あらすじ
ベストセラー作家にして、100年つづく企業を創ったベンチャー起業家、菊池寛。
高名な文人を祖先にもつ家系ながら、維新で没落した士族の家に生まれた菊池寛は、
家計が厳しく、何度も人生の遠回りを余儀なくされた彼が、念願の旧制第一高等学校に入学したとき、すでに23歳になっていた。
その一高の寮で、芥川龍之介、久米正雄、成瀬正一など、文学を愛する仲間たちと出会う。ところが、寮でマントが盗まれた事件に巻き込まれた菊池寛は、一高を自主退学。
ひとり孤独な日々を送る菊池寛に、小説を世に問う場を与えたのは、一高で出会った仲間たちだった。
「恩讐の彼方に」「真珠夫人」などを発表して、一躍、文壇の最前線に躍り出た菊池寛は、大正11(1922)年、「私は頼まれて物を云ふことに飽いた」と宣言。若い仲間たちと新しいメディアの創設に乗り出す。
「厚くて高い雑誌よりも薄くて安い雑誌が売れる」と見抜くマーケティングのセンス。
編集後記を双方向メディアとして使い、読者とのコミットメント(関わり)を強化。
読者に予約購読を呼びかけ、一種のクラウドファンディングとして資金を調達。
大きく広告をうって、部数増→定価引き下げ→さらなる部数増、という好循環を狙いつつ、広告効果の検証も怠らない。
菊池寛は、現在のビジネス戦略にも通じる施策を、次々と展開していった。
渋沢栄一、小林一三など、近代日本の傑出したイノベーターを描いてきた著者が、新たな視点で描き出す、「100年前のネットメディア」を生み出した菊池寛と。それを取り巻く仲間たちの姿。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
▼ダレることなく、本当にオモシロい一冊でした。菊池寛(明治生まれ~戦後直後逝去の、小説家であり、文芸春秋を起業した編集者であり経営者)の評伝。鹿島茂さんなので、編集者、本作り、雑誌作りの裏側を同業者として考察しながら。
それから、「アンド・カンパニー」ですから、「菊池寛と仲間たちの評伝」「菊池寛の作った文芸春秋社の、終戦までの評伝」とも言えます。まあ、でもひとことで言えば菊池寛の評伝、菊池寛とその時代です。
▼とにかく本の書かれかたがエンタメでした。こういうのは、「どういうひとを読者のラインとして設定するか」が難しいと思います。
・菊池寛という名前を聞いたことも無い人で、文芸春秋の歴史や、大正~昭和戦前の大衆文化なんてなんの知識も興味もない人。
(まあ、この部類に入る方は、読むことが無いでしょうから気にしても仕方な)
あるいは、
・それらに詳しい人。
また別の軸として、
・ノンフィクションを読みなれているか、いないのか。
みたいなこともあるかと思います。そういう読者想定で、言葉使いひとつとっても変わってしまいます。
こちらとしては、そのあたり実にホドの良い、さすがベテランという力の抜けた語り口で、それがとにかく読みやすい。
▼確か、香川県の貧乏士族の息子なんですね。勉強ができた。貧しいからいろいろ苦労するが、今風に言えば大まか京大生にまでなる。そして当時の京大生は今より希少価値のエリート。で、作家になる。そして同人誌的に雑誌を始める。これが売れる。雑誌編集者、経営者として一流であることを証明していく。やがては文化人になる・・・。
・・・というような流れが、実に良く調べられている。そして要点だけおもしろおかしく、冷静に、客観的に、物語られていく。
▼そして、やがて戦争の時代が来る。俗に15年戦争と言います。日本にとっては1930~1945くらいが戦争でした。ただ、どうもいろいろなものを読んでいくと、都市でやや裕福な生活をできているような勤め人家庭、家族などにとってで言うと、実は日米開戦の1941年・・・・あるいは1943年くらいまでは、まあまあそんなにみじめで苦しい訳でもなく「日常」の延長のつもりで暮らせていたはずです。
