野矢茂樹のレビュー一覧
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(p.149)
『6.54: 私を理解する人は、私の命題を通り抜けーその上に立ちーそれを乗り越え、最後にそれがナンセンスであると気づく。そのようにして私の諸命題は解明を行う。(いわば、梯子をのぼりきった者は梯子を投げ棄てねばならない。)
私の諸命題を葬り去ること。そのとき世界を正しく見るだろう。』
語りえるものを塗りつぶしていくことで語りえないものが浮かび上がってくる。つまり語りえないものは示される。主体、意志、価値(倫理・美)、死は世界の外にある「語りえないもの」である。世界が存在するということも同様に超越論的である。それらは神秘として示されるという意味において、存在はするが語られえない。だからこそ沈黙のうちに引き受けなければいけない。
存在する・語られる・示される等の独特な言葉遣いと初めて格闘した20歳のころは最後まで読み通せず挫折したが、8年経てば少しは読めるようになるらしく、全ては理解できていないものの比較的サクサク読めた。入門書を読みつつ理解を深め、後期ウィトゲンシュタインとも格闘したい。
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Posted by ブクログ
「考えること」を分解して、そして再結合してその仕組みを考えてみよう、というテーマで、ユーモラスにやさしく導いてくれる本でした。
その内容のように重くならないように、文字の色から余白まで、ふわっとした雰囲気になるようにデザインされています。
いちおう哲学がテーマの本、ということでいいと思いますが、半分は画集でもあります。文章の内容とほとんど関係のないイラストが、ときに見開き1ページを使ってたっぷり挿入されていて、その1枚1枚に日付が書かれています。
考えることをかみ砕きながら、絵を味わうという唯一無二の体験ができる1冊です。
こういう作品は、(まだ)紙の紙の本じゃないと楽しめないですね。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ厳密には「記号論理学」というらしく、論ずるためには本来たくさんの記号が必要とされるらしい。しかし本書は、記号をほとんど使わず(カッコと矢印ぐらいしか使わない)、縦書きの柔らかい文章で書かれている。
本文中にも書かれている通り、論理学が纏っているガチャガチャとした鎧を剥ぎ取って、その内側にあるぷにぷにと柔らかい部分に触れようとしている、まさにそんな本である。
一つの「公理系」を体系化し理論化していく過程を一緒にたどっていく感じで、頭がスッキリした感じがする。ただ、それほど易しくはなく、じっくりと読み進んでいく必要はある。
次のステップには「記号論理学入門」などになるそうだが、ただ、正直言ってこれ以上深入りする気にはならなかった。この分野を極めると何ができるようになるのかちょっと想像できない。 -
Posted by ブクログ
野矢茂樹著『語りえぬものを語る』のレビューです。
猫は後悔するか、という興味を引く見出しから始まり、科学は世界を語り尽くせない、という壮大な見出しで終わります。
この最後の見出しについては、奇しくも、個人的に私がこの数年考えていたことでした。
ウィトゲンシュタインの哲学をベースに、日常的な実感を大切にしながら、相対主義の擁護、異なる論理空間の存在、懐疑論や決定論への反論などの論理を組み立てていく様子を眺めることができます。
何を学んだかと言われると、難しくて表現できないのですが、知的好奇心が刺激される読書体験でした。
全く未知の言語を翻訳することを考えると、「美しい」と感じるものに対する相対主義が成り立つことが言える、という部分は印象的でした。
また、自然科学は「法則を維持するように現実を解釈する」という探求の指針を与えるのであって、法則は現実世界を語り出しているものではない、と述べられています。これもしっくりきます。自然科学の手続きに則っても、常に実験や測定には誤差が生じます。必ずズレるにも関わらず、これを「誤差」と呼んでいること自体、法則が成立する理念的な世界を前提としていることの証左でしょう。 -
