P.F.ドラッカーのレビュー一覧
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<規模のマネジメント>
規模の尺度は相対的なもので業界により違ってくる。一般には従業員数、すなわちトップマネジメントから全従業員が見渡せるかどうかが物差しになることが多い。売上高は付加価値部分の占める割合が異なるので誤解を招きやすい。売上高が多くても、その大半が外製の部品に由来する場合は、規模が大きいとはいえない。
不適切な規模への対処
1.事業の性格を変える
人絹→化繊への転換など。むずかしい。
2.M&A
3.売却と整理
地域社会において大きすぎる存在になることも好ましくない。
<複雑さのマネジメント 多角化>
組織には、もうマネジメントが出来なくなる複雑さの限界がある。しかし多角化の誘惑は根強い(中でも興味深いのは求人市場からの多角化へのプレッシャーがあるとする分析。知識社会における組織の責任のひとつとするかのような記述も)。
多角化は、共通の市場を核とするか、共通の技術を核とするかのどちらかでなければならない。後者の方が難しい。さらに事業間での体質の一致が必要である。医薬と化粧品の兼業は無理(!)。あと、市場を核とした多角化と、技術を核とした多角化をいっぺんにやるのも無理(!)。
多角化のマネジメント
1.自力開発と買収
両方ともリスクがある。補完的であるが向き不向きがある。自分たちでマネジメントできないものを買収してもダメ。
2.分離
ライセンスなんかも入りそう。
3.合弁
目標をはっきりさせるのが大事。
<グローバル化のマネジメント>
1970年代にここまで意識していたのですな。市場がグローバルになったからグローバル企業が登場したと。国家主権との緊張関係にページを割く。
成功しているグローバル企業は単一市場かつ単一技術である(!)。
途上国の若者や資本に機会を与えるものでなければならない。
CPCのマネジメント。全社のトップマネジメントは1人ずつ各地域のトップマネジメントチームに入る。しかし、各地域の長は別の人間が勤めている。
<成長のマネジメント>
必ずしも成長をしなければいけない訳ではないと。最低の成長ラインはどこか、業界などに応じて見分ける。
<イノベーションのマネジメント>
ここは難しいですな。既存事業のマネジメントとは別物だと。
イノベーションではタイミングも重要な要素。1835年前後には汽船が帆船に取って代わるのは見えていたが、それが実際に起こったのは50年後だった。帆船の黄金時代は、汽船が実用化された以後のことだった。
最後に「マネジメントの正統性」で激を飛ばしておしまい。正当性の根拠は、人の強みを生産的なものにすること。 -
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・予期せぬ成功は最もリスクが小さく、最も成果が大きいイノベーションの機会である
・予期せぬ成功を検討するために特別な時間を割き、分析すし、その利用法を徹底的に検討する仕事を誰かに担わさなければならない
・予期せぬ失敗もイノベーションの機会ととらえる
・アメリカのGEは財務畑の人物によってつくられた。知識のよるイノベーションの多くが、科学者や技術者よりも素人を父にもつ結果になっている
・イノベーションの三つの「べからず」――?凝りすぎてはならない?多角化してはならない?未来のために行ってはならない(現在のために行う)
・既存のものの廃棄は、企業がイノベーションを行うようになるうえで絶対に必要なことである
・イノベーションには予想以上の時間がかかり、予想を超えた努力が必要となる。また、最後の段階になって必ず問題や遅れが出るため、成果の規模を目標の3倍に設定することは初歩的な心得である
・多角化は市場や技術について既存の事業との共通性がない限りうまくいかない -
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Part1 今世界に何が起こっているか
1章 ポスト資本主義への転換
2章 新しい社会の主役は誰か
Part2 働くことの意味が変わった
1章 生産性をいかにして高めるか
2章 なぜ成果が上がらないか
3章 貢献を重視する
Part3 自らをマネジメントする
1章 私の人生を変えた7つの経験
2章 自らの強みを知る
3章 時間を管理する
4章 もっとも重要なことに集中せよ
Part4 意思決定のための基礎知識
1章 意思決定の秘訣
2章 優れたコミュニケーションとは何か
3章 情報と組織
4章 仕事としてのリーダーシップ
5章 人の強みを生かす
6章 イノベーションの原理と方法
Part5 自己実現への挑戦
1章 人生をマネジメントする
2章 ”教育ある人間”が社会をつくる
3章 何によって憶えられたいか
4章 eコマースが意味するもの
といった目次の本。
Part1では、ポスト資本主義である知識資本主義社会の到来とその主役である知識労働者とはどのような人たちなのかというとこについて、言及。その後は、その知識労働者の自己啓発のヒントが満載。おそらく、ドラッカーの人生そののもなのだろう。すばらしい内容でした。
心に残った逸話:
パンテオンに設置する彫刻群を手がけた際、見えない部分(彫刻の背中など)も徹底的に作り込んだ。アテネの会計官が、見えない部分まで完璧に作り込む必要はないとして支払いを拒否したところ、フェイディアスは「私の仕事が神々に見られている」と答えたと伝えられている。
これに対してドラッカーは:
「見えない部分まで完璧に作り込む」という、完全性への姿勢と高い倫理観を示す逸話から、真のプロフェッショナルのあり方として紹介されている。フェイディアスの教訓は、プロフェッショナルが目先の利益や他者の評価に囚われず、自身が信じる「完全性」を追求し続ける姿勢が重要であることを示唆している、
このような生き様をintegrityと言う言葉で表し、
