プラトンのレビュー一覧
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男女の恋愛ではなく、少年愛が主なテーマ。
ギリシャ時代、少年愛こそが崇高なもので、女性に興味を持ってるような男はまだまだ人間としてレベル低いやつ、というような考えだったよう。
フェミニストとしては、この時代で既に女性は男性に都合の良いように定義づけられてきたのか、、と悲しく思った。
ただ、愛というものは、最終的には1つの対象に対するものではなく、広い後世の世代に対しての教育意欲を掻き立てる=社会全体への貢献欲に繋がる、という点は、
自分自身の感覚や、アドラー心理学とも共通していて、やはり、人の欲求は最終的にそこに至るのだなと再確認できた。
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Posted by ブクログ
ネタバレエロスとは何か、
エロスを讃美するとはどういうことか、
次々にいろんな人が語る饗宴。
エロスを語るのに、
一緒に飲みながらという場面は、適切なのかもしれませんね。
愛と美に魅せられ、
酔い、
熱くなり、
ほめたたえる。
愛に溺れるのでもなく、
酒に溺れるのでもなく、
美そのものへと到る道を行くがごとく。
ソクラテスは、
自分がいかにエロスを知らなかったかを説き、
そしてさらにはエロスのなんたるかを語る。
この世界で、いま、エロスの神は賛美されているだろうか。
”なぜといって独力でもしくは他の誘導によって愛の奥義に到る正しい道とは次のようなものであるからです。それはすなわち地上の個々の美しきものから出発して、かの最高美を目指して絶えずいよいよ高く昇り行くこと、ちょうど梯子の階段を昇るようにし、一つの美しき肉体から二つのへ、二つのからあらゆる美しき肉体へ、美しき肉体から美しき職業活動へ、次には美しき職業活動から美しき学問へと進み、さらにそれらの学問から出発してついにはかの美そのものの学問に外ならぬ学問に到達して、結局美の本質を認識するまでになることを意味する。(p.134)” -
Posted by ブクログ
「○○とはなにか?」と問いがたてられ、いろいろ議論したあげく、「○○ということについて、わたしたちは知らない」ということが確認される、ソクラテス対話シリーズかな?
こうした「知らない」対話篇は、初期プラトンの特徴なんだけど、解説によると、中期に近い性質もあるとのこと。
たしかに、議論の展開が複雑というか、精緻で、いろいろな角度から問題にアプローチして、それぞれが論理的に間違っていることが証明されていく。
その手際は、なぜかデリダの脱構築を思い起こさせる。
プラトンのなかでは、比較的マイナーな作品とのことだが、議論されているのが「愛」とか、「知」で、知を愛するという意味の「フィロソフィー」であることを考えれば、かなり重要な作品でもあるのかな? -
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プラトンが、ソクラテスとプロタゴラスの対話を描いた本。
大いに繁栄していた紀元前5世紀のアテネ。これだけ抽象的、哲学的な対話がされていたというのは流石だなぁと、今更ながら思いました。
対話のテーマは、人間としての「徳(アレテー)」とは、人に教えることができるものなのか?というもの。
ソクラテスは「教えることはできない」立場、プロタゴラスは「教えることはできる」立場で対話が始まって、徳(アレテー)の性質について論じていたのですが…、最後は確かに意外な結末で終わってしまったなぁと感じました。読者にバトンを渡したってコトなのでしょうか。
文章は新訳のおかげで意外なほど読みやすく、ストレスに感じる箇所はほぼありませんでした。
個人的には、哲学者って一本筋が通っていて、どれだけ対話をしていても考え方がその中で変わることは無いものだと思っていたのですが、言葉の定義を定めようとする中で主張が変化していく様を読んでいくと、これが本当に哲学的で本質に迫る議論だったのかなぁ…と釈然としない気持ちになりました。
大学時代に哲学をカケラほども齧らなかったので、もう少し素養と教養があれば深い読み方ができたのかもしれません。いつか再読してみたい本。 -
Posted by ブクログ
常日頃、反「プラトン主義」をキーワードにしている私であるが、プラトンを読むのは結構すきである。
それは、別に反論する相手を良く知ろうということではなくて、純粋に読んでて面白いからである。
