プラトンのレビュー一覧
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ソクラテスの弁がいかに凄まじいことがこのプロタゴラスでよくわかった。ソクラテスの弁明では、何かのテーマに対する実際の弁はなかったから。
ソクラテスとプロタゴラスとの対話が展開されていくのだが、読み進めていくと頭脳がが筋トレされてムキムキにバルクアップされていくような感覚になっていく。
一つ心に刻みたい事が語られていた。
それはソクラテスがある若者に忠告する言葉。
「君が体を大切に思っているのはわかる、しかし心はどうだろう?目に見えない知識や情報などは物よりはるかに危険が大きいのだよ。なぜなら心に一旦入ったら物と違い、突き返すことができないのだから」 -
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「西洋の全ての哲学はプラトン哲学への脚注に過ぎない」という有名な言葉がある。この『国家』を読んだだけでも、なるほど確かにそうなのかも、と思わされてしまう、それほど広範かつ重要なテーマを扱った本である。
ただ、完全無欠の神のような人間の存在(ないしは創造可能性)を前提とした国家設計は許容しがたい。個人より国家を優先して思考を突き詰めれば当然の帰結なのかもしれない。
プラトン曰く、理想的な哲人政治もいつかは落ちぶれる運命にあるという。しかしそれがなぜかを説明する箇所は意味不明の数式で煙に巻く。そもそもプラトンが説くような、完全無欠な哲人が統治を続ける限り、その国家の衰退はありえないはずではないか。この部分のプラトンの論旨展開は、統治者として君臨すべき完全無欠な人間の存在を自ら否定するようなものだ。
下巻で展開された詩人追放論は、上巻で主張された音楽・文芸の効用と矛盾するものではないか?という陥りがちな疑念は、訳者による説得力のある註釈により晴らされた。
本書は、世人の間で哲学が文学よりも重要であるとは必ずしもみなされていなかった時代に書かれた。そしてプラトンは哲学の地位向上を図るためにあえて強い書き方を選んだのだった。
2400年も昔の人が書いた本を読むというのは刺激的な体験であった。ルソーやニーチェなど後世の哲学者を先取りしたかのような考え方が随所に見られた。ニーチェが否定した西洋哲学の伝統とは何かを知るための重要な手がかりとなることは間違いない。 -
Posted by ブクログ
古代ギリシアの哲学者プラトン(前427-347)の主著。副題「正義について」。
真/偽、善[正義]/悪[不正]、美/醜、存在/生成、同一性/差異、概念/個物、一/多、内/外、イデア[界]/仮象[界]、知識/臆見、彼岸/此岸、秩序[cosmos]/混沌[chaos]、必然/偶然、精神/肉体、理性/感性、観想/実践 ・・・。世界をこうした階層化された二項対立的図式によって解釈し、ヨリ価値の低い後者の現実とヨリ価値の高い前者の理想とを区別して(現実とは、イデアを分有しただけの不完全な代物である)、後者から前者への階層移動を志向する、そういう機制としての西洋形而上学は、プラトンによって見出され、その後2000年以上ものあいだヨーロッパの思想の骨格となっていった。存在論としてのイデア論、認識論としての想起説も、それぞれの時代に於いて変奏されながらその基本的な機制は反復されてきたと云える。
□ ユートピア思想
ここで語られているのは、西洋最古の壮大なユートピア思想である。
ユートピアは理想郷として現実に於いて場所をもたない[ou-topos]が、と同時に、理想の完全性により生成変化することもなくそれゆえそこには時間が無い[ou-chronus]ともいえる。そこには人工的な空想の無表情な不気味さがある。そこで語られるユートピア社会の構成員の"顔"が見えないのだ。空間や時間が無いだけでなく、人間もいない。
