あらすじ
遠い昔…そこに夢の楽園があった―――。 「美和」が売られて行く夜、亡くなった美和のお母さんが美しい火の玉になっておくり出した…。目に見えなくとも何かいる…。著者の原体験を描く感動の少年時代。
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Posted by ブクログ
鳥取、境港市にある水木しげる記念館を訪れた際に購入。
昭和初期の著者の少年時代をコミックエッセイにしたもの。
水木さんが妖怪に造詣が深くなるきっかけとなった「のんのんばあ」との暮らし。初恋の女の子との死別や、友達が身売りされるのに助けてあげられないことへの無念、隣町の子どもたちとの戦争?など、現代ではなかなか考えにくいさまざまな経験が水木さんを作っていったことがわかる。
身近な人々との心温まる交流の中で成長することで、水木さんが形作られていったのだなあと思う。
また、ちょいちょい妖怪が出てきて水木少年とやり取りを交わし、現実なのか?空想なのか?分からなくなってしまう場面もある。
また、「妖怪が出るから」と風呂桶をきれいに洗ったり、「妖怪に連れて行かれる」と気に病んだり、暮らしと妖怪とが非常に近かった時代の様子も見られて興味深い。
記念館では、水木さんが戦争に従軍することになった絶望や戦争の凄まじい経験などを見ることができたが、この本にはそこまで書かれていない(12歳くらいまでか)。
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こういうのこそ小学校の教科書にでもすればいいんじゃないか。学がなくてもきちんと物事が見えていて自分で考えて判断を下せるのんのんばあや、掴みどころのない香具師のようにも見えるけど大らかでユーモラスでキチンとした哲学を持っている父ちゃんのしげーさんにかける言葉が一々沁みる。悲しいこと辛いことがあっても、そんな大人たちの助言も聞きながら、大切なことを自分で拾い上げてそれを大切にできる人間の成長が見られて嬉しくなる。
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どこからどこまでが、フィクションでノンフィクションなのか不思議なお話
作者の水木しげるにとっては全て本当のことなんだろうなぁ、と
不思議体験をこんな日常茶飯事は大変だろうけど、妖怪にはやっぱりあってみたいなぁと童心に帰りました
Posted by ブクログ
妖怪ファン、水木ファンを自認している私なんだが、実際に彼の作品に触れた機会は、その殆どが幼少期に限定される。それ、ファンちゃうやんって話だけど、好きなもんは好きなんだから、ファンという立場を貫くことにする。そんな、なんちゃってな私は、本作を読むのも今回が初めてだったりする。当然、のんのんばあという存在と、彼女がしげさんに与えた影響も知ってはいたのだが、今回読んでみて、ばあのイメージがだいぶ違っていたことを知った。もっと偏屈なばあを勝手に思い描いていたから、ちょっと意外というか、勝手に違和感を持ってしまった。でも、なるほどしげさんに大きな影響を与えただけはあり、不思議な気配のある、魅力的な女性だった。たまにふと出てくる妖怪たちも、主張し過ぎてなくて良い感じ。
Posted by ブクログ
水木しげるの少年時代を綴った漫画。エッセイなどでよく出てくるのんのんばあが年は離れていても水木さんの友達のようでおかしい。ガキ大将をめぐる争いがすさまじく、よく死人が出なかったなと思う。水木さんが恋する女の子と常に悲しい別れになるのが切ない。昔は簡単に人が死んでいった。そういう時代に妖怪信仰があったのは自然なことなのだろう。水木さん一家も味わい深い。何度でも読み返したくなる名作。
Posted by ブクログ
・シーッ。「あーっ、なんにもついてない」「女だもん」
・「べとべとさん先へお越し」
・「生活のことばかり考えてても面白くもなんともないだろうが」
・イボの妖怪。
・千種「泣くもんですか。田舎の汚い子に涙なんか見せるもんですか!」
・小豆はかり。「どうして小豆なんかまくの?」「それは俺にもわからん。そういう存在なのだ」
・「死んだら十万億土へ行くの。ちっとも恐くない。境港に来て、本当によかった」
・「あっお菓子の木だわ。わたしほんとうは茂さんよりズイボなのよ」
・ドーナツの木。
・「その悲しみは宝物だ。ええ思い出をもらったな」
・ゆかりの人の心に少しずつ魂が残る。その重たさを持ちこたえるくらい大きくなって大人になって。
・たたりものけの家で河童と根性較べ。