というのは、プラトン自身は、いわゆる「プラトン主義」に収まらない過剰なものがある思想家だと思うし、仮にプラトンが「プラトン主義」を主張しているときでも、「いやいや、それは違うんじゃないか」と思考をとても活性化させてくれるからだ。
というわけで、「知識とは何か」という問いを巡る対話篇「テアイテトス」であるが、これは、他の対話篇に比べると、なんだか、すごく難しい。議論の大筋を追う事はできても、ひとつひとつの発言が一体何を言っているのか、その文脈を追うことは難しい。
「知識」について、3つの考え方がしめされるのだが、それはいずれもソクラテスとの対話のなかで否定されてしまう。つまり、読者は「知識について何も分かっていない」という状態に取り残されるわけだ。
「テアイテトス」はプラトン中期から後期につなぐような本であるらしいのだが、いわゆる「プラトン主義」のイデオロギー的な感じがする中期よりも、ある意味、「無知の知」を確認するところで終わるプラトンの初期の対話篇に近い感じがする。
一方、議論の調子はすごく難しくて、そこのところは、いろいろなことを経験や思索を経てたどり着いた一筋ならでは行かない複雑なものがあって、これは初期の対話篇とは違うところ。
ある意味、「知識とは何か」という問いを無意味化する脱構築的な実践と読む事すらできる。
あるいは、「意味」という病にとらわれがちな哲学という言語行為を、臨床的に治癒しようというウィトゲンシュタイン的な行為と解釈することも可能かも。
だって、有名な「ソクラテスの産婆」の話しは、この対話篇に入っているんだよね。人が正しい知識を生み出すことを手助けする産婆としての役割が哲学なのだ。(が、結局、生み出された知識は「正しく」ないことがわかるのだけど)
「知識とは何か」という問い自体が実は適切な問いではない。言語の病であるとウィトゲンシュタインであれば言うであろうな、と思いつつ、そんなことを言うやつがでてくることも既にお見通しのプラトンなのであった。
「知識とは何か」という問いに固定された答えはなく、それを探求していく対話・活動こそが知識なのだ、というのが本書のメッセージである、と自分の最近に引き寄せて、そう読んでみた。
と、実にスリリングな議論がなされていそうなのだが、それにしても、大昔のギリシアの哲学議論をベースした議論をされても、なんだか分からない、という印象が薄らぐ訳ではない。
なので、正直ベースでの理解度を踏まえ★は3つにした。
なんか、字も小さくて、老眼が進展する私には読みにくいし。。。 -
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ネタバレ「お金の所有が最大の価値をもつのは、ほかならぬこのことに対してであると考える。……たとえ不本意ながらにせよ誰かを欺いたり嘘を言ったりしないとか、また、神に対してお供えすべきものをしないままで、あるいは人に対して金を借りたままで、びくびくしながらあの世へ去るといったことにないようにすること、このことのためにお金の所有は大いに役立つのである。」(26頁)
個人と国家の共通項を探し、一方を他方に当てはめている。
演繹のし過ぎ、というのは現代的な感覚だろうか。
優れた国家に必要な三つの徳…知恵、勇気、節制。
勇気と知恵は、国家のある特定の部分に存在するが、節制は国家の全体にいきわたっていて、支配関係について支配者と被支配者との間で合意されている状態(293頁~)。
上記3つの徳に匹敵するのが正義。
正義とは、自分が自分の仕事だけを果たすこと。
国家のためという観点から、男女の平等を肯定する(357頁~)。
望ましい国制を移行するためには、哲学者が王になって統治するという変革が必要である(404頁~)。 -
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ソクラテスの弁明Episode0の巻。
全体的には、道徳についての内容。
タイトルはゴルギアスだが、
ゴルギアス→ポロス→カルリクレスと、
ソクラテスの対話相手は交代していく。
ゴルギアスとは弁論術について、
ポロスとは不正と幸福の関係、
最後にカルリクレスと道徳について議論し、
結論として、ソクラテスの弁明において、
彼がとった行動が道徳に基づいた行為とされる。
解説ではプラトンによるソクラテスと、
プラトン自身の弁明だとしている。
弁明による彼の行動の根拠に対する、
弟子のプラトンの考えが分かるという意味で、
ソクラテスの弁明の副読本として読むのが良さそう。