鹿島茂のレビュー一覧
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2018年に高志の国文学館(富山)で開催された「堀田善衛特別展」に際してのインタビュー、5つを収める。以下は気になった4つ。
「堀田善衛が旅したアジア」――ジャーナリスト、吉岡忍から見た堀田。堀田はアメリカを描かなかった。それがなぜかを論じている。(余計なひと言も書いてある。「あの司馬遼太郎さんだってアメリカ紀行があります」。)
「「中心なき収斂」の作家、堀田善衛」――なぜゴヤやモンテーニュに憑りつかれてしまったのか。仏文学を専攻したこととの関係を、同種族の鹿島茂が語っている。
「堀田作品は世界を知り抜くための羅針盤」――20歳の頃からの熱狂的ファンの宮崎駿が『方丈記私記』について熱く語っている。これだけ講演録。
「堀田善衛のスペイン時代」――スペイン美術史の大髙保二郎、同行することが何度かあった。その時の堀田夫人の立ち振る舞いのことを書いている。しかもサルバドール・ダリの奥さんと比べている。うーん、ガラかよ。 -
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世界でも類まれな本の街である神田神保町だが、どのような背景を経て本の街へと発展したのか。そんな疑問を長年神田神保町と縁があり、実際に数年間住み着いた著者が、その歴史を幕末まで遡って歴史を紐解く。本書では、本の街に至った要因をさまざまな分野や視点で見ていくが、幕末期の日本に注目していくと、黒船来航、すなわち外圧が歴史におけるターニングポイントであった。当時の知識人は洋書から外国の知識を得ており、これがのちの明治維新で、日本の近代化が曲がりなりにも成功した。その後明治政府主導の政治により、国民教育を含めてインフラ整備が普及された。さらにその後、東京大学や数々の私立大学が神田神保町で設立されて、生徒たちは勉強に必要な書物を求めていた。それで生徒の需要と書店の供給が合致して、多くの本屋が台頭した。しかし大正時代に、大正二年の大火と関東大震災によって未曽有の事態に見舞われたが、そんな逆境を当時の実業家や文化投資に貢献した大学により、危機的状況を好転させられた。本書は上記以外にも、神田神保町という街を多面的に深掘りするが、いずれにせよ、時の政策や法律、また本屋を経営してきた実業家の決断次第で、現在とは違う形の街、場合によっては本の街にはならなかったかもしれない。その意味で、あらゆる災難を乗り越えて、100年以上も維持できるのは奇跡的と言っても過言ではない。
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単行本は2004年刊。もとはNHKテレビ「フランス語会話」テキストの連載コラム、2年分、24回。
エッフェル塔とアポリネール、オペラ座とガストン・ルルー、凱旋門とモーパッサン、リヨン駅とドーデ……パリの名所とそこを描いた作家を解説。24の名所、24人の作家、まさに文学史的パリガイド。ただし、作家は19世紀と20世紀前半限定。古典や現代の作家がひとりもいないのがいい(すっきりしている)。
もちろん、たんなるパリガイドではない。1836年以前には凱旋門はなかったし(着工は1809年)、1847年以前にはリヨン駅も、1889年以前にはエッフェル塔もなかった。それに1853年からはパリ大改造も始まった。そこも含めてのパリ文学ガイド。
本書を見て唸ったのは、記憶の「method of loci(場所付け法)」の実践例だったから。場所に結び付けてモノを記憶すると、格段によく覚えられる――記憶の鉄則。しかも、その場所がパリの歴史的名所、24カ所! -
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2008年刊。もとは「東京新聞」連載(隔週、3年間)、計72回分。いつも通りの安定した語り口。パリのトリビア満載。
