「恋(エロース)」について
恋を"美のイデアを想起する神的狂気"と規定して、想起説や魂-三部分説を援用しながら称揚し、打算的な観点から恋を貶めようとする議論を批判する。恋とは、功利的な i.e. 即物的な立場からその是非を論じるべきものではないのであり、現世的な実用主義を超えた形而上的な観点から論じようとするソクラテス=プラトンの姿勢には、一面に於いて共感できる。但し、私の場合は、恋をイデアとの結びつきを根拠にして称揚するのではなく、合理性を超越しようとする実存の投企として肯定するのであるが。本筋とは関係ないが、人間の五感の中で視覚を最重視するイデオロギーがソクラテスの時代からあったことは、面白い発見だ。
なお、対話の最後に文字・書き言葉について論じられており、ソクラテスはエクリチュールに対して否定的な見解を表明するのだが、そこはまさにデリダが音声中心主義(現前の形而上学)の典型例として指摘している箇所であり、極めて興味深い議論が展開されている。というのも、私自身は、デリダの批判も分かるが、その上でなお、現前の形而上学に魅せられてしまっている面があるから(言葉を不特定多数に発することに対する i.e. 言葉を発することそれ自体に対する、アンビヴァレンツは、この点に由来する)。