・「肩書きなんかはどうでもええ。人間に大事なのは中身だ。バラは他の名前で呼んでもええにおいがする」
・吉川美和。可哀そうなお化けに話しかける。
・石の悲しさ。今日のお空はいたずら。
・洞窟に石を返し、妖怪劇場。
・人買い。人売り。
・「美和ちゃんがあんなにいきいきしとるのはだれのおかげじゃとおもっちょるんですか!」
・海で現れた美和のお母ちゃん。
・「でもな茂。不幸の中にも何らかの幸せの芽はきっとあるはずだよ。眠くなければ一晩でも二晩でも起きてたらええ。わしはのびのびと寝させてもらうけん」
・「美和ちゃんはなあ、たたりものけだっておとなしゅうなくらいに優しい心の持ち主だけん、きっと幸せになれるよ。ああ。なってもらわんと困るが」
いい。しげーも。恋人たちも。友達も。のんのんばあも。お父さんもお母さんも。
201908再読。
前回読んだときと今回読んだ現在の違いといえば、親になったこと、6期鬼太郎にはまっていること、くらいだと思う。
なのにおそらく前回と同じ感動と、異なる感動を同時に憶えていると思う。
間違いなく共通しているのは、懐かしさの質。
たぶん水木サンの執筆時、ひょっとすると少年時においてすらノスタルジーの対象だったかもしれない田舎の風景。
原日本がどうとか言い出すと胡散臭いが、このへんにそれを感じたいと思っている。
今回は親になって。
しげーの父親の良さがますますわかってくる。
いいのはきっと断定する口調かな。
さらにもう少し分析すると、少年の頃の世界の見え方が既にかなり多面的であることを、漫画は描いている。
ガキ大将を巡る戦争、家の生活、余所から来てはまたいなくなる女の子、ゆるやかにつながる共同体のメンバー(もちろんのんのんばあも)、趣味から夢へとなる画業、といったストーリー自体もそうだが、意外と水木しげるの漫画全体に言えることだけれど、単純なモノローグ視点ではない。少年の主観を軸にしつつ他者の視点を採用している。それが絶妙なところで、少年の想像が及ぶ程度の範囲に留められているからこそ、少年の理解の及ぶ範囲での群像劇、となっている。このあたりたぶん巧妙に作りこまれているのだと思う。
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のんのんばあが妖怪を通して、我々現代日本人に古きよき考え方や慣習を教えてくれます。
いまや「妖怪」が身近に感じられない世の中です。だからこそ、『のんのんばあとオレ』は多くの人の心に残るのでしょう。
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その悲しみは宝物だ。えけ思い出をもらったな。勉強なんか落第しない程度にしたらええ。それよりいまは今でしか作れん財産をいっぱい作ることだ。それがいつか役に立つ時がくるけんなあ。
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@yonda4
ゲゲゲの女房で話題の水木しげる氏。
この漫画は水木氏が子供の頃の自伝。
昭和初期の鳥取県境港、妖怪の存在を信じる「のんのんばあ」との生活。
風呂桶を熱心に洗うのんのんばあに、しげーさん(水木氏のあだ名)が「なぜ、そんなに熱心に洗うのか」とたずねると、
「木が腐ると垢がたまって、そこにあかなめっちゅう妖怪がとりつくんだ」
なんともかわいい。妖怪にとりつかれると困るから洗わなくちゃ!本当にとりつかれたら嫌だけど、妖怪いてもいいよな~。
「小豆はかり」としげーさんのお父さんもいい味だしている。
何度も読み返したくなる漫画だ。
Posted by ブクログ
小学校低学年のとき、ハマリに嵌った漫画です。
正直、私は鬼太郎よりもこっちの方が好きでしたし、今もそうです。
のんのんばあがとても魅力ある方で、出てくる妖怪達も然り。当時の私ももちろん妖怪大好きっ子でありましたが、この本に出てくる「べたべたさん」は怖かったもんです(笑)
理由は忘れましたが、どうもアノ妖怪だけはニガテでした。今は大好きですがね。
まぁ、この「のんのんばあとオレ」は色んな妖怪が登場するだけでなく、水木しげるという人物がどのように形成されたかとということも良くわかります。
Posted by ブクログ
我が心の師(…って何人おるねん?)、水木大先生の「妖怪人生」のきっかけを作ってくれた「のんのんばあ」とのエピソード満載のコミックス。NHKのドラマにもなったよね。私の大好きな「べとべとさん」も出てきますっ!!(笑)
Posted by ブクログ
漫画よりドラマが好きなのですが...
