横道誠のレビュー一覧
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往復書簡形式で、軽やかな語り口でありつつも、依存症(アディクション)や社会問題、福祉について広く分かりやすく書かれていました。付箋をたくさん貼りながら読んでしまいました。
依存症は自己治癒的なところから陥りやすいこと(=ストレス社会において、誰のすぐ横にもあるものなのかなと思いました)、そして何よりも、コミュニティへの所属や人との繋がり、自分自身の「回復したい」という気持ちが回復には大切であること。なんとなく理解していたものの漠然としていた知識を、少しクリアにできたように思います。
社会や家族のあり方についても考えることができた良書でした。
「ダメ、ゼッタイ」のような啓発や、トー横での排除アートなど、なんでもそうですが、そこに至ってしまった人の背景への考慮が足りていないように感じます。また、そうした対応によって、かえって支援から遠のいてしまう人がいることの危険性についても考えさせられました。
少し踏み外した人を排除していくような社会ではなく、その背景を理解し、必要な人がきちんと支援につながれる社会であってほしいなと思います。
そういう人に必要なのは排除ではなく支援であり、そういうところに税金が使われてほしいと願います。
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かなり面白かった。
身体は元気だが頭が特性あり(ADHD)と、頭は元気だが身体は大変(難病)の筆者2人による人間のここがおかしい!みたいなテーマでの対談形式で話が進む物語。
1番面白いと思ったのは、産まれてから老いて死んでいくまでの流れが反対のほうがよいのでは?という話。人間誰しも、小さくて無条件に可愛がられることや若く健康な時期の有難みに老いてはじめて気づくものである。だからこそ、人生のスタートこそヨボヨボのシニアがよくて、次第に健康に、若くなり、最期は赤ちゃんとして可愛がられながら旅立つ。こっちのほうがいいだろ!っていうテーマが面白かった。 -
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主にアディクションについての、往復書簡であるが、精神医療や福祉についても幅広く語られていて、非常に興味深かった。保護者として子供達には薬物やギャンブルにはダメ・ゼッタイ方針で教育しているが、それはそれで場合によっては追い詰めてしまうのだな…と今のアディクション治療の考え方や、日本の法規制についても学びがあった。
私自身も、コレクション癖やハマると夢中になりすぎる面ではADHD的傾向があるのかもなあ…と我が身を振り返りつつ…。専業主婦という名のもと、かなり社会と切り離されている人間なので気をつけなければと思った。アディクション、私から遠い世界の話ではないぞ。 -
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発達障害の本は何冊も読んできたが、本の表紙の印象とは違い当事者の生き方、自助グループでの視点が面白かった。
(今まで読んだ本は支援者側だったり、当事者でも定番なことばかり書かれていた)
序盤に最も共感した内容に
「火星人に囲まれた地球人」
という表現があった。
まさに身近な発達障害の人を
「宇宙だな」
と感じていたので、とても合点がいった。
そして本人にしてみたら、宇宙人はこちら(周囲)のことであって、火星人が地球に来たのか、地球人が火星人に連れていかれたのかはわからないが、どちらにせよ大変な苦労であることは間違いない。
当然互いに共感できることは少なくなり、懸命に周りに合わせながら「擬態」をして生きていく。
外では一生懸命周りの生物を研究して、脳をフル回転して疲弊して帰宅する。
理屈ではわかっても、やはり自分の見てる世界以外は想像なので、その過酷な感覚を理解して、共感するのが難しい。
ついイラッとすることも多い。
「困った子は困っている子」
「依存症になるのは依存先が少ないから」
そうならないように手を差し伸べたり、適切な声の掛け方をしたり。
周りの人間も当事者「研究」
この視点も覚えがあり、
どうしてできないのか?どう見えているのか?どういう感覚なのか?