プロフェッショナルの求められる数多くの形質のうちで、最も重要なものであると、断言していることが、深く記憶に刻み込まれた。
ちなみに、本書は再読ですが、なぜか1回目の記録が無い。 -
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ネタバレこのドラッカーの著作は2002年に書かれているが全く古くない。
ドラッカーは急激な変化では大きな流れを知りそれを機会としなければならないとしている
①少子高齢化(最も重要な要因)
→アメリカは移民を受け入れている文化があり有利
ヨーロッパでは成功してない
→就業年齢数の拡大により文化と市場が多様化する
②知識社会へ
→知識はより公共のものとなりアクセス可能となる
継続学習が求められより競争社会となる
非競争社会のコミュニティがセーフティネットとなる
テクノロジストの出現(知識は陳腐化するが技能は劣
化しない)
③製造業の転身
→農業保護化の道も工業も辿る事となる可能性がある
→製造業を主体とする企業は流通企業へと転身しなけれ
ばならない
④IT革命後の世界
→eコマースが従来の企業を駆逐しつつある
→これからはITリテラシーより情報リテラシーが求めら
れる
⑤新たな社会コミュニティの創出
→田舎にはコミュニティはあるが強制と束縛があり、都
市は匿名の社会しかない。資本主義社会は経済以外の
事はほったらかしにして来た。企業や政府はコミュニ
ティを作り出す事は出来ない。NPOだけがそれを可能
にするだろう。
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わけあって、経営学の大古典「現代の経営」を読むハメに。
変化の早い経営の世界で、1954年に書かれた本を読むのは、あまり気が進まないし、「現代の経営」といえば、「目標管理」を提唱した本。「管理」の好きでない私が、気乗りしないのは、分かっていただけるだろうか。
が、読んでみてびっくり、ここには全く古びれない経営が述べられているのだ。このなかには、ステークホルダー経営もCSR経営もバランス・スコア・カードもあるし、社員のモチベーション向上や計画を実践に移すための社員のプランニングへの参画もある。全く恐るべき本である。ちなみに「目標管理」もそれぞれが自発性をもって取り組むべきもので、いわゆる「管理」ではないのだ。
というわけで、経営学の本を1冊だけ読むとしたら、「現代の経営」という話は嘘ではなかった(翻訳では2冊に分かれているけど)
それでも、評価が最高の星5つではないのは、
・事例等が古くてピンとこない、
・冷戦期に書かれていて、時代背景の文脈を読み取ることが必要、
・記述が哲学的、社会学的すぎて、実務的にはやや分かりにくい、
・「べき論」としては分かるけど、それをどうしたら実現できる、分かりにくい、など
今日の読者にとっての読みやすさという面から。
あと、ドラッカーって、やっぱりウェーバーとかシュンペーターにつながるドイツ人だなと思った。個人的には、英米的な実証主義的な経営学の本を中心に読んでいるので、その辺の読みにくさも1点減点には影響しているかな。
つまり、内容としては、当然の星5つということ。
ちなみに、原題は、the practice of managementで、「現代」という意味はない。経営とは、理論ではなく、実践されるべきものなのだ。 -
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数世紀続いた資本主義が終わりつつあるのではないか、という気分の今日この頃、冷戦終結後、つまり「共産主義」後の93年に書かれたドラッカーの「資本主義」後の社会論を読んでみる。
が、驚くべきことが書いてある訳ではなく、これからの社会では、「資本」ではなく「知識」が中心となる、という、今となっては、常識に属する事かな?
といっても、93年にこれが常識であったかというと、そうではないわけで、ドラッカーの慧眼に改めて感服する、ということなのだろう。
だけど、今読んでも面白いなと思ったポイントは、
・ブローデルの見解などを踏まえつつ、数世紀にわたる資本主義の歴史的なパースペクティブのなかで議論されていること
・資本主義だけでなく、国民国家という政治体制についても、議論がおよび、ポスト国民国家というパースペクティブがあること
・そのなかで、マルクスやケインズ、そしてテイラー(ドラッカーによれば近代を作った人間の一人)などの思想家の位置づけがなされていること
・そして、社会論だけでなく、個人としてのあり方、教養のあり方について論じてあること
などである。
知識社会においては、当然、知識が中心なので、知識人、教養が大切。今日における教養とは、古典に関する知識ではない。専門的知識を除外しての教養とはありえない。なぜなら、社会において価値ある知識とは専門知識だから。
が、専門知識それ自体は、教養ではない。教養とは、自分の専門知識以外の専門知識を理解する能力のことである。
そして、そうした能力なしには、自分の専門知識それ自体もほとんど意味がなくなる。なぜなら、他の分野での新しい知識によって、自分の分野で革命的な変化が起こるということが、今日では、常態であるからだ。
これまた、当たり前のことだが、そのとおりだと思う。 -
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"ドラッカーの3冊目(1946年)。
前2作で、ファシズムの分析から、第2次大戦後の社会における企業の重要性を提案したことに続き、3作目でついに「企業」自体が分析の対象としてでてくる。
GMを内部で観察したことを踏まえつつ、経営学的に組織論を語るみたいな部分もあるけど、全体としては、まだ社会経済学者という立ち位置からの作品かな?あるいは、社会経済学から、マネジメント学(?)に移行する最中、マネジメント学が生まれる瞬間の作品か?
