新田次郎のレビュー一覧
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パーティーを組んで登るのが常識とされていた山へ単独行で向かい、数々の山嶺を踏破した加藤文太郎のノンフィクション的小説。
なぜ山に登るのか、他の追随を許さない卓越した登山者である彼もまたその疑問を懐に抱えていた。答えは出ず、山に登り続けることでしか見付けられないのだと考える。
単独行を続けながらも人を恋しいと思い、けれどどうしても他者と打ち解けられない加藤の心の葛藤に人間味を感じる。
槍ヶ岳付近で星を見た時の叙述に、登山の魅力の一端が垣間見えた気がした。
「いま彼の見ている星は平面上の星ではなかった。星は彼を囲繞していた。星の中に彼はいた~~」 -
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多数の山岳小説を上梓している新田次郎氏が、昭和36年に初めてヨーロッパアルプスを旅した紀行文。
初めての感動は何物にも代えがたい。
アイガー、マッターホルン、ユングフラウ。
山々も、特別に美しい姿を披露してくれたようだ。
スイスアルプスと牧歌的な風景の美しさに感激し、ややはしゃぎ気味から、フランスに入ると同じアルプスでも暗い色彩と貧しい村、とても客を乗せるものとも思えないバスとその運転手に驚く。
登山家たちの遺品を見たり、墓を訪れたり。
やがて、しきりと故郷の長野の地名が出てくるようになる。
上高地に似ている、志賀高原を思い出す、と。
旅に疲れ、里心がついてきたのだろう。
アルプスの旅の終わり。
もう、やたらシャッターを切ったり、やたらと歩きまわることをせず、静かに山と向き合う。
他国にまたがっているアルプスの山々をめぐるこの旅で、作者が一番実感したことは『スイスの美しさは、そこに住まう人たちの、たゆまぬ努力によって生み出されたものである』ということだった。
新田氏をこの旅に誘い、同行してガイド役も務めた佐貫亦男氏の写真を多数収録。
佐貫氏は、新田氏のエッセイを読んで、自分の予想した反応と違う部分も発見し、新鮮だったり意外だったり、もっといい時に見せてあげたかったと思ったりしたらしい。
同じものを見ても人の感じ方は様々だ。 -
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ネタバレ新田次郎の本は特に山岳小説をよく読むが、新田次郎は武田信玄と武田勝頼の伝記小説を書いている。武田信玄に関しては、大河ドラマの原作にもなっていて、10年くらい前にパキスタン駐在中に読んだことがある。
武田信玄における書き様から、新田次郎は武田勝頼に対しては好意的な印象を持っていることが伺えた。武田勝頼は武田家を滅亡に導いた愚将と言うイメージが一般的で、私自身もそう思っていたから、これは意外だった。勿論、小説が史実と全て一致していることなどは無いが、読んでいて印象が変わってしまったのは確かである。
今回読んだ武田勝頼にあったのは、武田家滅亡の元凶は御親類衆のダメさ加減だったが、元凶中の元凶は御親類衆筆頭の穴山梅雪であった。細かいところがどこまで本当かはさておき、穴山梅雪が武田を裏切ったのは史実である。
物語中では真田昌幸の言う正しいことが悉く他の家来衆に否定され、真田昌幸の言ったとおりに事が進んで、みるみる武田家が後退していくと言う感じであった。本当にこんな風に坂を転げ落ちるように凋落していくと言うのは、読んでいて結構辛いものがあった。新田次郎の書きぶりは、「本当にこれで武田が滅亡するんだろうか。」と言うほど勝頼の有能さに勢い込んだ所もあり、信長も家康も自分より若いサラブレッドの恐ろしさに恐懼している様子も描かれていたから、余計にそれが際立った。
武田勝頼終焉の地は、山梨県の日川渓谷沿いにある天目山である。紅葉がきれいな時、一度行ったことがある。武田勝頼夫妻と長男の墓があるが、斜面上に寺院があり、追っ手がガチャガチャ音を立てながら斜面を駆け上ってきて、勝頼の首をめがけて殺到し、壮絶な戦いをしたと言うのが想像できた。
武田勝頼は、この後日川を遡上し、秩父往還経由で秩父へ落ち延びようとしていた。笹子峠を越え、大月の岩殿城に入り、北条と連合を組む予定だったが、岩殿城城主の小山田信茂が最後の最後で裏切り(北条も武田勝頼を見限ったとも書いてある)、笹子峠を越えずに、進路を北にするしか無かったのであろう。中央道とか中央本線に乗っていれば分かるが、ここは北方面しか谷が切れていない。
