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私が見たり聞いたりしているこれは、本当に世界そのものなのだろうか。かつては誰も見通すことができなかった、知覚し感覚するという経験を解き明かす、思考のドキュメント。著者は、こうして、ついに世界と心ある他者に出会えた!
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Posted by ブクログ
約20年前「無限論の教室」に出会って以来、著者の平易な語り口の虜になってしまい、以降全てではないものの同氏の著述を可能な限り追いかけてきた僕。そこではテーマは違えどいつも「世界とこの私」を巡る疑問が通底していた。本書は著者のライフワークといってもいいこの「他我問題」を、極めて平易な言葉で、しかし周到...続きを読むな注意を払いながら扱った労作。ついに著者の中で一つの区切りがつけられた感がある。 読み始めると、著者がなぜ、我々が世界を直接経験しているとする「素朴実在論」に拘泥するのか不思議に感じらるかもしれない。しかし安易にこれと対立する立場である「二元論」、即ち我々は世界そのものでなくその表象である知覚イメージを受け取っているのだとする立場に立ってしまうと、自分は自分の知覚していることしか知り得ないとする「懐疑論」を導入してしまい、果ては自分以外の主体は意識を持たない「ゾンビ」であるという極端な結論、即ち「独我論」を導いてしまう。これこそが著者が最も受け入れ難いものなのだが、そもそもこれがなぜ著者の言うようにグロテスクなものなのかが共有できないと、懐疑論を必死に叩き潰そうとする本書の試みが理解できないかもしれない。 しかし、少しでも懐疑論に違和感を感じる人ならば、第2部「理論」以降の展開は興味深く読めるだろう。著者はここで「眺望」と「相貌」という、世界からの「提示」を受領するための視座を導入する。グーグルマップのアナロジーで示されている通り、我々が「無視点的」な世界像を参照しつつ個別の視座から世界を眺めているというのは多くの人の実感にそぐうものではないか。そしてその「眺望」は公共的、つまり行為主体がいつでもそこに立ちうるという意味で、他者の知覚は知り得ないとする懐疑論を迂回することができる。面白いのは、唯物論的な立場では切り捨てられて然るべき「錯覚」や「幻覚」でさえも一つの「眺望」の下での世界のあらわれであるとし、一旦引き受けてしまうところ。極めて寛容で豊潤な著者の世界観がここに示されていると思う。その際、副詞的に立ち現れてくるとされる「感覚的眺望」の概念も直感的で諒解しやすい。 最も刺激に満ちた部分は終盤の「脳神話」との想定問答。著者は、感覚的眺望は脳や身体の問題だが、知覚的眺望は直接的な世界のあらわれであり脳とは無関係とする。また、世界のあらわれを脳に生じた知覚イメージとする脳神話論者の立場は、「世界の外側の脳」というシステム外の超越的存在を想定しなければならず、最早システム内では論ずる意味がないとする。実無限を否定する立場の著者としては、無限後退に陥るような想定は容認し難いのだろう。 なお著者の仮想敵は脳科学者でなく、世界の全ては脳内イメージの産物であるとする「脳神話論者」であることに注意(一部のレビュアーに誤解が見られる)。ただ唯物論的世界観にも魅力を感じる自分としては、脳科学者からの反論も期待したいところ。しかし、多種多様な眺望と相貌に幾重にも彩られ、有視点的な拡散と無視点的な収斂の相克に蠢きながら、それでも総体として大いなる秩序を保つ「世界」の姿は、僕にはとても豊かで心地良いものに思える。また、ウィトゲンシュタインの言語ゲームを引き合いに出し、物語が共有されている以上「完全なる他者」など存在しない、とする著者の見解には大いに共感した。
軽く流しただけだが、面白いに欠けるかな。 個人の感想的な、枠の限界もあるのかな。あまり、古今の知見も生かされている気がしないし。
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