戦前の水木しげるが小学生だった頃のお話。
売られていく美和ちゃんが不憫でならず、茂はついお父さんに「美和を買うてくれ!」と言ってしまい、お父さんは「私には人買いの真似をしろというのか!」と茂を叱ります。
ですが、茂の気持ちに寄り添いながらもとても現実的で大事な話をします。
父「百歩譲ってあの子を買うとしよう。して、その金はどうする?」
茂「じいちゃんに借りる」
父「肝心なところを人に頼ってどうする。この家を売るか?」
茂「え!いや、オレはそげなことまでは...」
と言葉が出ない。
父「いいか、茂。本気で人を幸せにしようと思ったら、自分が傷つくことくらい覚悟しなければならんのだ。あの子は幼い身で不憫ではあると思うが、不幸の中にも何かしらの幸せの芽はあるものだ。」
※私の頭の中にあるものなので正確ではないと思います
Posted by ブクログ
水木しげる追悼の意を込めて再読。
昔NHKでドラマをやっていたが、それが面白くて今でも鮮明に覚えている。
境港=鬼太郎ロードで賑わっているが、賑わう通りを一本脇に入ると、ついと鄙びた港町が現れる。あそここそが、しげーさんの故郷なのだと、久しぶりに読んで実感した。
1922年生まれのしげーさんが、12歳くらいの時の話だから、時は1934年とかその頃。この境港でも人身売買がされていたことが驚きだった。神戸の芸者置屋に売られて行く7歳の少女。東京から肺病で療養に来て亡くなっていく女の子。銀行で働く傍ら活動映写機を使って映画館を始めたり、「勉強なんて落第しない程度にやっておいたらええ、今は今でしか財産をいっぱい作ったらええ」と言うへたれだけど素敵なお父さん。
鬼太郎よりももっと現実的な世界だけに、リアルな時代を生きる人を感じられて面白い。
子どもだからってごまかさないで真剣に話してくれるのんのんばあと、しげーさんは十万億土で再会していることだろう。
それにしても、コテコテの境港弁は、鳥取歴弱冠2年の私にはまだまだ到底未知の言葉だでね。
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それはなあ
千草さんの魂がしげーさんの心に宿ったけん心が重たくなっちょるだがね。
でもしばらくするとその重たさにも慣れるけん。心配はいらんよ。
身体は物を食うて大きくなるけど
人の心はなあ いろんな魂が宿るけん 成長するんだよ
小さい頃からいろんな物を見たり触ったりしてきちょるだろ
石には石の魂があるし 虫には虫の魂があるけんなあ
そげんさまざまな魂が宿ったけんしげーさんはここまで成長したんですなあ
でも ときに宿る魂が大きすぎることがあってなあ
これから先はもっともっと重たい魂が宿るけんなあ
でもしげーさんの心もその重たさをもちこたえるぐらいに大きくなって
大人になっていくんだでね
Posted by ブクログ
「夏ものがたり―ものがたり12か月」の本の中で
水木しげるさんが妖怪に興味を持った
のんのんばあとの出逢いの話を読んだことがきっかけで
ぜひ読みたいと購入した本書。
のんのんばあは物事のすべてに垣根を持たず
命を尊み、自然を畏れ敬い、子供とも同じ目線で
大切なことを語りかけてくれるステキな人。
まだ昭和の始まりの混沌とした日本の古き良きものと
無知故に今の日本とはまた違った悪い面を抱えた時代。
その時代の日本の大人としては柔軟かつ想像力に豊な父と
大らかな母、兄弟、祖母のようなのんのんばあ、
多感な少年期の水木さんに甘酸っぱさと切なさを
教えてくれた女の子たちとの出逢いと別れ。
大好きな"小豆はかり"や、「桜大の不思議の森」にも登場した
"ひだる神"の話があったのもうれしかった!
どんな生活の中で何を感じ、何を想い、どう成長してきたのか
運命と縁に導かれて作られていく水木先生の誕生ストーリー。
Posted by ブクログ
霊感が強く満遍なく優しいが故に貧乏で下積みな「のんのんばあ」
彼女との交流によって生命現象の精神的部分に目覚めて行く「オレ」を
描いた短編集なのだろう
水木しげるの生い立ちの記だと言えるのかもしれない
Posted by ブクログ
水木しげるの世界観を作り上げたのんのんばあは想像力の豊かなおばあちゃんと言ってしまえば夢がなさ過ぎるので、ホントに「何か」が見えていたんだろうなと思う。「みえんからおらんというのがまちがいのもとじゃがナ」この言葉に説得力があるので間違いない。売られていった美和ちゃんとの別れが辛いけどこういった体験の一つ一つが水木先生を支えたのだと思う。何が自分の助けになるか分からないものだ。私も「神様ありがとうヨ」と言いたくなる。
Posted by ブクログ
ドラマとおんなじだ!石を戻しに行くとことかカッパとの対決とか懐かしすぐる!
何気にお父さんが良い事言ってるなぁ。
(思い出補正入ってます)
Posted by ブクログ
古き良き昭和には妖怪がいてもおかしくはない、今はただ環境破壊が進んで妖怪も生きでけなくなった、とそう思わせる全体の雰囲気が好き。
NHKのドラマが懐かしい最放送し無いかしらん?