ただ、日川から秩父往還に行くのは、やや危険な気もしないでもない。秩父往還に行くには、現在の大菩薩湖のあたりでやや西進する必要があり、充満している織田・徳川連合軍、並びに完全に武田を見限ってしまっている甲斐の民衆との接触が増える。と言うことで、地図を見る限り、個人的には大菩薩峠を越えて奥多摩方面に落ち延びる方がまだマシだったんじゃないか、と思ったりもする。
登山装束でもない中で、そもそも日川渓谷を歩いて上るのはしんどいが、大菩薩峠は登山口から峠までは何てことのない坂道である。私も一度登山で行ったが、日川渓谷側からの登山は面白くも何とも無いほど緩い登山で、大菩薩峠まで軽自動車が入れるのである。勿論、秩父往還の方が標高も低くて、山越えの難度は低いが、こんな敵と裏切り者で充満している土地に戻るように進むのは微妙である。
だから、私は大菩薩嶺を登った後、大菩薩峠まで来たとき、勝頼主従はここを越えていくべきだと思ったし、この方向に勝頼が落ち延びたら、その後どうなっていただろうか、とも思ったりした。
ただ、実際はこんなところまで到達する前に、勝頼は追い付かれていたし、そして天目山で最期を迎えるということになった。仮に私が考えるように大菩薩峠を越えて奥多摩に落ち延びたり、または秩父往還を経由して秩父に到達したとは言え、織田・徳川との関係を重視する方向に決まった北条領である。恐らく捕まって似たような結末になったように思う。因みに、天目山で、武田は二度滅びているらしい。勝頼は二度目の滅亡だが、勝頼が最期を迎える7代前の13代武田信満と言う当主が自害して、一時断絶したと言うのである。これは知らなかったが、天目山は武田にとってはかなりの土地である。
結局、真田昌幸が主張した、西上野の吾妻城への落ち延びが、生き残る唯一の道だったのだろうが、そうはならなかった。吾妻城で当時同盟関係にあった上杉と合流しても、その後はあまり変わらない「後世」になったように思う。ただ、武田嫡流は残ったかも知れない。
甲州に対して何の因縁のない私であるが、武田嫡流が消滅したというのは、何とも残念なものを感じる。武田信玄の全国的な人気と言うこともあるが、新田次郎を通じた武田勝頼評は何となく当たっているように感じるからだ。長く続いた家柄と言うのは、それだけで社会の財産のような気もしていて、まあ武田信玄だってそんな長年続いた名家(諏訪氏等)を潰しながら成長した事実はあるが、武田の名は重い。
勝頼が死んだ後、勝頼を見限った家臣団は、悉く見つけ出され、次々に首を刎ねられた。穴山梅雪は本能寺の変時、徳川家康と一緒に堺見物をしていたが、家康と違う道を駿河に向けて帰る途中、土寇にやられて死んだらしい。新田次郎は家康の陰謀による暗殺と書いているが、その方がしっくり来るほど、穴山梅雪の本作中に描かれた行状は酷かった。同様に逃げ惑っている家康に暗殺指示を出す余裕があったのかは知らないのだが、新田次郎は「恐らくその通りであっただろう」と断じてる。穴山梅雪は武田の相続を受けていたが、梅雪が死んだちょっと後に嫡男も死んでおり、結局穴山家は武田家を後世に伝えることはなかった。
もう一人、勝頼と同年にまさかの死を遂げたのは何と言っても信長である。織田家はその後天下を取ること能わず、最期に勝頼を見限った北条も8年後に殆ど滅亡に近い形で小田原で散った。最終的に天下を平定したのは家康で、将軍になって幕府は200年以上も安定して存続し、将軍は15代も続いてたと勝頼が知ったら、どう思うだろうか。
勝頼の死後わずか3ヶ月で梅雪と信長が死んだことは、勝頼が呪い殺したと言っても良いくらいの急さ加減であるが、この急展開が史実だと言うのが空恐ろしい。既述の家臣団見つけ出されて皆殺しほど明らかじゃないにしても、結果だけ見ると信長も梅雪も因果応報の呪縛から逃れられていないように感じる(特に穴山梅雪)。 -
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極地アラスカに、エスキモーの村を作った日本人がいたことを、私は知りませんでした。
食料不足や、疫病の流行により、滅亡に瀕したエスキモーを救出し、アラスカのモーゼと仰がれたその人の名は、フランク安田。
そんな彼の生涯を描いた物語です。
この静かなタイトルからは想像もつかない、激しく変化に挑んだ人生物語は、とにかく、面白い!!
