丸谷才一のレビュー一覧
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単行本は2010年刊。もとは「小説現代」2004~09年連載。
書名の「人間的な」とは下ネタのこと。アルファベット順に項目が並び、セクシャルなトリビアが展開する。書名は婉曲表現で、内容はストレート。丸谷流、高尚なる下ネタ(これって形容矛盾?)。
AからZまで、actressで始まり、zipperで終わる。もちろん、楽しむべきは、本題以上に、寄り道や余談。
たとえば最後の「zipper」の項目。冒頭いきなり「マウントバッテンのことは御存じでしょうね」。知るわきゃないばってん。第二次世界大戦の連合作戦司令部長官、最後はアイルランドのテロリストによって暗殺されたイギリス人という。その彼のズボンのジッパーにまつわる逸話(いわゆる「社会の窓」)から始まる。そしてズボンのジッパーにペ〇スが挟まる話へと続き、痛みを感じることなくペニ〇を解放する方法の研究の紹介、そしてその研究がイグ・ノーベル賞を授与された話へと展開する。さらには呼び名のいろいろ、ファスナー、ジッパー、チャック、あなたはどれ? ファスナーはイギリス風、ジッパーはアメリカ風、チャックはなんと日本語(「巾着」に由来)。黒柳徹子のあだ名はチャック、しゃべり過ぎなので「お口にチャック」からだとか。……トリビアはまだまだ続く。 -
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1975年発表の丸谷作品。
「文庫版のためのあとがき」を読んで驚いた。ひらめきはグレアム・グリーンの自伝中のエピソードだったという。グレアムの父親が旅先のナポリのカフェで機知に富む男と一緒になり、飲み物をおごった。後年気がついたのは、あれは出獄したばかりのオスカー・ワイルドだったのではないか。
「わたし」の父が道後の茶屋で出会ったという坊主、もしかしたらあれは山頭火だったのではないか。カフェを茶屋に、ワイルドを山頭火にメタモルフォーズさせた時点で、座布団2枚。しかし話はそこから。謎解きが展開される。一種の文学ネタのミステリ、しかも緻密に錬られた極上のミステリ。
日にち、恰好、見かけの年齢、話の内容、そしてただの漂泊の坊主であった可能性について、「わたし」は推理を重ねてゆく。読むほうも、晩年の山頭火にはまってゆき、横しぐれのなかを茶屋から出てゆく姿までが見えてしまう。そしてなんと、予想もしない結末。 -
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作家の証言
四畳半襖の下張裁判
~完全版
編者:丸谷才一
発行:2023年1月25日
中央公論新社
「作家の証言 四畳半襖の下張裁判」(1979年10月、朝日新聞社刊)に短編「四畳半襖の下張」(全文読める)を収録して完全版としたもの
読んでいてひっくり返るくらい面白かった!永井荷風が書いたとされる短編小説「四畳半襖の下張」を全文掲載した雑誌「面白半分」1972年7月号を販売した佐藤嘉尚代表取締役と、編集長(2代目)を務めていた作家野坂昭如氏が、猥褻物頒布等の罪に問われた公判(東京地裁)において、弁護側の証人として証言した人のうち、作家の証言だけ抜粋して紹介した本。なお、他に、学者や主婦なども証言台に立っているが、ここにはない。
内容が高度に専門的であることから、弁護側は弁護士資格を持たない「特別弁護人」を3人申請、うち丸谷才一氏が認められた。面白半分は編集長が半年単位で交代していたが、証人となった作家は、その初代編集長である吉行淳之介、五木寛之(4代目)、井上ひさし(7代目、14代目)、開高健(3代目、10代目)、田村隆一(15代目)のほか、中村光夫、金井美恵子、石川淳、有吉佐和子の各氏。内外のあらゆる文学に通暁した丸谷才一が博覧強記の世界で、これまた知識と言葉を駆使する売れっ子作家たちと文学論をやりだすものだから、裁判官も検事もたまったものではない。元々、罪を認めて罰金を払えば略式起訴ですんだものをあえて3審まで闘わんとする彼らに対し、検察は反対尋問を一切せず、判事は最初から判決を決めているかのように受け流している。
