鹿島茂のレビュー一覧
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ネタバレ序章 小林の「人口増に乗った経営」を切り口にするのが、本書の独自性なそうな。私の常識が問題なだけですが、ここまで広範囲に携わっていたとはおどろきでした。
P43 三井銀行の三井社長 頭取じゃないの?
P56 小林24歳、恋人こう16歳
P108 宝塚少女歌劇団 「少女にしたわけ」で、自分は16歳の恋人とゴタついておきながら……と思ったのでした。
P154 阪急、阪神の争い。球団で存続したのは、阪神でしたけど。一文字での略称で阪神=神なのは、せめてもの名残?
P171 鉄道時代になって、地の利がなくなった 鉄道史を知ると、何もなかったので鉄道が敷けたのがわかります。地下鉄は除きますけど。
P207 東京電灯は表記ゆれ?
P226 宝塚大劇場4000人、当時としては大きすぎ?
P242 ヴァイタフォン はじめて知りました。映像と音声の分割はdtsと同じかと。dtsはCDが紛失したとか。まあ、日本では普及しませんでしたけど。
P447 敗戦後でも、革新官僚による統制経済 既に官僚統治が……
P467 第一騎兵師団、キャンプ・ドレイク たぶん、朝霞駐屯地近辺?東宝争議への投入戦力がちょっと大げさかと。連隊未満かと。 -
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フランスの思想家フーリエが言う、高位の洗練的四情念。
その内の三つをそれぞれ体現した三人。ナポレオンの熱狂情念。
フーシェの陰謀情念。タレーランの移り気情念。
フランス革命からワーテルロー会戦までを生きた三人の生涯と
情念の有様を探っていく。
情念とは、パッション。
昨日の友は今日の敵、陰謀大好きフーシェ。
金と女が大好きだけど外交官としては凄腕のタレーラン。
俺様一番~~とばかりに突っ走るナポレオン。
この三人がある時は迎合し、ある時は離反する、心理戦。
それがナポレオン時代を築き上げたという、時代の妙。
なるほど、この三人の行動を探り、辿っていくと、
フランス革命から帝政へ、そして王政復古、ルイ=フィリップ
までの流れが実に面白いのです。ラストのルイ=ナポレオンと
内務大臣のモルニー伯の関係までも・・・いやはや。
鹿島氏の文章は痛快で軽妙。さくさく読めて楽しかったです。 -
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普段から何にフェチやエロを感じるかはっきりと意識にのぼらないのは、それらが本能に近いところにある感覚だからかもしれない。ひとが好物を夢中で食べているとき、その好物たる理由をいちいち考えないのと同じように。
でも鹿島先生は理由を追求する。実証できないが仮説として考える。ひるがえって、自分が日常において多くの現象に対して思考停止状態にあることを省みる。
ちなみに私は、日本における緊縛SMプレイは江戸期の拷問が起源だと思います。公儀による正式な取り調べのスタイルそのものが、現代でいう制服やスーツなどのフォーマルな装いにどこかで共通し、ある種のフェチズムを喚起しているのではないかと? -
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まあなんという振り幅の激しい人であったことか!
あるときは慎重過ぎ、あるときは大胆過ぎ。
どちらの場合も、成功と失敗があった。
社会保障の先駆けやインフラの整備、パリの大改造等の
功績は」素晴らしいけれど、同等にとんでもない事も多し。
最後は捕虜になり、英国で余生を過ごす・・・あぁ怪帝!
産業革命、旧新入り混じった政治情勢・・・加速する歴史に
振り回されながらも、フランス最後の皇帝となった男の
生涯を詳細に綴っている。
女性関係もすごいもんだ!
