野矢茂樹のレビュー一覧
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この本はタイトル通り論理学とはどういう学問なのかということを記号を使わずに説明している著書です。
論理学では”または”や”かつ”などの用語を記号で表す記号論理学という分野がありますが、この本ではその内容を極力記号を使わずに説明しています。
個人的には排中律を認める立場か認めない立場かによって体系が異なってくるというあたりが、今まであまり考えたこともなかった視点で興味深かったです。
著者である野矢さんの論理トレーニング101題を読んだ後に、もう少し学んでみようと思って読んだこの本ですが、文字が中心なことや内容の抽象さも相まって全体的に頭の中で整理するのが難しく高度でした。本文中では証明など -
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本書の言葉を使うと、
論理は、連想や常識による繋がりではないということです。
あくまで論理とは、意味上のつながりから考えることです。
論理、なんて言われて、その定義は何かなんて考えたことのない人って
多いと思いますが、まずはそういうところから考えていく本でした。
(といっても、そこはそんなにページを割いてはいません)
本書で扱う論理学は、
標準的な命題論理の体系です。
いろいろな派というか系統というかがあるみたいなんですよね、論理学には。
とある「考えどころ」をどう判断するか、黒ととるか白ととるか、
どちらも間違いじゃないので、そこで考え方が別れていく。
そんな中での、標準的な命題論理体系な -
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東大の哲学の先生が認知言語学の先生にあれこれ質問する、という対談形式で書かれた本。認知言語学、意味論の入門的な内容で、認知言語学が誕生した経緯(言語学史)から、形式と意味は不可分なのかという話題で生成文法の考え方との対照、認知言語学の主要なトピック(プロトタイプやフレーム、使役、メタファー)について書かれている。巻末には認知言語学をさらに知り、あるいは研究するための丁寧な文献案内もついていて、親切。
語の意味については、たしか意味素性?というのを昔習ったような。それに比べてプロトタイプとかフレームというのは俯瞰的な視点をまず前提にしている感じで、そこが面白いと思う。そして、野矢先生の「やっ -
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西村義樹と野矢茂樹の言語学の教室を読みました。
哲学者と学ぶ認知言語学という副題のついている、認知言語学の解説書でした。
私は言語学というと文法構文と語彙が独立して構成されているように感じてしまいます。(コンピュータの言語を扱っているからかもしれませんが)
しかし、現代の言語学の最先端では、文法は意味から独立することはできない、というふうに理解されているとのこと。
つまり文法的に正しい文のようでも意味的に正しくなければ正しい文とは見なさないということです。
また、語彙というものは中心となる典型的な意味といくぶん意味的に外れる周辺的な意味を含めて構成されるものだと理解されているとのこと。
例 -
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浅く理解した。以下は私の勝手な解釈。
(ウィトゲンシュタイン氏はこんなことが言いたかったんじゃないか?的な)
哲学における命題は、だいたいにおいて、答えが出ないような構造になっているので、考えるだけ無駄(設計が悪い)。4.003
そして、この本では、良くない設計の命題がなぜ良くないかを主に解説している。
だから、私のこの本のそうした部分も含めて、(意義のない)哲学的命題について考えることから脱してほしい。6.54
哲学そのものを否定する訳ではない。哲学には思考を明晰化する働きがある。(きちんとした構造を持つ命題と向き合うなら)4.112
だから、どんな命題が(哲学的に)有意義 -
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ネタバレ失語症の勉強のために、言語学について勉強しようと読んでみました。歴史的背景の部分や、概念的な説明などは、イメージしにくく、分かりにくいですが、例をあげながら、対談形式で書かれており、分かりやすくしようとする努力が見えます。認知言語学では、文法と意味が切り離せないと考えられていること、例えば、「知らない人が私に話しかけました」より「知らない人が私に話しかけてきました」の方が自然であるなど、文法事態に意味を含むことがあること、メタファーには、「目が釘付けになる」のような、慣用句のようになった死んだメタファーと、その場その場で生まれる、創造性にかかわる、「夜の底が白くなった」のようなメタファーがある
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友達が「人生で一番薦める本」的なことを言っていたので「そういわれたら読むしかねえな!」と思い手を出した本。
意味わっからーん\(^o^)/すげー直感的に感じたのは著者は「論理」を愛するあまりそれを殺してしまったんだな、的な感じ。論理が世界の中に存在していて、自身の存在を広げようと手を伸ばそうとするんだけど、世界という限界に阻まれてしまう。でも人が自分の目を見ることができないように、論理も世界を見ることができない。見ることができないというのは俯瞰することができないという意味なのだが、つまり見ることができないということは認識することができない、ということになり論理の可能性は限界がないことになる -
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ウィトゲンシュタインは、この本によって、哲学問題をすべて解決したと考えて、哲学から離れたのだという。とんでもない話しだけれども、そう言いたかった気持ちはよくわかる。
この本を書く時、おそらく著者は、さっさと哲学などという曖昧なものの根本的な部分を整理して見通しを立てて、余計なことを考えずに済むように片付けておきたいと思って書いたのだろうと思う。
この論考は結局のところ、人は何を理解することが出来て、何を理解することは出来ないのか、を区別することを目的としている。それは、哲学というものの輪郭をはっきりさせて、その限界を明確にしようという試みでもある。
そのたった一つのことを証明するために、きっ