酒井順子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
一般的な印象は「ガーリー」なオリーブだけど、雑誌ポパイの女の子版として創刊された当時は、米西海岸を意識したファッション雑誌だったらしい。
それがいつからかパリの女子高生「リセ」をお手本にしたファッション誌に。
当時を席巻してたのは、ニュートラブームを取り上げたJJ、CanCamなど女子大生御用達の赤文字系雑誌。男性からのモテを意識した人種対象。
オリーブはあくまで自分の好きな服を! 肌もボディラインも見せず、非モテ系。
振り返って、当時私は何を読んでたっけ…
あ、「宝島」か。あと「ロッキング・オン」「ドール」「フールズメイト」「プレイヤー」
モテるわけないな、そりゃ。
当時の著者自身、時代との関わりなどの考察も楽しい。 -
Posted by ブクログ
さすが酒井順子さん。今の日本の潮流をよみ、それを柔らかく、ユーモアも交えて書かれている。定期的に図書化されたものを読むことで、自分の感覚とチューニングができて、いつも楽しみにしている!ちょっとゆるめのブレイディみかこ日本版だと個人的にはとても高く評価したい。
p.119 "おたくの多幸感”も、今は注目される感覚でしょう。
おたくの人々の多幸感の源は、「好かれる」ことに無関心、というところにあるのではないかと、私は思っています。思う存分に「好く」ことさえできれば、好かれなくてもおたく達は平気。もちろん、誰かから好かれればそれなりに嬉しいにしても、好いている対象から好かれなくても、またその他大勢から好かれなくても、彼等は何ら痛痒を感じない模様です。
好かれることに無関心なその姿勢は、「モテ」に汲々とする人々とは正反対に見えるのでした。より良い異性と付き合ったり結婚したりするためにはとにかくモテなくては、と特に女性が必死になっている時代が、かってありました。相手に好かれる外見になるように努力をし、相手が手を出しやすそうな発言や態度を心がけるというその姿勢は、楽しそうでありつつ、大変そうでもあった。
モテそうな外見、モテそうな言動をいくら整えたとて、最後の判断は相手に任せなくてはならないという、受動的な状態にあるのが、モテの現場にいる人々です。自分が本当に好きなこと、したいことをするというよりも、相手の好みを予測し、合わせてばかりいることによって、彼女達からは「好く力」が薄れていったのです。
対しておたくは「どうしたら好かれるか」という思考は捨て、対象を好く能力のみを肥大化させた人々です。そこに見返りがなくとも、自分が存分に好くことができれば、満足することができる。
鉄道おたくの知人男性が何人かいるのですが、彼等は皆、とても幸せそうです。中には、鉄道を愛しすぎて人間を愛する暇がなく、ほとんど鉄道と結婚したような人もいます。が、そのような人も、
「やっぱり家族を持っておけばよかった」
などと言うことは、決してない。いつでも列車に乗りに行くことができ、どこにでも鉄道模型を置くことができる自由は独身ならではのものと、何歳になっても多幸感に浸りけているように見受けられます。
そのような人々を見ていると、私はやはり、「好く力」を豊富に持つ人がうらやましくなってくるのでした。幸せな人生を送るには、つがいを作らなくてはならず、そのためには異性に好かれなくてはならぬ、と私も若い頃にはゼイゼイしていましたが、何かを、そして誰かを強烈に好きでいるだけでも、人はこんなに幸せなのだ、と。
p.128 『バカの壁』養老孟司
p.131
頭が良い人はもちろん、「頭が悪いんですね」
と私に言うわけではありません。しかしこちらのことをバカだと思っているというムードはギンギンに漂わせるため、私は「バカがばれた」としんみりした気持ちになるのであり、相手がバカだとわかったのなら無難に天気の話でもしてろや、などと悔し紛れに思う。
バカ差別が許される理由
しかし頭の良い人は、天気の話が嫌いなのです。かつて私は、頭の良い人から、「スモールトークばっかりしてる人って、嫌になる」
と言われたことがあるのですが、それは、天気の話だの食べ物の話だの、あの人って•
〇に似てるよねといった話だのといったスモールトークが大好きな私に対する強烈な嫌みだった気がしてなりません。
スモールトークは、脳力が高かろうが低かろうが参加することができる、貴重な話題です。しかし脳力の高い人は、そういった卑近な会話ばかり交わされているとイライラしてしまうのであり、「もっと意味のある、もっと大きな話がしたい」と思うのです。
が、世の深淵に触れるような大きな話は、いわば脳力の高い人達にとっての内輪話。それは、同じ程度の脳力を持つ人だけがいる場でしていただきたいと思いつつ、私は彼等をいたぶるように、などと、話をますます小さい方へと持っていくのです。
とある頭の良い人が書いた随筆を読んでいたら、「自分と同レベルの人と話をすることができないのが寂しい」
といったことが書いてありました。周囲にバカしかいないのはさぞ辛いことかと思いますが、そういった孤独を引き受けることが、脳力が高い人の責任なのかもしれません。
