よくもわるくも、ステイホーム中にひまつぶしでおしゃべりしましたー!みたいな感じ(^^ゞ
過去の“パンデミック”によって“文明”がどう変わったか?ということを語っているのかなーと思って読むと、かなりアテが外れるw
とはいうものの、人というのは、どこの国の人でも自らの国の習慣が正しい!と思ってるみたいなw
そのくせ、コロナ騒動みたいな未曽有のことが起こると、他に責任を押し付ける(それは、自国の政府や他の国だったり)。
ヒドイのになると、うまくいっている(ように見える)他者/他国に奇異な目を向けたり批判したりっていうのは、
どこも、いつの時代も同じなんだなーって可笑しかった。
ヤマザキマリって、実はファンだったりする(ま、漫画も映画も見たことないんだけどさw)。
一方の中野信子はテレビのバラエティ番組で、番組の内容に沿った「答え」をしゃべる学者って言ったらいいのかな―。
テレビで視聴者ウケすることを科学的に言う役回りの人みたいな、言ってみれば、バラエティ番組御用達学者っていうイメージがあって。
中島みゆきの「時刻表」の歌詞に出てくる、
♪誰が悪いのか言いあてて どうすればいいのか書き立てて
評論家やカウンセラーは米を買う
見えることとできることは別ものだよと米を買う
の典型みたいな人なんだろうなーって。正直言って、ウサンクサイ人だと思っていた(爆)
でも、これを読んでいたら、二人とも印象がちょっと変わった。
中野信子は断言口調で話す時でなく、「こうなんじゃないかなーと思う」みたいに感覚的に言う時の話がユニ―クで。
この人ならではの面白さがある。
思わず「ふーん…」って言っちゃうような、特有のひらめきやきらめきあるような気がするのだ。
脳科学者というと、当然理系だから。その行動は脳からなんだらが分泌されて、それによって、ど―ちゃらこ―ちゃらみたいな、
その事に科学的な理屈で「答え」を提示してくれる…、
ていうか―、ぶっちゃけ、起こった事に科学的な理屈をあてはめちゃう、みたいな?(^^ゞ
確かに、聞いていて、一応は「なるほどな―」とは思うんだけど。
その反面、「それは科学でそうだからそうなんです(科学ではそれが正解なんだから、それで納得してね」と言われただけ、みたいな気もしちゃうって言ったらいいのかな―w
そういうイメージだったんだけど、これを読んでいたら、実はこの人って、好奇心にまかせて無意識にいろんなことを見たり感じたりしていて。
それ故、すごく勘がいい人だったりするのかな―なんて気がした。
なんてこと言うと、科学というのは実験の結果の積み重ねであって…みたいに言う人も多いんだろうけどさw
でも、自分は算数もわからない文系で、なおかつモノグサだから、勘がよくなきゃ仮説がたてられないじゃん!って安直な方に逃げちゃう人なのだ(^^ゞ
だから、中野信子はこの話の中で「それって、トンデモだろ!」とツッコまれかねないこととオカルトチックな話題を出すんだけど、そこがいいんだよ!w
世間から気鋭の脳科学者みたいに思われてる人が、そんなことにも目を向けていて、そして面白がっていろいろ考えてるんだな―ってわかって。
理系の世界なんて、よくわからないけど。でも、日本の学者はノーベル賞は取っても、世の中を一変させるような技術を開発できないのは、そういう何でも面白がる気持ちが足りないからなんじゃない理由があるんじゃない?な~んてw
もっとも、ノーベル賞を取るような方だと、さすがに何でも面白がるタイプみたいだけどさ。
いや、批判じゃなくってね。
学者の世界だって、やっぱり働き方改革が必要なんじゃない?って思うんだよね(^^)/
そんなわけで、中野信子はちょっとイメージよくなったんだけど、ヤマザキマリは逆にちょっと下がった(^^ゞ
ヤマザキマリって、意外と思い込みが強すぎちゃうタイプなんだな―っていうか、自分の経験や知識に固執しすぎっていうかw
意外や意外、考え方に柔軟さが感じられない。
だから、「100分de名著」のスペシャルに出てくる時の話のようなユニークさがない。
だから、「それは、そうだからそうなの」と言われているだけみたいな気がしちゃう。
一昨年の春くらいだったかな?
Eテレで、ヤマザキマリが感染症の専門家(だったか?)とあと一人でオンラインで対談した番組があったんだけど、その中で、電車の中で見た女子高生(だったか?)のエピソードが今でもすごく印象に残っている。
コロナが騒がれ始めた頃というから、2020年の2月の初めくらいか?
