【感想・ネタバレ】SとMのレビュー

あらすじ

娼婦に肛門性交を強いて国を追い出された作家マルキ・ド・サド、被虐趣味に溢れた小説を書き一躍有名になったザッヘル・マゾッホ。彼らの嗜好を基に命名された「サディスム」「マゾヒスム」が浸透したのは十九世紀だが、そもそも精神的・肉体的な苦痛を介して人が神に近づくキリスト教に、SM文化の源流はあったのだ。鞭とイエスはどんな関係があるのか? そして、SMが輸入されることもなく日本で独自の発展を遂げたのはなぜか? 縦横無尽に欲望を比較する画期的な文明論。

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Posted by ブクログ

日本人の気質と西洋人の気質の違いに納得した。それによって色々な論理の瑕疵などにも気づけた。
また日本人の世界観がひとつ明らかになった。人身御供や人柱があったのは森的だったからなのだろうなと。同時に人類学にでてくる交換や贈与の話も、森の人なら海に出られるのではと思った。砂漠の人は人間をコントロールすることになるのだろうと。

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2023年12月05日

Posted by ブクログ

 なぜ「ですます」調なのかと思ったら、語り下ろしなのだった。
「あらゆる対人関係は畢竟SMではないか」
「罪の文化と恥の文化は、そのまま彼我のSM観と照応している」
 上記二つは以前から私の考えていたこと。
 フランス文学や文化を知悉し、下情にも通じた鹿島先生ならではの視点で、その考えが補強された。メルシー。

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2019年11月05日

Posted by ブクログ

「SMをキリスト教との関わりから、文明史的に考察したもの」 で、SMの実践的指南書でも、SM業界のインサイドレポートでもありませんが、スリリングでとても面白かったです。実際は、鹿島茂が語り、木村俊介がリライトしたものです。

『SMとは、「想像力」 を核とした 「関係性」 であり、二人の想像力によって規定されている。』 というのは納得できます。私はMと間違われやすいですが、典型的なS、サービス満点のSです。

最近は、自己愛型のSMが跋扈している。SMは、キリスト教が絶対的なものでなくなったときに生まれた。信者は自己処罰の果てに、絶対的な神、理想のSとまじわる幻想を抱く。すべての文化は、最終的にはMにたどりつくもの。SMは、文化の進化のバロメーターである。

SはMの願望を先取りすることで、Mに奉仕することになる。Sは、「Mの理想に従って鋳造されてしまう人」 で、だから、サービス精神満点でなければなりません。主導権は、完全にMにあるわけで、「SはサービスのSです」(みうらじゅん)、Sは相手の欲望を汲みとるために、想像力豊かじゃないと務まりません。SMの本質は 「逸脱」 を楽しむことである。
たくさん珍しい本に言及されているので、参考文献の一覧あればさらによいと思います。

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2016年02月25日

Posted by ブクログ

パリが愛した娼婦に続き、鹿島先生の本。

日本と海外のSMの違いについて、その発祥について、などなど盛りだくさんの本でした。すっごい面白かった!
時々「それはちょっと飛躍しすぎでは…」って思う部分もあるんだけど、この人の場合はこういうこと考えるのが楽しくてしょうがなくて、ぶっとんじゃったんだろうなって思えるw

Mの女の子が嫌いなのは「粗暴で自己中なだけの自称S」とか、普段私が言ってるのそのまんまじゃん!って思いながら読んでました。
多分この人、自分の中に女でMな部分が多くあるんだと思う。

特に西洋のSM文化は「家畜文化」から来てるっていうのはすごい納得した。拘束具も革だし、鞭だもんね。
日本のSMが緊縛メインなのは着物文化からっていうのはちょっと無理があるような気もしたけど、「日本人は自由が嫌い。だから緊縛がメインになるし制服にも萌える」っていうのはすごい的を射ていると思う。

これまで読んだSM本の中で一番面白かった!
そしてやっぱり私は日本の、じめっとしたSMが好きだな。緊縛はアートだと思います。

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2012年09月09日

Posted by ブクログ

この人は、すごいなぁ。突き詰めますね。
SMに関して、歴史・文化的考察をしているのだが、ここまで徹底して考察されると、本人は否定しているが、ある意味「変態さん」とよいのではないだろうか(これは、鹿島氏に対しては褒め言葉になる?)?

この人の書く本はとっても読みやすく、ばかばかしく、教養深く、変態チックである。

なので、僕は好きだ。

ちなみに変態は迷惑さえかけなければ悪ではないからね。

この本の面白いところは、「健全な!?」SMを解説し、現代の世俗的に受け入れられているSMの一般的見解を、「間違ってる!」と断罪している点である。

この本を読むまでは、僕も断罪される側の一員であったわけだけど、これを読んでからは、真面目にSMについて考えてみようとちょこっとだけ思った。

これで僕も変態に一歩近づいたかな?