よくよく相手のことを考えることがある。
心持ちや根性論では何も解決しないので
「仕組みをつくれ」
という認識でいた。著者もいくつかライフハックを紹介している。そして「諦める」ことも重要だと。
完璧主義者も多いのが発達障害だが、60点でも「満足」という考え方も身につける。
時間の感覚がぶっ飛んでるのも感じるが、これこそ仕組みやツールを導入しやすいところ。
(と思って伝えているがなかなかできずに、スマホ依存になってるように見えるのは、依存先が少ないからだろうか……)
普通の地球人向けの「自己啓発本」は、発達障害の人に役立つことはほとんど書かれていないから読まない、といった内容もあった。
自分も『なんでこんなに自己啓発本を拒否して、勉強しないんだろう?』と思う節があった。書かれている「嫌われる勇気」についても、『周りに敏感すぎて苦労してるんだから読めば得られることはあるんじゃないのか?』と思ったことがあった。
しかし、そもそもこういった本に抵抗があって、感心する点がなければそりゃそうなるな。
それでも筆者も書いている「課題の分離」に関してはまさに意識してほしい点だった。
今まであまり積極的に考えられなかった自助グループについて考えるきっかけになった。
これからも研究を続けていこうと思う。続けるしかないんだけど。 -
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ネタバレ久しぶりに一気読みした。面白かった、、、、、やはり自分の中にある切実な問いに向き合おうと思うと、自ずと興味関心が高く集中してしまう、、特に松本さんの著作は他にも勧められているのもあるし、読みたい。
私は自分が何かの依存症だとは思わないが、他の人と同じように何かに依存して、その依存先が少なくなることもあって、人間関係においては別れを経験し、なぜこうも別れが辛いのかと泣き悩むことがある。そしてなかなか手放せず、依存時間がダラダラとしたり、それがきっかけに自暴自棄になりそうな時だって、ある。そういった体験の理解を依存症の本は少し助けてくれるような気がするのだ。
以下線を引いたところ
「2、ヘイ、マコト 松本俊彦」
ー神さま、与えてください。
変えられるものを変える勇気と
変えられないものを受け容れる心の落ち着きを
そして、その両者を見分ける賢さを
…
そして、依存症の人たちに羨望の念を抱きました。「仲間がいるっていいなぁ」と素直に思いました。だって、人は歳をとるごとに本当の意味での仲間は少なくなり、孤独になっていくものです。かつての友人は成功を競いあい、マウンティングしあうライバル関係へと変容し、仕事を通じて知り合った人の名刺だけはやたらと増えるものの、所詮は利害関係上のつながりにすぎません。プライベートだってそうです。結婚したり子どもができたりと、私的生活でも責任が増すごとに、家族の前ですら仮面が必要となってくるでしょう。(p.32)
冒頭の「平和の祈り」は『スローターハウス5』にも引用されていたものらしい。すっかり覚えていない笑
すっかり最初の松本さんの語り口に引き込まれてしまった。
結局のところ、親が苛立つのは、子どもが自分の思い通りにならないからなのです。その意味では、依存症は、時代の文化や価値観、あるいは社会的通念と無関係ではありません。…ここに依存症薬物(あ、アルコールはれっきとした薬物ですよ)の謎があります。実は、ある薬物が違法か合法化といった区別には、明確な医学的根拠などないのです。少なくとも「健康被害や依存症が深刻だから違法」ではありません。主流派に愛されている薬物は合法で、少数派に愛されている薬物は違法と、どちらかといえば多数決で決まっています。(p.35)
ちなみに、苦痛の緩和に役立つのは、心地よい酩酊だけではありません。一般的には「苦痛」と捉えられるものですら役に立つことがあります。たとえばリストカットのような自傷行為を考えてみましょう。…しかし、それでも、それよりもはるかに大きい苦痛から一時的に意識を逸らすのに役立つ可能性があります。そうであればこそ、リストカットはしばしば習慣化するのです。
…かつて米国の依存症専門医エドワード・カンツィアンは、「依存症の本質は快感ではなく苦痛であり、人に薬物摂取を学習させる報酬は快感ではなく、苦痛の緩和である」と指摘し、「自己治療仮説」という考え方を提示しました。この自己治療仮説は、私たちに依存症の本質を教えてくれます。それは、依存症は確かに長期的には命をさらしますが、皮肉なことに、短期的には、今いるしんどい場所や状況に踏み止まり、「死にたいくらいつらい今」を一時的に生き延びるために役立つことがある、ということです。
人が何かにハマるとき、そこには必ずピンチが存在します。大切な関係性の喪失や破局のような一大事かもしれませんし、少々無理をしている、今いる場所が何となく居心地が悪いといった程度のこともあるでしょう。程度の差こそあれ、ピンチにはちがいありません。(p.39)
「9. ヘイ、トシ(再び)横道誠」
私は非モテだから、おじさんになったいまでも、セックスよりもオナニーを積極的にやっていて、希死念慮が高まると、高まったことでトクすることはほとんどないんだけど、オナニーの快楽はグッと向上している感じがあって、それはありがたい。ふだんの強烈な苦悩が一時的に緩和されるから、そのギャップの力で性的興奮を感じやすくなっているのか、「まだ死にたくない」という生存本能が掻きたてられて、その機序で気持ちが良いと感じるのか、それともほかの理由があるのかは、よくわからない。女性の場合には、もしかしてそういうメカニズムが理由で、自傷行為めいたセックス依存にのめりこんでいく人も多いのかな、なんて想像します。(p.116)
