プラトンのレビュー一覧
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善く生きることとは
「無知の知」や「悪法も法なり」で有名なソクラテス。
彼自身は著作を遺していないのでプラトンによる記録である。
君がもし、国家で起こりうる不正や違法な行為を止めたいと考えるなら......
公人ではなく、私人であるべき。
私にはこの言葉がわからない。
確かにそうだと思う反面、そうではないという気持ちもある。
もちろん現代とはまったく異なる政治体系の中、また異なる文化の中、いかに県人であっても古代ギリシアの価値をそのままもってきても上手くはいかない。
だからこそ考えてしまう。
今ならば、彼の言葉は異なるのか、あるいは今も変わらないのか。
初めて「倫理」(担当教員は哲学が専 -
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エマニュエル・レヴィナスさんが「これは読んでおくべき」と推奨された3冊の哲学書の一冊である。
後の二冊はヘーゲルさんの『精神現象学』とハイデッカーさんの『存在と時間』
恋する者のはなしから始まって、狂気や神的なものの効用、ものの考え方、書くということの優劣、語るべき言葉を持つことの困難さやそのことを目指すことの尊さまで余すことなく見事に書かれた書物なのだろうと思う。
思うと書いているのはわたしにはまだわからないからで、その大事さを感じることができるといいなぁという期待というか望みというかそんなものをもてるだけだからである。
いずれまた読み返してみなければと、思っているうちに死んでしまうのかもし -
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メノン:徳は人に教えることのできるものなのでしょうか?
ソクラテス:その前に、そもそも徳とは何かを考えてみよう。
メノン:はい、わかりました!で、結局のところ、徳は教えられうるのでしょうか?
ソクラテス:(唖然)
・プラトンの遊び心が感じられる小品。それはともかくとして、ソクラテスは、結局メノンの天然ぶりに押されてしまい、徳とは何かを定義することなく、徳は教えられうるかについて検討する羽目になる。
・仮に徳が知識だとしたら、徳は教えられうるものであるし、徳の教師だっているはずだ。しかし、実際には徳の教師など存在しない。したがって、徳は教えられうるものでもなければ知識でもない。徳は、教 -
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『いけない、いけない、あの人は放っておいた方がいい、それがあの人の癖なんだから。所かまわずどこかへ、人通りを避けて立ち続けることがよくあるのだ。が、いずれまもなく来るだろうと思う。だから邪魔をせずに、放っておいてくれたまえ。』(アリストデモス)
『実際人は次のようなことを熟思するべきである。明らさまに愛するのはひそかに愛するものよりも美しく、しかももっとも高貴にもっとも優秀なものを―たとい彼が他のものよりは面貌が醜いにせよ―愛するのは特に美しいといわれていることを、さらにまた、万人が恋する者に与うる異常なる―しかも何か醜悪な行いのあった者にはけっして与えられぬごとき―鼓舞を、かつ恋愛における -
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久々に読むのに骨が折れた。
正義とは何か、正しい国家の姿とはどのようなものなのかを根源的に問い詰めたプラトンの著書。ある種の理想の姿なのかもしれないが、この理想を目指して失敗したのがナチス・ドイツだったりレーニンのソヴィエト連邦だったりポルポトだったりするのだろう。家族を否定し、心を揺さぶる娯楽的なものを排除し、理想的な人間の完成をひたすらに目指す。宗教の原理主義もこんな感じなのかもしれない。
だが、だからと言って本書を悪書とは思わない。元来哲学とか思想とかは、斯様に根源的であり、社会にとって劇薬―薄めると薬にもなり、原液だと毒にもなる―であるべきだから。
とは言え、私はプラトンよりもホ -
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ネタバレ解説を読めば概ね理解できるものの、ソクラテスとメノンその他との会話では真意が推し量りづらい。恐らく彼らとの会話に伍しない限りは分かりえないのだろう。
ここでは「徳」とは教えられるものであるのか?ということを延々と話し続ける。まずソクラテスは徳とはなんなのか?どういったものか?を云う。
①知識は授かるだけではなく、云われて思い起こすこと。(想起)
しかしこの後、徳がなんであるかがあいまいのまま、「教えられるのか?」という質問に逆戻りする。
②性質を語るには、仮設する必要があったこと。
③ ②を踏まえて、徳は教えられるものである、という結論に達した。
④しかし②においては、仮説