Posted by ブクログ
2022年05月08日
糸井重里さんがかつて書かれた
>しかし、思えば「あら探し」だらけの世の中で、あらを探される側になっているということは、ものすごいことだよ、と言えるよ。がんばれ、「あら探されてる」やつら。
ということばが、こころのすみっこで「お守り」になってくれてます。
本書を手にとったのは、それに似た救いを求めて...続きを読むいたのかもしれません。
同調圧力が強いコロナ禍、出る杭は打たれる日本社会、
なかなか生きるのがしんどく感じることがあります。
「ヒトは放っておけば生贄を探してしまう生き物なのです。」ということがわかったのが、収穫でした。
最近の論壇でよく見るお2人の対談も含めた、世相分析です。
【本文より】
・クラマーは、自身のごく個人的な怨恨と、正義とをすり替えたのです。
・人間は、自信が正義を行っていると信じているときには、どこまでも残虐になれるものです。
・協調性という名の蟻地獄
・相手の妬みを憧れに変え、自分を生贄にするよりも、生かして仲良くしたほうが得だと思わせられるようになるまで、自分を磨きぬかねばなりません。
・確信という名の甲冑でナイーブで弱い自分の身を包んでいたわけですね。
・歪んでいるのに自分を正義だと信じて、その正義のために周りの人たちを苦しめて。
・諌められている側のネロは、嫌われているとか、失敗をしているといった自覚はなく、避難があってもそれは周りが正しく理解してくれないだけだと思っています。
・ヒトの社会は技術的進歩をいくら遂げても、メンタリティの面では遂行がなされていないというしかないでしょう。
・私たちはまるで「優れていないといけない病」に蝕まれているようです。