ヤマザキマリが(東京で)電車に乗っていたら、前に高校生くらいの女の子が立っていた。
電車の中で立っているわけで、当然、その女の子は手すりを掴んだり、つり革を掴んだりしていた。
ある時、ヤマザキマリの隣が空いて、その子が隣に座った。
座るなり、カバンからパンを出してそのまま手づかみで食べ始めた…、のを見て、ヤマザキマリは「この子は世の中でこれほど騒がれている事態(新型コロナ)を知らなんだろうか?」と呆れてしまったと(^^;
ただ、食べ物経由での感染というのはないとされていたわけだ(最近は知らないけど、WHOはそれは「ない」としている。ただし中国では「あった」という報告があるらしい)。
そう考えると、電車の手すりやつり革を触った手でパンを食べ始めたその子を批判的に見たヤマザキマリの視点というのは、やもすれば自身の知見によるやや過剰な反応になっていた…、とは言えないだろうか?w
さらに言えば、その子は女子高生くらいだったというのだから、感染しても発症しにくいだろうし。
また、発症しても重症化しにくいわけだ(ただし、後に後遺症が残りやすいらしいされるわけだが)。
まー、確かに、ヤマザキマリが「この子は今の事態を知らなんだろうか?」と呆れたように、たぶん、その人は新型コロナを耳にしたことくらいはあったかもしれないけど、でも、それは他人事だと思っていたんだろう。
だって、ニュースのインタビュー見てもわかるように、そんな人はいくらでもいた/いるわけだ。
ただ。もしかしたら、その子は自らの生体としての判断(勘みたいなもの?)がつり革や手すりを触った手でパンを食べても問題はないと判断したから、その子はパンを食べたんだという考え方もあるんじゃないかと思うのだ。
その時点で、その人よりヤマザキマリの方が新型コロナについての知識を持っていたのは確かだろう。
でも、その知識というのは、専門家ですら手探りで言っていた知見のまた聞きでしかなかったのも確かだ。
電車の中でパンを食べても大丈夫なのか? ヤバいのか?
それこそ、ワクチンを打つ/打たないじゃないけど、たぶんこれからもそういう曖昧な状況で判断をしなきゃならないことはいっぱいあるんだろう。
「科学という正解」は必ずあるとは限らないわけだ。
というか、「科学的正解」はない方が多いわけだ。
科学を否定する気は100%ない。
でも、だからって、生物である人が生物に備わっている「勘」を軽視するのは間違いだと自分は思う。
それは、気象庁のナウキャストの予測より、近所のおばさんが洗濯物を干しているか否かの方が意外に確実だったりするのを見ても言えると思うし(爆)
なにより、一昨年のあの時点でコロナ患者を診た医師や看護師は未知のウイルスに対して、「勘」で行動するしかなかったはずだ。
新形コロナでは、既存薬を新型コロナに対抗する薬として使われたが、それだって医師たちの「これが効くかもしれない」という必死の「勘」だったはずだ。
もちろん、医師や看護師には長年の経験と知見があったのは確かだ。
でも、知見はともかく、自らがそれまで生きてきた経験は誰でも持っているのだ。
2020年の春の時点で、新型コロナについて確実にわかっていることはあまりなかったはずだ。
専門家の今までの知見から得られる、「それは言えるだろう」、「恐らくそうだろう」、「たぶんそうじゃないだろうか?」みたいなことが常識になっていたように思う。
番組で電車の中で平気でパンを食べていたという話を聞いた時、実は自分は「それは大丈夫なんじゃない?」と思った。
というのは、以前(コロナ前)TVで内科医の方が、「インフルエンザの流行時は診察の合間にお茶を頻繁に飲むようにしている。飲むことで口やのどについたウイルスが胃に流れ、胃酸で死滅するからだ」と言っていたのを思い出したからだ。
ま、後に新型コロナウイルスはウ●コからも見つかるとわかるわけで、もしかしたら胃酸では死滅しないのかな?とも思うのだがw
ま、いずれにしても。未知のウイルスによるパンデミックみたいな事態に直面したら、今までの自分の“当たり前”も疑ってみることも必要なんだろう。
そういう意味でも、この二人が話すことで出てきた、“頻繁に入る風呂(湯に浸かる)習慣があることで日本は感染を抑制出来たのかもしれない”というヤマザキマリの仮説は面白かった。
風呂に入ることで感染を抑制できるなんて言うと、そんな「ためしてガッテン」みたいなことあるかよってバカにする人も多いと思うけど(爆)
でも、新型コロナウイルスというのは未知といっていいウイルスだから、それこそ押谷さんや尾身さんみたいな専門家だってわからないことが多いわけだ。
風呂に入って体を洗えば、外でついたウイルスは流れ落ちるし。湯に浸かれば体が温まるから、免疫機能も上がるだろう。
また、気持ちよくてリラックスすることでも免疫機能に効果があるだろうし。
湿度100%みたいな場所だから、ウイルスもきっと嫌だろう。
そんな風に、外ではみんなマスクをしたり、手洗いや消毒が徹底されていたり、風呂に頻繁に入ったりみたいな、感染を抑える小さな取り組みの積み重ねが、他の感染者が多かった国と比べれば抑えられたというのはあるのかもしれない。
(ま、今では、日本人だか、東アジアの人には特殊な酵素だか何だかを持っている人の割合が多かったという研究報告もあるみたいだ)
エビデンスだとか、再現性がど―とか、それはもちろん科学では大事なことだ。
でも、その前に仮説がなければ、エビデンスも再現性もないわけで。
そういう意味でも、また、ステイホーム中のたんなる気晴らしとしても、こういうムダなおしゃべりwって、とっても大事なんだろう。