あらすじ
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日経BPクラシックス 第4弾
マックス・ウェーバー(1864-1920)は20世紀を代表するドイツの社会学者。
著書『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で、世俗内禁欲を生活倫理とするプロテスタンティズムが近代資本主義発展の原動力となったと分析。
戦後日本を代表する丸山真男、大塚久雄らの学者に大きな影響を与えた。
本書は、ウェーバーの残した重要な講演ふたつを収録した。第一次世界大戦で敗北したドイツ。
全土が騒然たる革命の雰囲気に覆われていた1919年1月、ミュンヘンで『職業としての政治』の講演が行われた。
政治とは何か、政治家という存在が担うべき役割とは何かを、血気にはやる学生を前に諄々と説いたウェーバー。
「現実のうちで貢献しようとしているものと比較して、世界がどれほどに愚かで卑俗にみえたとしてもくじけることのない人、
どんな事態に陥っても、『それでもわたしはやる』と断言できる人、そのような人だけが政治への『召命』[天職]をそなえているのです」世界的な激動期にあたり、
政治の役割が従来以上に増してきた今、本書は万人必読の書といえる。
『職業としての学問』も名高い講演として知られる。ウェーバーはこう説いた。
「わたしたちはみずからの仕事に赴き、人間としても、職業においても、『日々求められること』にしたがう必要があるのです」
訳者は光文社古典新訳シリーズのカント『永久平和のために』、ルソー『人間不平等起源論』などの中山元氏。
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Posted by ブクログ
すごいよくてびっくり。
昔読みあさっていた、「欧米(特に欧)の昔の偉人が書いた、哲学感も含めた、人生への指南書」の一派といえると思う。
max weberとやらが好きになった。
なんどでも読み返したい本。
買うか?自炊するか?考え中。
Posted by ブクログ
1919年、第一次世界大戦敗北、ワイマール共和国成立など動乱の渦中にあったドイツにおいて、ウェーバーは革命の余熱が冷めない学生の要請を受け、「職業としての政治」「職業としての学問」というテーマの演説を実施しました。
本書はその演説内容が記されています。
「情熱が『仕事』に役立つものとして、仕事への責任という形で、行動の指針となるものでなければ、政治家にふさわしいものではないのです。そしてそのためには判断力が必要なのであって、これは政治家に決定的に必要な心的な特性です。この判断力とは、集中力と冷静さをもって現実をそのまま受け入れることのできる能力、事物と人間から距離を置くことのできる能力のことです」(職業としての政治)
「わたしが計り知れないほどの感動を受けるのは、結果に対する責任を実際に、しかも心の底から感じていて、責任倫理のもとで行動する成熟した人(若い人か、高齢の人かは問いません)が、あるところまで到達して、(ルターのように)『こうするしかありません、私はここに立っています』と語る場合です。これは人間として純粋な姿勢であり、感動を呼ぶのです。なぜなら精神的に死んでいないかぎり、誰もがいつか、このような場に立たされることもありうるからです。」(職業としての政治)
「何か貴重なものを作りだすためには、いつも何かを、しかもそれにふさわしい何かを、思いつくことが必要なのです。・・(中略)・・仕事と情熱のどちらもが必要で、特に両方が同時に働くことによって、思いつきが誘い出されるのです。しかも思いつきは、自らの欲するままに現れるのであって、私たちの欲するままに現れるのではありません。」(職業としての学問)
「私たちは自らの仕事に赴き、人間としても、職業においても、『日々求められること』に従う必要があるのです。」(職業としての学問)
現在にも通ずると思ったもので、かつ、気に入ったセンテンスたちを抜粋してみました。
政治家になりたいわけではなく、学者になりたいわけでものないのですが、本書でウェーバーが述べていることは、どの職業、リーダーにも当てはまるものがあると思いました。仕事をするにあたり、奮い立たされる一冊です。
Posted by ブクログ
「職業としての政治」は、30年以上前に読んだことがあって、強い印象をもった。
なんとなく中山元さんの訳で、初めて読む「職業としての学問」とともに、読んでみた。
「職業としての政治」については、驚いたことに、読んでいて覚えているところがほとんどなかった。わたしが覚えていたのは、政治という職業と倫理性の関係についての議論だけで、それは結論部分でようやく出てくる話し。
結論を覚えているならいいかというと、当然、そういうわけではない。
ここで、議論されているのは、政治というものもつ本質的なパワーというか暴力の問題(これがもちろん倫理の話につながるのだが)、そして歴史的、地理的な政治の形態、そのなかにおける官僚制の役割などがほとんどの分量をしめている。
そうした議論を踏まえて、結論部に到達するわけで、なかなかに面白かったな。
とは、いいつつ、やはり最も印象的なのは、最後のほうの部分。
最初に読んだあとに、歴史を勉強して、第一次世界大戦におけるドイツの状態、ロシア革命、1918年のドイツ革命、スパルタクス団蜂起の流れを理解したうえで、このまさにスパルタクス団蜂起の直後になされたこの講演を読むと、その緊迫度、そしてウェーバーの視点の冷静さ、見通しの正しさがひしひしと伝わってくる。
ウェーバー、恐るべし。
「職業としての学問」も同時期になされた講演。職業は大きく違うのだけど、ウェーバーの主張の骨格は似ている。
もっとも、「学問」のほうは、「政治」ほどの緊迫感はなく、晩年の大学者の述懐のような、当時の学問へのやや批判的な眼差しなどが印象的であった。
Posted by ブクログ
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神が面白かったので読んでみました。
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マックス・ウェーバーの2つの講演を基にした「政治」と「学問」に関する論考。
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「職業としての政治」より、「国家」とは正当な物理的な「暴力」の行使を独占することを要求し、それに成功している唯一の共同体と定義。いきなりインパクトがある。
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支配と政治家の類型が歴史的に語られ、心情倫理と責任倫理という概念の対比に行き着く。100年近く前の講演であるが普遍性がある。読み継がれる理由が分かる気がする。
Posted by ブクログ
学生の頃無理矢理読まされた時には、何の感興もなかったが、歳を経て読むと、気付かされる事が多い。
勿体無かったと思うが、そんなもの。
中山訳の読みやすさも手伝って一気に読める。