画像と不随する説明が多く、長文でもわかりやすい。
なんといってもこの一冊で歴史とその当時の情勢がわかる。
鹿島先生の渾身の一冊ですね♪ -
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ネタバレネットで見かけて。
いろいろと考え方が面白かった。
エマニュエル・トッドがもともと人口統計から出発した学者で、数字が全てで数字に語らせようとしたところから始まったとか。
人類が多産多死型社会から少産少子型社会、厳密に言うと少死化がはじまり少産化が起きる、その要因は識字率、とくに女性の識字率のアップであることとか。
知識蓄積の要が母親の教育機能がであり、親の権威が強い直系家族では財産を相続する長男の嫁の地位が高く教育熱心だとか。
成人男性の識字率が50%を超えた時点で社会変革や革命がが起きる条件が整い、若年層の人口増加が家族内の分裂ひいては国家レベルでの革命的状況を発生させるとか。
とくにヨーロッパの歴史に関する話はなるほどと納得できるものがあった。
ヴァイキングがブリテン島とフランスに遠征したのは、子が親と同居し財産が長男に渡る直系家族の次男・三男が結婚するための財産を奪いにいくためだった、
フランスでは直系家族地帯を官僚としてとりこむことによって強力な中央集権管理組織をルイ十四世が形成することができた、
イギリスは絶対核家族であるイングランドの自由、独立、競争の冒険精神と直系家族のスコットランドの知性が産業革命をおこした等。
ただ日本の話になるとどうもピンと来ないというか、それほど単純なことなのかなーと思ってしまった。
直系家族の北東日本出身者がタテ型組織の「新選組」を作り、起源型核家族の西南日本出身者が横の連帯組織の「海援隊」を作ったという話は面白かったけど。 -
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東海林さだおが提唱し、鹿島茂が発展させた「ドーダ理論」というのがあるらしいと知った。人の行動・発言はすべて「ドーダ、俺ってすごいだろ」と言うためのものなのだという、身も蓋もない理論のことだそうだ。
SNSをやっていると、書いていても読んでいてもふとしたときに「それ自慢じゃん!」「自慢なのか…?」「自慢に見えてしまうだろうか?」などと自慢センサーが反応することがよくある、のではないでしょうか。SNSに限らず、プロの作家さんの書くような文章でもそういうことはあるし、逆に「こんな大層な内容を書いていても自慢たらしく感じさせないのはなぜなんだろう?」と感服することもたびたびあります。
そんなところからこのドーダ理論なるものに興味を持った私。
東海林さだおさんは『もっとコロッケな日本語を』のなかで、お気楽エッセイ風にそんな人々の営みを観察しながら「ドーダ学」の研究発表(主に事例紹介)を繰り広げている。鹿島茂さんは、『ドーダの近代史』等でこのドーダ学を用いて近代史を見直すことをしているようだ(未読)。
うーん。その中間くらいの読み物、ないだろうか。東海林さだおより真面目に、でも近代史とかまで手を伸ばさないようなやつ…。と思って見つけたのがこの本、NHK番組『100分de名著』のパスカル『パンセ』回(解説が鹿島茂)のテキストです。というのも、鹿島茂は、東海林さだおの「ドーダ学」を継承するにあたって、パスカルの言葉をそれとリンク付けることによって学者としての落とし前をつける、じゃないんだけど、学問ぽさを上げて自分のものにしているようなんですね。それなら、鹿島茂によるパスカル解説を読もう、なるべく易しいのを、ということでこの本にたどり着いたわけです。
パスカルはこう言っている。「ドーダ」の心、つまり「称賛されたい」「尊敬されたい」と願う心は、人間の最も愚かなところであるが、と同時に人間の最も卓越したところ、すなわち「考えること」、の大きなしるしでもある、と。
つまり人間は、人間の理性(考えること)に対して多大なる敬意を抱いているからこそ、理性のなかで優位に立ちたい=尊敬されたいと願わずにはいられない、ということだ。
