序文によると本書は論理学の初歩について、その「はじめの一歩」が「終わりの一歩」になるであろう読者を想定して書かれたものであるらしい。しかし、個人的にこの本は数理論理学ひいては数学基礎論、及び分析哲学への興味を強く掻き立ててくれるものであった。あくまで論理学を「観光する」ことを目的としているために、哲学の歴史的背景の説明を軸に数学的な部分において初学者にとって煩瑣と思われる箇所は多少の厳密性を排しつつ先に進んでいく本書のスタイルがうまく自分にマッチしたのだろう。読んでいるうちに浮かんだ疑問点や気になる部分を解決したくなってくるというわけである。
ところでスタイルといえばこの本の構成において目立つのはその対話形式の文章である。先生役として登場する野矢(著者と同姓)と、生徒役として登場する二人の僧侶道元・無門の掛け合いは読んでいてとても和んだ。特に無門には萌えの感情を抱いたのだが、共感してくれる人がいるとうれしい。
さて、いささかの脱線を挟んだところで本書を読むにあたって浮かんだ感想などを章ごとに分けて書いていきたいと思う。今改めて考えてみれば野暮だと思えることも恥を忍んで挙げていく。
第一章
・これは序論の内容にも絡むものなのだが、命題論理の本格的な説明に入る前にそれを包摂する言語使用一般における論理にまで射程を広げて記述している点がいかにも哲学畑らしいなと感じた。ただ、命題論理と述語論理を少しだけかじった程度の自分としては日常の推論や言葉の意味の規定においても述語論理の範疇でだいたい事足りる気がしたので「命題論理は現実に推論実践に対する一つの近似である」という主張があまりしっくり来なかった。命題論理などが現実の言語における論理の一部分を切り出したものであり、論理に対するアプローチは他にもある、ということは理解できる。でも、日常言語におけるなんらかの事実を示した文を意味内容をほぼ失うことなしにある論理的アプローチの俎上に載せることは余程偏屈な理論でない限り可能な気がするし、「言語使用一般の論理を包括的に扱う」ことがそれほど本質的なことにも思えなかった。たとえばP22の「無門は昨日道元と寺にいた」という文の否定を考えるところも、文をうまく分析すれば真理関数を構成できるように思えたので「『真理関数的ではない、イコール論理的ではない』とはなりません」と言ってしまって本当にいいのか疑問だった。つまるところ、僕は分析哲学の本を読んでみるべきである。
・シェファーの棒記号(NAND)という論理記号一つだけであらゆる真理関数を作れることに面白さを感じた。命題論理は否定詞と接続詞に着目した体系であるということから少なくとも2個は必要だろうという先入観に囚われていたので驚きは大きかった。
・5種類の原子式を用いて作れる真理関数の総数は42億9496万7296(=2の32乗)通りであるという記述があるが、この計算方法の説明がなぜか省かれているので一応説明しておく。一般にn種類の原子式の真偽の組み合わせは2のn乗通りあり、真理関数はこのそれぞれの組み合わせに対して真偽を定めるから結局その総数は2の(2のn乗)乗通りになるということである。
・まえがきに論理学の技術的な問題にはパズル的な楽しさがあるということが書かれていたが確かにその通りで、構文論の節に入ってから一層この本を楽しむことができた。公理系は意味抜きされた記号変形の体系であるがそれはあくまでも建前の話であって、公理系の規則のもっともらしさを意味論的に解釈することは重要な気がした。
・公理系LP₂において、A,Bを前提としてA∧Bを導こうとしてみたけれどうまくいかない。できた人は教えてください。
第二章
・述語論理の章なのだが最初の節ではアリストテレスの伝統的論理学の簡単な導入がなされる。これが19世紀後半に登場する述語論理によって革命的に転換されていくらしいのだが、一旦導入されてみると非の打ち所がないうまくできた理論のように見えてしまう。多重量化の問題を説明されれば納得が行くのだが、伝統論理学が主流だった時代に生まれていたら自力ではこの欠陥に気付けるはずがないなと思った。ただ、あのカントも同じようなことを言っているので少し安心した。
・証明問題もたくさん載っていたが、命題論理の証明とそんなに変わらないのでサクサクと楽しく進めることができた。また、P104やP105で少々犠牲となった厳密な部分をちゃんと指摘してくれていて親切さを感じた。
第三章
・この章ではこれまでの章で説明されてきた論理学の公理系の無矛盾性などを証明していくという、なんだか壮大なことをやる。ただ、証明で必要な技術が特に変わるわけでもないのでこれも理解しやすかった。アリストテレスの論理学の欠陥を見出したフレーゲと同様にフレーゲの述語論理の欠陥(?)を見出したラッセルもとんでもなくすごい人だ。
・述語論理のメタ証明に関してはその方法があまりにも巧妙に思えたのでなんだか納得したようなしていないような、よく分からない気分になった。
・フレーゲは数を2階の述語によって扱おうとしていたらしいが、調べてみたら現在数学で一般的になっている公理系は1階の述語論理から出来ていると書いてあったので驚いた。いずれ勉強して理解してみたい。
第四章
・直観主義論理を扱う章である。この論理学が排中律を拒否するということは聞いたことがあったのだが、その主張の一応の正当性がしっかり説明されており、そうした立場の存在を納得することが出来た。
・古典論理の公理系における二重否定除去則(規則4)をP70の定理4に置き換えることで直観主義論理の公理系となることがサラッと説明されていたが中々すごい発想だと思う。
・先程から感心ばかりだが直観主義論理の意味論の表現の一つであるクリプキ・モデルの巧妙さにも舌を巻いた。
・今考えてみれば認識史の表現であるから当然なのだが、関係Rの定義が枝分かれも許していることに気付かず矛盾律の妥当性の証明の理解に少し手間取った。
・¬の解釈が個人的に難しかった。¬Aを「Aは今後絶対証明できない」と読み替えて、真偽という概念を捨ててある知識状態における証明の有無のみを考えることで今の所理解した気になっている。
・認識史分析が今までの証明手法とは毛色が異なるものだったので新鮮な気分で証明を楽しむことができた。
第五章
・その名称のカッコ良さゆえ小さい頃から自分の厨二心をくすぐってきた「ゲーデルの不完全性定理」の証明を大まかだが追ってくれる章。大まかとはいえ相当に楽しめたし、巷に蔓延る不完全定理についての粗雑な主張を嗅ぎ分ける能力も幾分か高まったと思う。
・メタ数学の証明を自然数論内で表現するという発想だけでも十分天才的なのだが、自己言及を作り出すために対角化定理というものを持ち出して華麗に不完全性定理を証明していく超天才ぶりに大きな感動を覚えた。
・有限の立場のもっともらしさが実はもっともらしくないなんて個人的に考えられないので公理系Nが無矛盾であることを信じてこれからも生きていきたいと思う。
・対角化定理の証明に出てくる「公理系Nの"すべての"一変数の式を列挙する」操作が一見有限の立場に反しているように思えた。一変数関数なので使用する原始記号は有限個(そのゲーデル数は43以下の素数)であり式を帰納的に構成していくことが可能であるから有限の立場には反していない、という理解をした。
総括:この本は面白い