・シーッ。「あーっ、なんにもついてない」「女だもん」
・「べとべとさん先へお越し」
・「生活のことばかり考えてても面白くもなんともないだろうが」
・イボの妖怪。
・千種「泣くもんですか。田舎の汚い子に涙なんか見せるもんですか!」
・小豆はかり。「どうして小豆なんかまくの?」「それは俺にもわからん。そ
...続きを読むういう存在なのだ」
・「死んだら十万億土へ行くの。ちっとも恐くない。境港に来て、本当によかった」
・「あっお菓子の木だわ。わたしほんとうは茂さんよりズイボなのよ」
・ドーナツの木。
・「その悲しみは宝物だ。ええ思い出をもらったな」
・ゆかりの人の心に少しずつ魂が残る。その重たさを持ちこたえるくらい大きくなって大人になって。
・たたりものけの家で河童と根性較べ。
・「肩書きなんかはどうでもええ。人間に大事なのは中身だ。バラは他の名前で呼んでもええにおいがする」
・吉川美和。可哀そうなお化けに話しかける。
・石の悲しさ。今日のお空はいたずら。
・洞窟に石を返し、妖怪劇場。
・人買い。人売り。
・「美和ちゃんがあんなにいきいきしとるのはだれのおかげじゃとおもっちょるんですか!」
・海で現れた美和のお母ちゃん。
・「でもな茂。不幸の中にも何らかの幸せの芽はきっとあるはずだよ。眠くなければ一晩でも二晩でも起きてたらええ。わしはのびのびと寝させてもらうけん」
・「美和ちゃんはなあ、たたりものけだっておとなしゅうなくらいに優しい心の持ち主だけん、きっと幸せになれるよ。ああ。なってもらわんと困るが」
いい。しげーも。恋人たちも。友達も。のんのんばあも。お父さんもお母さんも。
201908再読。
前回読んだときと今回読んだ現在の違いといえば、親になったこと、6期鬼太郎にはまっていること、くらいだと思う。
なのにおそらく前回と同じ感動と、異なる感動を同時に憶えていると思う。
間違いなく共通しているのは、懐かしさの質。
たぶん水木サンの執筆時、ひょっとすると少年時においてすらノスタルジーの対象だったかもしれない田舎の風景。
原日本がどうとか言い出すと胡散臭いが、このへんにそれを感じたいと思っている。
今回は親になって。
しげーの父親の良さがますますわかってくる。
いいのはきっと断定する口調かな。
さらにもう少し分析すると、少年の頃の世界の見え方が既にかなり多面的であることを、漫画は描いている。
ガキ大将を巡る戦争、家の生活、余所から来てはまたいなくなる女の子、ゆるやかにつながる共同体のメンバー(もちろんのんのんばあも)、趣味から夢へとなる画業、といったストーリー自体もそうだが、意外と水木しげるの漫画全体に言えることだけれど、単純なモノローグ視点ではない。少年の主観を軸にしつつ他者の視点を採用している。それが絶妙なところで、少年の想像が及ぶ程度の範囲に留められているからこそ、少年の理解の及ぶ範囲での群像劇、となっている。このあたりたぶん巧妙に作りこまれているのだと思う。