だから、人間である以上ドーダしないことはできない。鹿島氏は前掲書で、例えば謙虚な態度をとることだって、この謙虚さはドーダということになるとかそういう理論を展開しているらしい。不幸自慢も然り、ドーダなんて気にしてませんドーダも然り、だからもう何をやってやらなくてもドーダなわけである。そしてそれを指摘すること自体も、「私はそれを知っている」という点で優位に立ちたがるドーダなのである。(それに賛同するのもわかってるぜドーダ、反発するのも俺は違うぜドーダ、意味わかんなーいと知らんぷりするのも私関係ないもんねドーダ…と、踊る阿呆に見る阿呆方式でどこまでも「それ自慢やろ!」と言って回るのがドーダ理論というものらしい。ね、抜け出せない。)
ここからは私の感想だが、ドーダをやめることはできないとはいえ、卑しいことではあるのだから、なるべく卑しく見えないようにドーダしたほうが品がいいのかなあ、とまずは考えた。しかしそれもやはり、品がいいだろうドーダになってしまう。そこで気づいたのは、どういうドーダを特に卑しく、または比較的好ましく感じるかは、人によって違うのではないかということだ。例えば直球ドーダを「みっともない」と思う人もいれば、ひねくれドーダを「嫌味なやつ」と思う人もいるだろう。
ということは……みんな自分の良識のなかでいままで通りドーダしドーダされるしかないのだね、結局。「自慢するのが人間だ」ということでした。
で、読む前の目的はそんな感じで達成?されたのですが、「考える蘆」で有名なパスカルの哲学についてもたいへん勉強になったので、以下、備忘メモ。
・人間は常に不幸。なぜなら私達の願望が常にもっと先の幸福を描き出すから。それを手に入れても幸福にはならない。なぜならさらに先の願望を持つだけだから。(足るを知るものは富むとは老子の言)
・労働も、賭事も、ダンスやおしゃべりも、戦争や大遠征でさえもすべてが、人間が自分について考えないための気晴らしである。自分について考えると不幸になる。人間はいつか死ぬから。
・気晴らしの本質は、それを達成したら幸せになれると思い込むことで自分を偽って熱中し、そうでないとあらわになってしまう自分の不幸な状態から目を背けさせることにある。
・↑これはすごい残酷なことを言ってるなあと思った。サラリーマン的に言うと、働いてお金を得たら幸せになれるというのは思い込みで、働かずにお金だけもらっていればいい生活をしているとかえって不幸になる。ということだが、そういうときによく「本当に価値あるもの」として出てくる 「やりがい」というやつすら、否定しているよね。だって、やりがいを感じて熱中している状態のことを、「不幸から目を背けるためにやっている」とバッサリだもん。この視点に立つと、「仕事人間」と「趣味人間」にはなんの違いもない。
・いつか死ぬ運命にある自分のことを考えると不幸になる。だから考えないために「気晴らし」をして生きる。考えることこそが不幸の始まり。しかし!人間は考えるからこそ不幸であると同時に、考えるからこそ偉大なのだ。なぜなら、人間は不幸だ、いつか死ぬ、ということを知っているから!人間は弱い、蘆である。宇宙はたやすく人間を殺すことができる。でも人間は、宇宙が人間より優位であることを知っている点で、宇宙より気高い。宇宙はそれを知らない。このように人間の尊厳は、考えることの中にある。だからよく考えよう。
・…というのが「人間は考える蘆である」の意味するところ(知らなかった)。厳密にはキリスト教思想も関係してくるけれど、だいたいはそんな感じ。
と、いうわけで、こんな本読みましたドーダ!でした。 -
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「SMをキリスト教との関わりから、文明史的に考察したもの」 で、SMの実践的指南書でも、SM業界のインサイドレポートでもありませんが、スリリングでとても面白かったです。実際は、鹿島茂が語り、木村俊介がリライトしたものです。
『SMとは、「想像力」 を核とした 「関係性」 であり、二人の想像力によって規定されている。』 というのは納得できます。私はMと間違われやすいですが、典型的なS、サービス満点のSです。
