酒井順子のレビュー一覧
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以下、へーっと思ったこと。備忘録。
京都は薄味のイメージあるが普段飯はそんなことはない→天下一品、力餅食堂。普段はユニクロ着てても礼服持っているのが京都人。「東京資本」の店への嫌悪感。贈答文化、セックスと同じ面倒さ。東京には山がない、高いタワーは山の代替物?国道367号で日曜午前にある大原朝市。京都の宗教的雰囲気を高めているのは比叡山。同業者街=清水焼団地、両本願寺の仏具、寺町電気、二条薬、夷川家具、小川通茶道、太秦映画。ミスコンを巡る京大と東大の対応差。恵文社の文化的雰囲気、イノダコーヒーは朝が面白い。綿矢りさと金原ひとみの比較。紫野高は禅門立紫野中が起源で、水上勉が在籍。旅館の御三家は炭屋 -
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素敵なおばあちゃんの見本帳。
ふだん、「あの人(大体有名な人)、けっこうなお歳なのに、どうしてあんなに素敵なんだろう?どうしてあんなに精力的なんだろう?」と気になっている人たちを、酒井さんがタイプ別に分類し、その魅力を解き(説き)明かして行く本。
とでも言いましょうか。
とても大切な事がたくさん書いてあるので、手放せない一冊になりました。
その、有名な人たちとは別に、自身の三人のおばあちゃんたちに対する温かい思いが綴られてもいる。
ここに書かれている素敵なおばあちゃんたちと違い、海辺の砂粒組に入る自分は、どのようなおばあちゃんになって行くか、これからじっくり考えたい。
それと…
『意地悪 -
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「小説現代」連載時の題名が「文学としてのユーミン」…でも酒井順子初の新書として「ユーミンの罪」に変更して大正解!パンドラは箱を開け、アダムとイブは林檎を食べ、もう元にもどれない時代をつくってしまう、そんな不可逆過程の原罪こそが彼女の本質、と言っているようです。本文中にもユーミンと社会の関係をミラーボールとその煌めきを映すもので比喩をして、どっちがどっちかわからない、との記述がありますがその共犯関係の一体感こそが取り上げられている時代のときめきだったのだと思います。そこから発せられる甘い香りにわれわれ男子も吸い寄せられたよなぁ…逗子マリーナも苗場プリンスも聖地でした。立川談志の落語が人間の業の肯
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ネタバレユーミンに与えられた影響をこれほど細かく分析できるなんて、さすが酒井順子!
助手席に座る人生の肯定、男に縛れらない人生の肯定・・・
結局晩婚化、少子化の一端がこのへんにアリということになるかもしれないけれど、当のユーミンがこの本を読んだら、絶対に「その通り!」とは言わない気がする。
時代の先読み、時代の空気感に対する鋭すぎる感覚などは、ユーミンが無意識にできてしまえることをしか思えない。
結果日本の女性たちにどんな影響を与えようが、ユーミンにとっては大した問題ではないのでは・・・
しかし歌詞を読むと、ほとんど自然に曲が頭に浮かぶ私も「かなりユーミン好き」なのだなあ、と思う。
昨年出た最新アル -
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小説において金閣寺を燃やした二人の作家、三島由紀夫と水上勉。
二人の金閣寺(あるいは、金閣寺を燃やした実在の青年僧 林養賢)へのアプローチを、対比させている。
生い立ちも気質も全く異なるふたりでありながら、金閣寺を結節点として、繋がっている。
三島由紀夫の金閣寺は何度か読んだんだけども、水上作品を読んでいない(というか、知りもしなかった)ので、非常に興味深く、これから読んでみたいと思った。
この対比によって、二人が何を描こうとしたのかがより深くなっていると思う。
(三島由紀夫の金閣寺しか読んでいない僕でも楽しめた)
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【内容(「BOOK」データベースより -
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これも再読本。
このカバーデザインは、佐藤可士和さんです。
昔読んで名著!と感激して、どこかの
ビジネス読書会でお勧めしてしまった記憶あるのですが
改めて読んでもやはり名著。
本書で頻繁に出てくるキーワード、「いや汁」とか
「腐臭」など。
例えば、三十路過ぎた女性が親と同居している、と
語ったとき。
20代の女性のちゃんとした感とは違って、その
ちゃんとした部分から、そろそろ腐臭を発してきて
いる、という表現などはお見事。
改めて、酒井さんのうまさ、絶妙さは駄目を
掘り下げるときの微妙なさじ加減。
これ以上茶化したら不快になるという、ギリギリの
ラインでとどめているセンスが素晴らしいです -
Posted by ブクログ
どんなに仕事が有能でも、美人でモテモテでも、30代で独身、子無しの女性は負け犬。シングル女性にとってはなんとも屈辱的な定義なのですが、自身も負け犬を自認する著者の、なんともユーモアな語り口についつい笑わされてしまう。
もちろんただの惨めな自虐に終わっておらず、後輩世代への「負け犬にならないための十か条」そして、同世代以上の「負け犬になってしまったからの十か条」によって、女性陣ひいてはオス負け犬こと男性にも、温かなエールを送るところに愛を感じてしまう。エッセイストとしては独特のおかしみがあり、逸品だと思う。
ただし、ここでいう負け犬も勝ち犬も、きわめて限られた上流層のなかでの勝ち負けであることを