【感想・ネタバレ】言語学の教室 哲学者と学ぶ認知言語学のレビュー

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Posted by ブクログ

全6回構成でその主題は次の通りです。
第1回:チョムスキー以後の言語学史
第2回:認知言語学の意味論
第3回:プロトタイプ意味論
第4回:使役構文
第5回:メトニミー
第6回:メタファー

第3~6回は、言語学に興味があれば、そこだけ読んでも面白いです。
反対に第1、2回は、事前知識なしだとよく分からない話をしています。
そして、哲学寄りの話をしている第2、3回こそ、哲学と言語学の先生の対談にした意義が表れているのかなと思います。

全編にわたって大変面白い本です。
普通に読んでいたら素通りしてしまいそうなところでも、聞き手の野矢先生がバシバシ突っ込みを入れてくるのですが、そういう頭のいい人の考え方が覗けるのも興味深い。
ただ、体系的な理解ができる形式ではないので、本書を手に取るのは、言語学と言語哲学の入門書を読んだ後がいいのでしょうね。

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2023年01月03日

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面白かったー!!対話形式で読み口がマイルドだし取っつきやすい。でもやってる内容はガチのガチなので薄っぺらくなることもなく初心者にはうってつけなんじゃないのかな。認知言語学の面白さと、じゃあこれってどういうことなの?でもこうなんじゃないの?と興味を次に繋げる感じの構成で、どんどん認知言語学について知りたくなる。
久しぶりに新書で楽しませてもらいました!
(ていうか私が野矢さん好きだからこんなにハマったのかもしれませんね…)

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2018年06月25日

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めっちゃ面白く読みました。
やはり何か新しい手ごたえが生まれてくる瞬間に立ち会うというライブ感(もちろん疑似的なものにすぎないわけですけれど)は、面白さを倍増させる気がしますね。

でも、この本を「面白い」と思うための条件は割と厳しいと思います。

まずこれまでに「「野矢哲学」に一度でも触れたことがあること。
そして大学2年生レベルの言語学についての基礎的な理解があること。

この2点をクリアできる人って、本当に大学でその分野を専攻している人に限られるんじゃないだろうか。

だから署名は『入門』じゃなくて『教室』なんだろうなあ。高校生が読んでもちょっと太刀打ちできないだろうと思います。

チョムスキーの生成文法は何か堅苦しくて好きじゃなかったけれど、その理由が自分なりに分かった気がして、その辺りもすっきりしました。

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2017年07月31日

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 人間は言語を道具として操ることで他の動物にない進化を遂げた。とか何とかいうのは近代的な認識で、20世紀初頭の言語学の勃興以降、言語によって人間の認識が影響を受けるといった言語論的転回がおこり、極論すれば人間こそが言語の道具である、というのが現代思想であった。
 しかし、学問というのは進歩するのではなく振動するものらしく、そうした言語中心主義も揺り戻しが来て、ふたたび人間の心理が言語に影響を及ぼしているという認知言語学が出てきた。本書は言語哲学の野矢茂樹が認知言語学の西村義樹に教えを請うという形の対談によって、認知言語学を解説したものである。茂樹と義樹、ふたつの樹が認知言語学に迫る。

 一般には「認知」というと「ああ、俺の子だ」みたいな場合が人口に膾炙しているのかもしれないが、学問の世界では「認知」という言葉が流行りでありながら、認知といって示されることは、生物学的な臓器としての脳をベースに考えようくらいの意味のこともあり、認知をどう認知したらいいのかよくわからないことも多い。認知言語学の場合、おおざっぱに言うと心の働きと言語の関係を(再び)問題にするということのようだ。もう少し踏み込むと、従来、統辞論と意味論というようにわけて考えられてきた、意味と文法との関係を俎上に載せるということが、大事なテーマになっているようだ。
 例えば、受動態。「雨に降られた」とか「太郎は花子に泣かれた」という受動態は、能動態を持たず、「間接受身」という。ここには、困ったとか嫌だという「受苦」の気持ちと、それでも仕方がないという「諦念」、さらに雨にしろ花子にしろ、自分ではどうにもできない「他者性」があることを含意していると分析される。この用法を習うと外国人は「財布に落ちられた」などという文を作って、おかしいと指摘されても腑に落ちないのだというが、財布がある程度意志を持った他者的なものである場合には、「財布に落ちられた」という表現は可能となる。かように、「間接受身」という文法には「受苦」「諦念」「他者性」という心の動きなり、意味が介入しているのだといった議論が認知言語学のお話なのである。よって「間接受身」のことを「迷惑受身」とも呼ぶ。

