野矢茂樹のレビュー一覧

  • 言語学の教室 哲学者と学ぶ認知言語学

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     人間は言語を道具として操ることで他の動物にない進化を遂げた。とか何とかいうのは近代的な認識で、20世紀初頭の言語学の勃興以降、言語によって人間の認識が影響を受けるといった言語論的転回がおこり、極論すれば人間こそが言語の道具である、というのが現代思想であった。
     しかし、学問というのは進歩するのではなく振動するものらしく、そうした言語中心主義も揺り戻しが来て、ふたたび人間の心理が言語に影響を及ぼしているという認知言語学が出てきた。本書は言語哲学の野矢茂樹が認知言語学の西村義樹に教えを請うという形の対談によって、認知言語学を解説したものである。茂樹と義樹、ふたつの樹が認知言語学に迫る。

     一般には「認知」というと「ああ、俺の子だ」みたいな場合が人口に膾炙しているのかもしれないが、学問の世界では「認知」という言葉が流行りでありながら、認知といって示されることは、生物学的な臓器としての脳をベースに考えようくらいの意味のこともあり、認知をどう認知したらいいのかよくわからないことも多い。認知言語学の場合、おおざっぱに言うと心の働きと言語の関係を(再び)問題にするということのようだ。もう少し踏み込むと、従来、統辞論と意味論というようにわけて考えられてきた、意味と文法との関係を俎上に載せるということが、大事なテーマになっているようだ。
     例えば、受動態。「雨に降られた」とか「太郎は花子に泣かれた」という受動態は、能動態を持たず、「間接受身」という。ここには、困ったとか嫌だという「受苦」の気持ちと、それでも仕方がないという「諦念」、さらに雨にしろ花子にしろ、自分ではどうにもできない「他者性」があることを含意していると分析される。この用法を習うと外国人は「財布に落ちられた」などという文を作って、おかしいと指摘されても腑に落ちないのだというが、財布がある程度意志を持った他者的なものである場合には、「財布に落ちられた」という表現は可能となる。かように、「間接受身」という文法には「受苦」「諦念」「他者性」という心の動きなり、意味が介入しているのだといった議論が認知言語学のお話なのである。よって「間接受身」のことを「迷惑受身」とも呼ぶ。

     この比較的新しい学問を背負って立つ義樹に、「どうなの、どうなの、教えて」とばかりに茂樹が鋭い質問を投げかけていく対談は読みやすいけれど、難しい問題をあぶり出して言語の面白さを披瀝していく。
     後半はメトニミーとメタファーの話で、従来のレトリック論にはない切り口が大変おもしろい。
     さて、では言語が先か心理が先か。たぶん言語によって脳=心理が形成され、脳=心理によって言語が変わっていくといった相即の関係にあるというしかないのではないかと評者は思うのだが、本書は、言語は常に揺らいでいるという結論めいた話で終わる。

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    2016年02月10日
  • 言語学の教室 哲学者と学ぶ認知言語学

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    言語のしくみと心の動きとの関係。従来の言語学では重視されていなかったが、やはり無視することのできない要素だと思う。西村さんと野矢さんがわかりやすく鮮やかに考察されている。
    言葉の不思議について日頃から考えている人にとってはとても面白い本。哲学に近い面白さ。ひょっとすると大学の言語学研究室ではこういうことはやってないかも。

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    2014年11月10日
  • はじめて考えるときのように 「わかる」ための哲学的道案内

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    そこいらのビジネス本の百倍、論理的とは何か、考えるとは何か、がスッキリする本。
    優しい読心地にさせてくれる、素敵な寄り道(ウィットに富んだ脱線)と、それを引き立てる挿絵たち。哲学絵本の名前に負けない内容。
    軽やかな当たりとは裏腹に、読み進めるにつれて、「考える」という行為の本質がえぐられていく。

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    2026年06月25日
  • 言語学の教室 哲学者と学ぶ認知言語学

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    哲学者の野矢茂樹先生が生徒役になって認知言語学者の西村義樹先生に聞くという対談形式で認知言語学者について分かり易く教えてくれる本です。

