野矢茂樹のレビュー一覧

  • 論理哲学論考

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    これまで読んだ中で最も美しい哲学書。カントは時間や空間をア・プリオリであるとしたが、著者は記述ので形式を与えるものとして捉えようとした。要素命題のすべての可能性が真になる真理条件をトートロジー、すべての可能性が偽になるものを矛盾と呼ぶ。真理操作とは要素命題から真理関数を作る方法である。命題の本質を提示することは、あらゆる記述の本質を提示することであり、世界の本質を提示することである。しかし要素命題は名の合成であり、ア・プリオリに挙げることは出来ない。論理によって決定される問いは論理のみにより決定される。論理を理解するために私達が必要とする「経験」は「何かがある」というものである。私達の日常言語のすべての命題は、実際、そのあるがままで、論理的に完全に秩序づけられている。私の言語の限界が私の世界の限界を意味する。思考し表象する主体は存在せず、世界に属さない。それは世界の限界である。ア・プリオリな法則は存在せず、一つの論理形式の可能性をア・プリオリに知るのである。永遠を時間的な永続としてではなく無時間性と解する時、現在に生きる者は永遠に生きるのである。答えが成り立つのは、ただ、何ごとかが語られうるところでしかない。生の問題の解決を、ひとは問題の消滅によって気付く。かくして「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」。

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    2025年05月23日
  • 哲学な日々 考えさせない時代に抗して

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    いつもあたたか朗らか野矢茂樹。前半のプチエッセイ集はもちろん、後半の中島義道『人生に生きる価値はない』への解説が好きだった。
    「世界とはたえず新鮮な水が湧き出ている泉なのだと考えたい。」素敵な言葉〜〜〜〜。野谷茂樹サポートがあれば論哲だって読めるのかもしれない。

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    2025年04月29日
  • 哲学な日々 考えさせない時代に抗して

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    ぼくが読書好きになるきっかけとなった本。なんと言っても文体が柔らかい。あまりにもやわらかすぎる。その上、内容は重厚ではあるのだが、それを微塵も感じさせない。手頃なサイズに切り分けてあるからだ。それこそが問の本日であり、哲学の手ざわりなのだろう。何度読み返したか分からない。

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    2025年02月24日
  • まったくゼロからの論理学

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    論理学なる領域の学問があることを知らなかったが、昔、命題の対偶などはどこかで教わった気がする。こういった類の話をもっと突き詰めたものだが、かなり奥深い学問であることはわかった。最初の読む本としてはよいと思う。

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    2025年02月09日
  • 言語哲学がはじまる

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    かなりわかりやすく、言語哲学の概要をさらっと噛み砕いて、なぞってくれる本だった。ラッセル、ヴィトゲンシュタイン、フレーゲの言語哲学がおおよそどんなものか、なんとなくわかった。

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    2025年02月04日
  • 言語哲学がはじまる

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    今年読んだ中で一番面白い本かもしれない。そんなこと考えて何か良いことあるの?てな感じの重箱の隅をつつきまくる議論なのだが、素人目線に立った解りやすい解説でどんどんページが進む。ジョンロックの一般観念論の行き詰まり、フレーゲの文脈原理と合成原理によるその打開、指示と意義による言葉の定義、ラッセルによる意義の否定と確定記述の概念導入。ここまでくると何が正解なのかわからなくなる。そして極めつけはウィトゲンシュタインの『論考』。なぜそうなのか?に答えることを放棄し、実世界のありようをそのまま認めるというコペルニクス的転回で、それまでのモヤモヤがすっきり腹落ちするというオチ。『論考』の議論から何故外国語の理解が難しいのかわかった気がする。要はそれぞれの単語の論理形式、つまりその語がどんな文に結合しうるかの可能性を理解していないから、文の分節化ができないという訳だ。哲学も役に立つではないか!