「10. なぜ人は何かにハマるのか? 松本俊彦」
…物質の薬理作用よりも、「自分の力で気分を変えることができる」という、行為によるセルフコントロールの成功体験の方が、報酬としてはるかに強力であり、それゆえ依存症を引き起こす可能性が高い、ということです。…
要するに、人を依存症にさせるのは、物質の薬理作用ではなく、行為を通じた自己効力感の体験ー心身になにらかの刺激を与え、身体感覚の変容感を介して気分調節に成功する体験ーの方ではないか、ということです。そして、身体感覚の変容感を引き起こすための行為は、一定の薬理作用を持つ物質の摂取でも、あるいは、スリルと興奮を引き起こすパチンコやゲームでもよいのでしょう。(p.126)
…依存症の根源には、制御不能な<現在>を何とか乗り越え、予測不能な<未来>を少しでも可視化したい、というあまりにも人間らしい、人類全体の欲望が横たわっている、と。(p.133)
「16. 依存症家族支援と強すぎないつながり 松本俊彦」
…そっと「愛をもって手を放す」べきところを、「もうあいつなんかどうなってもいい」と、力んだ助走で勢いをつけて「突き放す」のです。しかし、そのような乱暴な方法は後に家族に罪悪感を覚えさせ、本人への冷酷無比な対応を後悔させます。そればかりか、「やっぱり私にはあの人が必要、そしてあの人にも私が必要」と、より強力な共依存に舞い戻ってしまいかねません。(p.220)
…家族とは不思議なコミュニティです。お互いの希望や期待、恨みや嫉みが深く入り組み、いささか下品なたとえですが、相互に相手の急所を掴みあって均衡する変態的関係、あるいは、一方の傷を他方の傷で塞ぐような、傷を介してつながる境界曖昧な関係ーそれが家族です。その意味で、家族は本質的に共依存的要素を孕んでいます。…私たちが内と外とのあいだに線を引く瞬間、愛情/憎悪の熱量、あるいは、束縛/排除の力学が生じている可能性はないでしょうか?そしていうまでもなく、愛情はありがたいものですが、だからといって束縛の苦しさを相殺することはありません。(p.226)
「18. アディクションと死を見つめて 松本俊彦」
…思うに、アディクションと死とは表裏一体の関係にあります。というのも、アディクション自体が、「死にたいくらいつらい現在」を生き延びるために、「死んで解放される」のを一時的に延期し、迂回する手段だからです。したがって、もしもアディクションの効果が減衰したり、何らかの事情でアディクションが不可能となったりすれば、死は現実の危機として迫ってきます。(p.253) -
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無意識に「普通」を演じてきた自分に、名前がついた一冊
【読書のきっかけ】
最近、自分にASD(自閉スペクトラム症)の特性があることに気づきました。これまでの生きづらさに「当事者目線」という新しい補助線を引くことで、少しでも心が楽になるのではないか。そう考えて書籍を探していたときに出会ったのが、この一冊です。
【内容について】
本書は、さまざまな当事者たちが幼少期から現在に至るまでの歩みを、具体的なエピソードとともに語り、それに対して著者が丁寧なコメントを寄せていく構成になっています。
どのような「擬態(カモフラージュ)」をしてきたのか
なぜ、どのようにして「擬態」を習得するに至ったのか
これらが多様な視点で綴られており、一口に発達障害といっても、その生存戦略は千差万別であることを思い知らされます。
【感想と気づき】
特に印象的だったのは、生き延びるために意識的に「擬態しよう」と決意して動いてきた方々の存在です。その戦略的な姿勢に驚くと同時に、翻って自分自身はどうだったのかを深く考えさせられました。
実は私自身、休職中の復職支援の一環でAIと対話を重ねていた際、不意に「あなたは擬態していますね」と指摘されたことがあります。その瞬間、点と点が繋がりました。
私の場合、誰かに教わったわけでも意識したわけでもなく、「無意識に」周囲に適応しようと擬態し続けていたのです。あまりに当たり前に「普通」を演じていたからこそ、自分自身の苦しさにさえ気づけないまま、限界まで走り続けてしまったのだと。
本書を読み進めるうちに、今まで正体不明だった「疲れ」や「違和感」に「カモフラージュ」という名前がつき、少しずつ客観視できるようになった気がします。
【こんな人におすすめ】
「周りとうまくやれているはずなのに、なぜか異常に疲れる」
「社会に適応することに、削られるような感覚がある」
そんな、自分でも気づかないうちに「擬態」という生存戦略を選び取ってきた人たちに、ぜひ手に取ってほしい本です。当事者の切実な語りは、きっと自分を許すためのヒントになるはずです。 -
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「〜これまでよりじぶんらしくあることができるようになった、つまり安心して「自閉」し、思うぞんぶんじぶんの世界を楽しんでいられるようになったということではないでしょうか。」という一文が印象に残った。つまり、『自閉症は津軽弁を話さない』の時に違和感とともに感じた、“自閉的すなわち生きづらい”という前提が、ムーミン谷にはない。
ニューロマイノリティとニューロマジョリティ、ニューロダイバーシティという言葉を初めて知った。「他者にシンクロしづらい」「自分に対する関心の集中」などの「自閉」的な特徴を、ネガティブなものとして語っていない。だってそのように自分が存在してるなら、しかたないものね?
