山折哲雄のレビュー一覧
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山折哲雄氏の本を読むと魂を揺さぶられます。「こころの作法」、2002.9発行です。「夕焼け小焼け」「赤とんぼ」など子守歌(短調のメロディ)が遠くなったと・・・。CMサウンドには一つもないそうです。そんな意識で聞いたことがありませんでした。短調(悲哀の旋律)を忘れた時代、それは、人の悲しみに共感し、涙する心、感性の大切な部分を失いつつあるのではないかと説かれています。
「こころの作法」、この著者、山折哲雄さんをして、このタイトル、背筋がピンとします。凛としたタイトルでありながら、いつも同様読みやすくわかりやすい内容です。「短調を忘れた時代」になっている。CMサウンドには短調はひとつもない。子守唄、夕焼け小焼け、赤とんぼ・・・、人の悲しみに共感し涙する心、確かに、そんな気がいたします。心に沁みた原風景を忘れないで、時々思い起こしたいと思います。マニュアルという言葉が闊歩し始めて、こころの作法が疎くなった気がします。 -
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ネタバレ寺田寅彦は、日本文化や日本事情の授業を担当した私にとっては、よく見ていた名前だったので、良書だと思っていました。で、実際に読んでみてそうでした^^
「天災は忘れたころにやってくる」という警告を発したということでも有名な寺田寅彦。この随筆集に収録されているのは、昭和25年ぐらいまでのもので、「天災と国防」という短編は昭和9年(1934年)、日本が中国大陸に侵略し始めていたころの時代に、書かれた随筆です。
この「天災と国防」は、随筆集の冒頭に収録されていますが、文明と災害というテーマで、「陸海軍の防備が十分であっても肝心な戦争の最中に安政程度の大地震や今回の颱風あるいはそれ以上の者が軍事に関する首脳の設備に大損害を与えたらいったいどういうことになるであろうか(20頁)」と、暗に身命賭してお国のために戦争するということを貴い愛国心・大和魂などとしていることに、疑問を呈し、批判的な文脈で述べています。なかなか読みごたえのある随筆集です。
この随筆集を編者である山折哲雄氏は、冒頭で寺田寅彦がいう自然の二面性、「厳父のごとき自然」と「慈母のごとき自然」について、「歴史的な背景を含めて科学的に明らかにした」と解説していますが、そのことを感じられるのがこの随筆集の最後に収められている「日本人の自然観」です。その短編の見出しを列記しますと、
緒言
日本の自然
日本人の日常生活
日本人の精神生活
結語
となりますが、文体・表現法は随筆的ですが、ほとんど論述的な構成で、これもまたかなり読み応えあります。
結語にある氏の要約だけ引用しますと、「日本の自然界が空間的にも時間的にも複雑多様であり、それが住民に無限の恩恵を授けると同時にまた不可抗な威力をもって彼らを支配する、その結果として彼らはこの自然に服従することによってその恩恵を十分に享楽することを学んで来た、この特別な対自然の態度が日本人の物質的ならびに精神的生活の各方面に特殊な影響を及ぼした(143頁)」。前述の山折氏が、「なぜ今『寺田寅彦』なのか」と切り出しています。山折氏が編集したこの随筆集は2011年に角川学芸出版から出ています。そうです、あの「3.11」があった年です。そういう意味で、災害への警告・反省を促したものとも読み取れますが、今読み終えて思うに、暴力・武力がきな臭く出ている今でこそ、この本を読むことで、もっと人類史観的に立って考えた方がいいんじゃないかな?行動した方がいいじゃないかな?と思いました。
おススメの一冊です。 -
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ネタバレ[ 内容 ]
この大いなる空虚の時代を、いかによく生き、よく死ぬか。
無常観・霊魂信仰の問題から、臓器移植・宇宙時代の死生観といった問題までを、叙情豊かに語った珠玉の講演集。