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    2024年11月23日
  • はじめて考えるときのように 「わかる」ための哲学的道案内

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    ネタバレ

    問いを頭の片隅においてその眼差しで見ることが「考える」こと。
    「考える」や「わかる」がどういうことなのか、とはずいぶん難しい問いに思えるけれど、この本はそれを優しくあたたかく教えてくれます。
    いろいろなことを抱えていると頭がパンクしそうになったり投げ出したくなったりもするけれど、この本を読むと、考え続けている自分を肯定してあげられるようになると思います。

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    2024年07月27日
  • 言語哲学がはじまる

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    異なる哲学者をひとまとめに調理する辺りがお見事。ウィトゲンシュタインの専門家であるだけに、彼を優位に持ち上げている感は否めないが、フレーゲ、ラッセルについても、丁寧に書いている。また、野矢さんは初心者のように考察する傾向が強いので、なるほど、とか、そういうことだったのか、とか改めて気付かされるところも多かった。飯田隆さんの『言語哲学大全Ⅰ』は既読だったので、新鮮味は少なかったかもしれないが、その差分があっても星5つやっていいと思った。

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    2024年07月06日
  • 言語哲学がはじまる

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    フレーゲ、ラッセル、ウィトゲンシュタインという3人の天才哲学者の考えを、わかりやすい例えを使って記されている。
    とにかく面白い。
    著者と一緒に3人の哲学者の考えを、体感できたような気になる。きっと隅々までわかったわけではないと思う。
    でも哲学が言葉を使ってなされる時に、どうしてもぶつかる様々な事柄を乗り越えていくことを、まるで自分自信でしている錯覚に陥るような気にさせられる。
    最後のウィトゲンシュタインの言葉、
    「言葉はただ生の流れの中でのみ意味をもつ。」
    は、読後の興奮した心に染み入るようだった。

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    2024年05月02日
  • 言語哲学がはじまる

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    いわばウィトゲンシュタインのファンブック。
    著者はフレーゲやラッセルは批判するのにウィトゲンシュタインは批判しない。

    しかし、読者を言語哲学へ誘う役割は十分に果たしていると思う。読んでいてもどかしさが半端ないからだ。巻末には読書案内があるので参考になる。

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    2024年04月28日
  • はじめて考えるときのように 「わかる」ための哲学的道案内

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    考えるために僕らが持っている唯一の翼がことばだ。ひとまとまりの状況を様々なパーツに切り分けて、そのパーツを関係づける。そして新たな関係性を模索する。それを僕らは言葉で作業する。だから、色々な言葉を持ってる人は色んな可能性を試せる。新しい言葉を手に入れたなら、それで新しい可能性が開ける。

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    2024年04月14日
  • 言語哲学がはじまる

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    著者は言語哲学の入門として書いておらず、面白かった話を他者にもしたくて書いた、としています。そういう意味で成功していると思う。
    私はウィトゲンシュタインの論考と探求の違いに興味があったのでとても良かった。あと、全体論的言語観に興味を持った。言語習得論とのからみも面白そう。

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    2024年03月17日
  • 語りえぬものを語る

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    可能性世界論、ウィトゲンシュタイン、不完全性定理、メタ数学、などをやる人はとても楽しめるのではないだろうか。

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    2024年02月12日
  • はじめて考えるときのように 「わかる」ための哲学的道案内

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    これはきっと、通読することに大きな価値はないと思った。読むという一時の体験で終わる話ではないからだ。そうじゃなくて、持っておいて、時折開いて、見て、長く付き合っていくと、この本がボロボロになるのと比例して価値も大きくなっていくのだと思う。
    問題を抱えて、揺さぶって、空っぽにする。そしてまた問題を抱えて…繰り返して途切れない。つまり、考えるということを通して、生きるということを問うみたいな、そんな身近にある壮大な話だ。
    そして、沢山詰め込まれている絵には意味は無いけど大きな意味があるんだ。
    言っている意味分からないけど、また、引き続きこの本と付き合っていきたい。
    また、これは学生がまさに考えることに向かう時に読んでもいいが、たくさん考えてきた大人が読むことにも価値があるだろう。まさにはじめて考えるときの「ように」ね。
    なんか、そんな意図はあるのかしらないけど、なんだか励まされるような、そんな不思議な力がこの本にはあるなって思う。

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    2024年01月19日
  • 無限論の教室

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    高校数学の微分積分で初めて出会う無限に対し、主に哲学的なアプローチで考えていく作品。
    全体が学生と先生の対話という体で構成されているので、サクサクと読み進めることができます。

    自分はこの作品を読んで無限や論理というものにより興味をもち、より専門的な本を読んでみようと思えるモチベーションになりました。

    読むのに必要な数学レベル:
    小中学生レベルの数学用語, 高校数学の集合の基本

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    2023年11月24日
  • 論理哲学論考

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    語ることができない事柄の前では、沈黙しなければいけない。

    古代の人々は神と運命を前にして歩みを止めたように。

    明日太陽が上るというのは仮説でしかない…私たちはそれを知っているわけではない。

    地頭がちがうとここまでわけがわからないのか…
    私は勝手に私が閉鎖病棟にいた時に書いてた日記を思い出しましたよ、小難しいことを考えてしまう性格なのですよ、この人も!

