中山元のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
「批判」の内容からすれば、人間の客観認識を構成するメカニズムを詳解する「超越論的感性論」から「原則論」までが前半とするなら、理性の限界を論ずる本第4分冊の「超越論的弁証論」以降が後半ということになるだろう。しかし実際の章立ては大きく「Ⅰ. 超越論的原理論」と「Ⅱ. 先験的方法論」の2部構成であり、全体の8割が前者に含まれている。こういう章立ての奇妙さも「批判」を近寄り難いものにしている要因だと思う。
本分冊で焦点が当てられるのは「理性」。純粋理性概念、即ち〈理念〉を利用して知性の働きに統一を与えながら、事象の原因を際限なく遡上し〈無条件的なもの〉の探究に邁進するという本性を持つ。この理念 -
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まさかこの年でカントを読み始めるとは思ってもみなかったが、最近読む本読む本にやたらカントへの言及があり、そんなら一度読んでみようと決めた次第。訳書の中では最も平易だという触れ込みのこの光文社古典新訳文庫を選んだが、それでも僕には超難解。本文は全体の約半分しかなく、残りは訳者による頗る丁寧な解説が占めているという相当に親切な作りだが、それでも1回読んだだけでは殆ど理解できず。予め簡素な入門本を読んだ上、本書の本文と解説を何度も何度も行き来しつつ自分なりの読書ノートを作ってもまだよくわからず、最後に詳細な解説本を読んでようやく何となく、といったところ。通常の4、5倍は時間をかけ文字通り四苦八苦し
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先に入門書を読み過ぎたか、、、
大凡で色々理解しちゃったあと、こっちを読むと、入門書ではぼんやりしてたところがクッキリして気持ちいい!というのはあるのだけど、どうしても超越論的とか、アプリオリとかにだんだんと辟易してきて、あーもー鬱陶しい!という気持ちになってくるというか、そして眠くなってくるというか、、、
理論の厳密さは入門書では得難いけども、なんとなくつかんじゃうと、この延々との厳密さについていけなくなりました、、、
こうなるのでは、と、予想してましたよ、自分のことなんでね、、、
入門書を3冊も読んだせいで、書いてあることの衝撃的な発見はあまりなく、論理の厳密さはとうぜん、こちらの -
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永劫回帰、超人、ルサンチマンなどの概念を生み出したことでも知られるニーチェだが、
なぜニーチェが、どうゆう理由で、それらの概念、価値を創り出したのか? それを良しとしたのか?
この本ではそれらのワードはまだ出てきてはいないが、その結論に至るまでの思考の変遷をニーチェと共に追体験することが可能な本だ。
結論が正しいかどうかの議論とは別に、
その結論に至るまでの道筋に対峙していくことができる。時代を超えて。
それが古典の醍醐味である。
善悪の彼岸というタイトルのこの著書は、
過去から作り上げられてきた良し悪しという価値基準をぶち壊しにかかるニーチェの精神の奮闘を共に味わうだけでなく、参加するこ -
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1762年ルソー50歳の時に出版。
2019年の現在から約250年前に刊行された本だ。
当時、フランスは王政による封建制度だったが、人民に主権があるとしてこの『社会契約論』を打ち出した。
が、
即刻発禁処分となりルソーも迫害を受けて国外逃亡する。
そして、ルソーは祖国の地を踏むことなく没する。
1778年のことだ。
それから11年後の1789年にフランスで革命が起こる。
ルイ16世はギロチン処刑、マリーアントワネットも車で引き回しの後処刑される。
そして、
1794年革命政府により
祖国フランスへ墓地が移されて、
ヴォルテールの墓地の横で眠る。
その革命の思想のルーツとなっ -
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ルソー著『人間不平等起源論』
1755年に刊行され、7年後に刊行される『社会契約論』の元になる思想のエッセンスといえる書。
1789年から始まりルイ16世が処刑され99年に終結したフランス革命の思想の元となったといえるルソーの書。
ルソーは、教育学や恋愛小説や自伝など様々なタイプの書を世に出しているが、このルソーの政治哲学の刮目すべき点は、
それまでの政治哲学のホッブズやロックなどが提唱した人間の自然状態への考察を、それは現代を生きる人間による枠組みから見た状態であり、結局は原始状態に遡って見極めることは誰もできなかったと喝破し、さらに遡って人間の自然状態から論考を進めて、その上で人間の -
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最近、ジュディス・バトラーの「ジェンダートラブル」と「自分自身を説明すること」を読んで、すごくフーコーの影響を感じた。
フェミニズム系の論者の間では、フーコーはあまり人気がないと思っていたので、個人的にはなんとなく意外であった。
というのは、私の個人的な偏見かもしれないが、アメリカの大学で政治哲学を学んだ2人の教授が、ともにフェミニズム系の女性で、一人は、「フーコーは女性のためになる哲学か?」みたいなエッセイを書いていたりしたことを思い出したりもするからだ。
さて、そのフーコーだが、その知識と権力に関する緻密な分析は、圧倒的なのだが、読んでいて、なんだか元気がでないんですよね。
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Posted by ブクログ
"昨年の後半からハンナ・アーレントを集中的に読んでいる。
もともと気になる思想家だったんだけど、今、なぜアーレントかというと、世の中が全体主義的なものにむかっているのではないかという感覚的な怖れがあるのだと思う。
そして、人間の多様性と異なる人との対話とか、自分の内面の一貫性(インテグリティ)とか、人間の心の強さ(美しさ)と弱さ(悪をなす心)とか、わたしが、個人的にいろいろ悩んでいたり、考えている主題にとても関連性が高い思想家で、自分の思考に刺激を与えてくれそうな人だからかな。
わたしは、ある思想家を学ぶときに、最初に入門書は読まずに、分かろうが、分かるまいが、まず、本人の書い -
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ネタバレ人は欲望を満たすために社会を形成したが、その社会によって人は欲望を抑制されることとなった。社会における善は、自己肯定から辛抱強さへとその価値観を奴隷により逆転された。良心は自分の自由な本能を外ではなく内に向けざるを得なくなり、疚しい良心、として成長した。その良心は、禁欲的な生に高い価値があると解釈し体現する司牧者によって点検される。学問もまた価値を生み出す権力を必要とし、自らは価値を創造することが出来ないため、禁欲的な理想を求めるものである。禁欲的な理想の果実たる、真理の価値を問い直そう、というのがニーチェの主張だ。
神に罪を被せたギリシアと神に罰を背負わせたキリスト教との対比が興味深かった。