水木しげるのレビュー一覧
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ネタバレ汚い。汚すぎる。ち●こ、ゲロが出まくりである。だから信頼できる。やべぇ奴すぎて、漫画にピッタリだ。猫可愛い。
読んでて身体がかゆくなりました。
はっきりいって、南方熊楠が何をやったかについてはよくわからない。それは他の本で読め。
でも熊楠の人間味がよくわかる。そういうところがいい。彼の人間性に迫るために、猫の視点にしたのだから。猫の動きが愛嬌があっていいなぁ。
「タクト」の話が、その部分だけが急激にまじめだったな。
自然の摂理のような意味でタクトという言葉を使っていたが、鶏の卵を例に挙げている。鶏の卵は外敵に割られないように固いが、中から雛が出てこれるだけの固さでもある。絶妙なバランスで硬さがきまっている。これがタクトだという。
人間もまた、外圧と内圧のはざまでバランスをとっている。世間体を演じる自己統制てきな自分と、内面世界の本能に忠実な自分。
建前と本音ってやっぱり大事なんね。天衣無縫の熊楠もやっぱり建前はわかっていたんだもなぁ。
あと、マラにフマキラーを突っ込むところも好き。 -
ネタバレ 購入済み
『稲生物怪録』を題材に
『稲生物怪録』に興味があり購読しました。前半は『稲生物怪録』、後半は作者とアリャマタコリャマタ(荒俣宏)らが縄文時代の精霊信仰などから妖怪の真実を追い求めようと不思議体験をする話。
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Posted by ブクログ
南方熊楠は、慶応3年、和歌山に生まれた博物学者である。
博物学者とひと言で言うが、その興味は広く、民俗学や生物学、人類学、生態学とさまざまなものに渡った。記憶力は驚異的で、よそで100冊の本を読んできて、家に帰ってから書き起こすほどであったという。語学力も抜きん出ており、18ヶ国語を操った。英学術誌、Natureへの論文掲載は51本あり、単著では最多という。
これだけであれば、天才・秀才というところだが、熊楠の尋常ならざるところは、その学識だけではなかった。癇癪持ちで著しい奇行はおよそ凡人のものではなかった。一例を挙げれば自由自在に嘔吐ができ、気に入らない相手には吐瀉物を吹きかけることができたという。猥談も大好きで始終一物をぶら下げて歩くが、一方で意中の相手を目の前にするともじもじしてしまう。ある種、無邪気と言ってよく、子供がそのまま大人になったようであった。浮世離れしているというか、出世や金銭には興味がなく、自分の感覚に素直な人物であったのだろう。
そんな「怪人」を、妖怪を描かせたら右に出る者がいない水木しげるが描くのだから、濃くならないはずがない。
水木は怪人・熊楠を描く狂言回しとして、1匹の猫を配す。熊楠は実際、猫好きであったことが知られており、どんなに困窮しても、手元には常に猫がいたという。食べ物は自分がしゃぶった残りかすを猫に与え、布団代わりに猫と寝たというから恐れ入ったものである。
物語は熊楠がアメリカ・イギリスへの外遊後に和歌山に戻ったところから始まる。熊楠は野良猫を飼い、これを「猫楠」と名付ける。実は猫語も操れる熊楠は、それまでの体験を語って聞かせたり、研究に伴ったりする。猫はこの後、熊楠の半生をじっくり見ていくことになる。
熊楠が熱心に取り組んだ粘菌の話もあれば、自身の結婚にまつわる逸話もある。遠野物語のように、妖しのものとのエピソードもある。大小さまざまな事件に熊楠が奮闘する様を、猫楠と仲間の猫たちがゆるりと見守る。猫であるだけに、必要以上に熱くなったり立ち入ったりしない。暑苦しくはないが、さりとて無関心でもない、「猫目線」の距離感が、熊楠ほどの大変人を扱うには、意外にちょうどよいのかもしれない。
全般にこの人は、常人とは違う透徹した目で周囲を見ていたように思われる。同じ世界にいても、他の人と見えるものがまったく違う。それはさながら、ユクスキュルの『生物から見た世界』で、種の違うもの同士がまったく違うものを見ているかのようだ。
晩年、熊楠は昭和天皇に粘菌に関して進講をする栄誉に浴する。それは大きな喜びであったが、一方で、その数年前には、かわいがってきた長男の発狂というショッキングな事件もあった。
粘菌だけでなく、植物や菌類の標本も数多く、熊野の自然を愛し、時代に先駆けて森を守る運動に奔走した。
孫文や柳田国男、ディキンズ(『方丈記』の英訳者)など、多彩な人物との交流もあった。
よく笑い、よく怒り、よく学んだ、密度の濃い一生。
熊楠という複雑な巨人を知るには恰好の1冊だろう。 -
Posted by ブクログ
『ゲゲゲの鬼太郎』で有名な水木氏の自伝。戦争に行ったり、極貧の暮らしをしたり、でも前向きに生きる水木氏の姿勢に心を打たれた。
水木氏の父親は「何とかなる主義」という奇妙な主義を信奉しており、周囲にもその同調者が多かったというが、きっと水木氏も「なんとかなる主義者」なのだろう。
「死後の世界」「霊的なもの」についてどう考えるかは人それぞれだが、『霊魂が肉体の衣を着る』という水木氏の考えには、成程なぁと思った。
真っ暗な境港から海峡を隔てた島根半島を見ると何か居そうな気がする、というのもうなずける。電灯なんてあまりない時代だから、闇に浮かぶ巨大な山の影に霊の存在を感じたこともあっただろう。
子供のころに、のんのんばあの影響もあって幽霊や妖怪が身近なものだった環境があっての「なんとかなる主義」なのだろう。