プラトンのレビュー一覧
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久々に読むのに骨が折れた。
正義とは何か、正しい国家の姿とはどのようなものなのかを根源的に問い詰めたプラトンの著書。ある種の理想の姿なのかもしれないが、この理想を目指して失敗したのがナチス・ドイツだったりレーニンのソヴィエト連邦だったりポルポトだったりするのだろう。家族を否定し、心を揺さぶる娯楽的なものを排除し、理想的な人間の完成をひたすらに目指す。宗教の原理主義もこんな感じなのかもしれない。
だが、だからと言って本書を悪書とは思わない。元来哲学とか思想とかは、斯様に根源的であり、社会にとって劇薬―薄めると薬にもなり、原液だと毒にもなる―であるべきだから。
とは言え、私はプラトンよりもホメロスを愛す。 -
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ネタバレ解説を読めば概ね理解できるものの、ソクラテスとメノンその他との会話では真意が推し量りづらい。恐らく彼らとの会話に伍しない限りは分かりえないのだろう。
ここでは「徳」とは教えられるものであるのか?ということを延々と話し続ける。まずソクラテスは徳とはなんなのか?どういったものか?を云う。
①知識は授かるだけではなく、云われて思い起こすこと。(想起)
しかしこの後、徳がなんであるかがあいまいのまま、「教えられるのか?」という質問に逆戻りする。
②性質を語るには、仮設する必要があったこと。
③ ②を踏まえて、徳は教えられるものである、という結論に達した。
④しかし②においては、仮説による結果であるだけであり、実際に徳を教えられる人間はいるのか?実際にいないではないか、ということだ。
以上のことから、「ソクラテスは徳は知であるけど、プラトンは結論としていないのではないか、知だとしても、教えられる人はいないではないか。」ということになる。でもプラトンは「ソクラテスがそうなのではないか?」とし、「そのような人間が政治家に教えることができれば、哲人王の出現となる。」ということになる。これがプラトン哲学の中心テーゼであるらしい。もっとも、後世になって否定されるのではあるが。 -
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ネタバレ哲学者の代表みたいなソクラテス。
彼自身は著作を残していないのだけれど、
弟子であるプラトンがソクラテスの対話を書き残したため、
今日までその名が残っているんだそうな。
こうしたプラトンの著書はほぼ対話形式になっているので、
小難しいイメージのある哲学書の中では異例的に読みやすくわかりやすい。
「ソクラテスの弁明」
ソクラテスが被告となっている裁判での弁論。
結局彼は死刑になってしまうのだけれど、
敬虔な神の僕である彼の「正しさ」に対する態度には胸を打たれた。
こういう姿勢はカントに似ていると思う。
有名な「無知の知」のくだりもここに収録されている。
「クリトン」
死刑を待つソクラテスがいる牢屋に、
親友であるクリトンが脱獄を提案するところの対話である。
「ただ生きるのではなく、善く生きる」という、
有名な一節はここで語られている。
親友を説得するソクラテスの様は、
刑事コロンボや古畑任三郎のそれに近い。
福沢諭吉にも近い気がした。
法律を擬人化して語るところも面白かった。
「ゴルギアス」
「ゴルギアス」って音の印象だけで悪役っぽい。
弁論家ゴルギアスとその弟子ポロス、
そして政治家カリクレスを相手に、
弁論術はいかにあるべきか、
正義はいかにあるべきか、を
コロンボよろしく論駁していく様は小気味良いが少々胡散臭くもある。
なんだか「正しさ」に固執するあまり、
ただの強者の理論を展開しているだけのような向きがあるのではないかしらん。
わたしはどちらかと言えば、
「清濁併せ呑む」という考え方のほうが好きなので、
「正」も「悪」も包摂しうる思考をこそ奨励したいと思う。
もちろんソクラテスの言っていることは正しい。
しかし正しすぎるんだよなぁ、という感じ。 -
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プラトン(渡辺邦夫・訳)『メノン』、光文社古典新訳文庫。
藤沢令夫訳も以前読んでいるけど、これはまたものすごく読みやすい。
とくに「探求のパラドックス」に答える場面、
メノンの召使いの少年が任意の正方形から
二倍の面積の正方形を作図する方法を考える場面など、
たぶん誰でもすいすい読めるはず
(藤沢令夫先生の訳は、原文に忠実に訳すあまりカクカクしてた気がするけど)。
徳とは何かを考えるというのが主旨の対話篇だけれど、
むしろメノンの愛らしさのほうに心を惹かれる。
ゴルギアスを師として弁論術を学び、
ソクラテスに議論をふっかけるメノン。
もちろん愚昧なアニュトスとつるみ、
あるいは『アナバシス』に描かれている強欲でじたばたと見苦しいメノンの姿は知っている。
しかし、なんとなくこの対話篇のメノンは、
やんちゃで自信家で自己中だが憎めない。
