鹿島茂のレビュー一覧
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フランスのバカロレアでは、引用がどれくらい効果的に行えるか、という能力が試される面もあるという。
引用重視は聖書読解からくる文化では、と。だからなのかわからないが、僕は名言集は好まない。
しかしこの本は、引用句辞典といいながらも、引用句を巧みに操って「ついでに」自分のイイタイコトを言う、というものである。しかも「悪の」。
いきなり「愛国心は悪党の最後の隠れ蓑だ(サミュエル・ジョンソン)」。アハハハハ。そして著者は「愛国心は悪党の最後の隠れ蓑だ、という言葉こそ悪党の最後の隠れ蓑だ」と。もう、悪党だらけだね。
夏目漱石の「現代日本の開化」から、「面倒くさい」と「楽しい」を「考える」で結ぶことを忘れると亡国へとつながっていく、と。おお、まさに亡国一直線だ…。 -
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面白そうなタイトルだな…と思ったら「馬車が買いたい」「明日は舞踏会」の鹿島茂さんの本だったので、手に取りました。
それにしてもまあ、昔の紳士たちは格好良かったのですね…。生活することが仕事、という恵まれた人々は、そう多くはありませんが、薩摩治郎八という人は、まさに生きることが芸術であり、仕事であった。勤勉に働いて、慎ましく暮らすことの幸せは、我が身に似合うものと思っていますが、読むだけなら、自分と全く違う人生を歩いた人のことを知りたいと思います。
無理に真似したり憧れすぎる必要もないけど、すごい人がいたんだなあって、感嘆するばかり。夢のようなお話の中にある、ひやりとするなにかに触れられたらそれこそ読書の楽しみというものです。
それにしても、この本を読んで印象的だったのは、お金に飽かせた豪遊が素晴らしいのではなくて、良いものに囲まれて生きた人は、生き方の進退挙措が潔い気がすることです。その点で、薩摩治郎八という人は、きっと一級だったに違いありません。
大正から昭和のある時期までの爛熟した文化が生んだ洗練を身体と心で具現化してみせた人たち。心優しく教養も高く、胆力もあって。芸術や美しいものを愛する、やっぱり桁外れですね。
ところで、この本をきっかけに、獅子文六さんの本を読みたくなりました。確か実家に一冊あったけれど、変わったお名前だなって思っただけで子供の頃の私は見向きもせず、処分してしまった覚えがあります。人気作家だったのよ。知らないの??と呆れられました。むー、一体何の本を手放したのでしょう。関係ないけど気になる~! -
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『ぎりぎり合格のための論文マニュアル』が論文の体裁と構成についてのマニュアルであると位置付ければ、この『勝つための論文の書き方』は論文の要となる問いの立て方と論の進め方について解説したものである。こちらは論文だけではなく、生活の様々な側面で活用できる一冊だ。
論文の良し悪しは問いの立て方によって決まる。しかし、問いをどのように見つけ、どんな風に構成するかというのはとても難しい。問いから答えに至る途は事前には全く不明確であるからだ。しかし、この本に書いてあるようなアプローチの段取りを踏めば、必ずやいい問いに辿り着けるだろう。そのアプローチとはとても簡単であり、ここに書いてしまうとネタバレなので、各々読んで自らの人生の足しにしてください。 -
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・今年吉本隆明が亡くなった時、一度はその著書に目を通してみたいと思っていたが、ようやくその機会に巡り合うことができた。と言っても、本書は鹿島茂著である。吉本隆明その人の文章はあまりに難解なためとても理解できるものではないと思い、多少なりとも馴染みのある鹿島茂を通して、その世界の一端を垣間見ようと思った。
・本書もやはりなかなか難解で理解に苦しむ箇所も非常に多かったが、それは彼ら団塊の世代(鹿島茂)やその親の世代(吉本隆明)の生きてきた社会的背景が、僕の生きている時代とあまりに異なるからとある種の割り切りをもって読み進めることで、何とか克服した。