    何と言っても野矢茂樹先生の「予習をきちんとしてくる」「分からない点は納得がいくまで質問する」という態度に心を打たれました。

    内容については半分くらいしか頭に残っていない感じですが、認知言語学のこだわりや、メトニミーの概念が理解できてよかったです。

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    2014年03月29日
  • 論理哲学論考

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    「論理哲学論考をよむ」を読んだ後に思い切ってページをめくってみた。
    当時これはきっと既存の知の積み重ねだけでは理解ができなかったんだろうなと思う。
    頭を空っぽにして一度、その思考にどっぷりと浸かって初めて片鱗を感じることができそうだ。
    なんども「論考をよむ」と往復しなければとても自分には読むことができない。

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    2014年09月05日
  • 論理哲学論考

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    ネタバレ

    パラッと開いてみたらぶったまげた本。

    「二・0一二四」という数字が各行(各論か?)の頭に振ってあり、その下に「全ての対象が与えられるとき、同時にすべての可能な事態も与えられる」とかいう文句がある。
    この短くも長くもない明晰であり、しかし強く惹かれる怪しい魅力を放っている文章になんだか溜息がもれてしまう。

    とにかく、タイトルと目次と段落と行の塊のような物語小説やビジネス書を読んでいると、この記述に面を食らってしまうこと間違いなしだ。
    でも「ケッ!なんだこれっ」みたいな、つばつけてポイするような本でもなく、とにかく魅力を持っている。怪しくて魅力的なのだ。
    本棚に入っていると気になってしょうがない存在感をも放っている。

    なぜか、それはこの論理哲学論考の著者であるウィトゲンシュタインが、「私はどれだけのことが考えられるのか」と思い、思考の限界は言葉の限界であるということを、この本全体を通して表現しているからだ。

    受験産業で現代文の参考書を書いている出口汪さんの「現代文講義(タイトルはうろ覚え)」では、言葉の限界について分かりやすい説明(も、うろ覚え)をしているので下に(うろ覚えだが)引用してみる。
    『今ここにある週刊少年ジャンプ(手元に置いてある)を示す場合、「この週刊少年ジャンプ」と指をさして表現します。「週刊少年ジャンプ」といっただけでは、今までに発刊されたすべての週刊少年ジャンプを示してしまいますし、「この」がないと、いつ発売された何版の何号のどの週刊少年ジャンプなのか分かりません。「この週刊少年ジャンプ」をさす場合は、「この」という指をさすボディランゲージがないと「この週刊少年ジャンプ」、と正確に示す事はできないんです。これが言葉の限界です。「指をさす」というボディランゲージがないと、「この」週刊少年ジャンプを示して表現することができないんです』
    という出口さんの説明でウィトゲンシュタインがこの本で何を言おうとしているのか私はやっと理解できた。
    それは思考や表現には限界があるということだ。
    なぜならば、私たちは言葉を使ってでしか思考や文章表現ができない。
    言葉の限界が思考の限界なのである。

    そこでジョージオーウェルが「1984年」という本の中で気になる描写をしていた。
    とある帝国では、ニュースピークという新しい国語を制定して人々の思考をコントロールしようとしていた。ニュースピークは多義語がメインの言葉で、ある言葉の反対の意味を表現しようとしたら、その語の頭に「非~」とつけることでそれを表現する非常に簡単な言語構造をしている。この言葉は便利だ。しかし、多義語がメインなので具体的に考えることができない。人々から具体的な思考を奪うことで、その帝国は存続していく。というような描写だ。
    これは現在の日本にも言えることで、「ヤバい」「かわいい」「わかんない」というような抽象的な多義語を使うことで、一応会話は成立してしまうが、具体的に考えることが出来なくなってしまっている人がいるのではないだろうか。
    具体的に考えられないと、なにか特異な状況が自分の周りに発生した時に、どのような対処をすればいいのか分からなくなってしまうのではないだろうか。
    何か問題が起こると反射的にネットでググって答えを得るのも、簡単かもしれないが、そのような対処法が公開されていなかったらその人はどうするのだろうか。
    いろいろ考えてしまうがみなさんはどうだろうか?