本編における大きな特徴は、個人の問題が国家の問題へと接続されている点にある。「ところで、国家は一個人より大きいのではないかね?」「するとたぶん、より大きなもののなかにある〈正義〉のほうが、いっそう大きくて学びやすいということになろう。だから、もしよければ、まずはじめに、国家に於いては〈正義〉はどのようなものであるかを探求することにしよう。そしてその後でひとりひとりの人間においても、同じことをしらべることにしよう。大きいほうのと相似た性格を、より小さいものの姿のうちに探し求めながらね」
匿名的な知性=徳性によってあらゆる価値が一元化されたソクラテス/プラトン思想の下に展開される理想国家の構想は、一部の隙も無い息苦しさがどこか狂気染みている。人間は知性=徳性の下位に置かれ、それを否定=超越する自由が無いものとされているように思われる。空想に於いて実行される理想の"独裁"である(勿論、プラトンが本書後半で述べる独裁僭主 tyrannos とは全く意味が異なるが)。そこに、人間的な自由や文化は、その存在余地があるのか? 歪な初等教育論然り、「詩人追放論」然り、国家に無用な者に対する死刑の肯定然り、「国家の守護者」の選抜試練然り、管理生殖然り、女と子どもの共有然り。表現統制・優生思想・選民主義・個人の国家への全き同一化の要求・・・。個人の人間としての尊厳や、そもそも私生活それ自体が、国家の存立よりも下位に置かれている。端的に云って、グロテスクである。「・・・、一人の人間のあり方に最も近い状態にある国家が、そうだ[苦楽の私有化による国家の分裂から最も隔たっている]ということにもなる・・・。――たとえば、われわれの一人が指を打たれたとする。そのとき、身体中に行きわたって魂にまで届き、その内なる支配者のもとに一つの組織をかたちづくっている共同体が、全体としてそれを感知して、痛められたのは一つの部分だけであるのに、全体がこぞって同時にその痛みを共にする。そしてこのようにしてわれわれは、その人が指を痛めている、ということになるのだ」。ここに、国家と国民の区別はない。国民は国家に溶解してしまっているようだ。これは、最古の素朴な全体主義思想ではないか。「人間性」「個人の尊厳」「人権」という現代の我々にとって"自然"な観念が決して普遍的なものではなく"歴史"的なものであるという事実を、痛感する。
(尤もプラトンは、独裁制(僭主制)は民主制の崩壊によって生じる、というファシズムを通過した我々にとって極めて鋭い指摘をしている。優秀者支配制国家〈理知〉→名誉支配制国家〈気概〉→寡頭制国家〈金銭欲〉→民主制国家〈自由〉→僭主制国家(欲望のアナーキー、狂気、カリスマ希求? 自由の隷属化)。「・・・、民衆の慣わしとして、いつも誰か一人の人間を特別に自分たちの先頭におし立てて、その人間を養い育てて大きく成長させるものではないかね? ・・・。則ち僭主(独裁者)が生まれるときはいつも、そういう民衆指導者を根として芽生えてくるのであって、ほかのところからではないのだ」「まず第一に彼[独裁者]のすることは、たえず何らかの戦争を引き起こすということなのだ。民衆を、指導者を必要とする状態に置くためにね」「さらにその目的はまた、人々が税金を払って貧しくなり、その日その日の仕事に追われるようになる結果、それだけ彼に対して謀反をたくらむことができにくくなるようにするためでもある」。まるで現代の我々の社会のことを2000年以上前から指摘されているような気にならないか。なお、別の個所で国家の起源としての社会契約論の萌芽が見出されるのも興味深い)
これが、アテナイ民主制によって師ソクラテスが殺されたプラトンの政治的到達点なのか。