とくに興味を引いたのは、以下の3回。それぞれ、仙台出身の漫才コンビ、しぶ~い喫茶店、メリーポピンズの相手役のことではない。
「背と腹を看板にかえて」。サンドイッチマンが登場したのは、1820年頃のパリ。宣伝用の看板を背中と腹にかついで街を歩いた。最初は看板男と呼ばれていたが、イギリスからサンドイッチマン(homme sandwich)という呼称が入って来て定着。これをするのは、ガタイのいい退役軍人だったそうな。なるほどネ。
「洗濯船の興亡」。パリに洗濯船が登場するのは15世紀末。セーヌ川の岸辺に平底船を係留して、船べりで洗濯。屋根もつけられ、そのうち干し場として2階が増設。これが大繁盛。18世紀には80隻も並んでいたそうな。ピカソ、ブラック、モディリアーニ、ドニ、アポリネールが住んだモンマルトルのあの安宿「洗濯船」は、外観が似ていたことにちなむ。
「小さな煙突掃除人」。19世紀、パリの煙突掃除はサヴォワの子どもたちが独占。なぜサヴォワ、なぜ子どもたちなのか。サヴォワは19世紀にフランスに併合、山がちで産業がなく、冬場はパリに出稼ぎ。この頃、暖炉にくべるのが薪から石炭に変わった。その結果、暖炉の煙道が狭くなり、子どもしか通れなくなったのだという。子どもたちは、2人一組でよく組織されていたらしい。
そのへんのパリジャン、パリジェンヌでも知らないことばかり。 -
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『上等舶来 ふらんすモノ語り』(1999)の改題文庫版。
前半が「ふらんすモノ語り」。もとは「日本経済新聞」連載、50回分。フランスにまつわるアイテムについての鹿島流の解説。後半は、雑誌等に載せたフランス関連のエッセイ、35篇。
初回に読んだ時には読み流してしまったのか、再読すると、いろんな発見がある不思議なエッセイ集。たとえば、2つほどあげると、
「イギリスの五カ国?」。12世紀から15世紀にかけて、ボルドーを含むアキテーヌ地方はイギリスの領土だった。ボルドーと言えば、ワイン。でも、ボルドーのワインは19世紀まで(つまり運河網ができるまで)、パリではほとんど知られていなかった。では、それまでは? もちろんイギリスへ。あの「月の港」はイギリス向けのワインの積み出し港だったのだ。この話の枕は、五カ国対抗ラグビー。五カ国とは、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド、そしてフランス(フランスチームはボルドー出身者が多いそうな)。このトリビアの詰まったエッセイ、なんと2ページでまとめている。
「セーラー服」。ヨーロッパでは、男性がセーラー服を着ていた。とくに1900年頃にはおしゃれ着として流行(映画『ヴェニスに死す』に出てくるあの美少年を見よ)。セーラーの名の通り、もとは水兵が着る服だった。しかも、その頃の水兵は、なんとおさげ髪を結っていた。その理由も書かれている。これも2ページでまとめている! -
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2000年刊のエッセイ集。もとは「オール讀物」連載、26回分。
フランス文化にまつわる常日頃からの疑問。仮説を立てながら、思考実験も交えて、解き明かす。もちろん、決着がつかないものもある。これも、謎が謎を呼んでおもしろい。ビデの謎、情死の謎、乳房の謎、SMの謎、ポルノの謎、長茎ぺ〇スの謎……疑問の半数は下ネタ、でも考察は上品に締めている。
下ネタを除いたマイベスト3は、以下のエッセイ。
「ナポレオンの片手」。肖像画のナポレオン、片手の指先を服のボタンとボタンの隙間に入れていることが多い。なんのポーズなのか? ナポレオン暗殺説や病死説と絡めて、いろんな推理が展開する。
「パリ焼き鳥横町」。パリではヤキトリが流行り。その焼き鳥横町への潜入レポート。店構えもメニューも日本。ところが注文して出てくるものはヤキトリのようでヤキトリでない。店員にも客にも日本人はいない。まるでSF『ボディ・スナッチャー』の主人公の気分。なぜパリでこれが流行るのか? 鹿島の立てる仮説と考察が振るっている。
