【感想・ネタバレ】『パンセ』で極める人間学のレビュー

あらすじ

ヘーゲル、ニーチェ、ハイデガーよりも、パスカルこそが役に立つ!

100分de名著でもおなじみ、博覧強記の作家・フランス文学者の鹿島茂が、「自我と幸福追求を試みた最初の書」として絶賛する西洋哲学の古典『パンセ』。本書では、「キリスト護教論」を目的として書かれた『パンセ』の中から、現代人にとって切実かつ魅力的な部分を抽出し、著者が訳と解説を施すことで、パスカル×鹿島茂の新たな箴言集、いわば『パンセ 人間学篇』を編み直す。著者は「現代人が『パンセ』を読んだことがないのは、もったいないどころか大きな損失である」と語る。読者が、パスカルの思想に触れながら、人間の二大苦悩である「自我」と「幸福追求」について、自らの答えに行き着くよういざなう、究極の哲学ガイドである。


<目次>
第1章 ようこそ、『パンセ』の人間学へ/第2章 人は気晴らしなしでは生きられない/第3章 すべては「ドーダ」で理解できる/第4章 とにかく自分のことが好き!/第5章 人間は奇妙なオルガンである/第6章 人は変わる? 変わらない?/第7章 人間は習慣によってつくられる/第8章 オネットムと言われるようになれ/第9章 想像力って素晴らしい!/第10章 現在に安住できないのはなぜ?/第11章 「正義」ってなんだろう?/第12章 人間は惨めで偉大な存在である/第13章 人間は考える一本の葦である/第14章 だから神は存在する

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感情タグBEST3

Posted by ブクログ

めちゃくちゃ面白い本でした。
人間観察を徹底して行ったパスカル!その名著がこの本「パンセ」です。
めちゃくちゃ腹落ちする内容で、「なるほどー!」と思う箇所が満載でした。
ぜひぜひ読んでみて下さい。

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2022年07月03日

Posted by ブクログ

パンセの思考の大枠を掴むことができる。人間は物理的にはか弱い動物だが、「考える」ことができるため、自然や動物を圧倒することができる。「考える」ことは発明や進歩を促進し、善く生きることに繋がるが、虚栄や欲望など、負の側面も併せ持つ。将来の脅威や悲惨を考えずにはいられない(このあたりはストア派の思想の影響を感じる)。自分の感情を客観的に理解することで、ただ人間の尊厳である「考える」ことに没頭したい

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2024年09月29日

Posted by ブクログ

『パンセ』に触れたのがほぼ初めてだったので、その思想への共感が先ず大きいが、そうした初心者に対して非常にわかりやすいのが本書。パンセとは、フランス語で「思想」を意味する言葉。ここではパスカルの著作『パンセ』の意味。パスカルの人間は考える葦であるは有名だが、それだけではない。

私が最も好きだったのは、少し(だいぶ)表現は違うが、「人生は気晴らしであり、それをし続けないと死を想像してしまうから、幸福になれない」という思想。これに共感し、感銘を受けつつ、深掘りしていくのが『パンセ』の面白さであり、本書の分かりやすさの魅力である。

ー 人間はすべて幸福になろうとしている。これには例外がない。
幸福になろうとする方法に違いはあっても、全員がこの目標を目指している。戦争に行く者もいれば、行かない者もいるが、どちらもこの幸福になりたいという同じ願望から発している。願いは両者とも同一であり、違った見方が付随しているだけだ。意志というものは、この目標に向かう以外にはいかなる小さな行動も起こしえない。これこそ、ありとあらゆる人間のありとあらゆる行動の動機であり、首を吊ろうとする人もまた例外ではない。(断章四二五)

幸福の追求が万人の目標。しかし、人間には願望や想像力というものがそなわっている限り、永遠に幸福にはたどりつけない。何故なら、避けられない死というのが人間の定めだからだ。従い、「気晴らし」こそが幸福追求のために、死の想像から逃れる手段である。気晴らしにも色々あるが、最たる気晴らしは承認欲求を満たすことだ、と。

ー わたしたちの惨めさを慰撫してくれるただ一つのものは気晴らしである。ところが、まさにこれこそがわたしたちの惨めさの最たるものなのである。なぜなら、気晴らしをしていると、わたしたちは自分のことを考えないですみ、気がつかないうちに自分をだめにしてしまうからだ。気晴らしというものがなければ、わたしたちは倦怠に陥るだろうが、その倦怠はわたしたちをして、そこから抜けだす最も確かな方法を模索させるはずだからである。それなのに、気晴らしをしていると、わたしたちは楽しいために、気がついたときにはもう死がそこまで来ているのである。(断章一七一)

ー パスカルの考えはこうです。人間は自分の自由な意志に基づいて職業を選んでいるように見えるが、じつは側然が選択を決めていることが多い。では、意志に基づかないで選んだ職業にもなぜ人はなじんでしまうのだろう。
それは、絶対に向いていない「部屋の中にじっとしていること」、つまり、人間の根源的な悲惨である「気晴らしのない蟄居」を避けるためである。だから、どんな職業でも、やっているうちにそれは気晴らしになる。

書き過ぎると本書を読む楽しみがなくなるのでこの辺にしておくが、他に、パスカルで有名な話と言えば、クレオパトラの鼻。それがもう少し低かったら、地球の表面はすっかり変わっていただろうという、有名な文章。こうした有名なセリフというものをそれだけ認識している状況というのは案外多い。それは、漫画や映画などのエンタメコンテンツで引用されるからだが、我々の思想も少しずつそうした思想の破片で成り立っている事にも気づかされる読書であった。

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2024年08月28日

Posted by ブクログ

ビジネス書ばかりでなく、たまには哲学もと思い。丁寧に解説してくれるので読みやすく少しだけパスカルを理解できました。

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2022年11月14日

Posted by ブクログ

人間はすべて幸福になろうとしている。しかし、自然でいると不幸になってしまう。なぜなら幸福は願望が作り出すものであり、いつでもより幸福を作り出せてしまうから。

気晴らしがなければ、王位であっても意味がない。
その他の気晴らしを考える余裕がないほど忙しい仕事に必要がある。
人が気晴らしをするのは、無為と倦怠に陥らないため。無為や倦怠は悲惨と絶望の源である。しかし気晴らしに耽っていると倦怠を乗り越える方法を見失う。=神の存在を信じてキリスト教徒になること。
「ドーダ」理論=人は、他人から認められたい、褒められたい、という願望で生きていてそれ以外にはない。ただし子供からこれを奪ってはいけない。

好奇心とは虚栄心にほかならない。他人に自慢をするためでなければ勉強も冒険も旅行もしない。純粋な好奇心は存在しない。

人は人そのものを愛するのではなく、その性質、属性を愛するものである。

自由な意志に基づいていない職業の選択もなじんでしまうのは、人には気晴らしが必要だからであり、仕事は格好の気晴らしになるからである。

教養人=オットネム、と言われることが普遍的な美質である。専門バカにならないこと。
同じ言葉でも並べ方で意味が変わる。

未来だけが目的である、とすると将来生きることに希望を抱いている。現に幸福になることは放棄している。
多数派に従うのは、正しいからではなく強力だからである。

鎖につながれ死刑を宣告されいて自分の順番を待っている。これが人間のイメージである。
人間は偉大であると同時に卑小である。
理性しか認めないこと、理性を認めないこと、は両方とも行き過ぎである。

神が存在するか否か。存在したらすべてを手に入れる。存在しなくても失うものはない。だから存在に賭けるべきである。
クレオパトラの鼻、人間は考える葦、
パスカルの定理、など。

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2022年08月15日

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