 この比較的新しい学問を背負って立つ義樹に、「どうなの、どうなの、教えて」とばかりに茂樹が鋭い質問を投げかけていく対談は読みやすいけれど、難しい問題をあぶり出して言語の面白さを披瀝していく。
 後半はメトニミーとメタファーの話で、従来のレトリック論にはない切り口が大変おもしろい。
 さて、では言語が先か心理が先か。たぶん言語によって脳=心理が形成され、脳=心理によって言語が変わっていくといった相即の関係にあるというしかないのではないかと評者は思うのだが、本書は、言語は常に揺らいでいるという結論めいた話で終わる。

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2016年02月10日

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言語のしくみと心の動きとの関係。従来の言語学では重視されていなかったが、やはり無視することのできない要素だと思う。西村さんと野矢さんがわかりやすく鮮やかに考察されている。
言葉の不思議について日頃から考えている人にとってはとても面白い本。哲学に近い面白さ。ひょっとすると大学の言語学研究室ではこういうことはやってないかも。

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2014年11月10日

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哲学者の野矢茂樹先生が生徒役になって認知言語学者の西村義樹先生に聞くという対談形式で認知言語学者について分かり易く教えてくれる本です。

何と言っても野矢茂樹先生の「予習をきちんとしてくる」「分からない点は納得がいくまで質問する」という態度に心を打たれました。

内容については半分くらいしか頭に残っていない感じですが、認知言語学のこだわりや、メトニミーの概念が理解できてよかったです。

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2014年03月29日

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認知言語学の取り扱うテーマについて、平易な語り口で、対話形式で進めていく。言語学についてほとんど全く予備知識は持っていなかったが、とても楽しく読み進められました。

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2013年11月21日

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 野矢茂樹は、私の好きな哲学者だ。日常を眺める角度を少しだけずらせてみせて、気が付くと哲学的な思考の深みへと自然に誘ってくれる。この人が、「認知言語学」に興味を持ち、自分が生徒になって、その道の研究者である西村義樹に教えを請うという形の対談本なので、これは見逃すわけにはいかない。面白い例文が次々と飛び出してきて、退屈する暇はない。
 「雨に降られる」とは言うが、「財布に落ちられた」とは言わない(これは、「間接受身」とか「迷惑受身」と呼ばれる)。
 「嘘」は、広辞苑では「真実でないこと」とあるが、「嘘をつく」というのは「①事実でないことを言う、②発話者自身が事実ではないと思っていることを言う、③聞き手を騙す意図がある」という3つが満たされている場合が典型と考えられるという指摘には納得。(これは、プロトタイプ意味論から導かれる)
 「花子は交通事故で息子を死なせてしまった」と「花子は交通事故で息子に死なれてしまった」の微妙な違いをめぐるやりとりも興味深い(前者は「許容使役構文」と呼ばれる)。
 「近接の関係に基づく比喩」と定義される「メトニミー」に関して、「洗濯機を回す」(別に、洗濯機を振り回しているわけではないのに・・・)や、「トイレを流す」(そのまま受け取ったら、とんでもないイメージが思い浮かんでしまう)など思わず笑えてくる。
 「メタファー」についても、詩に代表されるように創造的な使用法なのだが、「考えが甘い」とか「目が釘付けになる」のように人口に膾炙するにつれて、陳腐な言い回しとなってしまうのも確かで、言葉が生き物のように思えてくる。
 読後、言語表現と認識方法(見方・考え方)が深いところで繋がっていることに思い至り、普段は何気なく遣っている言葉が、奇妙な形を持った言語として立ち上がってくるという不思議な感覚に襲われた。

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2013年08月28日

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実に楽しく、明快で、かつ高揚感に溢れる一冊。異なる言語間の形式的差異を文化の違いに帰するだけの本ならいくらでもあるが、この本が読み手を連れて行く(←語彙的使役)場所はそれより遥かに深く鮮やかな色彩に満ちている。言語学者と哲学者の、どちらが主とも従とも、教師とも生徒ともつかないままの対談形式は澱みもなく、豊富な例とも相まって読み手の理解を大いに助けてくれる。「言語学」「哲学」などというと堅苦しいが、難解な所は全くなく、肩肘張らずリラックスして読める良書。巻末のブックガイドと索引も有難い。

