっと驚き。
「系譜学」、「規律権力」、「生権力」、「装置」など用語に注目して読んだ。他の人に説明するためだったので何度も読み直して理解しようとしたけど、それでも分からないことがけっこうあった。他の本も読んで複数の説明から理解を深めたい。
Posted by ブクログ
フーコーは現存の体制から新しい可能性を見つけた人。
監視社会としての二つの要素 身体の規律化と、眼差しでの精神の規律化のパノプティコン。
現代福祉社会の 権力と生との関係。国民の福祉の維持を建前としながら、生という観念から国の維持のために必要な国民を管理し、自国の力の維持を図る。と同時に戦争などでの暴力によって国民を殺す、人種差別的な観点。国の維持と言う構図それは、司牧者の権力図と重なる。 途中中だるみしたけど、権力の分野はおもしろでした。。
Posted by ブクログ
フーコーの話をずっとし続ける授業を受ける羽目になったので、とりあえず一冊入門書を読んでみようとして買ったもの。著者は最近光文社の新訳でご活躍中の中山元。
内容としては、フーコーが発表していった著作の流れに沿って、どのような問題意識によっていたのかと、その問題にどう取り組んだかが章のテーマ・著作ごとに語られる。パノプティコンなどの比較的読みやすい部分はそこそこ理解できたように感じたが、正直なところチンプンカンプンな部分も多くあった。そういった意味で「ぺらい入門書だ」という意識で読もうとすると跳ね返されるかもしれないし、実際「入門書」だからといってレベルを下げきったものではないように感じられた。
授業の役に立つかはわからないが、最終章の「真理」についての部分あたりは(解説が正しいのであれば)フーコーと強く共感するところもあったので、それだけでも読んだ価値はあったように感じる。
Posted by ブクログ
「監獄の誕生」を読んでみたくて、まずはとっかかりとして読んだ本です。
真理は権力と結びついている、真理を語っている人を見ないとダメ、といったあたりが新鮮でした。
次は「監獄の誕生」に行ってみよう!
Posted by ブクログ
フーコーの思想に興味を持ち斜め読みしました。筆者は下記のようにサマライズしています。
フーコーは、哲学のつとめは真理が自明なものでも普遍的なものでもなく、歴史的に作られたものであることを暴露することによって、その真理の絶対性を崩壊させることにあると考えていた。
我々が当然と思っている事項は長い歴史によって作られてきたものが多いのでしょう。
我々はそれを学校教育などを通して学んで当然のように受け入れているが、当然でもないよ、ということでしょう。フーコーはゲイだったそうです。彼は、異性愛が普通で同性愛は異常のように思われているが、それも歴史的に作られてきたものだ、というのも特に言いたかったのではないでしょうか?
フーコーの有名な概念として、エピステーメー、があります。知の枠組み、といった概念であり、中世とルネッサンス、古典主義時代、近代、と3つのエピステーメーに変化していることを考古学的に分析しています。エピステーメー、納得感があります。我々が無意識のうちに捕らわれている思考の枠組み、といったものは確かにあるでしょう。またこれが大きく変換するときが来るのでしょうか。
Posted by ブクログ
哲学、社会学、政治学に生というトピックから影響を与えたフーコーに関する入門書。政治学でも生・政治という概念がフーコー以後注目されるようになった。個人的には哲学にも興味を持っているのでフーコーの価値観、考えはおもしろく感じた。また、自身が同性愛者であったことから、性に関する哲学的、政治学研究として有名なフーコーが(知らなかった)古代ギリシアや初期ローマ帝国における同性愛に関する価値観をキリスト教的価値観と比較しているのも面白かった。