野矢茂樹のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
特に以下の一文が刺さった。
共に喜べる人になりたい。
===
ほめるものはほめられるものよりも優位に立つ。だからほめられたいと思う気持ちは、自分より優位のものを求めることにつながる。
子供は大人たちを出し抜き、追い越していかなければならないのに、ほめられようとして上目づかいになり、ほめてくれる人に自ら進んで隷属しようとする。
ほめて育てようとする人たちは、おそらく無自覚のうちに、そうして子供を支配しようとしている。
では、どうすればいいのか。ほめるのではなく、共に喜ぶこと。何かがうまくできたなら、一緒に喜んで、子供が感じている喜びを増幅する。そうして、その子が自分の内側から感じる -
Posted by ブクログ
私なりにこの本のキーワードは「限界」にあると思う。語りうることと語りえないことの限界、世界の限界、そして私の限界としての独我論。序文にも、「本書は思考において限界を引く。いや、むしろ、思考に対してではなく、思考されたことの表現に対して限界を引く」(p9)とある。
本書のミソはこの「限界」が、まさにこの本の述べるところの「語りえないもの」、ということにあるのではないかと思う。だからこそ、「おそらく本書は、ここに表わされている思想は——ないしそれに類似した思想——をすでに自ら考えたことのある人だけに理解されるだろう」(p9)と言われ、そして同じことだと思うが「六・五四 私を理解する人は、私の命 -
Posted by ブクログ
よく練られた入門書は、とても面白い。
目次を見たときは高校数学で学ぶような論理学の基礎が並べられてるだけなのかと思ってしまったが、全くそんなことは無かった。
演繹的推論で用いられる言葉の本質的な部分を抽出して公理系を形成し、それが健全性と完全性満たすことを示す、というような論理体系の構築の流れが驚くほど平易に書かれており、ワクワクしながらスラスラと読み進められた。読んでいて「あれ?」と引っかかった部分にも後の部分で全て答えを与えてくれていて、伏線が回収されたようなスッキリとした感覚が何度もあった。
ともすれば難解になってしまう論理学をとにかく噛み砕いて読みやすく説明してくれた。これから数学や -
Posted by ブクログ
わかりやすい!
面白い!
こんな風に習いたかった。
一つ一つ確認問題を解きながら読んだので、かなり時間がかかったけれど、長年あやふやだった部分がすっきりわかった。
こういう本は誤解なく伝わる例になっているかが命だと思うけれど、そこがよく練られていると感じる。
論理の言葉と日常の言葉の意外なギャップにも改めて気づかされた。
例えば、「たら」「れば」。
仮定条件を表すものなのに、日常的には前後関係程度の意味で用いられる。
こういう小さなギャップが、まだあちこちにあるのかもしれないと思った。
で、今俄然気になってきたのが、論理学はなぜそれを問題にするのかということだ。
例えば、否定という概念。 -
Posted by ブクログ
あれは国語の教科書の折り返しのところだつたか。本書の冒頭部分が掲載されてゐたやうな気がする。
あの時、ものすごく驚き、搖さ振られたことを覚えてゐる。ひとがゐなくなつた後でも、やつぱり夕陽は赤いのか。よく死んだらどうなるのだらうとか、自分と記憶も何もかも一緒のひとがいたとしたらとか、途方もなく考へてゐた気がする。さうした中にあつて、あらゆるひとが全滅した中でも夕陽は赤いのかどうかといふことが、さうした考へと響くところがあつたのだらう。
その時は、ただ漫然と、この自分と呼ばれる何かが存在しない世界といふものが考へられず、すごく変な気持ちになつた。「わからない」そのことがわからなかつた。知りたくても -
Posted by ブクログ
めっちゃ面白く読みました。
やはり何か新しい手ごたえが生まれてくる瞬間に立ち会うというライブ感(もちろん疑似的なものにすぎないわけですけれど)は、面白さを倍増させる気がしますね。
でも、この本を「面白い」と思うための条件は割と厳しいと思います。
まずこれまでに「「野矢哲学」に一度でも触れたことがあること。
そして大学2年生レベルの言語学についての基礎的な理解があること。
この2点をクリアできる人って、本当に大学でその分野を専攻している人に限られるんじゃないだろうか。
だから署名は『入門』じゃなくて『教室』なんだろうなあ。高校生が読んでもちょっと太刀打ちできないだろうと思います。
チョ -
Posted by ブクログ
約20年前「無限論の教室」に出会って以来、著者の平易な語り口の虜になってしまい、以降全てではないものの同氏の著述を可能な限り追いかけてきた僕。そこではテーマは違えどいつも「世界とこの私」を巡る疑問が通底していた。本書は著者のライフワークといってもいいこの「他我問題」を、極めて平易な言葉で、しかし周到な注意を払いながら扱った労作。ついに著者の中で一つの区切りがつけられた感がある。
読み始めると、著者がなぜ、我々が世界を直接経験しているとする「素朴実在論」に拘泥するのか不思議に感じらるかもしれない。しかし安易にこれと対立する立場である「二元論」、即ち我々は世界そのものでなくその表象である知覚イメ