・鹿島茂(また彼という人間を通した吉本隆明)が言わんとしていることは、体感としては感じ取れたと思っている(文章として書き著すことはとてもできない)。なぜ団塊の世代のある種の層は、吉本隆明にこれほどまでに魅かれたのか、初めて僕の中でも感覚として落とし込めたように思う。
・本書を読んで、僕自身、高校も終わりを迎えた頃に「大学に行けばすごい世界で勉強できるんだ」という過剰な期待を持っていたことや、また卑近な例だが当時父親に城山三郎の「落日燃ゆ」を勧めたけれど、全く読んでもらえなかったことにある種の憤りを感じたことを思い出した。社会的状況は異なるが、本書で語られていたことと重ねられる部分もあり、懐かしく思った。
・吉本隆明がある層に一定の共感を得たのは、『吉本隆明はお為めごかしや偽善的なことは絶対に言わない」という非常に単純な「倫理的な信頼感」であった』(P413-414)というのは、なるほどと思った。
・大雑把に言えば、日本における、現代まで続く思想的な側面における諸相の根源には、明治時代から強力に浸透していった西洋化の波を、各々がどう受け止めるのか、また対峙するのかという問題があるのだと感じた。
・本レビューはいつにも増して何を言っているのか分からないと思うが、自分のこの複雑な思いはうまくまとめあげる自信がない。自分へのメモとして書き残す。 -
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先日吉本隆明が他界したときに、ちょっと前に本書を古本屋で購入していたことを思い出し、引っ張り出して読んだ。
「吉本隆明」という名はよく目にもするし耳にもするのだけれど、一体何をやったから「巨人」などと形容されるのだろう、というちょっとした好奇心があるだけだった。本書はそれに十分とは言えないまでも応えてくれた部分はあった。
著者の鹿島氏の問題意識、というかこの本を書くそもそものはじまりが「なぜ我々の世代が吉本隆明を支持したか」というところなので、その点が興味深くて読んだ。
前半部分の「転向」に関する箇所、そして芥川龍之介や高村光太郎の分析についての解説はとても興味深く読めた。とりわけ芥川・高村両者の出身階級と内面(精神・価値観)との関係性を作品から導き出していく過程は見事。文学論に関しては実際に吉本の著作を読んでみたくなった。しかし、後半のナショナリズムに関する話がちょっと頭にはいってこなかった。自分の嗜好と集中力の問題もあるかもしれないけれども。
あと、気になったのは吉本の著作の引用の後にやたら褒めまくる点。「なんという見事な分析でしょう!」的なことが何回も書かれてある。著者が「吉本主義者」というのは自分でも認めており、それはそれでいいのだけれど、何度も『ビフォーアフター』の加藤みどりを彷彿とさせるような口調で言われると、いや、わかったから…とうんざりしないでもない。
ともあれ、「吉本隆明」を知らなかった自分にとっては読んでよかったと思える本だったし、興奮した箇所もいくつかあったので、有意義な読書であったことには違いない。 -
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本書を手に取ったのは単なる偶然だった。2011年12月末をもって東梅田の旭屋書店が閉店するというので、とりあえず目に付いた書物を買い漁ったのだが、そのなかに本書は含まれていた。なぜ目に付いたのかというと、おそらく現代思想を語る上で吉本隆明は避けて通れないのだろうが、『共同幻想論』で早々に降参した僕には負い目というのがあり、著者もおなじみの鹿島茂なので、いっちょ読んでみるかと考えたように思う。そうこうしているうちに、とうの吉本隆明が鬼籍に入られて、これもなにかの運命かと思い、いろいろ悩みを抱えていた折なので、注意深く読むことになった。人間のサガとして楽な方に流れるのは否めない。ときに考え方ときたら極端に顕著で、僕自身のことを言えば、自分の都合の良いように還元して、他者の立場とか意思とかをないがしろにするという傾向が強い。とんでもない言い訳だが、理学的な発想というのは定点観測から全体像を掴むもので、捨象することが解答にたどり着く最短の道筋だと居直ることを是としてきたのだが、鹿島茂の語る吉本隆明の思想に触れて、生き方に軌道修正を余儀なくされた。僕らは日本人なのだから、出自やしがらみから完全に脱却することは不可能なのであり、学問も西洋のように神に近づくための術ではなく、どこか宙釣りにならざるをえない。つまり、定点観測ではなく、複眼的な立場を取ることでしか、「日本」という現状にかぎれば、僕らはなんにも言及することを許されない。それって不条理なことだと思うのだ。でも、それが現実であり、カタストロフが迅速に訪れない現状なのだから、それを受け入れるしかない。それは『バイバイ、エンジェル』で矢吹駆が、ラスコリーニコフじみたニヒリズムに取り付かれたテロリストに諭す言葉に通暁しているようだ。分かったようで、分からない。大人になるってのは厄介だ。吉本隆明が聞いたら朗らかに笑ってくれるはずだろう。
