新田次郎のレビュー一覧
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多数の山岳小説を上梓している新田次郎氏が、昭和36年に初めてヨーロッパアルプスを旅した紀行文。
初めての感動は何物にも代えがたい。
アイガー、マッターホルン、ユングフラウ。
山々も、特別に美しい姿を披露してくれたようだ。
スイスアルプスと牧歌的な風景の美しさに感激し、ややはしゃぎ気味から、フランスに入ると同じアルプスでも暗い色彩と貧しい村、とても客を乗せるものとも思えないバスとその運転手に驚く。
登山家たちの遺品を見たり、墓を訪れたり。
やがて、しきりと故郷の長野の地名が出てくるようになる。
上高地に似ている、志賀高原を思い出す、と。
旅に疲れ、里心がついてきたのだろう。
アルプスの旅 -
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ネタバレ新田次郎の本は特に山岳小説をよく読むが、新田次郎は武田信玄と武田勝頼の伝記小説を書いている。武田信玄に関しては、大河ドラマの原作にもなっていて、10年くらい前にパキスタン駐在中に読んだことがある。
武田信玄における書き様から、新田次郎は武田勝頼に対しては好意的な印象を持っていることが伺えた。武田勝頼は武田家を滅亡に導いた愚将と言うイメージが一般的で、私自身もそう思っていたから、これは意外だった。勿論、小説が史実と全て一致していることなどは無いが、読んでいて印象が変わってしまったのは確かである。
今回読んだ武田勝頼にあったのは、武田家滅亡の元凶は御親類衆のダメさ加減だったが、元凶中の元凶 -
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極地アラスカに、エスキモーの村を作った日本人がいたことを、私は知りませんでした。
食料不足や、疫病の流行により、滅亡に瀕したエスキモーを救出し、アラスカのモーゼと仰がれたその人の名は、フランク安田。
そんな彼の生涯を描いた物語です。
この静かなタイトルからは想像もつかない、激しく変化に挑んだ人生物語は、とにかく、面白い!!
運命の流れに乗って生きるとは、こういうことかもしれない。
彼の人間性やリーダーシップ、運の強さにシビレます。
著者の新田次郎は、アラスカまで足を運び、フランク安田にゆかりのある人々から話しを聞き、文献を集め、更にフランク安田が育った町や家を訪ね、生存している親族からも -
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ネタバレ自分がまだ知らない、そして知っておくべき日本人がまだまだいる。フランク安田は、まさにその1人だと思う。彼がいなければ、海岸エスキモーは飢餓または麻疹により全滅していたかもしれない。彼がいなければカーターのゴールドは見つかっていなかっただろう。彼がいなければ、ビーバーという街も生まれていなかっただろうし、インディアンとエスキモーの共存もなかったかもしれない。彼だけではない。ジョージもそうだし、ミナモもそうだ。
彼がベア―号から降りて以降、毎日が真剣勝負だったろう。ポイントバローへの奇跡的到着、密漁による食糧不足、麻疹による村存亡の危機、ゴールドの探索、エスキモーの移住、第二次大戦中の強制収容、ビ -
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作家デビューに至るまでの経験を総括しているのではないかと思います。
二足の草鞋を履く・・・本名:藤原寛人さんは、気象庁の技術者でありながら、小説を書き続けました。富士山頂の測候所に携わっています。中でも、以下の文言が印象的です。
この小説は、昭和52年1月に発行(今は絶版になっています)されており実に戦後30年以上を経てから発表となります。何故、この体験を書かなかったのか?については不明ですが、「小説に書けなかった自伝」には、こう記されています。
※以下引用
『「望郷」のでき不出来よりも私はこれを書くことによって憑きものを落としたかった。
私にとっての終戦後の一か年間は十年にも値するほど長か -
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約100年前にアラスカに渡りエスキモー(イヌイット)の救世主となり、「アラスカのモーセ」と称えられたフランク安田の事績を描く。北極圏の荒々しい自然の描写が想像をかき立てる。何ヶ月も太陽が昇らない、骸骨の踊りのようなオーロラ、前後左右を見失うような吹雪。このような小説は出来るだけ快適な環境で詠むに限る。僕はこの小説に出てくる人間だけでなく、犬たちも健気だと思う。彼らはどんな吹雪でも迷わず家に帰れるそうだ。人物ではジョージ大島の煮ても焼いても食えないようなところが良い。本名は大島豪十で群馬出身ということだが、彼はいったいどんな人生を歩んでアラスカに来たのかよく分かっていないらしい。ジェームズ・ミナ