野矢茂樹のレビュー一覧
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誰でも一度は、しみじみと何かを考えることはあるだろうし、それの多くをこれから見出すことができると思える。
人と話をしていても、また何かで悩んでいる時、わりと「何かの定義」で割れていることもある。知らないことについては、何も言わない方がいいのではないか、と思うことも多い。
哲学は学説ではなく、行動である。哲学とは、「何かをしみじみと考えること。」に他ならない。
ヴィトゲンシュタイン自体は、この本を書いたあと哲学界から一度身を引く。何もかもやり尽くしたと思ったのだろう。彼は当たり前のことをだらだらと小難しく書き連ねているが、この本が評価されるくらい、哲学界は混迷に満ちていたのだろうか。 -
Posted by ブクログ
当たり前そうなことの根本をこねくり回す感が面白い。存在とは何か、心とは何か、時間とは、意味とは、意志とは、…。対話形式で読みやすい。普段の会話でこんなことしてたら面倒臭い奴だな?暇なのか?になるだろうけど、それがいい。思考実験の過程が面白いし刺激に。どこかで聞いたような話も多いけど。
自由意志と決定論の話は、量子力学とか脳科学とかAIにも触れてほしかったような。偶然(ランダム性)と自由意志は違うは、その辺りも意識してる気もするけど。十分に高度な科学技術は魔法と区別できないのと同様、高度に複雑化した振る舞いは自然現象(決定論)か意志行為(自由意志)か区別できないのでは。単に自由意志が魔法に見えているだけなのかもしれない。今の人類では。昨今のAIの進歩を見ると意識とは?意志とは?の定義が結構揺らいでいる感が。それだけで一冊なので本書のscope外かな。
本書の狙いは謎の提示である。あとがきにあるとおり疑問に思うところもツッコミたくなるところも筆者の想定であり、哲学に興味を持つ入口としては良き。 -
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(p.149)
『6.54: 私を理解する人は、私の命題を通り抜けーその上に立ちーそれを乗り越え、最後にそれがナンセンスであると気づく。そのようにして私の諸命題は解明を行う。(いわば、梯子をのぼりきった者は梯子を投げ棄てねばならない。)
私の諸命題を葬り去ること。そのとき世界を正しく見るだろう。』
語りえるものを塗りつぶしていくことで語りえないものが浮かび上がってくる。つまり語りえないものは示される。主体、意志、価値(倫理・美)、死は世界の外にある「語りえないもの」である。世界が存在するということも同様に超越論的である。それらは神秘として示されるという意味において、存在はするが語られえない。だからこそ沈黙のうちに引き受けなければいけない。
存在する・語られる・示される等の独特な言葉遣いと初めて格闘した20歳のころは最後まで読み通せず挫折したが、8年経てば少しは読めるようになるらしく、全ては理解できていないものの比較的サクサク読めた。入門書を読みつつ理解を深め、後期ウィトゲンシュタインとも格闘したい。
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「考えること」を分解して、そして再結合してその仕組みを考えてみよう、というテーマで、ユーモラスにやさしく導いてくれる本でした。
その内容のように重くならないように、文字の色から余白まで、ふわっとした雰囲気になるようにデザインされています。
いちおう哲学がテーマの本、ということでいいと思いますが、半分は画集でもあります。文章の内容とほとんど関係のないイラストが、ときに見開き1ページを使ってたっぷり挿入されていて、その1枚1枚に日付が書かれています。
考えることをかみ砕きながら、絵を味わうという唯一無二の体験ができる1冊です。
こういう作品は、(まだ)紙の紙の本じゃないと楽しめないですね。 -
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ネタバレ厳密には「記号論理学」というらしく、論ずるためには本来たくさんの記号が必要とされるらしい。しかし本書は、記号をほとんど使わず(カッコと矢印ぐらいしか使わない)、縦書きの柔らかい文章で書かれている。
本文中にも書かれている通り、論理学が纏っているガチャガチャとした鎧を剥ぎ取って、その内側にあるぷにぷにと柔らかい部分に触れようとしている、まさにそんな本である。
一つの「公理系」を体系化し理論化していく過程を一緒にたどっていく感じで、頭がスッキリした感じがする。ただ、それほど易しくはなく、じっくりと読み進んでいく必要はある。
次のステップには「記号論理学入門」などになるそうだが、ただ、正直言ってこれ以上深入りする気にはならなかった。この分野を極めると何ができるようになるのかちょっと想像できない。 -
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野矢茂樹著『語りえぬものを語る』のレビューです。
猫は後悔するか、という興味を引く見出しから始まり、科学は世界を語り尽くせない、という壮大な見出しで終わります。
この最後の見出しについては、奇しくも、個人的に私がこの数年考えていたことでした。
ウィトゲンシュタインの哲学をベースに、日常的な実感を大切にしながら、相対主義の擁護、異なる論理空間の存在、懐疑論や決定論への反論などの論理を組み立てていく様子を眺めることができます。
何を学んだかと言われると、難しくて表現できないのですが、知的好奇心が刺激される読書体験でした。
全く未知の言語を翻訳することを考えると、「美しい」と感じるものに対する相対主義が成り立つことが言える、という部分は印象的でした。
また、自然科学は「法則を維持するように現実を解釈する」という探求の指針を与えるのであって、法則は現実世界を語り出しているものではない、と述べられています。これもしっくりきます。自然科学の手続きに則っても、常に実験や測定には誤差が生じます。必ずズレるにも関わらず、これを「誤差」と呼んでいること自体、法則が成立する理念的な世界を前提としていることの証左でしょう。 -
Posted by ブクログ
平易な語りかけるような文体であるが、「考える」とは何かという根本的な命題を取り扱う骨太な一冊。
論理的思考(ロジカルシンキング)が巷で喧伝されていた時代を思い出す。ビジネスに欠かせない能力で、論理的な判断ができないとヤバいよという煽りに焦らされていたあの頃。
本書によれば、論理はあくまでことばの意味をきちんと捉えることであり、考えるとは論理によって現れる情報を問題に合わせ取捨選択すること。一緒くた理解をしていた私に新たな知識がインストールされる。考える素材が一つ増える。
自分の頭で考える。苦手なフレーズだ。どんだけ1人でうんうん唸ってても光明は差さず自分の至らなさに辟易しては落ち込んでいる。本書が示すあれこれ外部でこねくりまわす、ことばの可能性にダイブする、他人と話し合うという方向性は、ともすると孤独で個人的なイメージの「考える」を外に開かれたワクワクするものへと変換してくれた。