横道誠のレビュー一覧
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ネタバレ人が依存症になるのは快感のためではなく、苦痛の緩和のためであるという。なるほど、我が身を振り返ってみても納得できる説である。かなり長いこと私はワーカホリックであったのだが、そのおかげで当時苦しめられていた言いようのない不全感をやり過ごすことができていた。依存症は長期的には命を危険にさらすが、短期的には今を生き延びるのに役立つことがある…皮肉なものだ。
依存症当事者の支援について、著者のお二人が重視している「ハームリダクション」という考え方にもハッとさせられるものがあった。また、「ダメ。ゼッタイ。」という対処法がいかに当事者を孤立に追い込むかという話には、思わず背筋が寒くなった。 -
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京都の人のイメージといえば、いけず、京都中心主義、伝統文化など自らが貢献せずとも誇っている、、といったなんとなく付き合いづらいものがあります。ただ実際の京都は夏は暑く冬は寒い、地下鉄は2本しかなくてバスが混んでいる、何とか通り何条上がる下がる等の住所が分かりづらい、、結局自転車が一番便利なローカルだったりします。京都のイメージといえば宇治茶やおばんざいですが、実はコーヒーとパンの消費量が日本一だったりもします。
京都は洛内のことを指し、それは秀吉によって定められたと言われます。しかし天下人としての秀吉が居住したのは伏見で、洛外に当たります。歴史的にみても京都は度々荒廃し、公家や寺社と貧民が隣 -
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同時並行で『創作者の体感世界』を読んでいて、「向坂くじらさん出てきそうな雰囲気」と思っていたが、こちらで取り上げられていて驚いた。
インタビュイーによる人生史の語りがあり、それに対して著者横道のコメント(注釈)が入るというリズムで構成されている。横道本としては馴染みのない(裏返すと加工されていないリアルの)文体を浴び、息継ぎのように横道の文章を読む体験になる。そのため横道作品としての読み応え、読み物としての面白さとしては『創作者の』の方が感じられた。
しかし、等身大の人生史を「文学研究」的に発達特性の文脈で読み込んでいく仕事の様は一見の価値がある。 -
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最近注目されてきた「オープンダイアローグ」の実践書。
正しくは「オープンダイアローグ的対話実践」の実践書。
組織マネジメントのセミナーの中で、これと似たことをした。わたしにはそれが居心地悪くて、自分の至らなさが曝け出される気がして、そこから足が遠のいてしまったのだが。
この書籍の中で6回に渡って行われる実践を読んでいてももぞもぞと落ち着かない気持ちになる。
人はどこまで他人のことを思いやれるのか。心から。
思ったことを正直に、でも相手を傷つけないように言葉にすることができるのか。
実践の場の主催者が自身の長年の悩みを相談する最後の章を読んでいて、これは今問題になっているあの人に当てはまる -
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著者は40歳になって、自閉スペクトラムなどの発達障害があることを知った。それまでは色々自覚はあるものの、健常者であると認識していたわけだ。その過去の自覚とは、こだわりや収集癖、空気を読めない、共感力が低い、想像力の飛躍など、考えてみれば大なり小なり誰にもあることで、実は知らずに自閉スペクトラムと共に生きている人は結構いるのではないだろうか。
健常者のことを「定型発達者」と言うみたいだが、つまり発達障害者のことは「非」定型発達者ということになる。それはある部分は劣っているかもしれないが、ある部分は秀でていることでもあるだろう。
実際に紀行文には、定型発達者にはない特別な感性による体験が描かれてい -
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自閉スペクトラム症者がどのような環境で育ち、どのような作品に触れて、人の心を理解していくのか、が書かれた本でした。
ガンダムの話が何度か出ていて、その時代を象徴する作品などから、何がいいのか?を汲み取っている様子を感じた。
人と会話でコミュニケーションを深めていく、ということがどうしても自閉傾向のある人には難しい。
(空気が読めなかったり、などで波長が合いにくい)
でも、本人たちは普通になりたくて、心の奥底では人との触れ合いが欲しくて、1人でも学べる作品から〝普通〟を摂取して擬似体験しているのかもしれない。
どんな人にも時間は同じだけあるので、普通の人が人とおしゃべりをしている時間で、何か