〈正義〉の原則は次のようなものとされる。「各人は国におけるさまざまの仕事のうちで、その人の生まれつきが本来それに最も適しているような仕事を、一人が一つずつ行わなければならない」。さて、理想たるべき国家には、〈知恵〉〈勇気〉〈節制〉の三つの徳が備わっていなければならないとされる。つまり、国家の構成員が各自の分に応じた仕事に専念し、思い上がりによって自らの分を逸脱することなく、三つのうちの各自の分に応じた徳を体現することが、国家に於ける〈正義〉といわれる。そして、国家が三部分に区分されるように、個人の魂にもそれに対応した三部分〈理知的部分〉〈気概的部分〉〈欲望的部分〉が存在するとされる。そして、〈理知的部分〉が魂全体を支配し〈気概的部分〉がそれに服従し(欲望的部分)の放埓を制御する、則ち自分で自分自身を支配し秩序づけ節制と調和のうちに一人の人間と成ること、これが個人に於ける〈正義〉といわれる。こうした考えのうちにも、ユートピア思想特有の「構成員の匿名性・"顔無し"性」「理性による理想的な統御」が現れていないか。
繰り返し見てきたように、ソクラテス/プラトンの政治哲学の裡には、共同体の構成員たる個々人の「実存」という視点が見事に抜け落ちているのである。それが数学や哲学的問答法の訓練を受けた哲学者=哲人王の理性によって統制可能であると考えられている。唯物史観に基づく共産主義の革命思想にも欠落している観点である。「実存」との緊張関係を通過することのない「政治」はもはや通用しない。事象の本質的概念的把握を目指す哲学的精神を政治権力と結合させる哲人王思想では、「実存」という人間の存在様態に追いつかないのである。
現代の我々に、ユートピアは不可能である。では、「革命後の世界」は?
□ 自己関係性
〈善〉のイデアとは、太陽が見られるものを照らし出し以て視覚=見ることの原因となるように(「太陽の比喩」)、認識対象に真理性を付与し認識主体に認識機能を働かせるものとされる。しかし、〈善〉のイデアが"在り"且つ"かく在る"ことを、ソクラテス・プラトンは如何に認識しその認識を正当化するのか。彼の哲学体系の内部に於いてその正当化は可能か。そこが問われない哲学体系は、端的に独善であり無意味ではないか。 -
Posted by ブクログ
ギリシャ神話と哲学を少しだけちゃんと読みたい今日この頃。
哲学やってた友達に、「ソフィーの世界よりはももう少し深く
知りたくて、初心者でも読みやすい本ってある??」
と聞いたところ、プラトンの対話篇をお薦められました。
ソクラテスとの対話の流れで書いてあるから読みやすいよー、と。
本屋さんで物色してみて、これともう一冊を購入。
確かに読みやすい!!
大学時代、ニーチェのツァラトストラを読んで10ページで挫折した私、
先にこれを手にとってたらもう少し哲学に触れることができてたかもなぁ。。
えにうぇい。
この本のテーマは、「徳」について。
徳とは何か、そして徳とは教えられうるものであるのか。
メノンという人とソクラテスの対話の中で
徳というテーマが掘り下げられます。
対話だからこそ、話題が前後したりというのはあるのだけど
堅苦しい言葉じゃないので読み進めやすいです。
ただ、言葉の使い方や、言葉の定義の幅が捉えづらい部分もあるので
そのへんは時々立ち止まったりはしますが。
こういうのって原文で読めたらもっと読み易いのかなぁ。
時折、「ゼウスに誓って」というフレーズが出てきたのが
ちょっと面白かった。「神に誓って」じゃないのね。
魂の話とかも、なんか時代を反映してる気がする。
この時代だからこそなのか、最後は
「えぇっ、そういう落とし所!?」と思ったりもしたけれど。
人間の中の、時代を超える普遍的なものってあると思うのだけど、
その一方で、その時代の科学と乖離した発言は、
多くの人を相手にした場合、説得力が薄くなるのかなぁ、
思想の話であっても科学とつながってるんだな、とも思いました。 -
Posted by ブクログ
正義とは何かという問で本書は始まる。
脚注によると、古代ギリシアでは「友を益し敵を害するのが正しいことだ」という考えが広く正義ととらえられていたようだが、プラトンはそうは思わなかったようだ(p42)。人を害することは不正なことだと言っている(害することによって、相手は正しくなるのではなく、不正になるから)。
個人にとっての正義を考える上で、より包括的な存在――国家――にとっての正義を考えていく。