最近は、自己愛型のSMが跋扈している。SMは、キリスト教が絶対的なものでなくなったときに生まれた。信者は自己処罰の果てに、絶対的な神、理想のSとまじわる幻想を抱く。すべての文化は、最終的にはMにたどりつくもの。SMは、文化の進化のバロメーターである。
SはMの願望を先取りすることで、Mに奉仕することになる。Sは、「Mの理想に従って鋳造されてしまう人」 で、だから、サービス精神満点でなければなりません。主導権は、完全にMにあるわけで、「SはサービスのSです」(みうらじゅん)、Sは相手の欲望を汲みとるために、想像力豊かじゃないと務まりません。SMの本質は 「逸脱」 を楽しむことである。
たくさん珍しい本に言及されているので、参考文献の一覧あればさらによいと思います。 -
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その生い立ちから、傍目には「無茶?」と見える振る舞いで権力奪取を目指してみて失敗し、やがて大統領となり、クーデタで皇帝となり、敗戦で廃されてしまうまでのナポレオン三世の歩みが本書には網羅されている。彼と行動を共にした、または対立した男達や、彼の人生を彩った女達に関する言及も多く、それぞれ面白い。更にナポレオン三世の強い望みを受けて、彼が抜擢したオスマンが推進した“パリ改造”に関する話題も、「ナポレオン三世の事を扱った本だったよな?」と一瞬思う程に詳しく綴られ、非常に興味深い…
決して評価が高いでもない皇帝…しかし、「現代の基礎」を整えた側面もある、理想家肌な皇帝…非常に興味深い出会いということになった!! -
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小説ほど創作があるわけではなく、教科書ほど無味乾燥なわけではない。しかして抜群に面白くて楽しく学べる。これこそが大河ドラマというものか。フランスの歴史書でありながら、訳本ではなく作者は日本人。というわけで『山田風太郎』や『自民党』、『ボンド・ガール』と現代日本にしか通じないような例えを混じえ、ナポレオンとフーシェ、タレーランの生い立ちから没するまでの三者三様の欲望と生き様をドラマチックに語る。
歴史上の人物は、ストーリーの都合上、こっちの作品では人々のために戦った善人、あっちの作品では自分のためだけに戦った悪人など、わかりやすい型に嵌められやすい。だが、欲深い個人の利益の追求が、時には戦争で幾多の被害を出そうとも人々の夢と重なったり、時には民衆に疎まれても保身のために国土を売り渡した結果、欧州の平和を守った傑物たちを、どのような箱に入れろというのか。
プライドが高く、支配と権力への情熱に取り憑かれた戦争狂でありながら、過去の英雄たちを思い出させられる圧倒的な勝利で民衆の心を掴んだ戦争の天才ナポレオン。賄賂、横領がなければ生活ができないほどの豪華絢爛を好み、淫奔にふける放蕩聖職者でありながら、ヨーロッパ全土の権力者と繋がりを持ち、フランスが敗戦してなお国家と民衆の権利を勝ち取った外交術の天才タレーラン。常に自身の王であり、保身のためには虐殺、スパイ、脅迫、教唆と手段を問わない悪漢でありながら、替えのきかない警察機関を組織して国内のあらゆる秘密を手に、政権の治安を維持した陰謀の天才フーシェ。
キャラクター作成の肝要は、如何に欠点が愛される人物を作れるかという論があるが、ひょっとしたら歴史上の英霊はみな、欠点が愛されたからこそ今なお語り継がれているのではないだろうか。
欲深いから能力が低いということは当然なく、欲深いから社会利益に反するということもないが、欲深くなくては、誰のヒーローにも悪者にもなれない。歴史上の人物に限らず、人を理解するということは、その人が過ごした環境に加え、その人が持つ、欲の絶対値とベクトルを知るということなのかもしれない。 -
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渋沢栄一の名前は知っていても、その実、何をした人なのか知らない人が多いのではないだろうか。
本書では渋沢とサン=シモン主義との関係が深く考察されている。1867年のパリ万博という、まさにその時その場所に渋沢がいなければ、彼はサン=シモン主義を深く知ることもなく、ひいては明治維新以降の日本もまた大きく違ったものとなっただろう。
