プラトンのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
プラトンの中期対話篇。
「恋(エロース)」について
恋を"美のイデアを想起する神的狂気"と規定して、想起説や魂-三部分説を援用しながら称揚し、打算的な観点から恋を貶めようとする議論を批判する。恋とは、功利的な i.e. 即物的な立場からその是非を論じるべきものではないのであり、現世的な実用主義を超えた形而上的な観点から論じようとするソクラテス=プラトンの姿勢には、一面に於いて共感できる。但し、私の場合は、恋をイデアとの結びつきを根拠にして称揚するのではなく、合理性を超越しようとする実存の投企として肯定するのであるが。本筋とは関係ないが、人間の五感の中で視覚を最重視するイデオロギーがソクラテスの時代からあったことは、面白い発見だ。
「弁論術(レートリケー)」について
真実らしく語るには、真実そのものを知っていなければならない。よって真実を求める営みとしての哲学が必要となるのであり、そこでの方法論がディアレクティケー(弁証法)である。そこでは、「それは何であるか」と事物の"本質=意味=価値=秩序=当為"が問われ、総合と分析の手続きによってその解明が目指される。
結局のところ、「恋」にせよ「弁論術」にせよ、それが真実在=イデアを求める哲学(愛知)に裏打ちされて初めて価値を有するということになる。
なお、対話の最後に文字・書き言葉について論じられており、ソクラテスはエクリチュールに対して否定的な見解を表明するのだが、そこはまさにデリダが音声中心主義(現前の形而上学)の典型例として指摘している箇所であり、極めて興味深い議論が展開されている。というのも、私自身は、デリダの批判も分かるが、その上でなお、現前の形而上学に魅せられてしまっている面があるから(言葉を不特定多数に発することに対する i.e. 言葉を発することそれ自体に対する、アンビヴァレンツは、この点に由来する)。
"・・・彼らは、書いたものを信頼して、ものを思い出すのに、自分以外のものに彫りつけられたしるしによって外から思い出すようになり、自分で自分の力によって内から思い出すことをしないようになる・・・。"
"それに、言葉というものは、ひとたび書きものにされると、どんな言葉でも、それを理解する人々のところであろうと、ぜんぜん不適当な人々のところであろうとおかまいなしに、転々とめぐり歩く。そして、ぜひ話しかけなければならない人々にだけ話しかけ、そうでない人々には黙っているということができない。あやまって取りあつかわれたり、不当にののしられたりしたときには、いつでも、父親である書いた本人のたすけを必要とする。自分だけの力では、身をまもることも自分をたすけることもできないのだから。"
"それを学ぶ人の魂の中に知識とともに書き込まれる言葉・・・。"
"それはほかでもない、人がふさわしい魂を相手に得て、ディアレクティケーの技術を用いながら、その魂の中に言葉を知識とともにまいて植えつけるときのことだ。その言葉というのは、自分自身のみならず、これを植えつけた人をもたすけるだけの力をもった言葉であり、また、実を結ばぬままに枯れてしまうことなく、一つの種子を含んでいて、その種子からは、また新なる言葉が新なる心の中に生れ、かくてつねにそのいのちを不滅のままに保つことができるのだ。そして、このような言葉を身につけている人は、人間の身に可能なかぎりの最大の幸福を、この言葉の力によってかちうるのである。"
これらの箇所には、西洋形而上学の根本的な機制が表れているように思う。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ時代背景も何も知らないのだけれど、なんて高尚なレスバなんだ...と思った笑(初学者なんで許して欲しい)確かに誰かを納得させたい、って感じの問いかけ方ではないよね、これ。あくまで対話を望んでいる感じ。
自分は何も知らないし、知っているとも思わない。ただし唯一持ち得る人間的知恵が人より少し豊富なソクラテス。神の教えを説く人が神を信じてないわけなくない?(意訳)というシーンが印象的。その通り過ぎて。それに対して裁判官たちはどう言い返したのかも気になった。
ゼウスからの声に忠実に生きるところを見るに、信仰との関わりは哲学においてとても重要そう。となると、日本の哲学は他国とは結構異なっていたりするんだろうか。
自分が最良と信じたものは危険を冒してでも固守すべきで、固守できなかった時の恥辱と比べれば死やその他の事象は気にならない。哲学は悟りなのかな?かっこいいしそうありたいよな、と思った。
「死を脱れることは困難ではない、むしろ悪を脱れることこそ困難なのである。」