そのために「理想的な国家」を創りだした。
この「理性的な」というのは、「国の全体ができるだけ幸福になるように」(p261)ということ。
理想的な国家には4つの性質があるらしい:「知恵」「勇気」「節制」そして「正義」
勇気は「恐ろしいものとそうでないものについての、正しい、法にかなった考えをあらゆる場面を通じて保持すること」(p289)のことを言う。
また、自身の中で「すぐれた本性をもつものが劣ったものを制御している場合」(p292)に、そこに節制があるという。
それで、正義とはそれぞれが自分の生まれ持った才能に合った役目を全うすることだという。自分の分を越えてはならない。
終盤は難しくて何を言っているのかよくわからなかった。
■ 余談
・序盤で書かれている、お金持ちになることの効用が興味深かった。「たとえ不本意ながらにせよ誰かを欺いたり嘘を言ったリしないとか、また、神に対してお供えすべきものをしないままで、あるいは人に対して金を借りたままで、びくびくしながらあの世へ去るといったことのないようにすること、このことのために、お金の所有は大いに役立つのである。」(p26;ケパロス)
・神に世俗的な振る舞いをさせるような詩は守護者の教育によくないから、そういうものはチェックして世に出ないように書いている(p172のあたり)。国が作るべき/作ってはならない物語のルールを規定すべきだとも書いている(p159)。国家検閲を推奨しているように見える。詩に厳しいのは、プラトンが詩を挫折した過去もあるから?
・病気になったからといって、仕事を奪ってでも延命させることは医者のやることではないといっている(p233のあたり)。怪我や病気で役に立たなくなった大工は、諦めてさっさと死ぬべきだという。
・男性の壮年期がp370において25歳〜55歳となっているが、当時で55歳はまだ元気な部類だったのだろうか
・戦争をしても、それは善意を持って正すわけだと主張して、ギリシア人同士で奴隷にしたり、されたりすることは否定しているように思う(p398) -
Posted by ブクログ
初めてプラトンの本を読んだ。非常に平易。ソクラテスが相手との対話を通じて真実を明らかにしようという姿勢だったことはよく分かった。ただ初心者としては,ソクラテスが詭弁を弄して相手を論破しているだけのようにも思えたのも事実。
本の感想ではないが,2千年以上前の人が考えたことを本を通じて知ることができる,というのは凄いことだと改めて思った (勿論孔子とかにもいえます)。と同時に現在でも答えは出ていないと思うし,当時は現在ほど忙しくなくまた物質的にも豊かではなかったと思うので,逆に今以上によく考えられていたのでは,と思う。とすると寧ろ (なかなか哲学する時間や機運のない) 現在こそ古代の哲学に触れることは有意義ではないかと思った。 -
Posted by ブクログ
『我々を支配しみちびく二つの種類の力があり、一つは、生まれながらに備わっている快楽への欲望、もう一つは、最善のものを目指す後天的な分別の心で、分別の心が我々を理性の声によって最善のもののほうへとみちびいて、勝利を得るときには、この勝利に「節制」という名があたえられ、これに対して、欲望が我々を盲目的に快楽のほうへとひきよせて、我々の中において支配権をにぎるときは、この支配に「放縦」という名が与えられる。』
上に記した説はその後ソクラテスによって覆されることになるのだが、その覆すために用いたミュートス(物語)が、神という世界を前提に置き、その存在の根拠が語られえないことから、ご都合的な説にしか思えない。そして、そういったソクラテス(の名を借りたプラトン)の創出したミュートスがいかに優れたものだとて、そこから、恋がもっとも崇高なものであるという結論を導き出すのは納得できない。確かに、狂乱が総て忌避すべきものだとは僕も考えないが。
しかしながら、全体的には大変良い読み物だった。
ソクラテスが、なぜ自分の書き物を何も残していないのかということが良くわかった。