    最後に、「七 語りえぬものについては、沈黙せねばならない」という著者の立場に私は賛成する。
    直観的なセンスが必要となる神秘と情緒の世界は、語ることができないと思われる。
    具体的に説明すると、五十嵐大介の「海獣の子供」という漫画の最終巻の話は、語ることができない沈黙せねばならない類の話であると思う。
    美麗なビジュアルで描く神秘的な世界は語ることができない。
    称賛することはできるかもしれないが。

    とにかく、言葉をつかった表現に取り組んでいる人へ、この本をおすすめする。
    私たちが普段からしている思考や表現は、このような限界に満ちたものであるということを、この本と格闘することで実感してほしい。
    そして新しい思考と表現のステージへと進んでほしいと思う。

    本当ならば、岩波文庫の「論考」だけでなく、「ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン著『論理哲学論考』対訳・注解書」も併せて読むといいのかもしれない。
    なぜならば、岩波文庫のバートランド・ラッセルの解説についてウィトゲンシュタイン本人は、「あなたは何も分かっていない」とケチをつけているからだ。
    そのことについての詳しい説明は、こちらに書かれているので、より詳しく知りたい人には、岩波とこちらの両方をおすすめする。

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    2013年11月29日
  • 言語学の教室 哲学者と学ぶ認知言語学

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    認知言語学の取り扱うテーマについて、平易な語り口で、対話形式で進めていく。言語学についてほとんど全く予備知識は持っていなかったが、とても楽しく読み進められました。

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    2013年11月21日
  • 無限論の教室

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    3人のキャラ造形が抜群にいい。特にタジマ先生。
    読んでて理解が追いつかないなー、と思った箇所では必ずと言っていいほど和尚さんもついていけなくなってて、いったんまとめてくれるのがうれしい。
    ただタカムラさんは別に不美人設定じゃなくてもよかったんじゃないかなー!?

    一回読んだだけでは最後までは理解できず、再読するたびに理解が少しずつ深まっていくのがなんかトンネルを掘り進めているようで快感。

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    2014年08月23日
  • 言語学の教室 哲学者と学ぶ認知言語学

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     野矢茂樹は、私の好きな哲学者だ。日常を眺める角度を少しだけずらせてみせて、気が付くと哲学的な思考の深みへと自然に誘ってくれる。この人が、「認知言語学」に興味を持ち、自分が生徒になって、その道の研究者である西村義樹に教えを請うという形の対談本なので、これは見逃すわけにはいかない。面白い例文が次々と飛び出してきて、退屈する暇はない。
     「雨に降られる」とは言うが、「財布に落ちられた」とは言わない(これは、「間接受身」とか「迷惑受身」と呼ばれる)。
     「嘘」は、広辞苑では「真実でないこと」とあるが、「嘘をつく」というのは「①事実でないことを言う、②発話者自身が事実ではないと思っていることを言う、③聞き手を騙す意図がある」という3つが満たされている場合が典型と考えられるという指摘には納得。(これは、プロトタイプ意味論から導かれる)
     「花子は交通事故で息子を死なせてしまった」と「花子は交通事故で息子に死なれてしまった」の微妙な違いをめぐるやりとりも興味深い(前者は「許容使役構文」と呼ばれる)。
     「近接の関係に基づく比喩」と定義される「メトニミー」に関して、「洗濯機を回す」(別に、洗濯機を振り回しているわけではないのに・・・)や、「トイレを流す」(そのまま受け取ったら、とんでもないイメージが思い浮かんでしまう)など思わず笑えてくる。
     「メタファー」についても、詩に代表されるように創造的な使用法なのだが、「考えが甘い」とか「目が釘付けになる」のように人口に膾炙するにつれて、陳腐な言い回しとなってしまうのも確かで、言葉が生き物のように思えてくる。
     読後、言語表現と認識方法(見方・考え方)が深いところで繋がっていることに思い至り、普段は何気なく遣っている言葉が、奇妙な形を持った言語として立ち上がってくるという不思議な感覚に襲われた。