そういう立場代表みたいな文芸春秋が、菊池寛が、戦争の時代に何をどう発言したか。特段味方も罵倒もせずに書いていきます。もともとが菊池寛さんは、知的だし冷静だし、リアリストだし自由主義者なので、本当はいろいろ不満はあるけれど、「戦争をする以上は、それは応援したい」。・・・・これを、まあ、なんというか「非難批判」するのはちょっと難しいな、と思いました。
そして、戦中の右翼的な愛国的な同調圧力と同様に、戦後直後の「共産党偉いぞ、民主化新時代になびけ」的な同調圧力もえげつない。このあたり、「紙」をどう割り振るかという現実があった由、興味深く読みました。
▼全般これ、菊池寛を、「自由主義的すぎる。左翼的だ」と批判しようが「戦時中は軍部によりそって日本を応援した。右翼的だ」と批判しようが、この本の作者は菊池寛の本質はそのどちらでもない、という立場で冷静に書いている。
そしてそれは、そういう同調圧力が不穏な世の中に、今、例えば2025年の日本ってまたなってないですかね・・・?という。
あるいは、この先そうなったときに、どうしますか?・・・という。
昔ね、菊池寛はこうしたみたいですけれどね、という。本文にもありましたが、「過去は、現在と、そして未来を照らす明かりだ」。
▼個人的には、菊池寛さんはいわゆる代表作名作選みたいなものは読んだんです。父帰る。恩讐の彼方に。それなりに、へえ、面白いね、と。
ただ菊池寛という人は、それらを書いた人である、という以上の存在だったらしいという気配はあちこちで読み聞いていたので、そのあたりをスッキリと把握できて気持ちよかったです。さすが鹿島茂さん。
Posted by ブクログ
この本、すごいなあと思います。ハード面でもソフト面でも。「文藝春秋」としては、生みの親である菊池寛についての本を出すのですから当然なのかも知れませんが。
裏表紙にはドーンと菊池寛の顔写真。本を開いてびっくりしました。見返しには文藝春秋に関係する、そうそうたるメンバーの集合写真。中にもふんだんに人物や雑誌の写真が使われており、内容理解の助けになりました。
タイトル『菊池寛アンド・カンパニー』のカンパニーには、2つの意味がかけてある。1つは文学仲間たち、もう1つは「文藝春秋」を支えた読者。このように記した鹿島茂さん。
鹿島茂さんが人間、菊池寛を論じていくにあたり、とても効果的に過去の「文藝春秋」やたくさんの関連書籍を引用され、大変面白く読めました。菊池寛の生い立ちや人格、時代の流れの中での「文藝春秋」の有り様を知ることができました。
菊池寛には愛人がたくさんいたこと、衆議院選挙に立候補したこと、アイルランド文学の研究者でもあること、日本文藝家協会を設立したことなど、私の知らないこと満載でした。菊池寛に関わる人物についての記述も興味深いです。
戦時下における「文藝春秋」と菊池寛の立ち位置、そして戦後の困難を乗り越えての復興劇。 本意ではないのに、戦争に加担せざるを得なかった実情を思うと、菊池寛の心中は察するに余りあります。
“歴史は繰り返す”という言葉は、とかく悪い意味に使われます。戦時下を潜り抜けてきた人たちの思いや行動から、我々は学ぶべきことが多いと思いました。
1人の作家であるという枠を超えて、菊池寛という人物の偉大さと共に、著者である鹿島茂さんの読ませる筆致の素晴らしさに脱帽です。
koba-book2011さんのレビューを、9月のタイムラインで拝見し、気になっていた本でした。ありがとうございました。
Posted by ブクログ
文学者であり、文藝春秋を創業した菊池寛の、評伝であり伝記。
彼は激動の時代に、どう行動して生きたのか。
菊池寛と彼の仲間(カンパニー)たちと文藝春秋を含めての
企業(カンパニー)の足跡を詳細に解き明かし、綴る力作。
1~20
・あとがき
参考文献、菊池寛 略年譜、人名索引有り。
明治・大正・昭和の激動の歴史の変遷の中、
菊池寛は藻掻き、紆余曲折の道を歩み、文学者としての
立場を確立していった。特に一高時代の仲間たち、
