野矢茂樹のレビュー一覧
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はじめは言語学の系譜から始まり、認知言語学とは何かを解く。では、認知言語学とは何かといえば言語を可塑的でかつ流動的なものととらえ、言語における主観や含意を認識しようとせんものである。チョムスキーの生成文法が多様性の中で普遍的な核を探求するプラトン的な、科学的な、理系的なものであるのに対し、認知言語学は多様性を掬い取ろうとするアリストテレス的で文系的なもの。生成文法と比較すれば科学的ではないが、心理学との親和性も高く、人間の認知のあるかたというビッグテーマに対し示唆に富んだもの。印象的だったのはメトニミーを参照点理論で説明するものであった。人間は未知のものに遭遇したとき自分の経験から近いものを想
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哲学者・野矢茂樹が、「論理学ってけっきょく何なんだ。何をやっているんだ」ということを著した、論理学の入門書である。
本書の最大の特徴は、「はじめに」で語られる通り、現代の論理学の主流は「記号論理学」と言われ、入門書も横書きで記号が頻繁に出てくるものが大多数である中で、本書は縦書きで、普通は記号を使って書かれる部分も文章で説明されているところである。
著者はまず、「論理的」であるということを、「ことば」は意味の連関性を持っており、その連関性によってつながる意味のネットワークを踏み外すことなく正確に行き来することである、と述べる。
そして、
「A」と「Aではない」(否定)、
「AかつB」(連言 -
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哲学者・野矢茂樹が、「論理学ってけっきょく何なんだ。何をやっているんだ」ということを著した、論理学の入門書である。
本書の最大の特徴は、「はじめに」で語られる通り、現代の論理学の主流は「記号論理学」と言われ、入門書も横書きで記号が頻繁に出てくるものが大多数である中で、本書は縦書きで、普通は記号を使って書かれる部分も文章で説明されているところである。
著者はまず、「論理的」であるということを、「ことば」は意味の連関性を持っており、その連関性によってつながる意味のネットワークを踏み外すことなく正確に行き来することである、と述べる。
そして、「A」と「Aではない」(否定)、「AかつB」(連言)、「A -
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ネタバレ認知言語学という学問の先生である西村さんが、
哲学者の野矢さんを生徒役に迎えて対談する形式の本です。
本書の中盤にはいるくらいの話になるけれど、
言葉でカテゴライズするときにプロトタイプがあって、
それに拠ってカテゴリー分けしているという。
プロトタイプというものにプラトンのイデア論が思い浮かびました。
似てるかな、と。
ぼくは、言語の成り立ちや構造にも興味があるけれど、
言語化の前段階の意味だけの状態にもっとも興味があるみたいなんです。
学生のときから、言葉の源泉のどろどろしたものとして興味を持っている。
独創性に絡めてね。つまり、独創性はそのどろどろの内容によるというわけです。
認知 -
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自分の頭で考えることのおもしろさ、ということについて思い出させるというか、気づかせてくれる本。平易な文章でとっつきやすく、新聞で連載されていた1回分が短いエッセイが前半部で、物理的重量からもお風呂で読むのにちょうどいい。ちょっとした事柄について、改めていかに自分が自分の頭で考えずに考えていたつもりになっていた、ことに気づかされる。例えば、「神だのみ」に関して、評者はつねづね、「日本人は何でも神様に頼ればそれで安心する安直な心性を持っている」と思っていたけれど、次のような一節を読んでむしろそんな自分の方が不遜だったのかもしれない、と考え直すのだ。
「…柏手を打ってお願いごとをしたりする。いったい -
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外国語という「言葉」と向き合ううちに、言葉と言葉の関係を規定する「論理学」というものを学んだ方が外国語を含む言葉に対する理解が深まるのではないか、と思って手にしたのが本書。「入門!」というその名の通り、論理学の基礎基本と思われる事項が分かりやすくかつユーモアたっぷり書かれている。「否定」「かつ」「または」「ならば」といった日常でも使う言葉を、論理学という分野の中ではどのように定義してどのように使うか、またそれらを使うことで様々なことが証明できることが示されており興味深い。入門書として興味を喚起し尚且つ基本をつかめるものとして
筆者も最初に指摘しているように、この本は縦書きて書かれていることもあ -
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ウィトゲンシュタインが生前に刊行した唯一の著書。
文章をいじくりまわして世界の可能性を思考の限界まで探っていく論理実証主義と呼ばれる思想の流れは、このウィトゲンシュタインに始まったと学生のころ学んだ気がします。
ふと思うところがあって今こうして読み返してみると、一切の実存への意思を排除したかのような内容が逆にスリリングであらたな魅力を感じました。
語りうる領域と語りえない領域との境界線画定を試みたと言われている本ですが、「語り得ないものについては沈黙せねばならない」というフレーズはあまりにも有名。
当たり前ですが、これは「語り得ないもの」を排除しようとしたのではなく、そうしたものを希求するがゆ -
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本屋さんを物色していると思わぬ類の本に遭遇することがあります。この本もその一冊。本の帯にあった「昨日、財布に落ちられました」はどうしておかしいんだろう?というペンギンの絵のセリフに目を奪われて中身をぱらぱらめくると、さらに「雨に降られた」はごく自然な日本語なのに「財布に落ちられました」は?・・の理由が、対談形式で述べられている・・というわけで、普段意識しない言葉の使い方の世界を覗きみてしまった感じで無視できず、つい買ってしまいました。
対談形式ですが、中身は言語学の格闘技のようなお二人の議論が延々と続きます。認知言語学という分野を研究している西村さんを師として、年下の哲学者の野矢さんがこの分野 -
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言語を文法だけでなく人間の認知として捉えることが認知言語学らしい。
本書は対談のテープ起こしであるが、そのライブ感だけでなく、二人の感性、本文では違和感と表記されるもの、が伝わってくるのか面白い。
工学の立場からすると、こんな曖昧なものが学問として成り立つのか、プログラムに出来ないものが金になるのか、とも思ったのだが、感性が殆んどであろうUX/UIの話にも似ていて参考になる。
画像の話もそうだが、結局認知とは、そもそも人間に備わっている機能、その機能に関する記憶、他の機能、特に感情に関わるものとの相互作用だと思う。
同じものを見たとして、認知はその人で異なるのはもちろんのこと、コンテキ