ムーミンパパの冒険好きをADHDとして読み解くくだりで、筆者も交流があるという高野秀行さんが登場。そこから派生して、ネット上で読める高野さんと横道さんの対談や、高野さんによる横道さん著書の書評なども読むことができた。高野さんのいう「書くことで混沌が整理される」には共感する。
横道さんの研究スタイルは「当事者研究」と呼ばれるものらしいが、当事者研究じゃない研究ってあるのだろうか。マジョリティがマイノリティを観察して研究したとしても、それは「マジョリティから見るとマイノリティはこう見える」という当事者研究なのではないか。発達特性はグラデーションだとすると、マジョリティとマイノリティという概念は本当に成立するのだろうか。マジョリティなんて本当にいるのか。何が何だかわからなくなってきた。とりあえずムーミンシリーズ読破も途中で止まっているので再開しないと。読むべき本が多すぎて、生活してる場合じゃない(?)。 -
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タイトルの二人による往復書簡。
松本俊彦さんの依存症に関する専門家としての知見は自分には新鮮で、依存症に対する「本人の意思の弱さ」的なステレオタイプを覆されて目から鱗の連続だった。
・人は皆何かしらに依存している弱い生き物
・依存性薬物使用経験者のうち依存症の診断基準に該当するのは1割程度。人間は飽きっぽい動物。どんな気持ちがいいものでもすぐに飽きてしまう。「一度やったら人生終わり」は大げさ。
・薬物、ゲーム、ギャンブルに執着する人たちは快感からではなく苦痛の緩和からそうしている。快感は飽きるが苦痛の緩和は飽きない。
・「最大の悲劇はひどい目に遭うことではなく、ひとりで苦しむこと」。自助グループの効果は仲間たちとつながれることにある。
・レバーを押すと麻薬が投与される檻にネズミを入れるとネズミはレバーを押し続けるが、これは薬物に依存してそうしているのではない。檻の中で孤独だからそうしている。仲間たちと同じ檻に入れると麻薬には見向きもせずに仲間とじゃれ合ったり交尾したりする。麻薬の摂取経験があってもそう。この実験は、依存症の本質は孤独にあることを示している。
・発達障害やPTSDの人たちは依存症に対して親和性が高いが、そういう人たちはえてしてコミュニケーションに困難を抱えているため人とつながるのが苦手で孤立しやすい。
・「自立とは依存先の分散」
・依存症は人を死に追いやる危険性があるものの、それがあるからこそ「しんどい今」を生きられている面もある。「アディクションは長期的には自殺の危険因子だが、短期的には保護因子として影響する」
・今や薬物依存症外来を訪れる患者の半数は、医薬品という「逮捕されない薬物」「取り締まれない薬物」で困っている人たち
・一般に薬物規制をむやみに強化すると、闇市場が繁盛するとともに、以前よりも危険な薬物が流通するようになる。
・依存症問題を家族だけで解決しようとするのは危険。
・「家族は病気の温床」
・「死にたいくらいつらい現在」を生き延びるのに依存症になるのは最悪ではない。少なくともただちに死ぬよりはマシ。しかし依存症に頼って延命するだけでは長期的には死が近づいてしまう。 -
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ネタバレ思えばあの学生時代の勉強会と言い、私はかなり初期から依存症について近い場にいたと自負している。とはいえ、遠ざかってかなり経つというか、この本を読んで驚くことがたくさんあった。そりゃ何十年も経っているんだもの。変わるとこもあるよなぁ。特に『ハームリダクション』について。昔は断酒しかない、と学んだけど、量を減らして生き延びるという方法があるとは。そして依存症になるには育った家庭環境だったり、発達障害による生き辛さがあったり、自殺せずに済むために何かに依存して何とか生き延びているということ。やっぱこういう系の本も読んでいたいものだ。
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高橋源一郎が「飛ぶ教室」で紹介していたのが、面白そうだったので読んでみたのだが、大当たり!