ところで何年か前、大学の農学部を舞台としたマンガが人気を博したことがあったが、その中で「かもす」という動詞が頻繁に使われていたことを思い出した。キャラクター化された細菌が出てきて「かもすぞー」などというのだが、そのマンガを読んだとき、その「かもす(漢字では「醸す」)」という動詞を新鮮で面白く感じつつも、なぜそう思えるのかその理由がよく分からなかった。この本によれば、そのような「動詞+助詞(せる・させる)、例:腐らせる」の形ではない単一の使役動詞を「語彙的使役動詞」というのだが、そのような動詞が使われる場合は行為と結果の因果関係が直接的かつ強固で、客体が主体の完全なコントロール化にある場合が多いのだそうだ。…つまり、微小で頼りない(マンガ内でもラクガキ的に描写されている)細菌が、こと発酵というプロセスにおいては有無を言わせない程強力な役割を果たす支配者なのだという、そのギャップが面白かったのだなあ…とこのように、様々な気づきを与えてくれること間違いなしの一冊。

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2013年07月10日

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対談形式なのでとても分かり易かった。
言語学って、哲学や心理学とも繋がっていて、掘り下げると複雑なんだと改めて思った。
言語学の基本的な知識は多少必要だと思うが、難しい内容を分かり易く説明しているので、ただ読むだけでも面白い内容だと思う。

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2024年04月07日

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言葉を操ることは楽しいし、考えれば考えるほどドツボにはまる。言語をめぐる哲学的対話の体で、野矢さんが多彩な質問を繰り出しテンポよく論が進んでいく。実際の対話はもっと長かったそうで、中公新書の編集担当者さん、お疲れ様でした。

冒頭でソシュールを引き合いに「共時態」と「通時態」の話が来たところでいよいよ引き込まれてしまった。全体的に通底しているテーマだったように感じる。

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2023年11月13日

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認知言語学について知りたくて読み始めた本。
対談形式で、東大の哲学の先生が、東大の認知言語学の先生に、認知言語学に関する疑問をぶつけ、言語学の先生もその視点にハッとさせられながら、認知言語学の視点で答えていく。
「雨に降られた」「彼女に泣かれた」などの間接受身という文は、「自分にはどうしようもないという、諦めの感覚」があり、「言葉の問題を言語だけに狭く閉じ込めないで、事柄に対するわれわれの見方や態度と結びつけて考えていこうというのが、認知言語学の特徴」である。
読むのにかなり時間がかかってしまったが、認知言語学の世界に少し近づけたような気がする。

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2019年04月07日

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認知言語学者に哲学者がツッコミを入れていく対談。まだ新しくて発展途上の認知言語学の視点から言語学全体の簡単なレビューもしてくれる。対談はざっくばらんで面白いが、意外と咀嚼するのは大変。

古くは言語学といえば言語のルーツなどを調べる学問だったが、ソシュールが共時態の言語学を唱えて言語の構造を調べる方向へ。そしてチョムスキーが単に言語のあり方をブラックボックス的に記述するのでなく、なぜそうなっているかの学問として生成文法をはじめる。言語知識を他の知識から独立したものとして捉えて(狭義の)文法に意味を認めない生成文法に対するアンチテーゼとして生成意味論がおこったが敗北。しかし生成意味の後継者として認知言語学あらわる。認知言語学は言語相対主義と親和性がある。

直感的には何を言っているか分かりにくい生成文法と比べると、認知言語学はハラ落ちしやすい。掛け算の順序の議論に例えると、順序に意味を認めないのが生成文法で、順序に意味を見出す(実際に意味を持たせて使われているじゃないかということで)のが認知言語学って感じ?

・カテゴリー間をしっかり区分けする古典的カテゴリー論に対して、そのカテゴリーらしさ=プロトタイプを中心に、グレーな色分けを想定するプロトタイプ論(ペンギンは「鳥」のプロトタイプではない、みたいな)。

・プロトタイプ論と似た百科事典的意味論。言語の意味も、事実に関する意味(百科事典)と切り離せない。意味論と語用論も切り離せないと。

・使役構文。英語ではcausation=因果。文法が意味を含んでいる例として。

・メトニミー。「村上春樹を読んでいる」みたいな。(の本)を省略しているだけではないかとも言われるが、参照点理論とか、「フレームと焦点」理論とか、独自の働きを説明するフレームワークがある。

・メタファーには言語の本質があると。More is up、Argument is warのような概念メタファー。

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2018年11月05日

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哲学者と認知言語学者の対談。一応、言語学者が先生で、哲学者が生徒ということになっているが、生徒が様々に話を広げていく様子がわかる。でも、言語の研究って、どうしているのだろう?議論ばかりしているのかな?

