横道誠のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
友人に勧められて。人間は本当にスペクトラムであり、「ひとつにならない」と言うことがとうとうとわかる話。
著者横道誠の体験を書いた「はじめに」、いきなり初めから同感…となったのが大きい。
…相手と良い雰囲気になってくると、気を許してしまい、いかにも自閉症スペクトラム症(ASD)者らしく、心を込めてふだん熱心に考えていることをダダ漏らしにしてしまう。「私は映画監督のゴダールが大好きなんですが、そのフラッシュバックの手法にいつも死の肉薄を感じて、ときめくのです。私も死のようなフラッシュバックを常態的に感じているからこその愛好ですが、それはさておきそのゴダールが、自殺幇助で亡くなってしまいました。どう -
Posted by ブクログ
自閉症とADHDの当事者であり文学研究者でもある著者が共感する創作者たちを取り上げ、発達障害が見せる世界を語る。
ラルフ・ジェームズ・サヴァリーズ『嗅ぐ文学、動く言葉、感じる読書』を読んだ際に自閉者が既読の古典を別解釈で解体していくさまに魅せられたのでこの本も同じようなものを期待してしまったのだけど、本書は作家論が主でテクスト読解とはまた違うベクトル。最初は少しがっかりしたが、これは直前に読んだミア・カンキマキの『眠れない夜に思う、憧れの女たち』と同じく言葉のなかにロールモデルを探して彷徨う読者のものがたりではないか、と気がついて頭が切り替わった。ミアにとっての〈夜の女〉と、横道にとっての -
Posted by ブクログ
想像以上に面白かった。
発達障害や精神疾患についての知識があればあるほど、筆者の言っていることがわかり、納得がいき、より一層本書の理解が深まる。
発達障害領域の人と、かれこれ30年近く接してきている私には、ここに書かれていることのひとつひとつがわかりすぎるほどわかる。
本書にもあるが、まあどんな人にも発達障害的傾向は多少なりともあって、その濃淡の中にみんないるのだから、誰しもわかり得る部分はあるだろう。かくいう私も、障害になるほどでは全くないが、ややその傾向があるなというのは自分でもわかる。
人類の発展は、発達障害者による突飛な発想やインスピレーション、衝動性や強烈なこだわりが生んだという -
Posted by ブクログ
作家や芸術家を深く知ると「この人はもしかして発達障害だったのではないかな」と思うことがよくある。
発達「障害」、発達障害の「診断」という言葉には抵抗があることは言っておく。「障害」という言葉には定型発達者の傲慢が感じられる。あくまで脳のクセのようなもので、病気ではない。だから「診断」するものでもない。ただ今のところ「発達障害」という言葉しかないので仕方なく使う。
だからこの本が出て、目次を見たとき、南方熊楠、宮沢賢治、石牟礼道子らには「やっぱりそうか」と思ったが、小津安二郎や与謝野晶子などは「えっ、そうなの?」と感じた。発達障害の当事者である著者なので、もちろん私なんかよりその視点は鋭いわ -
Posted by ブクログ
「ケアする対話」の読書体験から辿り着く。当事者研究、オープンダイアログについて体験も踏まえて物語風に書かれているので、また当事者として書かれているので分かりやすい。関連して、ナラティヴ・セラピー、中動態、そしてハイデガー、アーレント、バフチンへの言及など盛りだくさんであった。最後に今の私に一番響いた文章。最小のジャッジが、大きなジャッジに連絡し、他者を切って捨てる役割を果たしていることを自己観察すること。そうすることで、「人は『ジャッジする生命体』としての自分の本性に気づいて、自分の凶悪な刃が他者に振り下ろされるのを阻止しやすくするのではあるまいか。」
-
Posted by ブクログ
面白いアプローチの本。
小確幸。しょうかっこう。村上春樹の造語。小さいけれど確かな幸せ。
発達障害の特性を人格と混同しないことにしている。私の発達特性を仮に悪魔の球根と呼ぶことにします。この名前に深い意味はありません。その悪魔の球根は私は嫌でも飼育せざるを得ない状況に置かれていて、悪魔の球根のせいで、私はほとほと困らされてしまっていると考えている。そのように、自分の人格と分けることで、問題の処理が簡単になる。問題の外在化と呼びます。
パニックのようになった時は、パソコンみたいに自分で一旦強制終了して改めて再起動している。例えば湯船と冷たいシャワーを交互に浴びるなど。自分用に最適化されたメソッ -
Posted by ブクログ
ネタバレ「カルトの子」に衝撃を受け、何度も読んでいる身としては読まずにいられないテーマ。宗教と発達障害の関係については考えたこともなかったけど、人生がうまくいかずに宗教に助けを求めることを思えば、生きづらさを感じやすい人たちがはまってしまうのはなるほどと思う。当事者のインタビューは読みやすかったけど、専門家のところはちょっと読み飛ばすところも。信田さよ子さん、久しぶりに読んだけど、やっぱ分かりやすかった。斎藤環さんとの対談のとこも。こういう本を読むと、あの高校時代のエホバの子を思い出す。今どうしてるんだろうなぁ。エホバの個別訪問が辛い思いをさせて、コミュニティへの帰依を高めるためだという意見にはなるほ
-
Posted by ブクログ
ネタバレ宗教者、精神科医、ジャーナリストなどこの問題に向き合っている様々な専門家との対談や取材と2世当事者の声を集めた章が秀逸。
むしろそこだけでも良かったのでは、と思うくらい。
最後の方の章は著者自身の著作や宗教関連の文学や映像作品の紹介と見解が多く、興味を惹かれるものもあったが映像に関してはほとんど見ることのできないものが多いこともありちょっとうるさく感じてしまった。蛇足感がある、と言ったら言い過ぎだろうか。
p253で著者が創価学会について、エホバの証人のように2世問題を唱えてる人や宗教被害を受けたと言っている人が実数からすると多いと思えない、ゆえにエホバが2世問題を生み出しやすい宗教と言える