「セミとキリギリス」。イソップは「キリギリスとアリ」、ラ・フォンテーヌは「セミとアリ」。どっちかが取り違えているのか? そこから始まって、めくるめく発見の数々。cigale(辞書ではセミ)というフランス語は、北と南では意味するものが違っているかもしれない。 -
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フランス文学者の書いた、フランスを愛し過ぎた蕩児・薩摩治郎八についての評伝である。
この人は、突き抜けた人が好きなんだなあ、と改めて思った。薩摩治郎八は祖父と父が築いた財産を一代で蕩尽した男だけれど、その金の使い方は彼なりの美学に基いたもので、各方面に影響を与えることになっている。芸術を解し才能を愛しパトロンとして惜しげもなく援助し、窮地に陥る知人には我が身を投げ打って尽力する。それは私財があらかた尽きてからも変わらず、大戦中の困難な時期に手を尽くして渡仏したのも私欲だけではないだろう。
この評伝はとても変わっていて、というのは治郎八は時間に関する記述にきわめて不正確な面があり、その事実を確認するために複数の文献から立体的に彼の記述を見いだし、事実を炙り出す作業の様から披露している。この苦労してる様がさながら探偵のようで、その外側の物語を内側の治郎八の物語とともに楽しむこのなるのだ。
そして、帰国して日本で暮らす晩年についての最後の章がまたいい。ちゃんと自分を楽しんで生きていたんだな、彼は。
女とパリと芸術を愛したこんな豪快な愛すべき男がこんな時代にいただなんて。いいものを読ませてもらいました。
追記:
後日、町田の武相荘に行って気付いたのだが、かの白洲次郎と治郎八は1歳差。イギリスに留学したタイミングもほぼ同時期(治郎八はオックスフォード、白洲はケンブリッジ)で、日本に貢献したのも同じ。なのに、こんなに人生が違っているのは、興味深い。断然治郎八のほうが魅力的だけれど(笑)。 -
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いま、18世紀に生きたフランスの詩人であり小説家のビクトル•ユーゴーの『レ•ミゼラブル』について、フランス文学研究者の鹿島茂の書いた解説本を読み終えたところである。10年ほど前にNHK(地上波)で放映されたドラマを見て、どうしても忘れられなかった。感動があったからこそ原作を読破しようと若い頃から思っていたがそのままになっていた。幅広い知識と当時のフランス社会の動乱についての分析力と洞察力、ユーゴーに対する熱烈な愛を感じさせる文章は、静かに心に伝わり幸福感を覚える。まさに、大長編である原作(全4巻)を1冊にまとめ、より多くの人にこの本が読まれることを提示した著者の力量であると思う。勿論、全4巻を読むキッカケにもなると思う。
ジャン•バルジャンが悪と断ち切り、真っ当に生きようとしたのは、ミリエル司教との出逢いがあり、寝るためのベッドと餓えを回避できた食事を提供されたことが大きい。ミリエル司教の教えるキリスト教の教示にも心が入れ替わるほどの衝撃を受ける。それまでの彼の人生には、あり得ないような救い手になったわけだ。長い刑務所生活を送った身から考えれば、当然のように周囲からの差別に遭う。人間の温かみに触れるなんてことはない。ジャン•バルジャンは司教から銀の食器と燭台を与えられ再興の道を切り開く。
このあとファンチーヌ、マルユス、コゼット、ジャべール等の夫々との悲劇や葛藤、恋心や友情を通して背後には革命の内紛に奔走し、やがては死を迎える。ここの所の詳細については是非、多くの人にこの本を読んでいただきたい。私にとってさいご、ジャベールがセーヌ川の早瀬に飛び込むシーンは衝撃的であった。自分のそれまでの生き方に対して修復不能と悟った結果なのであろうか。人(ジャン•バルジャン)を信頼できた瞬間の時が死ぬ時であるとは何とも皮肉ではないか !