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2018年10月19日

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はじめは言語学の系譜から始まり、認知言語学とは何かを解く。では、認知言語学とは何かといえば言語を可塑的でかつ流動的なものととらえ、言語における主観や含意を認識しようとせんものである。チョムスキーの生成文法が多様性の中で普遍的な核を探求するプラトン的な、科学的な、理系的なものであるのに対し、認知言語学は多様性を掬い取ろうとするアリストテレス的で文系的なもの。生成文法と比較すれば科学的ではないが、心理学との親和性も高く、人間の認知のあるかたというビッグテーマに対し示唆に富んだもの。印象的だったのはメトニミーを参照点理論で説明するものであった。人間は未知のものに遭遇したとき自分の経験から近いものを想起して、それを参照点とすることで新たなものを認知するという馴致化プロセスを言語学の分野で解説したものでとても面白かった。

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2016年03月02日

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チョムスキーの生成文法との対比をしつつ,認知言語学とは何かという問題への論考。体系的に学問分野が整理されているわけではなく,西村先生と野矢先生の対談を進めて理解を深めていく感じ。へたに教科書チッックで抽象的な議論でなく,具体的な話が多く,面白く読めた。

はじめにさくっと言語学とはなにかという話もされるので,言語学に全くの素人の人(私も)もイメージはつきやすかった。

専門外である野矢茂樹先生の質問がとても素人の気持ちを代弁していてとても面白い。

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2016年02月14日

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ネタバレ

認知言語学は、けっこう文学的な言葉の使い方についてあれこれ考えている人には面白いんじゃないか。レトリックだとか、同じ真理を表現していても、言葉の並べ方で意味が違ってくるんだ、って思える人は認知言語学向きです。初めて知ったものとしては、メトミニー(換喩)がありました。赤い頭巾をつけた女の子を、「赤ずきん」と呼んだり、メガネをつけた男の子を、「メガネ」と呼んだり、「村上春樹を読んでいる」という言い方で、村上春樹さんの作品を読んでいる意味になることだとか、そういう種類の、言葉の使い方については、そっか、そういうグループの言葉だったのかと初めてカテゴライズして認識しました。

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2016年01月03日

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認知言語学の入門書としてはやや敷居が高いか。例えば籾山洋介 (2010)『認知言語学入門』東京: 研究社 あたりを読んでおくと良いのかも。生成文法との区別や,メトニミーに関する記述が興味深かった。野矢の専門も生きる記述もあり,ウィトゲンシュタインの家族的類似性の話は大変わかりやすかった。

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2015年03月29日

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多分すごい本なんだろうけど、理解が追いつかない。かなり難解なことをそこそこ何回なことに噛み砕いてるんだろうなあとか、言語をきれいに分類することの難しさとか、ちらっとそういう世界を覗けたというのみ。もっとそのあたりの起訴知識がついて読むとおそらく違ってくるのだろうなあ。

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2014年03月31日

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とてもおもしろかった!認知言語学とはどんな学問か、最良の入門書だと思う。
対談形式なのが、非常に読みやすいだけでなく、2人とも非常に頭がいいので(当たり前だ!)刺激的。
対談形式にありがちな冗長さもなく、時に高度な抽象議論、時にわかりやすすぎる具体的な話、この往還もすばらしい。