ところで、僕は通勤電車の中でこの本を読んでいたのだが、見出しのページなんかは、一般的に言う卑猥な言葉がちりばめられているので、ちょっと恥ずかしかった。

もしかしたら、周りの人から「この人、SM趣味なのかしら」と密かに思われていたのかもしれない。

断っておくが、僕にはSMの趣味は全くありません。興味はあるが・・・。

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2009年10月07日

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Mである自分を知る為に読んだ。
SMをキリスト教との関わりから文明史的に考察することがメインテーマとなっている。
SMというのはSとMの間の信頼関係の上で構築されるものなんだという事が分かった。
キリスト教のイエスの磔刑の像は、北ヨーロッパのドルイド信仰の人たちを改宗させ吸収する為に作られたものという事を知った。
あと宇多田ヒカルの日記であった「右手の聖性と左手の聖性」の話も出てきた。
欧米のSMの道具は革製が中心の動物系で、日本のSMの道具は紐などの植物系が中心である事を知った。
精神分析や心理学の知識や概念を利用してSとMについて語ってほしかった。(死の欲動とマゾヒズムの関係、親子関係とマゾヒズムの関係など)
文学作品への言及がいくつか出てくるが、村上龍の「タナトス」が出てこなかったのが残念。
Mの中にいる小さなS、Sの中にいる小さなMなどについても考察がされていなかったのも残念。

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

旧約聖書のヨブ記の理不尽さも、理想を語りながら戦争する人々のメカニズムまで、長年の疑問が解けました。題名に惑わされますが、SとMの発生のプロセスから日本と欧米の文化の違いを見た興味深い1冊です。
女性の自由度と文明の完成度が比例しているという意見には激しく賛成です。

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2009年10月07日

Posted by ブクログ

文明史の視点からSMの成立を考察している本です。

キリスト教の教父たちは北ヨーロッパに布教する際に、サクリファイス(供犠)をおこなうケルト人の信仰にあわせて、キリストの磔刑を利用しました。これは、ゴシック建築が北ヨーロッパの聖なる森の代用として作られたのと同様だと著者はいいます。こうして、キリスト教の宗教感情の中核に「苦悩」が位置づけられることになります。つまり、精神的・肉体的な苦しみを介さなければ神に近づくことができないということが、教義の根本とされるに至ったのです。

ところが近代に入ると、こうした「苦悩する人間」に対する神の座を、人間自身が占めるようになります。サドの小説の登場は、「近代の目覚め」だと著者は指摘しています。このような意味で、「キリスト教が人間の自由を束縛している」という近代的な自我の確立と、「アンチ・クリストは自由を束縛するくびきを断ち切る」というサドの宣言は等しい意味をもっています。

さらに著者は、中世から近代を経て、それ以後に至るまでの歴史を、「自我」というパイの配分というたとえを用いて説明します。つまり、リビドーの備給が神から自我へ向かうことになり、さらにそのリビドーを他者と分かちあうことで民主主義が成立したのです。こうした歴史的経緯とかさなる仕方でマゾヒズムが成立したと著者は主張します。それは、自我に備給されていたリビドーを他者に振り向けるということであり、「支配している相手に支配されること」を意味します。こうして著者は、M願望は本質的に自己本位だと結論づけます。

このほか、皮と鞭を用いる西洋のSMが「苦痛」を求めるのに対して、縄を用いる日本のSMは「自由の拘束」を求めるという、比較文化的な考察もなされています。

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2018年03月18日

Posted by ブクログ

SとMについて歴史的な考察をした一冊。
なので、精神分析的なものはほとんどないので、その筋を期待して読むとガッカリします。

SとMがそもそもキリスト教から来た概念であること、そして西洋人は狩猟民族なので鞭を、日本人は農耕民族なので縄を使うというのは普通に勉強になりました。

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2013年10月21日

Posted by ブクログ

フランス文学研究者のSMについての文明論。軽い読み物のつもりで読んだら結構奥が深く考えさせられる部分もあった。とくにSとMは二元論ではないという部分や、理想のSはそんなに存在しないという部分はわかりやすくおもしろかった。

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2011年11月03日

Posted by ブクログ

SとMについて、
主にヨーロッパの歴史的背景から迫った本。

ヨーロッパ史に疎い私にとってはけっこう苦痛だったが、
そうでない人にとっては、興味深く読める本であると思う。

この本を読んで、自分のことを多少なりともふり返ることができたのは収穫かなと。

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2011年11月03日

Posted by ブクログ

ネタバレ

[ 内容 ]
娼婦に肛門性交を強いて国を追い出された作家マルキ・ド・サド、被虐趣味に溢れた小説を書き一躍有名になったザッヘル・マゾッホ。
彼らの嗜好を基に命名された「サディスム」「マゾヒスム」が浸透したのは十九世紀だが、そもそも精神的・肉体的な苦痛を介して人が神に近づくキリスト教に、SM文化の源流はあったのだ。
鞭とイエスはどんな関係があるのか?
そして、SMが輸入されることもなく日本で独自の発展を遂げたのはなぜか?
縦横無尽に欲望を比較する画期的な文明論。

[ 目次 ]
第1章 そもそもSとは?Mとは?
第2章 SMって何?いつから発生した?
第3章 SMは、どのようにエスカレートしたのか?
第4章 SMは、歴史の必然から生まれた
第5章 SMの理想の相手は、どこで見つかるのだろう?
第6章 SMは、文化のバロメーターである
第7章 日本人にとって、SMとは何か?

[ POP ]


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[ 関連図書 ]


[ 参考となる書評 ]

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2011年06月05日

Posted by ブクログ

人間には、生きるための本能があると同時に死に向かう本能があると、フロイトは言う。
あまりに苦しく、あまりに怖いと、脳がそれを緩和するためにドーパミンを放出することが実際にある。例えばそれはマラソンしたときのランナーズハイなど。

苦しくなればなるほどそれが快感に近づく。このことは現実でもよく起きている気がする。

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2011年09月01日

Posted by ブクログ

SMをSがMを暴力的に支配する関係だと思ったら大間違い、キリスト教の由来から説き明かすのはいいけれど、比較文化論にありがちな割り切りすぎがあちこち(そうか?)とひっかかるところあり。

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2010年01月31日

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