この本の増補として講演録を載せているが、これは素晴らしいものである。非常に分かりやすくて説得力がある。『レ•ミゼラブル』への理解がより深まったと思う。あらためて、著者に敬意を表したい。
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ネタバレ神保町書肆街の変遷を大学、予備校等の沿革を絡めながら、叙述しサブカルにまで及ぶ。
・幕末の蕃書調所が神田神保町界隈の護持院ケ原(もともと池を干拓した後に護持院が建立、廃寺となり広大な松林や馬場になっていた。)に移され、東京大学、東京外語学校もここが発祥の地。
・教科書の古書売買から古書店が始まる。明治9年の出版条例までは書籍販売は株仲間、条例により認可制から届出制になり出版が可能に。更に八品商取締規則と古物商取締条例により、出版、取次、新刊書店、古書店が分離していく。
・有斐閣、三省堂、冨山房、東京堂、中西屋の歴史。洋書取扱・翻訳本出版は武士の商法から。
・私立法律学校が神田に集中したのは、夜間が多く、講師が帝国大学(神田)教授・講師や官吏の兼職であったため。
・明治40年代にすずらん通りが中国人留学生の街さらにチャイナタウンとなるのは、明治29年の三崎町の嘉納塾(弘文学院→宏文学院)から。大正2年には東亜学校尾設立。
・大正2年の大火により神保町は全焼、市電の敷設により表通りがすずらん通りから靖国通りに。古書店は靖国通り拡幅で開かれた靖国通り南側に立地。
・大正12年の関東大震災により再び全焼、書籍も焼失し、空前の古本ブームに。
・戦時中の価格統制令により古書売買は低調。
・戦災からは焼残り、緊急金融措置令・日銀券預入令により、当座の金を入手するため書籍を売る人が増え、古書店は再びブームに。古書店も金がないので物々交換。さらには、資産家の古書放出・大学新設による需要も。
・昭和53年中央大学の全面移転、この頃学生運動の終焉とともに学生レジャー、小川町にヴィクトリア創業。 -
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この本、すごいなあと思います。ハード面でもソフト面でも。「文藝春秋」としては、生みの親である菊池寛についての本を出すのですから当然なのかも知れませんが。
裏表紙にはドーンと菊池寛の顔写真。本を開いてびっくりしました。見返しには文藝春秋に関係する、そうそうたるメンバーの集合写真。中にもふんだんに人物や雑誌の写真が使われており、内容理解の助けになりました。
タイトル『菊池寛アンド・カンパニー』のカンパニーには、2つの意味がかけてある。1つは文学仲間たち、もう1つは「文藝春秋」を支えた読者。このように記した鹿島茂さん。
鹿島茂さんが人間、菊池寛を論じていくにあたり、とても効果的に過去の「文藝春秋」やたくさんの関連書籍を引用され、大変面白く読めました。菊池寛の生い立ちや人格、時代の流れの中での「文藝春秋」の有り様を知ることができました。
菊池寛には愛人がたくさんいたこと、衆議院選挙に立候補したこと、アイルランド文学の研究者でもあること、日本文藝家協会を設立したことなど、私の知らないこと満載でした。菊池寛に関わる人物についての記述も興味深いです。
戦時下における「文藝春秋」と菊池寛の立ち位置、そして戦後の困難を乗り越えての復興劇。 本意ではないのに、戦争に加担せざるを得なかった実情を思うと、菊池寛の心中は察するに余りあります。
“歴史は繰り返す”という言葉は、とかく悪い意味に使われます。戦時下を潜り抜けてきた人たちの思いや行動から、我々は学ぶべきことが多いと思いました。
1人の作家であるという枠を超えて、菊池寛という人物の偉大さと共に、著者である鹿島茂さんの読ませる筆致の素晴らしさに脱帽です。
koba-book2011さんのレビューを、9月のタイムラインで拝見し、気になっていた本でした。ありがとうございました。 -
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文学者であり、文藝春秋を創業した菊池寛の、評伝であり伝記。