運命の流れに乗って生きるとは、こういうことかもしれない。
彼の人間性やリーダーシップ、運の強さにシビレます。
著者の新田次郎は、アラスカまで足を運び、フランク安田にゆかりのある人々から話しを聞き、文献を集め、更にフランク安田が育った町や家を訪ね、生存している親族からも話しをきいて、この一冊の本にまとめ上げています。
新田さんのおかげて、フランク安田の生涯とアラスカやそこで生きるエスキモーたちの、衝撃的な事実を知ることが出来ました。
活字が好きな人はもちろん、苦手な人にも、一度は読んで欲しい*\(^o^)/*
ちょっと厚めで、単行本で460頁ほど★
でも、中盤からは、寝る間も惜しいほど、そして、後半に入ると、読み終わってしまうのがもったいなくて、休むか読み続けるかと葛藤しますよ〜★ -
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ネタバレ自分がまだ知らない、そして知っておくべき日本人がまだまだいる。フランク安田は、まさにその1人だと思う。彼がいなければ、海岸エスキモーは飢餓または麻疹により全滅していたかもしれない。彼がいなければカーターのゴールドは見つかっていなかっただろう。彼がいなければ、ビーバーという街も生まれていなかっただろうし、インディアンとエスキモーの共存もなかったかもしれない。彼だけではない。ジョージもそうだし、ミナモもそうだ。
彼がベア―号から降りて以降、毎日が真剣勝負だったろう。ポイントバローへの奇跡的到着、密漁による食糧不足、麻疹による村存亡の危機、ゴールドの探索、エスキモーの移住、第二次大戦中の強制収容、ビーバーの町おこし。遠い日本から離れて、リーダーとしての役割を期待され、ただエスキモーのために人生を費やしたフランクは、どんな気持ちだったのだろう。
彼の人生は1冊という本のも収まりきらないものだった。自分もそのような生き方ができているか?
捕鯨やアザラシ、ムースやカリブーの捕獲も興味深い。エスキモーは代々彼らを狩猟し、その生肉を食すことによって生きてきた。動物の子供は殺さないなどのルールを守っていたため、動物が絶滅することはなかった。それが、白人の乱獲により状況が変わる。現在は、捕鯨やアザラシの捕獲は、野蛮な行為などと評価され、否定的に考えられている。しかし、「野蛮」とは何なのか?ある文化で「野蛮」と考えられていることが、ある文化では「伝統」である、というに過ぎない。しかし、「野蛮」と考える文化がprevailしたから、その考え方が主流になった。歴史はいつも勝者のものである。現在エスキモーは、その勝者たる国からパターナリスティックな保護を受けている。それは、本当にエスキモーにとって誇り高い生き方なんだろうか?自力では生きていけない、アメリカの援助なしでは存続できないという状況下で生きていることは、本当に生きたい生き方なんだろうか?