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    2013年08月28日
  • 言語学の教室 哲学者と学ぶ認知言語学

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    実に楽しく、明快で、かつ高揚感に溢れる一冊。異なる言語間の形式的差異を文化の違いに帰するだけの本ならいくらでもあるが、この本が読み手を連れて行く(←語彙的使役)場所はそれより遥かに深く鮮やかな色彩に満ちている。言語学者と哲学者の、どちらが主とも従とも、教師とも生徒ともつかないままの対談形式は澱みもなく、豊富な例とも相まって読み手の理解を大いに助けてくれる。「言語学」「哲学」などというと堅苦しいが、難解な所は全くなく、肩肘張らずリラックスして読める良書。巻末のブックガイドと索引も有難い。

    ところで何年か前、大学の農学部を舞台としたマンガが人気を博したことがあったが、その中で「かもす」という動詞が頻繁に使われていたことを思い出した。キャラクター化された細菌が出てきて「かもすぞー」などというのだが、そのマンガを読んだとき、その「かもす(漢字では「醸す」)」という動詞を新鮮で面白く感じつつも、なぜそう思えるのかその理由がよく分からなかった。この本によれば、そのような「動詞+助詞(せる・させる)、例:腐らせる」の形ではない単一の使役動詞を「語彙的使役動詞」というのだが、そのような動詞が使われる場合は行為と結果の因果関係が直接的かつ強固で、客体が主体の完全なコントロール化にある場合が多いのだそうだ。…つまり、微小で頼りない(マンガ内でもラクガキ的に描写されている)細菌が、こと発酵というプロセスにおいては有無を言わせない程強力な役割を果たす支配者なのだという、そのギャップが面白かったのだなあ…とこのように、様々な気づきを与えてくれること間違いなしの一冊。

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    2013年07月10日
  • 無限論の教室

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    とある架空の大学ゼミのお話。
    小説形式で進行し、「無限」というものを数学者たちが如何に扱ってきたか、その議論の歴史、要点を教えてくれる。
    数学の専門知識がなくても楽しんで読める本だと思う。
    「無限とは何か?」に興味を持ったことがある人には絶対お勧め。

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    2013年02月19日
  • 無限論の教室

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     哲学的な話題で始まるがかなり数学的。タジマ先生が現代数学の常識とされる実無限を否定するところから論旨を始めるのが刺激的だった。結局可能無限か実無限かは読者の判断に委ねる形となるが、そこまでたどり着くのに、無限集合の濃度、ラッセルのパラドックス、ゲーデルの不完全性定理を通過するのでかなり難しい。その分読みごたえがある。
     どう考えても本の展開には関係ない、タジマ先生と男女二人の学生の雑談が本をなじみやすいものにしている。さすが今年度(2012年冬学期)単位がこない座禅の授業をやろうとした野矢先生らしい。

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    2013年03月04日
  • 論理学

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    論理学の仕組みが分かる内容。
    とても読みやすいはずなのに理解が追いつかないので、
    本来の論理学が持つ硬さを感じる。

    論理は何を説明しようとするのか、何を説明できないのか。
    そんな線引きまでしてくれている。

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    2012年11月02日
  • 論理哲学論考

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    言語の限界を明らかにすることで思考の限界を指し示し、命題に対する操作によって語られうることは全て明晰に語られうるのだと証明した上で「語りえないことには沈黙しなければならない」と断言する、20代のウィトゲンシュタインが残した生前唯一の哲学書。大半が難解な論理による分析方法に関する考察で占められているのだが結論直前では一転、倫理や幸福、死生観について触れられている。沈黙すべきなのは決して不要だからなのではなく、本当に大切だからうかつに語るものではないと言おうとしていたのではないか―そう考えるのは飛躍だろうか。