ソクラテスもそこをからかいながら
(この「からかい」はソクラテスのディアレクティケーにおいては重要なんだけど)、
しかし愛情を持って接しているようにも思える。
「この対話篇のメノン」は、きっと地に足をつけ、
自分の足で歩けるようにいつかなるのだろう。
そして、そういう場に立ち会えることは、
どんなにクソな世界のなかであっても、やはり喜びなのだ。 -
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プラトン以降の歴史は全て、彼の手の平の中だったのかもしれない-そんなことを痛切させれらる。とにかく国家の形態とその推移に関する分析は圧巻だった。ここでプラトンは自由と平等を愛する民主主義というのを決して優れた国家形態とはみなしていない。またこの制度は富者が支配する寡頭制に対する反発として、寡頭制の次に必然的に現れるものと考察している、正に歴史がそれを証明している通りに。そして何より恐ろしいのは、この民主制というのが自由と平等を愛する結果、守るべき秩序も失われ僭主独裁制、つまりファシズムを必然的に生み出すものと描かれているのだ。そう、歴史は今まさに、その事実を証明しようとしつつある。
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「徳は教えられるものではない。」ということを、メノンという青年との対話によって延々と証明していく話。すぐれた徳性をもつ世に知れた偉大な人物の息子は果たしてすぐれた人物になっているかというとどうもそういう例はないらしいということから、いわば帰納的に、徳は教えられるものではないということを論じていく。騎乗の技術、文章の技術、詩作の技術のための最上の教育を彼らに施したにもかかわらず、すぐれた徳をもった人物には至らなかった。もし徳というものが教えられるのであれば、優れた徳を持った父は、子にそれを受け継がせようとしない理由があるだろうか?いや断じてありはしない。にもかかわらず、教える教師がいないということは、徳というのもは教えられるものではないということになるのである。
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この対話篇は、政治と道徳と人生を論じて、『国家』につぐプラトンの力作であり、ソクラテスを死にいたらしめたアテナイの社会を支配するいっさいの通念に対して向けられた、哲学の側からの怒りと批判の書である。
弁論術(レトリカ)は、その当時のアテナイ社会における花形的な存在であり、それの含む問題は、こんにちの社会においていわゆるマス・コミュニケーションのおよぼしている道徳的。社会的影響の問題とまったく同じ性質のものと言ってよい。(扉紹介)
カリキュレス:たしかに、ソクラテス、若い年ごろにほどよく触れておくだけなら、けっして悪いものではない。しかし必要以上にそれに打ち込んで時間をつぶすならば、人間をだめにしてしまうものだ。
ほかでもない、せっかくすぐれた素質にめぐまれていたとしても、その年ごろをすぎてもなお哲学をやっていると、ひとかどの立派な人物となって名をあげるためにぜひ心得ておかなければならないことがらを、なにひとつ知らぬ人間になりはてること必定だからだ。・・・・・
とかなり辛辣な言葉をカリキュレスはソクラテスに浴びせている。カリキュレスの主張はある面では、かなり鋭く現実の人々の反応を表明していると思う。さてソクラテスはどのような回答したのか・・・それは実際に読んで確認して欲しい。 -
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法学部生は必読。たとえ法曹志望でなくても本書は一度くらいは目を通しておくべき基礎古典だ。ソクラテスの問答法がいかなるものかがよくわかる。と同時に彼の人生哲学の真髄がどういったものであったかということも知ることになるだろう。
さて、今日誰もが認めるようにソクラテスは偉大な賢人で、真の哲学者であった。にもかかわらず、裁判の結果、処刑されることになる。なぜかというと現状に満足している多くの人にとって強烈な毒薬であったからである。「君は、疑いで人の心をしびれさせる電気鰻に似ている」といった人があったように、ソクラテス式の問答法によって人は疑念で心揺さぶられることになる。安定から不安定への動的変遷が対象に発現することになる。真の「徳」へと至るために必要な運動であっても、できれば避けたいことだろう。この事実から推測される帰結は何かというと、ソクラテスは特定の誰か
の深遠な謀略によって死刑に処せられたのではなく、市民の集合的無意識に殺されたということだ。なんとなれば彼は巧みな弁論術によって市民の心を動かし圧倒的過半数をもって無罪を勝ち取ることもできたはずなのだ。しかし自身の神から賦与された使命を優先した。自己のなすべきことのために信念を曲げるつもりなど毛ほどもなかった。そしてたとえ裁判結果が理不尽なものであったとしても国家の決定には従うことこそ正義であるという結論に至りそれを受けれたのである。彼を真の哲人といわずなんというのか。