ところが、実際の各証人への尋問では、我々凡人が予想するような筋書き通りにはなっていかない点が非常に面白い。さすがに一流作家たち、弁護士や丸谷特別弁護人による尋問に対し、すれ違ったり、丸谷の思い通りの回答をしなかったり、はたまたとぼけてみたりと、回り道をしながら文学論を展開していく。これはまずいのではないか、といったんは思わせておきながらしかし、最後は見事にわいせつを問う裁判自体を批判する結論へと、見事に落とす、全員が。ときに笑い声を上げ、ときに見事なりとうなってしまう。
公権力がわいせつだと規制すること自体が誤りである点と、件の小説がわいせつではないという点と、両面での展開をしていくのだが、なにせテーマが「わいせつ」だけに、「わいせつ」なことを法廷でかしこまって作家たちが発言するさまがたまらなく楽しい。例えば、丸谷は起訴状に対する意見の中で、こう述べている。
「この短篇小説が決してリアリズム小説ではないといふことで、房中にあってこれだけ長時間、女を喜ばせることができる男は、稀にはゐるとしても、それはすくなくとも常人ではありません。かういふことを言ふのは、男の沽券にかかはるので残念ですが、わたしはさう思いますし、わたし一人では何ですので、念のため、この事件の被告、野坂さんに訊ねてみましたところ、彼も同じやうなことを述べ、『あの本を読むと、癪にさはりますな』と、ぼそぼそとつぶやきました・・・」
以下、少々事例。こんなことを法廷で真面目くさった顔して発言していったのである。
*五木寛之
ちっともエロチックじゃないかということとも結びつくんじゃないかと思いますが、私どもは、年中テレビを見ておりますと、土曜イレブンなどというテレビを見ていますと、少々のことでは、はっきり言って驚かなくなっておるんです。
(北欧のポルノショップ事情を問われ→)日常通る道ばたにああいう形のものが展示されてあったら、いかに多感な青少年でも三度ぐらい見れば、そこらへんにある電柱とかポストと同じような無感覚の状態になってしまうのではないかと思います。私自身も、最初に行ったときには非常な熱意をもってそういう店にまいりましたけれども、(笑)二度三度と重なりますうちに、全くこれは言い訳ではなくて、すすめられても寄らないような・・・
*井上ひさし
ぼくの経験をお話ししますと、ぼくの場合は、「精工舎の時計が七時をお知らせします」といいますけれど、あの精工舎の時計というのを訊くとちょっと顔が赤くなるといいますか、なんか、こう変な感じになるわけですね。「この方は成功された方で」と言われると、きのうあたり性交したかもしれないという感じがする。寿司屋で「お、赤貝くれ」なんて言われると・・・ひょっこりひょうたん島をしていたときに、安寿と厨子王のパロディーで万寿と何とか王というのをやったら、鹿児島の女教師友の会みたいなのがあって、手紙が来まして、万寿と何とかというのを早くよしてくれというんですね。
(今回の裁判について)やっぱりえらい人というのは、年とっちゃって、金も地位もあるし、権力全部あるんですが、ただひとつ性の力だけは、どうしても弱いんで、これは癪だというんで、取り締まりに躍起になるという感じが、ぼくにはするんですね。ですから、あの人たちに特別の薬を催淫剤なんか発明して差し上げれば、赤坂とかで盛んにおやりになって、そういう不満がなくなれば、こういう取り締まりもなくなるんじゃないかという気が、わりと本気でするんですけどね。
*吉行淳之介
(初代編集長として「面白半分」の発刊の趣旨を問われ)面白半分というのは、従来は悪い意味で使われていましたけれども、そういう悪い意味を取り除きまして、あまり力むな、面白半分もいいじゃないかというような趣旨にぼくも賛同して、編集長を引き受けたわけです。