彼は激動の時代に、どう行動して生きたのか。
菊池寛と彼の仲間(カンパニー)たちと文藝春秋を含めての
企業(カンパニー)の足跡を詳細に解き明かし、綴る力作。
1~20
・あとがき
参考文献、菊池寛 略年譜、人名索引有り。
明治・大正・昭和の激動の歴史の変遷の中、
菊池寛は藻掻き、紆余曲折の道を歩み、文学者としての
立場を確立していった。特に一高時代の仲間たち、
同人としての仲間たち、それらの人間関係が彼を支えてゆく。
文藝春秋の創刊。
大衆のニーズに応じた編集方針。原稿料について。
SNSのようなの呟き文から総合雑誌への大転換。広告。
文藝講演や座談会、文士劇などの独創的な発想。
株式会社文藝春秋社へ。そして芥川・直木賞宣言。
関東大震災、戦争への道と終戦。そして、死。
アレクサンドル・デュマのような人だと思っていましたが、
それは勘違いでした。喜怒哀楽の激しさの中にも繊細有り。
同性・女性を問わずの人間関係をかくも詳細に解き明かし、
仲間を大事にする情のある人柄が現れてきていました。
信念の人。いろいろあるけど応援したいという思い。
大事にするあまり、戦争協力者になってしまいましたが、
それは彼なりの国への思いからだと考えられます。
文学作品や仲間たちそれぞれについても考察し、
作品の制作秘話や関わる人々についてまで詳細に記述。
エピソードなどが多く盛り込まれ、エンタメな伝記に
仕上がっていて、愉しめました。さすが鹿島氏。 -
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▼ダレることなく、本当にオモシロい一冊でした。菊池寛(明治生まれ~戦後直後逝去の、小説家であり、文芸春秋を起業した編集者であり経営者)の評伝。鹿島茂さんなので、編集者、本作り、雑誌作りの裏側を同業者として考察しながら。
それから、「アンド・カンパニー」ですから、「菊池寛と仲間たちの評伝」「菊池寛の作った文芸春秋社の、終戦までの評伝」とも言えます。まあ、でもひとことで言えば菊池寛の評伝、菊池寛とその時代です。
▼とにかく本の書かれかたがエンタメでした。こういうのは、「どういうひとを読者のラインとして設定するか」が難しいと思います。
・菊池寛という名前を聞いたことも無い人で、文芸春秋の歴史や、大正~昭和戦前の大衆文化なんてなんの知識も興味もない人。
(まあ、この部類に入る方は、読むことが無いでしょうから気にしても仕方な)
あるいは、
・それらに詳しい人。
また別の軸として、
・ノンフィクションを読みなれているか、いないのか。
みたいなこともあるかと思います。そういう読者想定で、言葉使いひとつとっても変わってしまいます。
こちらとしては、そのあたり実にホドの良い、さすがベテランという力の抜けた語り口で、それがとにかく読みやすい。
▼確か、香川県の貧乏士族の息子なんですね。勉強ができた。貧しいからいろいろ苦労するが、今風に言えば大まか京大生にまでなる。そして当時の京大生は今より希少価値のエリート。で、作家になる。そして同人誌的に雑誌を始める。これが売れる。雑誌編集者、経営者として一流であることを証明していく。やがては文化人になる・・・。
・・・というような流れが、実に良く調べられている。そして要点だけおもしろおかしく、冷静に、客観的に、物語られていく。
▼そして、やがて戦争の時代が来る。俗に15年戦争と言います。日本にとっては1930~1945くらいが戦争でした。ただ、どうもいろいろなものを読んでいくと、都市でやや裕福な生活をできているような勤め人家庭、家族などにとってで言うと、実は日米開戦の1941年・・・・あるいは1943年くらいまでは、まあまあそんなにみじめで苦しい訳でもなく「日常」の延長のつもりで暮らせていたはずです。
そういう立場代表みたいな文芸春秋が、菊池寛が、戦争の時代に何をどう発言したか。特段味方も罵倒もせずに書いていきます。もともとが菊池寛さんは、知的だし冷静だし、リアリストだし自由主義者なので、本当はいろいろ不満はあるけれど、「戦争をする以上は、それは応援したい」。・・・・これを、まあ、なんというか「非難批判」するのはちょっと難しいな、と思いました。
