酒井順子のレビュー一覧
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ネタバレ・まだ読み終はつてゐないのに書き始めた酒井順子「女を観る歌舞伎」(文春文庫)、 かういふ見切り発車本はたまにあるのだが、それでも一応は読んでみるかと最後まで読むことが多い。今回はそれも面倒と書き始めた。読んでない部分は更におもしろいかもしれないが、それはそれ、とりあへずは60頁あたりまで読んだとして書く。本書のおもしろさのポイントは書名にある。つまり、歌舞伎に登場する「女」を見ることから本書はできてゐる。大体、歌舞伎といふもの、その中心には男がゐる。そちらを横に置いて女を見る。するとどうなるか。これがおもしろいのである。いや、それ以前にかういふ一文がある。歌舞伎や文楽でよく眠たくなる「そんな私を眠くさせない芝居とはどんなものかといえば、舞台上の色彩が豊かなものとなるわけで、そこには絶対女性、というか女形が必要なのです。」(11頁)これはよく分かる。あの色彩美あつての歌舞伎である。もちろんキラキラと華やかだけが色彩美ではないと承知はしてゐても、やはりあの色彩豊かな情景が歌舞伎の中心にあると思ふ。踊りだと立役の衣裳もかなりきらびやかなのだが、さうでなくとも女形の衣裳はきれいできらびやかである。赤姫でも頭の簪に始まつて爪先まで、実にきれいである。それだけで見とれてしまふ。赤姫だけではない。揚巻のやうな花魁も、地獄宿の桜姫も美しい。きれいである。さうして、「歌舞伎の『きれい』は、常に不幸と同居している」(同前)といふのである。実際にはきれいでなくとも不幸は同居してゐる。四谷怪談の御亡堀の女非人、あれは武家の女のなれの果てである。しかも殺される。これが不幸でなくて何であらう。しかし、これは本当に目立たない。へたをすればこれが終はつた頃に席に着く観客もゐよう。といふわけで、確かに「きれい」は不幸と同居してゐるのであつた。
・最初の「嫉妬する女」、まづは妹背山、賤の苧環のお三輪、求女を追つて御殿に侵入して殺される若き女性である。この最終評価、「『あなたのためになるのなら私、死んでも本望よ。でも最後に一目会いたい。』とはド演歌の世界ではありませんか。」(16頁)続けてかうある、「女としては『あわれ』を通り越し て腹立たしい。嫉妬もおちおちしていられないではありませんか。」(同前)私もお三輪を健気だと思つてはゐても、そこから「嫉妬もおちおちしていられな い」などと考へたことはなかつた。続く天網島、小春ではなくおさんである。小春は嫉妬される側である。ここではまづ「私がおさんであったら、さっさと離縁することでしょう。」(17頁)とある。ところが歌舞伎はさうではない。「忠」なのである。あくまで夫に尽くす。これを「ここまでくると『この時代の女性には、嫉妬の自由もなかったのか』と思えてくるのでした。」(20頁)といふわけで、私は、さうか、さう考へるのかと思ひつつ、男と女の思考はかくも違ふ のかと考へてしまふのでした……とはならずに、「反対に考えてみると、男性の作者達は、『こんな女がいたらいいなぁ』という願いを込めて、彼女達を作ったような気もする」(同前)とあるのを、ごく公式的に、そんな時代だから、言はば「忠義」に生きるといふ時代の要請を、歌舞伎の作者も登場人物も生きてゐたのだと思つてみたりする。かういふのが筆者の忌み嫌ふ男の思考なのであらうとは思ふものの、おもしろいからといつても素直に筆者に共感できないところがあ るとも思ふ。これは男と女といふより、「私だつたら」と書いて思考を進める作者に対する考への違ひであらう。それでも本書はおもしろい。いや、それだからこそおもしろいのかもしれない。 -
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訳すということは、普段、ただ文法通りに当てはめていくといった直訳から始まる。
けれど、人が書いたものである以上、その人が抱いたイメージをどう「解釈」するか。
また、その解釈をどの言葉を選んで表現するかという所に、訳者と作者の憑依なくしては得られないものがある。ように思う。
そう考えると、池澤夏樹が、この三人に憑依を頼んだことがまず、面白いではないか。
特に私が触れることの多い、高橋源一郎と内田樹に至っては、こりゃあ買わないと、と思わせるグッドチョイス。
日本古典三大随筆が、一つの巻に揃って、尚且つ面白い憑依が見られるなんて、お買い得すぎます。
青色大好き清少納言は、自分の自慢話を隠しきれない女性と評されているけれど、そうかなぁ。
この時代において日記ではなく、これほど詳細に身の回りを描き、またその感情を温めていた女性を愛おしく思う。
内田樹の『徒然草』は、テンポが良い。
それが兼好法師のシンプルさにつきづきしい読み心地に仕上げてくれている。
人から離れきれなかった兼好法師の愛着を見る人もいるが、それでも平安期の男女の想いとはまた違った、つれなさ?をこの文章からは感じる。
高橋源一郎の『方丈記』は、どう読まれるか。
一口では異色。だけど、鴨長明の偏屈さがそこにあるような気がして、楽しい。
一体、どれほどの人が方丈の庵を作っていたのか。
この人だけのことだったのか。
けれど、心身共にストイックな生活において、鴨長明が思い及ぶ世界は広大無辺である。
古典に学ぶ思いは必要である。
けれど、古典を楽しむことが出来ると尚素敵だ。
この時に、こんな人がいたんだな、と身近に感じさせる憑依の達人たちの一冊。
面白かった。 -
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知人のおすすめ。
冲方丁の「はなとゆめ」を読んだら、枕草子が読みたくなった。
酒井順子ぴったりだなぁ。違和感なく読める。
なんだか、ブログみたいですね。長さも内容もまちまちで。面白い。
わかる!とか、言うねぇ、とか、にやにやしてしまう。
教養。
方丈記は、あとがきにもあったように自分たちの時代の言葉になっているのですごくわかりやすいし、それによって書かれた時代に読んだ人たちと同じような体験ができているのかなと思った。
当時こういう発想や行動は、センセーショナルで、変人扱いされたんじゃなかろうか。
横文字が出てくるような、一見ぶっとんだ訳が面白い。
それにしても鴨長明さん、苦労人だったのですね…だからこそのこの文章なのだなぁ。
徒然草は、渋いな〜という印象。
あと、枕草子ぽい、と思ったら解説でも直系の子孫と書かれていてですよねってなるなど。こうやって3作続けて読めたのがよかった。
作品の個性を感じられるのは現代語訳してくれたからこそだよなぁ。
物に触れると心が発動するとか、世の中を変えないと盗人はなくならないとか、現代にも通じるところあり、おじいちゃんの説教みたいな感じで反発したくなるところありで、面白く読みました。 -
Posted by ブクログ
オリーブ少女大好きだった元こじらせ男子としても、痛く刺さる箇所がところどころにある「オリーブとは?オリーブ少女とは?」を、オリーブ人気連載エッセイストであった酒井順子が語る。
フランス五月革命に源を発するリセエンヌのファッション自由化が学園紛争の日本にan・anを通じて輸入され、ファッション至上主義の非モテオリーブ少女へと繋がっていたとは寡聞にして知りませんでした。
ファッションというものは信条というバックボーンがあってこそ浸透し長続きし、そしてその思想性の故に時代に適合しなくなり廃れていく。
当事者がメタ視線で語るファッション史文化史としても十二分に価値のある一冊。