この作品の8年後に「現代の経営」がでて、ここではすっかり完成度の高いマネジメント論になっていることを考えれば、「企業とは何か」の今なにかが生まれようとしている感じは面白い。「傍観者の時代」と最初の3冊を読むことで、ドラッカーのマネジメントがでてきた思想的な背景が分かる。
ドラッカーは、スゴいけど、なんだかあまり好きになれない著者だったのだが、最初の3冊を読むことで、読めてくるものが変ってくる。
GMの事例をもとに、大企業のなかでの事業部制とか、企業内部での分権化を推奨(?)するなかで、分権化することで効率的になる場合とならない場合がある、という説明がある。が、問題は、経済的な効率性ではなくて、どちらがリーダーを多く育てるか、というのが最大のポイントであり、基本、分権化を進めるべきである、という部分に衝撃をうけた!市場経済がいいか、計画経済がいいか、ということを選択するのが、経済的効率性の問題ではなく、思想信念の問題であるように、分権化するかどうかというのも思想の問題である、と。。。
あらためて、ドラッカーの思想の中核は、「全体主義を繰り返さないためには、失業をなくし、人々が人間性をもって働けるようにしなければならない。そして、その役割を担うのは企業であり、その企業を普通の人がしっかりと運営できるようなマネジメントが重要である」ということにあると確認した。
一方、「経済の時代」は終わったというニュアンスが強かった前2作と比べると、経済成長や企業の利益の重要性、というか必要性が強調されてきているニュアンスもあり、戦時から平時に変る中で、現実的に機能するマネジメントを模索している感じもある。この後に続くマネジメントの本に比べると、試行錯誤的な部分もあるが、ここから何かが始まるという「始まり」の本なんだな〜。" -
Posted by ブクログ
ネタバレ何がニューソサエティをもたらすのか。何がニューソサエティを形作るのか。その社会では絆をいかに創造するか。 P. ドラッカーは、それは組織を通して個人の強みを活かした社会貢献であるといい、そのための、教養と生涯学習の重要性を訴える。
20世紀の変化の本質は、知識社会の出現である。そこで働く知識労働者は、その本質からして専門家でなければならない。知識は専門化することによって成果をあげる。しかし、専門化した知識はそれだけでは役に立たない。組織との関わりが不可欠である(組織社会)。そこでは「マネジメント」が中心的な機関となる。その本質は知識を生産的にすることにある。人の強みを生産的なものとし、弱みを意味のないものとしなければならない。ここで重要なことは、組織を通して社会に対して貢献するということだ。社会は「一人ひとりの人間に『位置づけ』と『役割』を与え、そこにある権力が『正統性』をもつとき、はじめて機能する」(p.4)のである。
知識社会では、家族、村、教区などの昔ながらのコミュニティは、ほとんどが消える。そのものの多くは、新しい社会結合体としての組織、NPOの役割が大きくなる。NPOは意義ある市民性の回復の核として、企業、政府に次ぐ、三つ目の社会セクターとなる。そもそも知識労働者は、仕事を超え、組織を超え、さらには自らの専門を超えた意味ある社会生活、人間関係、貢献も必要とする。この社会セクターが、社会サービスとコミュニティという紐帯を提供し、能動的な市民性を回復するという。
専門職に就く学生には「一般教養」が必要である。しかしこの書では一般教養とは何かを明らかにしていない。そこで次の阿部謹也氏の定義が参考になる。「教養とは、自分が社会の中でどのような位置にあり、社会のために何ができるかを知っている状態、あるいはそれを知ろうと努力している状態である」(「『教養』とは何か」講談社)。つまり、個人と社会との関係を考えることが、教養の前提となるのである。
知識社会の大学には、教育と研究に加えて、知識を行動に移し、成果をもたらすという機能(社会貢献)が加わった。現代社会の動力源としての知識は、適用され仕事に使われて初めて意味を持つ。従って大学は、応用分野のニーズを中心として学部の再編成が必要。応用こそ知識の目的であり、それが経済と社会の基盤となり、あらゆる社会的な行動の原理そのものとなるのである。
学校は枢要な社会的機関として、学生、生徒一人ひとりに対し、自信と能力を与え、学習の方法を身につけさせ、組織と共に働く能力を身につけさせ、貢献し成果をあげさせなければならない。同時に、継続学習の能力や意欲も欠かせない。これが知識社会における学校の社会的責務である。