水木しげるのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
水木しげるが戦線に参加した体験をもとにした漫画。
本作は、兵士が「お国のため、勇敢に戦い、散った」という美しい物語で決して語ろうとしない。美しく回収されてたまるか、という水木しげるの強い意志が感じられる。
一下級兵士にとっては、戦争とは不条理そのものだ。敵だけでなく、味方でさえも、自分の命を軽んじている。
日本の玉砕の文化は、武士道から来ていると推察する。個人の倫理としては美しいが、集団の倫理として機能するには、あまりに暴力性が高い。この実質無くして形式極まれりの武士道精神は、勝てもしない太平洋戦争の引き金になったとも思う。確か、岡倉天心が茶の本で、日本文化の象徴として武士道が海外に紹介されることについて、野蛮であると、憤りを露わにしていたことを思い出す。
特攻や玉砕を気高い日本的精神の表れとして、無闇に美化する言説には気をつけるべきだ。その状況に追い込んだ意思決定や組織構造の欠陥や兵士に与えた心理・物理的インパクトを冷静に分析することのほうが重要だと思う。それが、誰にも知られることなく亡くなっていった兵士たちに対して、現代に生きる我々ができる精一杯の弔いだと強く信じている。 -
Posted by ブクログ
境港の水木しげる記念館を訪問し、せっかくだからということで読んでみた。記念館で水木しげるの人生については一通り見ていたが、それでも幼い頃からの水木ファンとしては、長年の疑問が解けるうれしい本だった。
まず何より、「ゲゲゲの鬼太郎」のルーツについて。戦前の紙芝居『ハカバキタロー』が元になったというのは何かで読んだことがあったが、どこまでそれを踏襲していて、どこからが水木御大のオリジナルなのかは定かでなかった。
この本によれば、そもそも紙芝居というものは印刷をしない原本限り、そのため御大も「ハカバキタロー」を直接見たことはなく、話に聞いただけ。それも怪談の「飴屋の幽霊」のようなよくある話だったとのことで、それなら鬼太郎は100%御大のオリジナルだ。
鬼太郎はひょっとすると御大の作ったキャラクターではないのかも、などというのは幼い頃の僕の杞憂だったようでほっとした。
(他方で、血液銀行に血を売る鬼太郎の母や目玉の親父のルーツが「飴屋の幽霊」にあるというのは成程だ。これまた興味深い気づきだった)
それから、南方の「土人」との帰国後の交流について。これも子供の頃に、人気漫画家になった後の御大がラバウルの「土人」集落の親友トペトロにトラクターを贈った、と読んで首を捻ったことがある。御大は南方の、アクセク働かないのどかさに惹かれたはずなのに、自分が豊かになったからってトラクター買ってあげるってのはなんか違うんじゃないの。幼いながらにそんなようなことを思っていた。
これもこの本を読んで謎が解けた。御大がようやく再訪したラバウルは様変わりしていたそうだ。腹が膨れればそれで充分、というかつての呑気さは影を潜め、資本主義経済に飲み込まれたかつての「土人」たちはより良い暮らしのため金儲けに走るようになってしまっていたとか。
御大の落胆は推して知るべしだが、それでも命の恩人である彼らを見限ることはできない。きっとそんな葛藤の末、トラクターを贈ったのだろう。
かくして南方という「地上の楽園」を永遠に失った御大はいう。「ぼくにとって、空想の世界だけが、本当の生きる世界なのだ。」
ニーチェの「それでもなお」にも似た、悲壮でありながら気高い決意。「ねぼけ人生」なんてとぼけた書名には似合わないが、僕にはそう思えて仕方がない。 -
Posted by ブクログ
現場の兵隊達は米国と戦う意義、気力を失っている。しかし彼らは戦場にとどまらないといけない。そして追い込まれた結果、集団自害を選択した。その行動原理の大元を特定するのは困難である。選択肢を奪われた軍隊がせめてもの誇りを守るため切腹見たく死んで行ったか。また言語化するのが困難な同調圧力からであろうか?
こんなにも死が身近にあるのにクーデターが起こらないのは大日本帝国の病理といったところでもあろう。
本書を素に我々は生死の表裏を身にしめて実感することになる。これは単なる大衆漫画を越えた一種の哲学書であると言えるのではないか?