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2013年10月20日

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本屋さんを物色していると思わぬ類の本に遭遇することがあります。この本もその一冊。本の帯にあった「昨日、財布に落ちられました」はどうしておかしいんだろう?というペンギンの絵のセリフに目を奪われて中身をぱらぱらめくると、さらに「雨に降られた」はごく自然な日本語なのに「財布に落ちられました」は?・・の理由が、対談形式で述べられている・・というわけで、普段意識しない言葉の使い方の世界を覗きみてしまった感じで無視できず、つい買ってしまいました。
対談形式ですが、中身は言語学の格闘技のようなお二人の議論が延々と続きます。認知言語学という分野を研究している西村さんを師として、年下の哲学者の野矢さんがこの分野に非常な興味を抱き、講義を受ける生徒の立場として、いや、もう楽しくってしかたがない!とのわくわく感満載で質問をぶつけていきますから、編集されたあとの本の内容でさえかなりの臨場感がありました。(この人たちはこういうことを考えるのがよほど楽しいんだろうなあ・・)
とはいえ、買った動機は知的好奇心を触発されたのは事実なのですが、中身は言語学の専門用語が飛び交い、質問するのは哲学者の野矢さんですから生徒の知的レベルが私とは違いすぎて最後まで読んだものの、やっぱり肝心なところはさっぱり分かりませんでした・・というのが正直な感想です。ただ部分的には、冒頭の文章のおかしい理由や、村上春樹の作品の文章の用法がちょくちょく引き合いに出されていたので、興味を惹かれながら読むことができました。メトミニーという日常ではありふれている比喩の表現方法(例えば自転車をこぐ、とか、洗濯機を回すなど)のことやメタファー(隠喩)や直喩の例を述べている部分は、村上作品を読む上での勘所が分かった気がして合点したのでした。

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2013年09月30日

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言語の研究や、哲学を専門とする人は、コトバをかくも緻密に捉えるものであるか、と感服する。使役構文についてのやりとりで、シンプルな例文を皮切りに、これではどうか、あれはどう説明する、というのが次から次へと出てくるのが、世界がとても拡がるような感覚を覚えることができ、楽しかった。

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2018年10月14日

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言語を文法だけでなく人間の認知として捉えることが認知言語学らしい。

本書は対談のテープ起こしであるが、そのライブ感だけでなく、二人の感性、本文では違和感と表記されるもの、が伝わってくるのか面白い。

工学の立場からすると、こんな曖昧なものが学問として成り立つのか、プログラムに出来ないものが金になるのか、とも思ったのだが、感性が殆んどであろうUX/UIの話にも似ていて参考になる。

画像の話もそうだが、結局認知とは、そもそも人間に備わっている機能、その機能に関する記憶、他の機能、特に感情に関わるものとの相互作用だと思う。

同じものを見たとして、認知はその人で異なるのはもちろんのこと、コンテキストで異なるはずである。

プロトタイプという言葉は面白い概念だと思った。コンテキスト推定などにも活用出来そうだと思った。

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2013年09月27日

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言語哲学者と認知言語学者が対談形式で認知言語学の世界を見ていく。生徒役も言語に造詣が深いので鋭い質問,うまいまとめがポンポン出てきて小気味良い。構造主義言語学→生成文法→認知言語学という流れ,プロトタイプ意味論,使役構文,メトニミー,メタファーなど,刺激に満ちた講義が進んでいく。巻末に対談の生の書き起こしが載っているのも面白い。本文と対比することで,本を作るにあたっての編集作業の重要性がよくわかる。議論の内容をしっかり追える人が,冗長な部分を的確に刈り込んで初めて読むに耐える対談本が完成するのだなあ。

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2013年08月06日

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最近、ラネカーの「参照点」と「ターゲット」の概念モデルが、UIとUXの関係性について捉えるのに役立つと思っていたところでしたので、色々自分自身整理ができて良かったです。もっとも、UIとUXの場合は明確に一方向性が強いので単純に適用はできないけど、今一番ホットな話題のskeumorphismとかタッチインターフェイスにおけるページ捲りの動作とかは大体これで捉えられます。

第5,6回については、ドナルド・ノーマンの『複雑さと共に暮らす』で書かれていた、世界は複雑でありデザインはその複雑さを反映したものである、という趣旨(iOS 7の紹介でJony Iveが同じことを言っていましたが)が言語の「創造性」とリンクしているように感じました。ノーマン氏自身が認知心理学者なので、似たような世界観を持っているのでしょう。

