山岡荘八のレビュー一覧
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シリーズを読み始めて3年弱。放置しては読んでの繰り返しなので、読んだ期間自体は一年に満たないかな。最後のこの感は山岡氏の考えが書かれている分が比重高く、後半は特に戦争の後味として描かれていたように思う。戦後処理や満州の事後が描かれていたのがそれ。この作品から派生して同ジャンルのより詳細な作品にも手を伸ばしたくなる。戦争評論の類と比べると、事実・体験に忠実な分変に思想的でなくよい本です。山岡氏はこれを描くのに10年の月日を費やしたとありましたが、戦争を実際に体験してなお10年もの間この作品を執筆され、こうして後世に残して下さったことに感謝したいと感じました。事実としての戦争読み物を欲している方、
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本シリーズの主役とも言うべき楠木正成がついに亡くなってしまい、喪失感を覚える。一君のもとに公卿も武家もなく平等な万民が力を合わせて暮らす、という大きな理想を掲げ、そのために考え抜き、行動で示し、見事に役割を遂げてこの世を去った姿に感動した。また、首級を河内の国、観心寺まで届けさせた足利尊氏の心意気もさることながら、それを受けて12歳ながら長男として立派に法要を務めた正行や、畿内の守護のオファーをきっぱりと断った妻久子の気概は見事。まさにシリーズの中の白眉だった。今度地元に帰ったら、観心寺にある楠木正成公の首塚に参ろう。
あと大内山号の死と、浅茅のご懐妊もショック。。 -
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前巻までは信長の透徹した戦略眼に人間観察力、電光石火の処断など信長の人間離れした無双ぶりが前面に打ち出されていたが、この巻からは家臣を活かす信長が見られる。滝川一益の謀略による蟹江城と桑名城乗っ取り、藤吉郎の有名な墨俣の一夜城がそれにより実現する。周辺国の要所を抑え、美濃を虎視眈々と狙う信長の下に竹中重治による稲葉山城乗っ取りの報が届く。驚喜した信長は美濃領の半分を譲渡することを条件に城の明け渡しを求めるが、重治からは拒否される。だが信長は使者の藤吉郎を責めることなく、逆に美濃をいつでも獲れることを確信するのである。
永禄4年(1561年)の斎藤義龍急死の真相から、元亀元年(1570年)の金 -
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この作品に登場する歴史上の人物には、山岡荘八流の解釈による性格が付されているが、特に輝きを放っているのが信長の正室・濃姫である。彼女については斎藤道三の娘ということ以外は何も分かっていない。しかしあの美濃のマムシの娘ならば、こうであったろうという個性が違和感なく発揮されている。勝気で男勝り、打てば響く機知に富んだ賢夫人。留守を任せて怠りなく、家臣や領民、側室やその子供達への気配りも忘れない。時に信長をやり込める時もある。この濃姫の存在が作品価値を高め、なる軍記物を越えたものにしている。真の主人公は濃姫なのかも知れない。
本巻は実弟信行が家臣に煽られて、信長に反逆の兵を挙げる弘治2年(1556 -
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伊達政宗の人生が政宗視点で見れるのでおもしろいです。
歴史に詳しくないので知らなかった部分が多く読む度学ぶことが多くて大変でしたがそれを払拭するほどのドラマ性や人生観を学ぶことが出来ました。
まず驚いたは伊達政宗と織田信長は34歳差ということです。冒頭にも出てくる言葉に「あと20年早ければ乱世の英雄かもしれなかった。」という現実は後の政宗をも苦しませました。
伊達家は代々女に弱く子宝であり、色んな縁談を用いり繁栄させていた家系であることもはじめて知りました。
あと政宗の父輝宗は悲しいほど戦国時代に似合わない善良過ぎる人であったことです。
妻に愛されてると信じきってたり、
息子の英雄伝説にも信じ -
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坂本に引きこもって京の足利軍を迎え討ち、京を奪い返すために攻めかかるも連携できず名和長年も討死する。足利方の調略に乗ったふりをして後醍醐天皇は還幸したが、東宮たちを義貞に預け、義貞は北国からの再起を図った。足利直義は後醍醐天皇を幽閉する。主上を失った新田勢は兵を集めることができず、金ヶ崎城で絶望的な籠城戦を続けた。後醍醐天皇は吉野に脱出、義貞も落城前に落ちて再起を図る。東宮は脱出したものの捕まってしまった。陸奥の北畠顕家は西上を開始、鎌倉を落として雪解けを待たずに単独で美濃へ進撃したが洲俣で敗北、伊勢路へ逃れた。男山八幡に新田義興が立て篭もり、後詰めしようと北畠顕家も高師直勢と戦い敗死。越前を