以上リハビリの足しになればと書いた駄文である。 -
Posted by ブクログ
徴兵されて戦場に行くとなれば、死というリスクが目の前にはっきりと現れてくる。戦争などなく、病気になる可能性はありながらも、多くの人は70年、80年を超えて長寿を全うできる(現在なら100歳を超えても元気な人は沢山いる)。戦争という暗い空気が世の中を支配している。そこに自分が20歳前後の若者で真っ先に戦争に連れて行かれる可能性がある年頃なら、戦場という大きな恐怖、国のために自らの命を捧げることへの意義、自分がこの世に生まれてきた意味など、凡ゆる考えが頭の中を巡っただろう。「ゲゲゲの鬼太郎」の作者として誰もが知る水木しげる氏も、この時期、その様な苦悩の中で生きていた。同氏の代表作としては、前述の妖怪漫画が有名であるが、本人が徴兵され派遣された南方ラバウルでの戦争体験に基づく戦記物を描いたことでも知られている。寧ろ戦争で片腕を爆撃により失いながらも生き延び、戦場での出来事を生々しく描き切った戦記物「総員玉砕せよ!」の方が有名かもしれない。近年はそんな水木の生涯を扱ったドラマなども話題となった。
同氏は真珠湾攻撃に端を発して、日米が衝突した太平洋戦争に於いて、日本が開戦からの快進撃により支配下に置いていた南太平洋の島々がアメリカの反撃により次々と奪われていく様な状況で召集を受ける。徴兵前の身体検査では、極度の近視により乙種合格ではあったが、これは兵士として戦うには支障のない判定である。よって、水木はやがて訪れる戦地への赴任を控えた状況にあり、その戦地は正に日本軍が玉砕を続けているような、「死」が避けられ難い事を充分に理解していた。
本書はその様な状態にある水木が描いた日記である。日記に描かれているのは死への恐怖と、それを克服するための手段を読書に求め、それでも乗り越えることが難しく苦悩と葛藤を続ける水木の姿を垣間見ることができる。当然、日記は他人に見られる事を意識せずに描いたものだから、書いた瞬間の本人の気持ちを嘘偽りなく吐き出したと言っても良い(中には後から見つかる事を期待して装飾して描かれた日記もあるが)。日記を付ける間隔にもよるが、毎日付ける場合だと(私も学生時代は毎日付けていた)、日々の一寸したことにも感覚が敏感になり、情緒の不安定さを見つけ出す良い記録簿になっていたりする。水木は日々聖書やらゲーテについて書かれた書籍を読みながら、何かがその日にあったのではないかと想像させる様な情緒の不安定さを見せる。ここであくまで現在を生きる我々の平和な感覚とは違う事を認識しなければならない。我々が日々苦しみ悩むのは(不治の病でもない限り)死を伴わないものが大半だ。だが水木の苦悩はその死に対する恐怖と、それを克服したい(克服しなければならない)という感情がベースになっている。それは現在を生きる私には到底辿り着けない思考領域である。水木は前日までの自分を否定し、当日の頭とお尻の文中に於いても考え方の変化や逆戻りを見せるなど、正に日記だからこそただ吐き出されるがままの心の内を見せてくれる。
本書は水木の下で働き水木から戦時中の話を直接聞いた筆者が、この発見された水木の日記に解説を加えるとともに、戦時という特殊な状況における、読書の果たした役割を考察していくものである。前半の水木の日記自体はかなり読み辛く感じるかもしれない。だが最後まで本書を読んだ後に、改めて前頁の日記を読み直す事をお勧めしたい。水木の精神状態になり切って涙するかもしれない、大切な人を思い出すかもしれない。そんな一冊だ。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ冒頭から終わりまで繰り返し流れる女郎の歌。「私はなんでこのようなつらいつとめをせにゃならぬ。これもぜひない親のため」「国のため」。戦死者を"尊い"犠牲になったと言う人もいるけど、尊いのは失われた命であって、それを犠牲にしたことを美化してはいけない。