    自然法則を説明できるなんて勘違いしないことだ、我々が持っているのはただの仮説でしかない?という?

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    2023年07月14日
  • 哲学な日々 考えさせない時代に抗して

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    接続詞の大事さ、不要さ、の話。俳句には接続詞ないでしょ!との投げかけ。ホントそうだ、場所を踏まえて活用していかねば。

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    2023年04月30日
  • 哲学な日々 考えさせない時代に抗して

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    野矢茂樹の文章が好きなので読んだ。理路整然としていて読みやすく、語りかける相手を意識した表現のやわらかさがある。
    前半は西日本新聞掲載の短いエッセイ。後半はそれより少し長いエッセイを集めたものである。
    「論理的に書くこと」という文章では論理的に書くためには相手を意識する。つまり、その話をしたい相手がいて、その相手からの問いかけに答えるように書いていくことが大切だと言っている。これは野矢茂樹の文章を読んでいればうなづけることだろう。
    また、哲学の師である大森荘蔵の授業についての話はとても刺激的だ。

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    2023年01月27日
  • 言語学の教室 哲学者と学ぶ認知言語学

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    全6回構成でその主題は次の通りです。
    第1回:チョムスキー以後の言語学史
    第2回:認知言語学の意味論
    第3回:プロトタイプ意味論
    第4回:使役構文
    第5回:メトニミー
    第6回:メタファー

    第3~6回は、言語学に興味があれば、そこだけ読んでも面白いです。
    反対に第1、2回は、事前知識なしだとよく分からない話をしています。
    そして、哲学寄りの話をしている第2、3回こそ、哲学と言語学の先生の対談にした意義が表れているのかなと思います。

    全編にわたって大変面白い本です。
    普通に読んでいたら素通りしてしまいそうなところでも、聞き手の野矢先生がバシバシ突っ込みを入れてくるのですが、そういう頭のいい人の考え方が覗けるのも興味深い。
    ただ、体系的な理解ができる形式ではないので、本書を手に取るのは、言語学と言語哲学の入門書を読んだ後がいいのでしょうね。

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    2023年01月03日
  • 論理哲学論考

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     ピエール・アド「ウィトゲンシュタインと言語の限界」後に再読。学生時代に1度、社会人のまだ若い頃に1度読んでいるが、今回改めて自分の読みの浅薄さを思い知らされた。丁寧に読むとかなりの時間を要する著作なのに、あまり読むのに苦労した記憶がないのだ。野谷茂樹氏の訳者あとがきに「『論考』という著作は妖しい光を放っている。読む者を射抜き、立ち止まらせ、うっとりさせる力を擁している。それはおそらくすばらしいことなのではあるが、危険でもある。うっとりしながら哲学することはできない。」とあるが、若い頃の僕はまさに『論考』の詩的かつキャッチーなセンテンスにうっとりし、それだけで何事か重要なものを把握したような錯覚に陥っていたのだ。それはもちろん僕だけではなかろう、本書からあの「語り得ぬものについては沈黙せねばならない」という命題のみを形式的に取り出し、「未だわかっていないものについては結論を出してはならない」などという陳腐で卑俗な読み替えを適用し、それをもって本書の主題だとする例に数多出くわすのだから。
     
     以前読んだ時は、クライマックスの命題6.4あたりからそれまでの理知的な論調から離れて、「倫理」「美」「神秘」「永遠」などの形而上学的な色彩の言葉が並ぶのに面食らい、なぜウィトゲンシュタインがそのような論理的なものから遊離した(と当時の僕には思えた)概念をこの段に及んで持ち出すのか、と訝しんだ記憶がある。だが上記「…と言語の限界」を経由した今ではそうは思わない。世界を「完結した総体」として「永遠の相のもとに」捉えると、そこには確かに論理では語り得ぬものが浮かんでくる。「倫理」や「美」「神秘」は、「物自体」のように全くリーチ不可能な形而上学的概念ではなく、言語の形式では表現できないが確かに我々に示されるものであり、だからこそ畏敬の念を伴って表されるものなのだ。

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    2023年02月23日