そして、戦中の右翼的な愛国的な同調圧力と同様に、戦後直後の「共産党偉いぞ、民主化新時代になびけ」的な同調圧力もえげつない。このあたり、「紙」をどう割り振るかという現実があった由、興味深く読みました。
▼全般これ、菊池寛を、「自由主義的すぎる。左翼的だ」と批判しようが「戦時中は軍部によりそって日本を応援した。右翼的だ」と批判しようが、この本の作者は菊池寛の本質はそのどちらでもない、という立場で冷静に書いている。
そしてそれは、そういう同調圧力が不穏な世の中に、今、例えば2025年の日本ってまたなってないですかね・・・?という。
あるいは、この先そうなったときに、どうしますか?・・・という。
昔ね、菊池寛はこうしたみたいですけれどね、という。本文にもありましたが、「過去は、現在と、そして未来を照らす明かりだ」。
▼個人的には、菊池寛さんはいわゆる代表作名作選みたいなものは読んだんです。父帰る。恩讐の彼方に。それなりに、へえ、面白いね、と。
ただ菊池寛という人は、それらを書いた人である、という以上の存在だったらしいという気配はあちこちで読み聞いていたので、そのあたりをスッキリと把握できて気持ちよかったです。さすが鹿島茂さん。 -
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タイトルは、あのシルヴィア・ビーチのパリの書店、Shakespeare & Companyからヒントを得たものという。Companyは、「仲間たち」と「会社(文藝春秋)」のダブルミーニング。絶妙。しかも、表と裏の見返しには、菊池寛と「仲間たち」の集合写真を使っている。造本も凝りに凝っている。
「逸話」ではちれんばかりの菊池寛(1888-1948)。評伝や伝記を書く際には、これが足枷となる。逸話が目くらましになって、本体が見えなくなってしまうからだ。しかし、そこは鹿島茂、膨大な資料をもとに、きっちり仕事をしている。
一高のマント事件での退学、京大の学生時代、secretの女性関係など、読者としては知りたいことが山ほどあるが、資料がない場合には、無駄で無理な深追いはしていない。そこがいい。巻末についた人名索引がvery useful。
ドーダと言われたら、はい、完全に参りました、と言うしかない。伝記&評伝の最高傑作と思う。 -
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2023年に100周年を迎えた文藝春秋の目玉企画。『創刊100周年記念新年特別号』から連載開始、楽しみにしていました。「マント事件」のあたりまでは毎月欠かさず読んでいましたが、例によって一回飛ばすとなんか執着できなくなってそのままになっていました。8月に入ってからの読書で菊池寛がGHQから公職追放されたことに接し、ここは改めて読んでおかなきゃ!ということで開きました。鹿島茂という書き手のチョイスが抜群でした。明治、大正、昭和と近代化する日本社会で菊池寛が作り出してきたものをフランス文学や世界文学ともシンクロする「時代精神(ツァイトガイスト)」で見つめる「評伝」でもあり「伝記」でもあります。それは彼自身の物語というよりも彼の仲間たちの物語であり、彼らが生きた時代と社会の物語でもありました。鹿島は第10章で菊池が大正8年「中央公論」に発表した「恩讐の彼方に」のタイトルを激賞します。曰く「優れたタイトルは優れた作品のメタファーなのである。」「タイトルとしてのメタファーが凝縮しているのは主題(テーマ)なのである。」この記述はまさに本書『菊池寛アンド・カンパニー』にも当てはまると思いました。菊池寛とその仲間たち、と菊池寛とその会社、という二重の意味とその重なりが見事に描かれています。そしてクリエイターとマーケッターとビジネスマンがまったくシンプルに矛盾なく重ね合わされている菊池寛という人物像に今日的な希望を感じたりもしました。