[ 目次 ]
第1部 日本人の「心」の原型(宗教心を見失った日本人 なぜキリスト教は日本に根づかなかったのか 「たたり」に見る日本人の霊魂信仰)
第2部 自然への信仰(中世日本人は自然をどう見たか 「小さき仏」への愛情 芭蕉が見た落日 宇宙に開かれる神秘体験)
第3部 生と死を問う(宇宙時代の死生観 移りゆく時代の宗教の力 あらためて問われる「生老病死」)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
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ネタバレ[ 内容 ]
金閣寺、龍安寺、仁和寺の「世界遺産コース」。
さらに嵐山、嵯峨野まで足をのばし、常寂光寺、清凉寺、化野念仏寺へ―。
観光バスでまわるだけでは感じられない、ほんとうの古都の魅力。
寺社をめぐる愉しみは、歩くほどに深まる。
「大寺社の陰に名刹あり」という発見もある。
仁和寺と蓮華寺、伏見稲荷と石峰寺、平等院と興聖寺…好対照の妙が、新たな感動を生む。
長年にわたり古都をくまなくめぐった著者が、京都人も知らない古刹までをも網羅。
上下巻の総索引がついた、京都寺社事典の決定版。
[ 目次 ]
7 洛西の寺社(北区・右京区)
8 嵐山と嵯峨、周山の寺社(右京区・西京区)
9 洛北の寺社―西域(北区)
10 松尾、桂、大原野の寺社(西京区)
11 洛南の寺社(南区・伏見区・山科区)
12 宇治市と京都郊外の寺社
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ネタバレ[ 内容 ]
いにしえの都をたずねて。
おいでやす、悠久の歴史へ。
上ル下ル、古都をまわる。
都を旅する人も、京に住まう人も!
清水寺、高台寺、八坂神社、そして南禅寺から銀閣寺へ―。
誰もが訪れたことのある定番の観光コースにも、くりかえし足を運ばなければわからない奥深さがある。
清水寺なら早朝六時。
まだ明けやらぬ舞台に立ち、ようよう白くなりゆく街を眺める清爽さは格別だ。
あるいは世継地蔵の上徳寺、送り鐘の矢田寺、苦抜地蔵の石像寺…観光客が訪れない、普段着の小さな寺社にこそ、古都の素顔がかいま見える。
五〇〇を超す寺社を全踏破!
歴史、逸話、みどころ― 京都を知り尽くすための徹底ガイド。
[ 目次 ]
1 東山山麓の寺社―北行(左京区)
2 洛北の寺社―東域(左京区)
3 東山山麓の寺社―南行(東山区)
4 洛中の寺社―市街中央(下京区・中京区)
5 洛中の寺社―御苑四周(中京区・上京区)
6 洛中の寺社―西陣・北野界隈(上京区)
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「用語事典」と聞くと堅い本を想像するが、本書は読み物としての起伏が大きい。編著者・山折哲雄の導入は、仏教を文明論として捉え直す大胆さがあり、そこから各項目の簡潔な解説へ滑り込む構成が気持ちよい。教理の精密な体系化より、民俗仏教や死生観、他宗教との習合を太く扱うため、仏教が日本文化のどこに沈殿しているかを探りたい人に向く。
とくに「無我」を日本的に「無私」へ読み替える視点、そして「葬式仏教」批判への応答(鎮魂と悲しみの機能こそ原点)には、現代の仏教観を更新する力がある。神仏習合を"後世の付け足し"ではなく、仏と神の相互変形(秘仏化/神像化)として押さえる整理も、飛鳥〜奈良期の宗教景観を描く際にブレが減る。能・狂言や絵巻といった芸能・表象の話題も豊富で、宗教知識が文化史へ開いていく感じが良い。
一方で、著者の独自解釈を強めに感じる箇所もあるので、厳密な教理学だけを求める人は注意。図解(印相、伽藍配置、系図)のおかげで、用語の"位置"が掴みやすいのも実用的。導入エッセイは詩的でイメージ豊か、用語解説は客観的で簡潔と、読むモードを切り替えながら進める構成になっている。仏教を"文化・習慣のルーツ"として知りたい人、死生観や習合に関心がある人に確実に届く一冊。 -