本書のまえがきにある”ヒルズ族”と著者との間のエピソードは非常に興味深い。彼らが本書を読んで渋沢栄一のことを知っていたならば、著者の謂わんとしてことは分かったはずである。経営者や企業家と呼ばれる人たちは、凡百のビジネス書を読むよりも本書をまず読むべきであろう。 -
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日本資本主義の父と言われる渋沢栄一の伝記作品。筆者は18年間もの長い間、紆余曲折を経て本作品を完成。ライフワークと語るだけあって極太のドキュメンタリー作品に仕上がっている。本作品は、思想家であり行動家たる所以。資本主義の本質を如何にして見抜いたか。人生における選択の局面。モラルを商売の本質としたルーツ。そして卓越した経営者ではなくプランナーとして500社にも及ぶ会社をいかにして立ち上げてきたか?など、歴史上有名人との触れ合いも交えながら克明に解説を進めていく。ドラッガーをして明治の奇跡と言われた軌跡をとくとご覧あれ~。人生訓がタップリつまった指南書です。
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ネタバレ1970年を間にはさんだ十年間というのは、東大安田講堂、三島事件を経て浅間山荘事件に至る熱い政治の季節でもあった。そんな時代を背に当時大学院受験に失敗した鹿島茂は、坂口安吾のいう「落魄」の思いを胸に、場末の映画館に通い詰めていたという。特別政治闘争に肩入れしていなくても、しだいに閉塞感を増しつつあった時代状況の中で自分の居場所を探しあぐね、映画館の暗闇の中をアジールにしていた若者は少なくなかったのではないだろうか。
当時の映画館にはどんな映画がかかっていたのだろう。量産した映画を系列館にかけるというシステムをとっていた邦画五社は、桁外れの制作費や宣伝費をかける洋画に押され、その力を失いつつあった。時代劇を得意としていた東映は任侠映画から実録路線に至るやくざ映画で食いつなぎ、アクションで売った日活は、制作費を切りつめたロマン・ポルノ路線でしのいでいた。鹿島茂が見つづけた当時のプログラム・ピクチャーというのは、ひとくちで言えばやくざ映画やロマン・ポルノであった。
月間何本の割合で量産される映画では、主役級の役者は交代するが、脇を固める役者は何度でも同じ顔が使い回しされる。そのうちに俳優の持つキャラクターと半ば固定化された役柄から第三の人格が生まれる、鹿島のいう「残像現象」である。主役の首はすげ替えることができても、この役はあの役者でないとという脇役ができてくる。そうした個性的な脇役役者ばかりを十二人揃えて、各々一人につき代表作を三本立てでヴァーチャル上演してみせようというのが『昭和脇役名画館』。ちょっと覗いてみたくなるではないか。
上映順に紹介しよう。荒木一郎、ジェリー藤尾、岸田森、佐々木高丸、伊藤雄之助、天知茂、吉澤健、三原葉子、川地民夫、芹明香、渡瀬恒彦、成田三樹夫という顔ぶれである。あとがきに、渡瀬恒彦以外は今の映画ファンにはなじみがないだろうと書かれているが、かなり渋い人選であることはまちがいない。しかし、鹿島氏の年代に少し遅れるものの、ほぼ同時代を生きてきた筆者にはピンク映画出身の吉澤健以外は見たことがある役者ばかりだ。
好みからいえば、まず成田三樹夫。工藤堅太郎を相棒に従えたTVドラマ『土曜日の虎』は毎週欠かさずチェックしたものだ。次に荒木一郎か。歌も好きだが、独特のキャラクターは他の役者にない個性があった。脇役というには重すぎるのが伊藤雄之助。『椿三十郎』の家老役をはじめ、ちょっと出ただけで他の役者を喰ってしまう存在感の強さでは群を抜く。佐々木高丸は、右翼の黒幕役で顔を売ってはいるが、フランス文学の翻訳者としても有名で、『赤と黒』などのスタンダール作品をはじめ、左翼活動の資金にと『ファニー・ヒル』のような軟文学も訳しているのは愛嬌。インターナショナルの日本語歌詞を書いたのも氏であるのは知る人ぞ知る事実。バリバリの左翼系役者が右翼の大物を演じるというところが皮肉である。