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ネタバレ[ 内容 ]
二十五年間にわたり、文章と考え方の指導をしてきた教授による徹底指南。
論文も仕事も、勝利をつかむための極意は問いを立てることにありとして、「カフェと喫茶店の違い」「牛丼と宅急便の関係」「司馬遼太郎と山田風太郎」など奇想天外な例証を次々に挙げつつ思考のレッスンを展開する。
点のとれる論文、会議に通る企画書、銀行をウンと言わせるプレゼンテーション案を書きたい諸氏は必読。
[ 目次 ]
第1回講義 日常生活と論文(どうせなら、日常生活に応用のきく論文の書き方はないものだろうか;自分の頭で考えることの楽しさ ほか)
第2回講義 問題の立て方(論文指導とは問題の立て方を教えること;良い問いというのは二種類のみ ほか)
第3回講義 資料の集め方(宿題タイム;資料を集める、どこで参考文献を探すか ほか)
第4回講義 論文の組み立て方(序論を書く;本論を書く ほか)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
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先日、神戸オリエンタルホテルのカレー復活のドキュメンタリーを観た。阪神大震災以来途絶えていた伝説の絶品カレーを、15年ぶりに甦らせた料理人の執念の物語であった。苦心惨憺の末探しあてた、独特のコク・深み・旨味の決め手は「注ぎ足し」だった。
有名おでん店の秘伝と全くおなじで、何十年と注ぎ足しながら使い続けられた汁とルーが、食通をうならせる味の秘密なのだ。
『パリの秘密』と題するこの一冊。連綿と続く西洋文化の坩堝であり煮込み鍋である花の都パリの魅力を、絶妙な文で綴っている。書き手は自他共に認める日本一の読書家、鹿島茂さんだ。
鹿島さんは「遊歩者(フラヌール)」というものを生んだ世界最初の都市がパリであると、あとがきの中で言っている。いくら歩いても「歩き足りない」パリの魅力を表現したかったのだろうが、私は鹿島さん本人こそが類まれな遊歩者だと思う。ふたつの意味で。
まずありきたりな意味の方から。
街歩きの達人。路上観察者として鹿島さんは追随を許さぬパリ歩きの猛者である。
同時に、文字どおり「万巻の書に埋もれた」姿が報じられたり、増え続ける書物のためにだけ何軒もの家を持っているエピソードが有名なほどの博覧強記の主だ。たとえていうなれば「知」の遊歩者である。
だから、カルチェ・ラタンを歩いていて、狭い通路を見逃さずに見つけ「なんだ、ここは?」と足を踏み入れる。すると突然、まるで、地球の空洞伝説の地底湖のような感じで、周りを建物に囲まれた広大な空間を発見する。まさに、路上観察者たるパリ遊歩人の真骨頂である。
さらには、それがローマ時代の闘技場の遺跡であること、200年ほど前にそれが発見され発掘されたこと。それ以前、蛮族来襲に備えるシテ島の要塞建設の建築材として石を持ち去られて破壊されてしまっていたこと。発見時の敷地保有者が乗合馬車会社で、その会社に代替地を提供する予算がなく発掘が沙汰やみになっていたこと。もうこれ以上書くと疲れるぐらい延々と何十冊か分の蘊蓄が語られる。
こういった「へぇ~」連続のエピソードが70編以上鏤めらているのがこの一冊である。その一遍一遍が、それぞれの時代ごとの魅力を常に注ぎ足し続けてきたこの街の深い魅力の断面を、すこしづつだけ垣間見せてくれる。
廃品回収業者の出した市の中に、レンブラントの作品やストラデバリとかが見つかって評判になり、大きくなったのが「蚤の市」だとか、「蚤」とは「フリー」といい、フリーマーケットとは要するに蚤の市だ、だとか、ほんとにもう面白すぎる逸話満載です。
では、早速この一冊を手に一路パリへ、と言いたいところだ。
だがやはり、「欧羅巴はあまりに遠かりし」である。
誰の言葉だったかな。