舞台は昭和18年末のニューブリテン島。著者自身がモデルであろう、丸山の所属する支隊はココボからバイエンに上陸する。支隊のうち第二小隊は各分隊ごと雨の中で陣地構築をはじめるが、椰子の木を運んでいた小川がデング熱で死ぬ、正月用のブタを取りに行くため船に乗った境田がワニに喰われて死ぬ、魚取りで口に咥えた魚を喉に詰まらせて中山が死ぬ。死、死、死。あっさりと人が死んでいく。そして事あるごとに上官は「ビビビビビン」と兵にビンタをくらわせる。「初年兵とたたみはたたけばたたくほどよくなる」と。
……おかしみのある場面を差し込みながら"そこにいる"一兵士の目線での戦地での暮らしが描かれるが、命の軽さに呆然とする。あとがきに「軍隊で兵隊と靴下は消耗品」「将校、下士官、馬、兵隊といわれる順位の軍隊で兵隊というのは"人間"ではなく馬以下の生物と思われていた」とある通りである。
年が明け、敵が上陸しワランゴエ河口を占領。これに対し支隊長(田所少佐)は戦車への肉攻、橋頭堡へ斬込隊での夜襲を命令する。丸山も斬込隊を命じられるが水を汲みに行く間に自身の属する第一分隊が全滅。第三分隊に合流するが、敵に包囲された彼らは玉砕を命じられる。酒が配られ、兵士たちは女郎の歌を歌い、踊る。「親のため」「国のため」。誰が喜んで死ねるだろうか、そう自分に言い聞かせるしかない。
バイエン支隊の玉砕の報告を受けた後方の司令部は大本営及び方面軍へ発表する。発表の後に生き残りの存在が発覚するが、それは許されないことだった。
ニューブリテン島の自然を背景に載せられた『美しき天然』の一節。「生きとしいけるものが嬉々として生きるのは神の意志だろう」「しかしここに生きてはならぬ人間がいた」。ここで軍医は「虫けらでもなんでも生きとし生けるものが生きるのは宇宙の意志です」「人為的にそれをさえぎるのは悪です」「軍隊というものがそもそも人類にとって最も病的な存在なのです」と言い、司令部に命乞いをするが聞き入れてもらえず自決する。…この軍医の言葉やその前の支隊長に玉砕を命じられた時の中隊長の言葉には、戦争を経験した著者の怒りが滲んでいる。
生き残りは再度突撃を命じられ聖ジョージ岬で"玉砕"する。聖ジョージはキリスト教の聖人の名前だが、最後の見出しは「みなごろしの岬」。兵を殺したのは敵(連合国軍)だがその状況に追い込んだのは司令部である、日本である。
NHKアーカイブスにあった「生き延びてはならなかった最前線部隊 ~ニューブリテン島 ズンゲン支隊~」を見たが、南方では蛆がわきやすく死体があっという間に白骨化するという。最後のページに描かれた死体、そして白骨。史実で生き残りは玉砕の前に終戦を迎えているが、それで戦争の悲惨さが薄まるわけでは、決してない。
-
Posted by ブクログ
鳥取、境港市にある水木しげる記念館を訪れた際に購入。
昭和初期の著者の少年時代をコミックエッセイにしたもの。
水木さんが妖怪に造詣が深くなるきっかけとなった「のんのんばあ」との暮らし。初恋の女の子との死別や、友達が身売りされるのに助けてあげられないことへの無念、隣町の子どもたちとの戦争?など、現代ではなかなか考えにくいさまざまな経験が水木さんを作っていったことがわかる。
身近な人々との心温まる交流の中で成長することで、水木さんが形作られていったのだなあと思う。
また、ちょいちょい妖怪が出てきて水木少年とやり取りを交わし、現実なのか?空想なのか?分からなくなってしまう場面もある。
また、「妖怪が出るから」と風呂桶をきれいに洗ったり、「妖怪に連れて行かれる」と気に病んだり、暮らしと妖怪とが非常に近かった時代の様子も見られて興味深い。
記念館では、水木さんが戦争に従軍することになった絶望や戦争の凄まじい経験などを見ることができたが、この本にはそこまで書かれていない(12歳くらいまでか)。
表示されていない作品があります
セーフサーチが「中・強」になっているため、一部の作品が表示されていません。お探しの作品がない場合は、セーフサーチをOFFに変更してください。