鹿島先生は新東宝映画のファンであり、グラマー女優に弱いことを告白しているが、残念なことに三原葉子という女優、年をとり太ってきてからの売り出し中の女優にからむ年増女役の記憶しかない。芹明香はよく知っている。ロマン・ポルノが映画賞に続々登場するようになってから見はじめたので、多くは見ていないが独特の乾いたエロスを感じさせる投げやりな役作りが印象的な女優であった。
お気に入りの役者がぴたりとはまった役どころを演じているのを語るのはファンにとっては何より楽しいものだが、さすがは鹿島茂、ただただファン心理に酔ってばかりはいない。見るべきところはしっかり見ている。先輩の裕次郎と比べて印象の薄い川地民夫のイメージについて論じているところなどがまさにそれだ。
長身のわりに童顔の裕次郎には肉体を持て余しているイメージがある。それを戦後のアッパー・ミドルに属する青年の「俺は今ここにいる俺ではない」という肥大した自我と現実の自分との遊離感、つまり「持て余し感」だと鹿島は喝破する。それが川地民夫には感じられない。自己実現の可能性以上に肥大しないローアー・ミドルの自我の「余りなし感」を川地は表現しているという、この指摘にはうなった。
とかく主役の陰で日の当たることの少ない脇役達にライトをあてる視点といい、量産の挙げく廃棄され、今では見ることもかなわなくなったフィルムに捧げるオマージュとしても、まことに時宜にかなった企画である。本を読んだ後は、ぜひ、ビデオやDVDで映画を愉しんでもらいたい。今の日本映画にはない、熱い息吹きのようなものが感じられるにちがいない。 -
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パリが愛した娼婦に続き、鹿島先生の本。
日本と海外のSMの違いについて、その発祥について、などなど盛りだくさんの本でした。すっごい面白かった!
時々「それはちょっと飛躍しすぎでは…」って思う部分もあるんだけど、この人の場合はこういうこと考えるのが楽しくてしょうがなくて、ぶっとんじゃったんだろうなって思えるw
Mの女の子が嫌いなのは「粗暴で自己中なだけの自称S」とか、普段私が言ってるのそのまんまじゃん!って思いながら読んでました。
多分この人、自分の中に女でMな部分が多くあるんだと思う。
特に西洋のSM文化は「家畜文化」から来てるっていうのはすごい納得した。拘束具も革だし、鞭だもんね。
日本のSMが緊縛メインなのは着物文化からっていうのはちょっと無理があるような気もしたけど、「日本人は自由が嫌い。だから緊縛がメインになるし制服にも萌える」っていうのはすごい的を射ていると思う。
これまで読んだSM本の中で一番面白かった!
そしてやっぱり私は日本の、じめっとしたSMが好きだな。緊縛はアートだと思います。 -
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ネタバレフランス革命からナポレオンの没落までの大役者、ナポレオン、フーシェ、タレーランの三人と、彼らを突き動かした情念に焦点を当てた歴史読み物。
といっても歴史的資料というよりももっと気軽な内容。何といっても連載元は週刊プレイボーイだ。堅苦しい話は一切無く、軽妙な語り口でぐいぐい引っ張ってくれた。そこそこ分厚い文庫だが、気がつけば怒濤の30年を一気に駆け抜ける。
それもそのはず、読み物としてこれだけ読みやすいのは、着眼点がぶれていないからだ。分かっちゃいるけどやめられないを地で突き進む三人が、周りを巻き込みつつ、互いに相手を誤解し利用して一つの時代が作り上げられていく。その過程は、あの時代の人間たちにとっては不謹慎だが、痛快である。
それにしても驚かされるのは、この三人の飽くなき活力だ。情念としてこの本では取り扱われるが、ナポレオンは常に歴史に向かって突き進み、フーシェはただただ己の能力が発揮できることにのめり込み、タレーランは新鮮で飽きのこない快楽を追求する。ありがちな偉人伝には描かれない側面があるからこそ、彼らは歴史上の人物になり得たのだ。
一番のお気に入りはフーシェ。このカメレオンがナポレオンにトドメを刺したのだ。そして唯一の色恋に迷って舞台から転落する。あわせてツヴァイクの伝記も読むべきだろう。