(四畳半襖の下張が選ばれて載ったということについての意義を問われ)つまりね、「面白半分」というものはその意義というものをまず排除するというところに意義があると。
「いわゆる偽善的な市民生活というものに対する皮肉みたいなものを、春本を書くことによって、ひそかに自分の気持ちとして冷笑するというような、いかにも荷風好みのことじゃないかと思います」
(丸谷から四畳半襖の下張が春本の枠を超えてしまった部分について具体的に示してくれといわれ)
吉行:○○××・・・・まあ、こういうもんですね、もっと必要ですか。
丸谷:ええ。
吉行:結局、その二人が結婚するわけですね・・・・・・まだいりますか。
丸谷:ええ。
吉行:ちょっとくどいね。大体拾い出せばいくらもありますけどもね、そういう種類のものですよ。
(丸谷から春本を書く気があるかと問われ)
わが国の文士の税金高いですからね、なかなか経済的に余裕がないと、これは売れる作品じゃありませんから、原稿料をもらえるものじゃないですから、春本は。絵かきは割に早くかけると思うんですよ、春画を。だけど文士による作品となると、かりに何か月かかかるとしますね、その間どうやって食うのかね、その蓄えができれば、まあ、春本貯金というようなものでもやらんとだめですね。やる気持ちは十分あります。
*開高健
明治になったころ、東京の下町一帯では女性の大事なあそこのことを「チャンコ」と呼んでいた。北海道の積丹半島へいくとソーラン節にも「鏡またいで うがチャンコながめ」という歌詞があることを知った。東京へ帰ってくると、大きな看板がでていて、「一家こぞってチャンコ鍋をどうぞ」とか、冬の晩はこれに限るとか、「カロリーとボリュームたっぷりのチャンコでどうぞ」とかいうことで、皆さん振り返ることも疑うこともなしにおっしゃるんで、私は以前覚えなかったような恥ずかしさを特に覚えるようになりました。
私の名前は開高というんですが、ペンネームでも雅号でも源氏名でもない、父母祖父母から受けついだ民族遺産です。春本で女性の聖なる部分を「開」と呼ぶんですね。少し上部に位置するものを上開などと呼んでる。私は父親に「こうなってくると開高健という名前は、ひどい名前になるんじゃなかろうか、あそこが高くて健やかであるというんだから。こういう名前を大っぴらに言っていいんだろうか」と聞きましたところ、父親は小学校の校長をしてたんだと思いますが、「具体的なものをさしている言葉がどこにもないじゃないか。全部アブストラクトだ。こんな名前はめったにあるもんじゃない」と戒められました。四畳半襖の下張を読んで、「開中火のごとっくほてり」ですか、なんかそういう言葉があったと思います。当法廷において、野坂某と佐藤某が殊勝な顔をして、ここに座っておとがめをうけている。しかし、私はもっとひどいことをぶっつけ本番に、「開が高く健やか」と名乗って歩いているんですけれども、誰も恥ずかしい顔もしていないし、ときには「サインしてください」と言われることもありますしね。
*石川淳
石川は、四畳半襖の下張は「古事記」と同じ系統のものだと論を展開。古事記にも、何カ所も「まぐわい」の場面が出てくるが、四畳半襖の下張はその中でも「天の岩屋戸」のくだりにおける、ウズメの生殖器を見てみんなが笑った部分に該当する。生殖器を見て笑ったことの記録として一番最初のもの。
*金井美恵子
丸谷が「面白半分」をどういう雑誌と考えるかと問い、金井は娯楽雑誌みたいな部分もあるが若者に対する教育的な雑誌だと感じると答える。
丸谷:人生雑誌みたいなものですか。
金井:まあ、人生雑誌というの、例えば、そういっちゃあ悪いけども、どこかの電器会社の松下幸之助なんかが出しているような雑誌なんかも人生雑誌というふうな範囲になると、ちょっと一緒にしちゃ佐藤さんに申し訳ないし、私も全然そう思わないわけですけど、広義な意味では人生雑誌だと思います。