極私的な統計によると、バカ差別をする人は男性に多いものです。バカ本の著者もまた男性が圧倒的に多いのであり、頭の良い女性の方がずっと、バカには優しい。頭が良い上に、女よりもぐっと優位な立場にいる男なのだから、バカ女を相手にバカ差別をしなくてもいいではないか、と自分のバカさ加減をバカにされる度に思うのです。
p.133 脳力が高い人ばかりが高い地位につくといったバカ差別はなぜ差別にはならないのかと考えてみると、それを差別だとすると、世の中が大混乱に陥るからなのだと思います。脳力の高い人も低い人も、同じ人間。同じように扱わないと差別です、となったなら、入試ゃ入社試験はすべて抽選になってしまうかも。鋭敏な頭脳が必要な職場に、脳まで筋肉化したような人がやってきたかと思えば、屈強な肉体が必要な職場に、非力なガリ勉が配属されたりと、様々な悲劇が生まれます。
もちろん、他人をバカ呼ばわりしたり、バカを理由にいじめたりするといった表面的な行為は、今も差別に問われます。しかし脳力の高い人ほどお金をたくさん儲けたり、脳力が高い人がそうでない人を支配するような根本的な仕組みは、能力主義などと言われて当たり前に存在しているのであり、それが禁じられてしまったら、社会の根本から変えなくてはならない。頭の良い人々は、自分達が上にいることができる現在の仕組みを、変えることはないのでしょう。
p.262 自分は平和で豊かでぬるい時代に生まれて死ぬのだなぁ、と若い頃に思っていました。
ところが今、それは間違いだったことがわかります。震災やコロナ禍を経験し、デジタル化や日本の斜陽化に揉まれ、「世の中がこれほど変わるとは」と、戸惑う日々が続いているのです。
中でも地味にダメージをもたらすのは、ポリコレ意識の変化により、世が正しく”なり続けていることです。様々なハラスメントはもちろん、他人を下に見たりカテゴライズすることもご法度。そんな正しい世では、自分の「正しくなさ」が日々、我が身を削るのです。
とはいえそんな世においても、様々な格差や、人を上に見たり下に見たりする欲求は残り親け、その欲求は水面下で膨張しているのではないか。・・・・・という思いをもって書いたのが、本響となります。そして平板化が進む世においては、人々は差を乗り越える術を失い、微細な遊にもつまずくようになったのではないか、と。
本書に皇室についての記述が多いのは、皇室は雌一存在してよい「差」だからなのでしょう。公的に認められた上つ方である皇室の人々を仰ぎ見るのも非難するのも、青人草にとって恰好の娯楽となっているのを見ると、「差」への愛、を実感するものです。
表面的な格差や差別は、今後も減少し続けるであろう日本。そうしてできたつるつるした世の中は歩きやすいだろうけれど、滑って転んでしまう人もいるに違いありません。っるっとした世では、段差の多い世よりもずっと、立つ時も歩く時も力が必要となるに違いなく、そんな世に向けて、今はせっせと筋力を鍛えるしかないのでしょう。
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Posted by ブクログ
ネタバレ「婦人公論」1400冊余りで書かれていた女性たちの歩みが、この1冊で見えてくるの興味深かったです。
激変ではあったけど、時代の流れにかなり翻弄され左右されてしまうのは大正・昭和・平成も変わってないんじゃ…となりました。令和もどうなることやら。
…「どうなる」でなく、「どうする」なのだけれど。光があまり見えなくても歩き続けるしかないです。
酒井順子さんと立ち位置が違う(既婚・子持ちなど)方がまとめると、視線が違って切り口も異なるんじゃないかなと思いました。わたしは独身子無しが同じなので、そうだ〜と思って面白かった。
他の文筆家さんがこの熱量と冷静さでまとめられるかどうかですが…酒井さんの文章好きです -
Posted by ブクログ
これは、すごく面白かった!
最近あちこちで眼にする「老い本」。これを時代別に分析してくれたのは、三宅香帆の「働いているとなぜ本がよめなくなるか」の手法と同じ。
でも酒井順子の時代別分析には、独特の冷静沈着な毒が程よく散りばめられていて、クスッと笑いながら読むことができる。
やはり、新人の書き手より、熟練、手練れの書き手です笑
憧れのリタイヤ後のシングルシニア生活本。
男性は、「結婚しようと思えばいつでもできたが、あえてしなかったのです」というムードが漂う哲学を前面に出しているカッコつけ本が多いが、女性はシニア一人暮らし本での庶民のスターが次々に登場して活況を帯びているという。
確かに最近よく書店で元気なショートカットのおばあちゃんの写真が表紙となっている本が平積みされているのを見かける。
さらに、つれあいに先立たれた妻の書いた本は現実的なのに対して、夫が書いた本は、全身全霊の悲しみに満ちているという。
確かに!あれ、気持ち悪いと思ってました笑
「妻や子供に見守られ、自分はなんの心配もなく人生を終えると信じている男性が妻を失うということは、夫にとっては、『明日のメシ、どうしたらいいの?』という問題でもあるのだ」
よく笑って一気読み。
酒井順子の本領発揮、筆が冴え渡る本でした。