P.F.ドラッカーのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
色々な論文や著作からの日本オリジナル編集版という事で「短編集」の趣でしょうか? 全体を通しての繋がりという意味では不満ですが、一つ一つの文章に込められたメッセージはむしろ「濃い」。
科学と技術が結びついたのはむしろ近代であり、それ以前は科学とは芸術、哲学の分野であった、とか、近代の労働をめぐる議論は、思想の問題ではなく、むしろ生産性の向上をどう扱うかという問題であるとか、とにかく刺激的な議論が満載でした。あと、14章「知識の意味を問う」での、知識が中心となる社会が来ることは断言できるが、それがどういう社会になるかは自分にも判らない、という話が、なぜか心に残りました。 -
Posted by ブクログ
1993年初版のポスト資本主義を考察した著作。
前書きに著者は「本著はいかなる国の読者よりも日本人にとって大きな意味がある」とし、バブル絶頂から転落しつつある日本に未来を示唆したい思いがあったようだ。
著者最晩年に書かれた本のひとつであり、それまでの著者の総決算的な内容である。ドラッカーを読み込んでいる読者には今までの振り返りにちょどよい本で、初見の人にはドラッカーの考え方がよく分かるのではないか。
ただ、本著を「預言書」だと勘違いしては肩透かしをくい、本質を見失う。
この本は近代から現代史をその意味するところを解き明かし、足元を見据えることに主眼を置いている。そこから見えるポスト資本主義の社会や政治体制、知識そのものに関わる新しい課題を扱っている。
著者は国民国家が揺らぎケインズ理論が破綻すると慧眼にも見据えていた。そしてグローバリズムが政治社会の趨勢になる一方で同進行的にリージョナリズムやトライバリズムが国民国家の基盤を揺るがしているとしている。
時代をよく示唆した名著である。
以下印象に残った文章。
・今日では、土地、労働、資本は主に制約条件として重要である。それらのものがなければ、知識といえども何も生み出せないし、経営管理者がマネジメントの仕事をすることもできない。だがすでに今日では、効果的なマネジメント、すなわち知識の知識への応用がなされれば、他の資源はいつでも手に入れられるようになっている。
・社会やコミュニティや家族は「存在」する。組織は「行動」する。
・成功する組織は、自らの内に、自らが行っていることすべてについて体系的廃棄を組み込んでいる。数年ごとに、あらゆる工程、製品、手続き、方針について検討することをみにつけている。
・先進国は、知識労働者とサービス労働者の生産性を向上させない限り、しかも急速に向上させない限り、経済の賃貸と社会の緊張に直面する。
・今日のトップマネジメントは、テニスのダブルス型チームである。これは情報化時代において必要となり、あるいは少なくとも可能になった試みである。
・生産性向上のための最善の方法は、人に教えさせることである。知識社会のいて生産性の工場を図るには、組織そのものが学ぶ組織、かつ教える組織とならなければならない。
・組織の中のあらゆるものが、「組織と組織の目的に対して、自らにできる最大の貢献は何か」を問い続けなければならないことを意味する。換言するならば、全員が責任ある意思決定者として行動しなければならない。全員が自らをエグゼクティブと見なければならない。 -
Posted by ブクログ
経営とは、マネジメントとは。
企業の目的は利潤の追求ではない、というところからスタートする、ドラッカーの中でも一番基本の一冊。名著集では「経営者の条件」に続く②にあたり、③はこの下巻である。
利益のこと、経費のこと、等々、「経営者の条件」に比べるとやや経営学寄りの記述が多く、経営分析の考え方を説きなおす、といったスタンス。表現が固いと言えば固いので、簡単に自社の数字をあてはめて何かが分かる、といった類のものではないけれど、何を分析したいのか?という場所からスタートするので、これが本来の姿ではある。
私は「~条件」の精神論の方が読みやすく感じたが、それは人によるだろう。長い漢字の、なんとか率を覚えてグラフにすることよりも、考え方としての市場分析や生産性分析、などを身に付けるためには必読。 -
Posted by ブクログ
経済人は終わりだけど、産業人には未来があるということか。当時の経済人と産業人の違いを理解したうえで挑戦したい本だけど、あまり読みたいとも思わない本でもあります(^^;
読んでいてチャップリンのモダンタイムスの一幕を思い出しました。資本主義社会の中で会社では人間の尊厳が失われ機械の一部の歯車のように働くようになっていることを笑いで風刺していますが、最後は自由な生活を求め旅立っていきます。そんな映画が流行っていた時代、人々に魅力的な生き方、働き方を提示できるかいなか、つまり、個人がその社会の中で「位置と役割」を持てる社会かどうか、と述べています。
たぶん(と言うのは本書から明確には読み取れなかった)そのためには個人にも自由と責任が伴うということだろう(正確にはドラッカーの言う自由には責任が含まれているので、併記するのはよくないのかな)。
自由とは解放でもなければ、幸福でも安定でも平和や進歩のことでもなく、「責任を伴う選択である」と説いています。つまり単なる選択の自由は自由とは言わず、選択することにより責任が伴うことを自由と言うということです。
そのために戦後社会において、自由で機能する産業社会を構築しなければならないわけで、ひとりひとりの人間が明確極まりない社会的地位と重要な社会的役割を持つという現実を産業社会の形成に役立てなければならないということらしい。
だから何なんだ(笑)って叫びたくなります。
自分なりにいいように解釈するなら、経営者は社員に、その会社での本人にとっての意味ある位置と役割を与えることが重要だということだろう。そしてそれは自由で保障されていると。自由と言うのは選択の自由であり、選択するということは間違った選択もするということだろう。間違った選択をしてもよりよくする「責任」が伴うということなんだろう。その自由のもとで働く意味を見出していくことが産業人の未来と言うことなんだろうなあ。 -
Posted by ブクログ
知識を行動に具体化することに責任をもつ者>現代の経営(1954年)
もはやマネジメントは専門的な技能ではない。本書でも明らかにしているように、一般教養になりつつある。一般教養とは、教育ある人間が、自らの役割を果たすために知っておかなければならないことである。明日の日本、あるいは明日の先進国において、マネジメントを理解せずに、教育ある人間の役割を果たすことはできない。あらゆる人間が、マネジメントとは何のことであり、その基盤となるものが何であるかを知らなければならない。それが前提とするもの、価値をおくもの、目標とするものが何であるかを理解しなければならない。(チェンジリーダーの条件、2000年)