野矢茂樹のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
あれは国語の教科書の折り返しのところだつたか。本書の冒頭部分が掲載されてゐたやうな気がする。
あの時、ものすごく驚き、搖さ振られたことを覚えてゐる。ひとがゐなくなつた後でも、やつぱり夕陽は赤いのか。よく死んだらどうなるのだらうとか、自分と記憶も何もかも一緒のひとがいたとしたらとか、途方もなく考へてゐた気がする。さうした中にあつて、あらゆるひとが全滅した中でも夕陽は赤いのかどうかといふことが、さうした考へと響くところがあつたのだらう。
その時は、ただ漫然と、この自分と呼ばれる何かが存在しない世界といふものが考へられず、すごく変な気持ちになつた。「わからない」そのことがわからなかつた。知りたくても -
Posted by ブクログ
めっちゃ面白く読みました。
やはり何か新しい手ごたえが生まれてくる瞬間に立ち会うというライブ感(もちろん疑似的なものにすぎないわけですけれど)は、面白さを倍増させる気がしますね。
でも、この本を「面白い」と思うための条件は割と厳しいと思います。
まずこれまでに「「野矢哲学」に一度でも触れたことがあること。
そして大学2年生レベルの言語学についての基礎的な理解があること。
この2点をクリアできる人って、本当に大学でその分野を専攻している人に限られるんじゃないだろうか。
だから署名は『入門』じゃなくて『教室』なんだろうなあ。高校生が読んでもちょっと太刀打ちできないだろうと思います。
チョ -
Posted by ブクログ
約20年前「無限論の教室」に出会って以来、著者の平易な語り口の虜になってしまい、以降全てではないものの同氏の著述を可能な限り追いかけてきた僕。そこではテーマは違えどいつも「世界とこの私」を巡る疑問が通底していた。本書は著者のライフワークといってもいいこの「他我問題」を、極めて平易な言葉で、しかし周到な注意を払いながら扱った労作。ついに著者の中で一つの区切りがつけられた感がある。
読み始めると、著者がなぜ、我々が世界を直接経験しているとする「素朴実在論」に拘泥するのか不思議に感じらるかもしれない。しかし安易にこれと対立する立場である「二元論」、即ち我々は世界そのものでなくその表象である知覚イメ -
Posted by ブクログ
人間は言語を道具として操ることで他の動物にない進化を遂げた。とか何とかいうのは近代的な認識で、20世紀初頭の言語学の勃興以降、言語によって人間の認識が影響を受けるといった言語論的転回がおこり、極論すれば人間こそが言語の道具である、というのが現代思想であった。
しかし、学問というのは進歩するのではなく振動するものらしく、そうした言語中心主義も揺り戻しが来て、ふたたび人間の心理が言語に影響を及ぼしているという認知言語学が出てきた。本書は言語哲学の野矢茂樹が認知言語学の西村義樹に教えを請うという形の対談によって、認知言語学を解説したものである。茂樹と義樹、ふたつの樹が認知言語学に迫る。
一般 -
Posted by ブクログ
この本は哲学の本ですが、「生物が絶滅しても夕焼けは赤いか」「死と他者」など、様々なテーマについて考察するといった内容です。哲学史の本ではありません。
一言で答えも出ないし、客観的に確かめようもない問題はたくさんあります。例えば、本文中に出てきた話で「木から舞い落ちる(ように見える)枯れ葉に意志はあるか」という問題もそうです。ないだろうと思っても確かめる方法はありません。そういう問題を考えるとき、哲学が考えるヒントを出してくれるように思います。
枯れ葉に意志があるかどうかは生活上考えなくてもよい問題です。しかしこれが、異文化コミュニケーションだったり、新しい医療技術に対するモラルだったりすると、