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    2012年10月31日
  • 無限論の教室

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    「可能無限」か「実無限」かをめぐる無限論。かなり、数学的には高度な話題だが、学生二人に講師の三人の対話形式で進み、なんだか分かったような気にはなれる。まぁ、まさに大学の講義でその議論の「さわり」を学んだというような感じだろうか。「可能無限」、「実無限」の議論を歴史的な感じで追っていき、最後は、ゲーデルで一応の落ちがつく。
    本書の形式としては、多分、『数学ガール』なんかが近いのだろう(といいつつ、こっちは読んでないが)。それが楽しめたひとなら、本書も楽しんで読めると思う。
    ところで、なぜ、ぼくは、そもそもこの本を手に取ったかが謎だ。数学には縁遠く、ちょっとした数学ネタ本ならまだしも、対話形式の新書とはいえ無限論などという高度なものを扱っているのに。「無限」という言葉の深遠な響きに導かれてしまったのかもしれない。その意味では、その期待には応えてくれる本である。

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    2012年09月18日
  • 入門!論理学

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    記号論理学の参考図書。論理トレーニングも読んだのでその流れで。野矢茂樹氏らしくジョークを交えながら楽しく論理学の入口にに触れられる。
    論理とは非情な世界。「だから」という言葉のもつ重み。

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    2015年04月24日
  • 無限論の教室

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    ひと癖もふた癖もあるタジマ先生に導かれて、無限論の世界へ。
    大学時代、哲学の授業の教科書がわりになった本。
    無限論ってなにさ!?って遠い世界のことのように思っていた人でも、
    物語に引き込まれてしっかり楽しく学べる一冊。
    この授業、受けなきゃ損。

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    2012年07月07日
  • 無限論の教室

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    新書にしては珍しく物語調。控えめなライトノベルといった趣のある良書。

    意図的なのか、先生のキャラがやや陰険で素っ頓狂なのが徐々にツボに入った。『数学ガール』よりも読みやすくてコストパフォーマンスが高い。

    アキレスと亀、ゼノンのパラドクスを取っかかりとした「実無限」と「可能無限」の話は、示唆に富んでいる。

    本が好きな人ならば、読むことと書くことのあいだにも、「無限」を見つけるのではないだろうか。

    授業1コマが1話という形式で、全12話。この授業はぜひ受けておくべき。

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    2012年06月25日
  • 論理哲学論考

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    ネタバレ

    ウィトゲンシュタインの「危険」な思考は、なんて魅力的なのだろう。

    たしかにそうだ、語ることがその人の思考を作る。
    当然それが限界となる。

    しかも思考は言語でおめかしして、その真意を明らかにはしない。

    他の問題が解決できても、生の問題は残る。
    それを解消するまで考えねばならないのか。

    神秘主義に、言葉遊びのような要素に、数式も現れる。

    そして最後には梯子を外して、ウィトゲンシュタインを超えてゆけというのだから。

    では限界を作る言葉を持って、いかにウィトゲンシュタインの世界を壊し新しい世界を構築すればいいのか。

    何度読んでも刺激的だ。


    ちなみに、円城塔の『次の著者に続く』にはウィトゲンシュタインからの引用があるのだが、なるほどウィトゲンシュタインと円城塔の思想というか作風は似てなくもない。

    円城塔の前世はウィトゲンシュタインかもしれぬ。

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    2012年05月20日
  • 無限論の教室

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    もう最高。センス抜群。
    無限がなにかなんて「聞かれる前はわかってたけど聞かれた瞬間わからなくなる」ような例のアレ的なものだけど、突き詰めて考えていけばそれこそ話題としてもどこまでも広がっていく。
    自然数論自体魅力的なだけに、一つ一つのトピックスが面白く、けっこう頭を使ったりしてとても心地よい。しかも、田jおっとタジマ先生のどこかひねくれた立場が、いや全くもって健全だとは思いますが、分かったつもりになっているコチラの常識的ななにかを尽く粉砕してくれるのがとても良い。対角線論法に文句言う辺りちょっとハラハラしたりします。
    更には、3人の登場人物が妙に魅力的なんだよなあ。下手な小説なんかよりずっと面白いんじゃないかと思える。しかも随所に笑いが散りばめられていて、なんかすごく読むのが楽しい。すごいなあ。

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    2012年03月25日