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柳田國男の研究、論文については後続の学者達に批判されることが多いが、(多くの人が評価しているように)柳田國男がその分野(民俗学であったり山人であったり)にスポットライトをあて研究対象と初めてしたことから「ああでもない」「こうでもない」と議論されるようになったと感じるので批判=間違ったこと言ってた人、と思われないでほしいなと思う。最初は何事も「仮説」から始めると思う。
山にまつわるカテゴリとして、山に迷い込んで住んだもとは平地で暮らしていた人のこと、山で生計を立てていた人、同じ人間だけど別世界として暮らしており「神隠し」する人、神様あるいはそれと同等のもの(妖怪、鬼含む)と並べて総合的にまとめているのが面白く感じた。こういうことを一つ一つ研究していくことが差別(という言葉を使うと陳腐に感じられるかもしれないが)や歴史の誤解を解き、現在をいかに見据えるかという力がついていくのでは、気づきを得られるのではと思った。
印象的だったこと
子どもの小さいうちにすぐ立って歩けるようになったことや、生まれたときに歯が生えている子供を鬼の子などいうことがあるが、忌み嫌われていたのかと思っていたが、金太郎の伝説や、山姥からオツクネを拾って鬼の子が生まれたという伝説からは、かつてそのような子供を欲しがる社会があったという考察。凡人にそのような子が生まれたのは良すぎてしまうという解釈。英雄偉人には優れた伝説がありながら普通の人の家に生まれることは許されなかった、凡庸でなければならなかったという解釈。恐れながら(あるいは嫉妬から?)普通以上の才能やスペックに恵まれた子供は鬼や妖怪の産物、なるほど日本人らしい解釈かも。実はそういう存在をひそかに望んでいたからめぐりめぐってこのような伝説になったというのはすごくしっくりきて、目が開けたような思いだった。
かな山の役人と称した鬼の子を孕んで生まれた子が祖父母に惨殺された話、現在鍛冶の家が尊敬され、子供が生まれると必ずかなくそをもらってきて煎じて飲むをいう話から金属が非常に強大だった時代、昔は大切にされた地方の紙が妖怪変化の類に変じてしまったという話。なぜこのように退治される対象になるのかというにはこのようにかつて強大であったという経緯があるのだなあと思った。 -
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河合:異教徒も殺してはいけないといった宗教はないでしょう。
加賀:ないんですよ。異教徒も殺してはいけないと言ったのは、世界中探しても、日本の平和憲法しかない。(中略)日本国憲法の「戦争の放棄」条項は、いろいろな国の人から「なんだ、これは」といわれる。
という対話が意外だった。異宗教は排除すべきという考え方が外国ではノーマルなんだ。日本人は差別はいけないともっともらしく言っているが、宗教だけは例外なんだということがわかった。
興味深かった話は、加賀乙彦さんの東京拘置所の医官の時の話で、メッカ殺人事件の死刑犯が、3年間で600通もの手紙をある人物に出していた内容と、母親が持っていた拘置所での日記の内容と、拘置所で面談した時の加賀さんとの会話が、三種三様で全く食い違っていると言う話。
加賀:「(日記には)行いすました第一の彼でもなければ、しなやかな第二の彼でもなくて、獄中で悩み、もがき、苦しんだ、惨惰たる人間の姿だったのです。自分の信仰に疑いをもち、しょっちゅう神を呪い、ときには神父の悪口も書いてありす。私は一人の人間にこの三つの側面を見たときに、すっかり自信を喪失しました。人間というものはとてもわからない、いくらわかろうとしてもも、まだわからない面がある。それほど、人間の心というのは広く、大きく、多くの側面をもっているんだと思い知らされました。」
この人物は悪人として有名になってしまったが、犯行時24歳の慶大卒の、この人物像を考えるに、相当な秀才で純粋な人物であったことが伺えることから、道徳的に踏み外していなければ、それ相応の名をあげた人物だったのではないか、と思いました。