丸谷:「いんなあとりっぷ」みたいな。
金井:あれもちょっと宗教臭さがあるから、ちょっと違うんじゃないかと思います。
*有吉佐和子
戦後、性は解放されたと考える有吉は、自らの小説にベッドシーンを書く必要がなくなったと考え、ほとんど書かないと論を展開。この裁判については、本来、告発すべきではないものを告発し、裁くべきでないものを裁いていると批判。もし野坂が有罪の判決を受けるなら、野坂は無罪だと思って一種の思想犯のように牢屋に入り、そうすると牢屋でも歓迎されるだろう。当人は普通の人なら入れない世界だから、人一倍好奇心の強い小説書きとしては、欣喜雀躍として入るのではなないかと。ただ一つ彼が残念に思うのは作家であるにもかかわらず編集者として裁かれ、前科者になるかもしれないこと。悪法と対決し、悪しき法解釈と対決するのは筆をとる人間にとっては逃しがたいチャンスなので、私があるいは書くかもしれない。そして、私、それで牢屋にぶちこまれるんだったら、野坂さんのあとから入るかもしれないけれども、私は書き手として入ることになるから、私としては、そういう事態が来れば欣快だし、性は解放されたと思っていたから、ベッドシーンの少ない小説を書いてきたが、この判決如何によっては私の作風は変わると、先ほどの言葉を補足させていただく。 -
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丸谷才一による、文学に関する縦横無尽の講義。歴史的かつ同時代的にも文学を縦断・横断的な解説。聞き手の湯川さんも博識でこのようなインタビューはもうできないのではないかと思うと同時に、自分の勉強不足を痛感させられる。
以下、自分の関心を中心に本書の内容を簡単に紹介する。なお、下記は本書のメモに近く、本書の魅力は数多くの作者・文献が各種紹介され、それぞれの作品の魅力が語られることにある。
短編小説
・短編小説の面白さは本歌取り。短編の中に他の説話を盛り込むことにより、短い筋であるにも関わらず話の深さ広がりを作ることができる
・長編小説はイギリスで生まれた。生活に余裕ができて小説を読むという時間を持つことが必要で、これには豊かなブルジョワ読者層が必要。したがって、それまでは短編小説しか作ることができなかった
長編小説
・日本では夏目漱石を除けば長編小説で成功した作家はいない
・長編小説の魅力は、①作中人物、②文章、③ストーリーの3つから考えることが必要
伝記・自伝
・自伝には事件がたくさんあるといい。文章がよくないとつまらない。文体の個性が最も重要なジャンルが自伝かもしれない
歴史
・歴史であっても「声」を響かせることが必要。「声」が響いていないと歴史書としてつまらない。結局は文体の問題なのかもしれない
批評
・川村二郎によると批評とは、学問とエッセイの重なるところ
エッセイ
・石川淳によると随筆家に必要なのは、本と資産と間暇
演劇
・歌舞伎はバロック演劇。①世界は劇場であり、人間はみな役者でそれぞれの役を演じている。②人生は夢である。この二つのテーゼが表裏一体になっている
詩
・古典劇は大部分が詩
・文学の中心には詩がある。文学は言い回しの面白さと、言葉の連なりの美しさ、意味とは別の音の楽しさ、それが同時にあることが要求される
・シュールリアリスムの影響で、世界の詩の流れは音楽よりもイメージを重視するようになった
・大岡信は詩に祝祭的なものの復活を目指しているのではないか。和歌の哀愁好き、俳諧のわび・さび好きを批判している -
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その時いたのは、ジョージとハリスとぼくの三人、そして犬のモンモランシーだった。
三人でどうも最近体の具合がよくないなあなんて話し合っていたんだ。ジョージもハリスも不調を訴えていたが、ぼくなんてもっと重症だよ、病床図鑑を調べたら全部が当てはまるんだ!