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2013年06月27日

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1
チョムスキー生成文法論(解釈意味論)⇔レイコフ生成意味論

syntax 統語論=構文論
意味は扱わない

2
スキマティックな意味

3
カテゴリー
言語哲学の内包と外延

ファジィ集合論
ウィトゲンシュタインの「家族的類似性」
→プロトタイプ(典型例、模範例、ステレオタイプ)
「プロトタイプ意味論」

認知言語学的
「犬という語の意味は何か」ではなく「語の意味を理解しているとはどういうことなのか」

コンテクスト(発話の状況)から独立した意味を扱う意味論
コンテクストに依存する意味を扱う語用論
→認知言語学では区別できない

野矢「意味に関わる事実を「典型的な物語」と呼びたい」
≒百科事典的な知識、レイコフ「理想認知モデル」

合成性
文レベルでのプロトタイプを考える(鳥が飛ぶと飛行機が飛ぶはちがう)議論はあまりされてない
→曖昧でいい

4
「〜が〜を開けた」も使役causation(因果)
開けたは使役動詞

自他対応 焼ける焼く、壊れる壊す
窓を開けるは行為だけでなくその結果も含む

語彙的
迂言的使役構文 periphrastic遠回しな言い方 〜せる

焦点色からどれだけ離れることができるかという語彙の制限
使役構文に共有される意味プロトタイプと言語によって異なる意味

5
メトニミーなのか、ただの省略なのか

自転車をこぐ ペダルのメトニミーなのか?こぐという比喩なのか?

桃が流れる トイレを流す

参照点(能力)理論
参照点とターゲット

6
idiomの多くは凍結されたmetaphorだ

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2022年11月10日

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 東大の哲学の先生が認知言語学の先生にあれこれ質問する、という対談形式で書かれた本。認知言語学、意味論の入門的な内容で、認知言語学が誕生した経緯(言語学史)から、形式と意味は不可分なのかという話題で生成文法の考え方との対照、認知言語学の主要なトピック(プロトタイプやフレーム、使役、メタファー)について書かれている。巻末には認知言語学をさらに知り、あるいは研究するための丁寧な文献案内もついていて、親切。
 語の意味については、たしか意味素性?というのを昔習ったような。それに比べてプロトタイプとかフレームというのは俯瞰的な視点をまず前提にしている感じで、そこが面白いと思う。そして、野矢先生の「やってることはけっきょく『後知恵』で、けっして一般原理や法則のようなものではない。(略)だけど、それはけっして悪いことではなくて、そういうもんなんだと思うんですね」(pp.196-7)というところに納得した。意味の研究は面白いけれど証明のしようがない、というか言語学の主要な分野である生成文法もどうやって頭の中のブラックボックスを証明するかというのは理論的に結論を導き出すしかない、という「説明の仕方を考える学問」ということがよく分かる、ということを考えた。
 全体的に哲学の先生に押され気味で、言語学の先生がんばれ!っていう気になってしまう。「教室」というと生徒役は相槌か、ごく簡単な質問をして先生が淡々と答えるという形を想像するが、言語学の「ゼミ」という感じで、鋭い質問に先生が「えっと…」みたいな感じになってしまう所にスリルのようなものを感じて、面白かった。(14/01/23)

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2014年01月23日

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西村義樹と野矢茂樹の言語学の教室を読みました。
哲学者と学ぶ認知言語学という副題のついている、認知言語学の解説書でした。

私は言語学というと文法構文と語彙が独立して構成されているように感じてしまいます。(コンピュータの言語を扱っているからかもしれませんが)
しかし、現代の言語学の最先端では、文法は意味から独立することはできない、というふうに理解されているとのこと。
つまり文法的に正しい文のようでも意味的に正しくなければ正しい文とは見なさないということです。

また、語彙というものは中心となる典型的な意味といくぶん意味的に外れる周辺的な意味を含めて構成されるものだと理解されているとのこと。
例えば、鳥という語彙では典型的な鳥はスズメやツバメだけど、ペンギンやダチョウも鳥の一種ではある、というように。

難しくて理解が及ばないところも多かったのですが、例題や議論は面白く読みました。

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2013年10月24日

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ネタバレ

失語症の勉強のために、言語学について勉強しようと読んでみました。歴史的背景の部分や、概念的な説明などは、イメージしにくく、分かりにくいですが、例をあげながら、対談形式で書かれており、分かりやすくしようとする努力が見えます。認知言語学では、文法と意味が切り離せないと考えられていること、例えば、「知らない人が私に話しかけました」より「知らない人が私に話しかけてきました」の方が自然であるなど、文法事態に意味を含むことがあること、メタファーには、「目が釘付けになる」のような、慣用句のようになった死んだメタファーと、その場その場で生まれる、創造性にかかわる、「夜の底が白くなった」のようなメタファーがあることなど、参考に、勉強になりました。

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2013年07月05日

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