同人としての仲間たち、それらの人間関係が彼を支えてゆく。
文藝春秋の創刊。
大衆のニーズに応じた編集方針。原稿料について。
SNSのようなの呟き文から総合雑誌への大転換。広告。
文藝講演や座談会、文士劇などの独創的な発想。
株式会社文藝春秋社へ。そして芥川・直木賞宣言。
関東大震災、戦争への道と終戦。そして、死。
アレクサンドル・デュマのような人だと思っていましたが、
それは勘違いでした。喜怒哀楽の激しさの中にも繊細有り。
同性・女性を問わずの人間関係をかくも詳細に解き明かし、
仲間を大事にする情のある人柄が現れてきていました。
信念の人。いろいろあるけど応援したいという思い。
大事にするあまり、戦争協力者になってしまいましたが、
それは彼なりの国への思いからだと考えられます。
文学作品や仲間たちそれぞれについても考察し、
作品の制作秘話や関わる人々についてまで詳細に記述。
エピソードなどが多く盛り込まれ、エンタメな伝記に
仕上がっていて、愉しめました。さすが鹿島氏。
Posted by ブクログ
菊池寛の評伝。
学生時代の友人たちとの交流の話とかは好き。芥川龍之介や成瀬正一との話が良い。学校を追われる「マント事件」は色々納得できない…。
文藝春秋社が出来てから芥川龍之介の死までの話も色々興味深い。関係者たちの写真があるのも良い。
戦争中の様子を読むと、芥川龍之介がもし生きていたらどうなっていたのだろうか?とか色々考えてしまう。
Posted by ブクログ
タイトルは、あのシルヴィア・ビーチのパリの書店、Shakespeare & Companyからヒントを得たものという。Companyは、「仲間たち」と「会社(文藝春秋)」のダブルミーニング。絶妙。しかも、表と裏の見返しには、菊池寛と「仲間たち」の集合写真を使っている。造本も凝りに凝っている。
「逸話」ではちれんばかりの菊池寛(1888-1948)。評伝や伝記を書く際には、これが足枷となる。逸話が目くらましになって、本体が見えなくなってしまうからだ。しかし、そこは鹿島茂、膨大な資料をもとに、きっちり仕事をしている。
一高のマント事件での退学、京大の学生時代、secretの女性関係など、読者としては知りたいことが山ほどあるが、資料がない場合には、無駄で無理な深追いはしていない。そこがいい。巻末についた人名索引がvery useful。
ドーダと言われたら、はい、完全に参りました、と言うしかない。伝記&評伝の最高傑作と思う。
Posted by ブクログ
2023年に100周年を迎えた文藝春秋の目玉企画。『創刊100周年記念新年特別号』から連載開始、楽しみにしていました。「マント事件」のあたりまでは毎月欠かさず読んでいましたが、例によって一回飛ばすとなんか執着できなくなってそのままになっていました。8月に入ってからの読書で菊池寛がGHQから公職追放されたことに接し、ここは改めて読んでおかなきゃ!ということで開きました。鹿島茂という書き手のチョイスが抜群でした。明治、大正、昭和と近代化する日本社会で菊池寛が作り出してきたものをフランス文学や世界文学ともシンクロする「時代精神(ツァイトガイスト)」で見つめる「評伝」でもあり「伝記」でもあります。それは彼自身の物語というよりも彼の仲間たちの物語であり、彼らが生きた時代と社会の物語でもありました。鹿島は第10章で菊池が大正8年「中央公論」に発表した「恩讐の彼方に」のタイトルを激賞します。曰く「優れたタイトルは優れた作品のメタファーなのである。」「タイトルとしてのメタファーが凝縮しているのは主題(テーマ)なのである。」この記述はまさに本書『菊池寛アンド・カンパニー』にも当てはまると思いました。菊池寛とその仲間たち、と菊池寛とその会社、という二重の意味とその重なりが見事に描かれています。そしてクリエイターとマーケッターとビジネスマンがまったくシンプルに矛盾なく重ね合わされている菊池寛という人物像に今日的な希望を感じたりもしました。