ぼくたちには休暇が必要だ。だからぼくたちはテムズ河に出ることにした。
キングストンからオクスフォードへ、ボートをひきながら河を漕ぎ上がる。そしてキングストンへ漕ぎ下がる一週間の旅。
こうしてぼくたち、ボートの三人と一匹の休暇が始まったんだ。
***
イギリスのユーモア小説。
読んでいる最中には頭の中で「ボートの上には三人男~~♪犬もいるよボートの上に~~♪」とかいう感じ歌が流れていました(メロディーは適当に/笑)
翻訳は丸谷才一、表紙絵は和田誠、解説は井上ひさしというメンバーがなかなか豪華。
ボートを漕ぐ男たちの楽しい騒動。
楽しいといっても大袈裟な事件が起こるわけではありません。
家の壁に釘を打つとか、夕食会の余興で歌を披露するとか、初めてボートを漕いだ時のこととか、新しい趣味として楽器を習うとか、そのような日常が作者の語り口により実に賑やかで楽しい大騒動に変わります。
語り手である"J"も、回りの人たちを好き勝手に面白可笑しく語っていますが、彼自身もなかなかの身勝手っぷり。この本でに出てくるイギリス人は、みんなが好き勝手にしてお互い迷惑かけつつみんなが楽しいという、なかなか前向きな生活ですね。
さらに犬のモンモランシーは、小さいフォックステリアながらも近所ではボス犬、他の犬猫相手に暴君ぶりを発揮したり、キャンプの湯沸かし器相手に喧嘩を吹っ掛けたりとやんちゃ坊主でかわいい。
小説としては、もともとはテムズ河周辺の歴史的地理的旅行案内のようなものだったようで、そのためにユーモアも気取ったりわざとらしいところがなく、読者も一緒に自然に楽しい日々を過ごせます。
さらにイギリス人の生活様相、イギリス人気質、食事の状況、紳士淑女の休暇の過ごし方など、イギリス人の日常風景も感じられます。
ちょうどいい時に父なるテムズ河に入り、ちょうどいい時にボートから逃げ出した三人男に乾杯!
わん! -
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ぼくは本作の美点をいくつも挙げることが出来ます。
まず何と言っても、内容。
舞台となる大手新聞社は、政府の土地を払い下げてもらい、そこへ新社屋を建てる構想を持っています。
ところがこの構想が頓挫してしまいます。
原因を作ったのは、主人公の美人論説委員・南弓子。
弓子の書いたコラムが政府関係者の逆鱗に触れてしまったのです。
社の上層部は事なきを得ようと、弓子を事業局へと左遷させるべく動きます。
ここから物語が大きく展開します。
弓子は同僚や友人・知人、恋人と伝手を頼り、あの手この手で事態を解決しようと画策します。
結果、どうなるかは言わぬが花でしょう。
ただ、ストーリーは実に起伏に富んで面白い。
優れたエンターテインメント作品と言えましょう。
最後まで読んで、この作品のテーマ(の少なくとも1つ)が「贈与」なのだと感じた次第。
ギブ&テイク。
政府と新聞社との間の土地のやり取りしかり、書き手としても優秀な弓子と、記事のからきし書けない論説委員・浦野の関係しかり、それから弓子と不倫関係にある恋人の豊崎の関係も「贈与」が介在しています。
そして、この関係が崩れた時、必ず「修羅場」が訪れているのです。
何とまあ凝った作りなのでしょう。
それだけじゃありません。
丸谷の博識ぶりが随所に発揮されていて読ませます。
特に哲学方面の知識はすごいと舌を巻くレベル。
しかも丸谷の場合、博識ぶりを披歴しても鼻につくのは稀です。
憲法改正ではなく、「憲法廃止」のくだりも印象に残りました。
それからユーモアね。
弓子が首相を問い詰める場面は愉快で何度も吹き出しました。
実作者としては、油断すると通俗的になりそうな設定なのに、文学的な強度を一貫して保っているのは、さすが丸谷と思いました。
痴話喧嘩も丸谷が書けば、高尚な文学になるんだから、もう逆立ちしたって敵いません。
ただただ脱帽。 -
Posted by ブクログ
理由抜きで好きなもの、というのがあります。
自分なりの理由は何かしらかあるんでしょうが、客観的に説明はできない(する必要も無いし)、まあ、好み、趣味です。個人的に「東日本○○を愛する会」を作りたくなるような、そういうちょっとメジャーでは無い好み、フェチというか情熱+好みというか。
その「○○」に何が入るのか。人によって色々、楽しいものです。できれば「読書」とか「沖縄料理」とか「中島みゆき」とか「お寺巡り」といったざっくりした言葉より、「関西引っ越し以降の谷崎」とか「島らっきょうとゴーヤーチャンプル」とか「”生きていてもいいですか”の2曲目の”泣きたい夜に”」とか「奈良時代以前の仏像」などなどと具体なほうが、その「理屈抜き」具合が伝わります。