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平易な語りかけるような文体であるが、「考える」とは何かという根本的な命題を取り扱う骨太な一冊。
論理的思考(ロジカルシンキング)が巷で喧伝されていた時代を思い出す。ビジネスに欠かせない能力で、論理的な判断ができないとヤバいよという煽りに焦らされていたあの頃。
本書によれば、論理はあくまでことばの意味をきちんと捉えることであり、考えるとは論理によって現れる情報を問題に合わせ取捨選択すること。一緒くた理解をしていた私に新たな知識がインストールされる。考える素材が一つ増える。
自分の頭で考える。苦手なフレーズだ。どんだけ1人でうんうん唸ってても光明は差さず自分の至らなさに辟易しては落ち込んでいる。本書が示すあれこれ外部でこねくりまわす、ことばの可能性にダイブする、他人と話し合うという方向性は、ともすると孤独で個人的なイメージの「考える」を外に開かれたワクワクするものへと変換してくれた。 -
Posted by ブクログ
【星:4.5】
哲学者として有名な野矢氏が生徒で、認知言語学者の西村氏が講師という形で、両者のやり取りを通じて、言語学、特に認知言語学とはどんなものなのかということを解き明かしていく内容。
両者の会話形式で進んでいき、会話内容もわかりやすくなっているので、私のような言語学初めてみたいな人にとってのとっかかりとしては良いと思う。
テーマとして挙げられている具体的内容も興味深いもので良かった。
ただ、上記のようにフリーな会話形式で進んでいく形なので、「で、言語学とか認知言語学って結局何なの?」と聞かれると、「言語学は言語を研究する学問全般のことで、そのうち人間の認知という側面から研究するのが認知言語学」というフワッとした内容しか頭に残っていないのも事実。
でも、言語学を大掴みできて、興味を持つことができたので個人的には「◎」。 -
Posted by ブクログ
「考えさせない時代に抗して」というタイトルに惹かれた。
自分に考える能力が乏しいということには薄々気づいていたが、避けて生きてきた。30も半ばを超え、目を背けられなくなってきた。遅い、遅すぎる。こうも怠惰な人生を送ってきたが故に、今更「考えろ」と言われても到底無理な話である。
まずは知覚する。まずは第一歩を踏み出す。
そんな一歩目として手に取ってみた本書である。
なぜ本書に至ったかというと、「考えることは哲学である」と初めて知ったからである。いうなれば”哲学”なんてものに近寄ろうとしたことなんてなかったので、「哲学とは何か」なんてことをそもそも考えたことがなかった。
哲学=考えること、を知らなかったというより、考えたこともなく結びつけようとしたこともなかった、ということが正しいかもしれない。
<まずはやってみること>
・呼吸の意識。「吐いて吸って」を一分間に3回以下。
・他人軸(誰かに褒められるため)に行動しない。
・何も持たずに散歩に出てみる
・「わからない」ことをどうにかこねくり回して「わかった」に変えていく力を培うために何から始められるか考える
<ハイライト>
・「本来無一物」禅が求めているのは、足し算ではなく、引き算なのだ。
・生きるのに理由を求めること自体が、すでに病んでいる。
・坐禅によって「これでいいんだという」安定感が訪れる。これはけっして、現状に満足してよりよくしていこうという気持ちを失った状態ではない。言うまでもなく、自分にはいいところもあればだめなところもある。だけど、できれば直していきたいそうした欠点も含めて、それをまずはそのまま受け入れる。つまり、本来無一物(これがさっきの答え)。丸裸の自分にこそ生きる力が備わっている。
・何かを為すときには、そのこと自体がもたらす達成感こそが、その行動の原動力になるのである。この、自分自身の内側から生み出される駆動力を、「ほめられるためにがんばる」という行動原理は奪ってしまう。ほめられたいと思う気持ちは、自分よりも優位の者を求めることにつながる。
・考えることは雨乞いのようなものである。こうすれば必ず答えが降りてくるなんてマニュアルなど、ありはしない。答えが閃くのをひたすら待つ。
・読書は答えを求めるためにするのではなく、自分で考えていくための材料や刺激を求めるべきである。