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自分のこと、社会のこと、国のこと、世界のこと……、考えなくてはいけないのに、考えようとすると、どう考えたらいいかわからなくなって、前に進めない。考えあぐねてしまう。――こんな時代だからこそ、哲学者は、しかつめらしい言葉を使わずにこの本を書きました。人生で一番大切なものは何か、どうして自殺をしてはいけないのか、など、むずかしいけど、私たちが気になって仕方ない問題からも逃げずに、向き合います。
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Posted by ブクログ
・本来無一物 ・実体のないものほど、雰囲気を保つために形を規制する。 ・相手に繋がせる、日本の言語文化の特徴。 ・論理的でない人は仲間内の言葉しか話せない。仲間内の言葉しか話せないと「よそ者」を単純に切り捨てて排除することになる。 ・仲間は目的を共有している。 ・掛け声化した言葉は思考を停...続きを読む止させる。
いつもあたたか朗らか野矢茂樹。前半のプチエッセイ集はもちろん、後半の中島義道『人生に生きる価値はない』への解説が好きだった。 「世界とはたえず新鮮な水が湧き出ている泉なのだと考えたい。」素敵な言葉〜〜〜〜。野谷茂樹サポートがあれば論哲だって読めるのかもしれない。
ぼくが読書好きになるきっかけとなった本。なんと言っても文体が柔らかい。あまりにもやわらかすぎる。その上、内容は重厚ではあるのだが、それを微塵も感じさせない。手頃なサイズに切り分けてあるからだ。それこそが問の本日であり、哲学の手ざわりなのだろう。何度読み返したか分からない。
接続詞の大事さ、不要さ、の話。俳句には接続詞ないでしょ!との投げかけ。ホントそうだ、場所を踏まえて活用していかねば。
野矢茂樹の文章が好きなので読んだ。理路整然としていて読みやすく、語りかける相手を意識した表現のやわらかさがある。 前半は西日本新聞掲載の短いエッセイ。後半はそれより少し長いエッセイを集めたものである。 「論理的に書くこと」という文章では論理的に書くためには相手を意識する。つまり、その話をしたい相手が...続きを読むいて、その相手からの問いかけに答えるように書いていくことが大切だと言っている。これは野矢茂樹の文章を読んでいればうなづけることだろう。 また、哲学の師である大森荘蔵の授業についての話はとても刺激的だ。
特に以下の一文が刺さった。 共に喜べる人になりたい。 === ほめるものはほめられるものよりも優位に立つ。だからほめられたいと思う気持ちは、自分より優位のものを求めることにつながる。 子供は大人たちを出し抜き、追い越していかなければならないのに、ほめられようとして上目づかいになり、ほめてくれる...続きを読む人に自ら進んで隷属しようとする。 ほめて育てようとする人たちは、おそらく無自覚のうちに、そうして子供を支配しようとしている。 では、どうすればいいのか。ほめるのではなく、共に喜ぶこと。何かがうまくできたなら、一緒に喜んで、子供が感じている喜びを増幅する。そうして、その子が自分の内側から感じる喜びを引き出してあげるのだ。
なんだかあまりにもやさしい文章なので、手加減されてるなって悔しい気持ちになる。で、わたしだってもっとムズカシイことを考えられるよって、さびついてた脳みそが動きはじめる。 ほら、野矢さんの思うつぼだ。
所在:展示架 請求記号:104/N97 資料ID:11501501 選書担当:ハー 思考している時は行動が停止しており、行動している時は思考が停止している。だが、どちらの時間も重要である。
野矢先生相変わらず素晴らしい。哲学界隈としてこういうスタイルがどうかというのは知らんけど、文章読むの好き。
「考えさせない時代に抗して」というタイトルに惹かれた。 自分に考える能力が乏しいということには薄々気づいていたが、避けて生きてきた。30も半ばを超え、目を背けられなくなってきた。遅い、遅すぎる。こうも怠惰な人生を送ってきたが故に、今更「考えろ」と言われても到底無理な話である。 まずは知覚する。まずは...続きを読む第一歩を踏み出す。 そんな一歩目として手に取ってみた本書である。 なぜ本書に至ったかというと、「考えることは哲学である」と初めて知ったからである。いうなれば”哲学”なんてものに近寄ろうとしたことなんてなかったので、「哲学とは何か」なんてことをそもそも考えたことがなかった。 哲学=考えること、を知らなかったというより、考えたこともなく結びつけようとしたこともなかった、ということが正しいかもしれない。 <まずはやってみること> ・呼吸の意識。「吐いて吸って」を一分間に3回以下。 ・他人軸(誰かに褒められるため)に行動しない。 ・何も持たずに散歩に出てみる ・「わからない」ことをどうにかこねくり回して「わかった」に変えていく力を培うために何から始められるか考える <ハイライト> ・「本来無一物」禅が求めているのは、足し算ではなく、引き算なのだ。 ・生きるのに理由を求めること自体が、すでに病んでいる。 ・坐禅によって「これでいいんだという」安定感が訪れる。これはけっして、現状に満足してよりよくしていこうという気持ちを失った状態ではない。言うまでもなく、自分にはいいところもあればだめなところもある。だけど、できれば直していきたいそうした欠点も含めて、それをまずはそのまま受け入れる。つまり、本来無一物(これがさっきの答え)。丸裸の自分にこそ生きる力が備わっている。 ・何かを為すときには、そのこと自体がもたらす達成感こそが、その行動の原動力になるのである。この、自分自身の内側から生み出される駆動力を、「ほめられるためにがんばる」という行動原理は奪ってしまう。ほめられたいと思う気持ちは、自分よりも優位の者を求めることにつながる。 ・考えることは雨乞いのようなものである。こうすれば必ず答えが降りてくるなんてマニュアルなど、ありはしない。答えが閃くのをひたすら待つ。 ・読書は答えを求めるためにするのではなく、自分で考えていくための材料や刺激を求めるべきである。
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哲学な日々 考えさせない時代に抗して
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