僕は「手拭い」「ひきわり納豆」「志ん朝」「棒瓦」「メグレ、マーロウ、司馬遼、漱石」「天神橋筋商店街の奴寿し」「小津、ウディ・アレン、イーストウッド、寅さん」「リバプールFC」などなどが○○に入る気がします。そして「旧仮名遣い」もそこに並びます。
旧仮名に魅せられたきっかけは岩波の漱石全集の数冊と、中央公論の谷崎全集の「細雪」なんですが、旧仮名で現代の文章を読む(良質な文章を)、という楽しみで言うと、丸谷才一さんに尽きます(でも2012年に他界してしまったので残念)。もし、他に「こういう旧仮名の遣い手がいますよ」という情報があれば、是非。
(「個人的に作りたい東日本○○を愛する会」という妄想を、より細分化して、「1957-1967あたりの若尾文子」とか「州崎パラダイス赤信号で小沢昭一が歌う唄」とかを考え出すと、楽しいですが収拾が付かなくなります)
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「星のあひびき」2010年集英社。
丸谷才一(1925-2012)さんの、書評を中心としたエッセイ?評論?集。極上。
丸谷才一の語る、長編小説と短編小説。私小説。日本近代文学の光と影。
丸谷才一の語る、夏目漱石の創作と、その元ネタの英文学。
丸谷才一の語る、「ロング・グッバイ」について。
そして、なんと言っても書評の数々。
丸谷さんは、とにかく「書評」という読み物の地位を上げたかったようですが、この本を読むとナルホド納得。書評を買って読む、というのはなんだか倒錯的な感じがしますが(笑)、その価値がある。
その本を読んでいなくても面白い。(読んでいればなお面白い)
その本を(基本的には)読んでみたくなる。
そしてその本についてだけでなく、そこから何かしらずれて、溢れる、「書評の書き手」の思いが伝わる。
素晴らしい、というか、僕はほんとに大好きでした。旧仮名だし。
特に、20世紀と源氏物語についての冒頭の評論は、ほんとに目が覚めるような傑作だと思います。
読書会の課題図書でもありました。
丸谷さんのエッセイとか評論とかは、旧仮名のものも多いですし、本当に今後の余生?の楽しみにしたいと思います。
長編小説が、もう新作を読めないというのが、残念でなりません…。 -
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「女ざかり」丸谷才一さん。1993年。
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丸谷才一さんなので、大抵面白いのです。
丸谷さんの小説は、好きになったらもう、全部好き。噺家の語り口みたいなものなので。
1993年ですから、まだワープロの時代。携帯電話はありません。
舞台は、朝日新聞社を彷彿とさせる、都内の大新聞社。の、論説委員室。つまり、新聞の「社説」とか「コラム」を書く部署です。
主人公は南弓子。40代後半?くらいなんでしょうか。「女ざかり」。
バツイチのシングルマザー、若い大学生の娘がいます。そして、周囲には中年から老年の、社会的地位のある男たちが群がっている、モテモテ女流記者。
そんな弓子さんが、論説委員となり、健筆をふるいます。
論説委員の中でも、弓子さんに首ったけになる記者もいます。
社会的地位のある大人の恋のさや当て、片想い、口説きの手管。
ところが、弓子さんには人目忍んで長い歳月になる、妻子ある恋人さんがいて...。
さらに、弓子さんが書いた社説が政府の逆鱗に触れて、左遷の危機に...。
そんなドラマがありながら、物語の語り口は悠々自適の余裕を含んで軽やかに進みます。
軽快なオールド・ジャズが流れるウディ・アレンの映画のように、人生の色気、皮肉と偶然を醸し出しながら。
最終的には、血縁のコネから時の総理大臣に面会することで、(というか、偶然に総理の奥さんと出会ったことで)すべての危機は水に流れて目出度し目出度し。
ついでに、娘の恋愛も進展があってめでたし目出度し。
肩の凝らない娯楽。「へえ~」と「ふむふむ」満載の洒脱。逸話と脱線の快楽。
今にして90年代、バブル崩壊直前のふわふわした風俗を、振り返っては納得させる読み応え。
...って、正直手放し絶賛なのですが、実は再読。それも、初読時は新刊で読んだはずなので、僕は21歳の大学生だったはず。
うーん。
正直、全くこの本の滋味豊かな豊饒さが、判ってなかったなあ...と、振り返って自分の背伸びに苦笑してしまいました。
大人になるのも悪くないものです。