井沢元彦のレビュー一覧
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逆説の日本史シリーズの江戸時代編。
綱吉以降の6代目家宣から、10代目家治までをまとめている。
とにかく正しい歴史を理解するうえで重要なのは、「史書というのは勝者=時の権力者が書いてきたもの」という視点だ。
書いた人自身にとって、都合の悪いことは書かれない、または都合の良いように書き換えられている、という「推測」を歴史解釈に取り入れるべき、という井沢さんの観点に大いに共感する。
今作では、徳川吉宗およびその孫松平定信がいかに愚かな政治家であり、教科書に載る様な「名君」とは程遠いのか、そもそも性格自体も粘着質で尊敬に足らない人物だったか、はっきりと分かって非常に面白い。 -
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歴史は、時代時代を切り取ってマニアックに閉じこもって覚えるのではなく、マクロから視ることが大事。この逆説シリーズは、そもそも当たり前で冷静な視点で物事を考えるべしと気付かせてくれる、よいキッカケになる。
忠臣蔵と赤穂事件の違いから、日本史全体を一気通貫している怨霊信仰・日本教が浮かび上がる。のちの倒幕や二・二六事件の思想に繋がっていくなんて。こんなこと学校じゃ絶対教えてくれない。
「自分の歴史的位置」言い換えれば「使命」が認識できていたかどうか。綱吉後の新井白石に対する著者の考察は鋭い。
ドラマ的には地味な江戸時代中期、一層興味がわいてきた。 -
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ネタバレ伊沢元彦さんが、名古屋生まれであることを、この本を読んで初めて知りました。
標題とはうってかわって、「歴史」の嘘と真実を書いているのではなく、
副題にあるように、誤解だらけの「正義」と「常識」について書かれた本だと思いました。
歴史はあくまで、その一部に過ぎません。
歴史の多くが、戦いに勝った側の歴史なので、負けた側の歴史は消え去ることがあります。
歴史は常に半分の真実しか残っていないことを知っているはずです。
愛知について、空港だけは早期に整備した方がいいと書いているのは蛇足だったかもしれません。
名古屋空港で不足していたのは道路の拡幅と鉄道の整備でした。
それを行わな -
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「穢れ」と「汚れ」は違います。どちらも「ケガレ」と読みますが、「汚れ」は消毒すれば落ちるのに対し「穢れ」は消毒しても落ちません。例えば、あなたの嫌いな人があなたの空の茶碗に痰を吐いたとします。それを洗い、消毒して、科学的にも何の雑菌もない状態にしても、あなたはそれをまた使うことはできますか? おそらく出来ないでしょう。それは「穢れ」が落ちないからです。
では「穢れ」を落とすにはどうすればいいのか。それは「水」で流すと落ちます。水道水ということではありません。川の水とか海の水とか、どちらかというと水道水より雑菌のある水のことです。神社で参拝前に手水で手を洗うのは「穢れ」を落とすためです。
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『言霊』とは文字通り、言葉をコミュニケーションツールとしての単なる記号と捉えずに、その中に霊性をみとめる考え方のことです。
例えば受験生に対して「落ちる」とか「すべる」という言葉を発してはいけない、という習慣も、知らず知らずのうちに「言霊」を意識しているからです。
どちらかというと悪い使い方をされることのほうが多いです。日本の怪談などで「末代まで呪ってやる〜」と言って死んだ人間が怖いのは、言霊のせいです。(因果応報の仏教思想も関係しているかもしれませんが…)死んだ人間に何が出来るんだ、という合理的な考え方の人には、何も怖くありません。
この言霊思想がいかに言論の世界で大きな障壁を生んでい -
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卑弥呼失脚と日蝕の謎、出雲大社の参拝方法に込められた国譲り神話の謎、聖徳太子の『和』という文字に込められた謎、など教科書では習わなかった歴史の深いところまで踏み込んで解説してくれます。とても面白いです。
井沢古代史を読むときに大事なキーワードとなるのが『怨霊』です。怨霊史観といってもいいかもしれません。強引なところも無きにしも非ずですが、確かにそれを通して明らかになってくるものがあります。陳腐な表現ですが「目から鱗が落ち」ます。
詳しい説明は興を削ぐと思うのでこれ以上書きませんが、強烈にオススメします。
シリーズは長く、自分は7巻くらいまでで止めてしまいましたが、この1巻と、聖徳 -
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