野矢茂樹のレビュー一覧
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野矢茂樹の「入門!論理学」を4年ほど前に読んでから久々の論理学。また一から学び直しになりましたが、一見当たり前のことを言ってるのだけど、いざ考えてみると意外と分からなかったり。
必要十分条件とか、逆・裏・対偶とか出た出たという感じのテーマに対して、漫画でとっつきやすくギャグも織り交ぜながら導いてくれて、解説で具体的に説明してくれる。最後には練習問題があり、やってみると何故かできなかったり。
一般的な感覚と論理学の定義がずれており、特に否定は一般感覚では反対を意味しちゃうところだけど、論理学的には、それ以外のすべての可能性を包含することが否定なのだというすれ違い感。条件文の~ならば・・の裏は -
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タイトルの通り、まさに「無限論の教室」が文章で表現されていた。物凄く面白く、またどこか懐かしく、どこか羨ましく……色々な気持ちが刺激されながら無限について探求ができる、大変素晴らしい本だった。タイトルを見て難しそうだと思っていたが、実際は読み進めやすいテンポ・表現・文章で構成されており、いい意味で裏切られた感があった。この本の一番の良さは、共に考える仲間がそこに在ることである。教師が一方的に教える構図ではなく、共に考える、共に掛け合いの中で生まれる思考や議論がそこに在ることである。これが自分の頭を引っ張ってくれる。共に世界に引き込み、学びを高めていってくれる。これはかけがえのない学びの体験でも
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考え続ける日々は尽きない。それが哲学であれ、数学であれ、物理学であれ、論理学であれ、存在という宇宙を考えることが人間の性質なのだと思う。
どのような論理でもって存在に向かっていくか。存在と学問が結びついた瞬間は何にも代えがたいartsだ。学問とはそれすなわちそれを以て生きること。その為人そのものだ。無限論の世界を数学、論理学、哲学をもって進める。永井先生のアインジヒトの対話もそうだが、考えることは対話という形式をとらざるを得ないようだ。
無限ということばがあってしまう。死とか神とか無もまた同じなのかもしれない。対角線がひかれ、無限ということばがことばであるところに行きつく様は、学問、ひいては生 -
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特に以下の一文が刺さった。
共に喜べる人になりたい。
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ほめるものはほめられるものよりも優位に立つ。だからほめられたいと思う気持ちは、自分より優位のものを求めることにつながる。
子供は大人たちを出し抜き、追い越していかなければならないのに、ほめられようとして上目づかいになり、ほめてくれる人に自ら進んで隷属しようとする。
ほめて育てようとする人たちは、おそらく無自覚のうちに、そうして子供を支配しようとしている。
では、どうすればいいのか。ほめるのではなく、共に喜ぶこと。何かがうまくできたなら、一緒に喜んで、子供が感じている喜びを増幅する。そうして、その子が自分の内側から感じる -
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私なりにこの本のキーワードは「限界」にあると思う。語りうることと語りえないことの限界、世界の限界、そして私の限界としての独我論。序文にも、「本書は思考において限界を引く。いや、むしろ、思考に対してではなく、思考されたことの表現に対して限界を引く」(p9)とある。
本書のミソはこの「限界」が、まさにこの本の述べるところの「語りえないもの」、ということにあるのではないかと思う。だからこそ、「おそらく本書は、ここに表わされている思想は——ないしそれに類似した思想——をすでに自ら考えたことのある人だけに理解されるだろう」(p9)と言われ、そして同じことだと思うが「六・五四 私を理解する人は、私の命 -
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よく練られた入門書は、とても面白い。
目次を見たときは高校数学で学ぶような論理学の基礎が並べられてるだけなのかと思ってしまったが、全くそんなことは無かった。
演繹的推論で用いられる言葉の本質的な部分を抽出して公理系を形成し、それが健全性と完全性満たすことを示す、というような論理体系の構築の流れが驚くほど平易に書かれており、ワクワクしながらスラスラと読み進められた。読んでいて「あれ?」と引っかかった部分にも後の部分で全て答えを与えてくれていて、伏線が回収されたようなスッキリとした感覚が何度もあった。
ともすれば難解になってしまう論理学をとにかく噛み砕いて読みやすく説明してくれた。これから数学や -
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わかりやすい!
面白い!
こんな風に習いたかった。
一つ一つ確認問題を解きながら読んだので、かなり時間がかかったけれど、長年あやふやだった部分がすっきりわかった。
こういう本は誤解なく伝わる例になっているかが命だと思うけれど、そこがよく練られていると感じる。
論理の言葉と日常の言葉の意外なギャップにも改めて気づかされた。
例えば、「たら」「れば」。
仮定条件を表すものなのに、日常的には前後関係程度の意味で用いられる。
こういう小さなギャップが、まだあちこちにあるのかもしれないと思った。
で、今俄然気になってきたのが、論理学はなぜそれを問題にするのかということだ。
例えば、否定という概念。 -
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あれは国語の教科書の折り返しのところだつたか。本書の冒頭部分が掲載されてゐたやうな気がする。
あの時、ものすごく驚き、搖さ振られたことを覚えてゐる。ひとがゐなくなつた後でも、やつぱり夕陽は赤いのか。よく死んだらどうなるのだらうとか、自分と記憶も何もかも一緒のひとがいたとしたらとか、途方もなく考へてゐた気がする。さうした中にあつて、あらゆるひとが全滅した中でも夕陽は赤いのかどうかといふことが、さうした考へと響くところがあつたのだらう。
その時は、ただ漫然と、この自分と呼ばれる何かが存在しない世界といふものが考へられず、すごく変な気持ちになつた。「わからない」そのことがわからなかつた。知りたくても -
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めっちゃ面白く読みました。
やはり何か新しい手ごたえが生まれてくる瞬間に立ち会うというライブ感(もちろん疑似的なものにすぎないわけですけれど)は、面白さを倍増させる気がしますね。
でも、この本を「面白い」と思うための条件は割と厳しいと思います。
まずこれまでに「「野矢哲学」に一度でも触れたことがあること。
そして大学2年生レベルの言語学についての基礎的な理解があること。
この2点をクリアできる人って、本当に大学でその分野を専攻している人に限られるんじゃないだろうか。
だから署名は『入門』じゃなくて『教室』なんだろうなあ。高校生が読んでもちょっと太刀打ちできないだろうと思います。
チョ