横道誠さんの壮絶な人生と、アディクションの数々。
なんて困難な人生を生き延びている人なの!ということにまず衝撃を受ける。すごい衝撃。
発達障害(自閉スペクトラム症と注意欠陥多動症などなど)と宗教2世、それに伴う心的外傷後ストレス障害、アルコール依存症などなど。(まだ他にも)
書きっぷりが堂に入っており、魅力的で引き込まれる。
とにかく、横道さんの自己開示が凄すぎて、それがまずこの本の魅力。横道さんの人生が全て投げ込まれているのが本気度高くて面白い。
横道さんと真っ向から勝負しなければならない松本さんは大変だろうが、そこは往復書簡をすると決まった時に覚悟したのだろう。松本さんが少し狼狽えながらも自己開示するのがこれまた面白い。
大人が必死に生きてるのを見せるのはよいですね。
アディクション自体が死にたい位辛い現在を生き延びるために死んで解放されるのを一時的に延期し迂回する手段という一面もあるのだなということがよくわかった。
アディクションは長期的には自殺の危険因子だが、短期的には保護因子として影響するという。
もちろんそれにがんじがらめになるのは危機的状況なのでそこから救ってくれるのが、自助グループの存在だと2人は口を揃えて言う。
医者より自助グループ。
自助グループの価値がよくわかる本だ。
印象に残ったこと①
「ハームリダクション」の考え方。
世の中には薬物使用を続ける当事者が一定数いることを前提として、薬物使用による二次的な弊害を低減することを目指すもので、具体的には、感染症拡大防止のために清潔な注射器を無償配布し、安全な薬物が使用できる注射室を設置し、比較的害の少ない代替的薬物を投与することなどである。
なんとスイス政府はヘロイン使用者が激増したため、この「ハームリダクション」を政策として実施。ヘロインを医療機関できちんと管理する形で処方したら、劇的にヘロインで死亡する人の数が減ったそうだ。
何がなんでもダメと言う政策では本質的な問題解決にはならないということだ。
面白い!と思ったし、効果もあるだろうと思うが、このやり方は、悪い奴にいくらでも悪用されるんじゃないかと心配になった。依存症にならないために、例えば、性風俗店はあるべきだ、とか、慰安婦は必要悪だ、とか、公営ギャンブルは必要だ、とかとかとか…。
印象に残ったこと②
時の政府が何を禁止するかは、時流に左右されるということ。アルコールは暴力も振るうし、記憶に残らないし、他人に迷惑をかけるのになくならないのは、好きな人が多いから。ギャンブルも許されているものとそうでないものの線引きは曖昧だ。許されているものは、ポイ活もやり放題。どんどん深みにハマっていく仕組みになっている。
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“じぶんの感情はじぶんであやすのが一人前のおとなとしての務めだ、などと言われることもありますが、どうしても気持ちが腐ってしまう場面はあると思います。てすから、過去と他人とじぶんの感情も、諦めの対象にすると、だいぶ楽になります。過去に関しては諦め、他人に関しても諦め、じぶんの起伏の激しい感情も諦めるのです。”(p.176)
“発達障害の子どもは疲れやすいです。じぶんに合っていない環境から受けるストレスが、いつも蓄積しています。ぜひ、「じぶんの疲れ具合」をいつも気遣うように、教えてあげてください。”(p.147)
これは本当に気をつけていこう。うちのASD児もものすごく疲れやすい。常に疲れた疲れた言っている。でも外出先ではうだうだイライラするのに帰宅すると猛烈に走ったり回ったり踊ったり(?)するので、疲れるのは身体よりもむしろ脳なんだろうな(WМI「極めて高い」)。だから疲れ具合を意識するのと併せて、自分に合ったいなし方や解消法もたくさん用意しておけるようにしていけたらいいなと思う。 -
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依存性に至るまでに、その人それぞれにとって様々な背景がある事。
凄惨な虐待、いじめ、性被害、本人とってトラウマとなるような深刻な体験。
または生まれながらの発達障害による生きづらさ、それに伴う二次障害。
各々が複雑に絡み合いながら死にたい、消えてしまいたいという辛い気持ちを、それでもなお孤独にも自分自身で何とかしよう、問題に対処しなければという健気とも言える生きる為の行動が依存性と言えるのでは?と感じた。
依存性の解決には依存対象を取り上げる事ではダメなこと。
どうすれば孤独に対処し続けてきた当事者を孤立させずに支援していけるのか…。
支援者、家族の在り方を何度も考えさせれる作品だった。
当事者と家族、支援者を分断させずに継続的な支援をしていくには…
まだまだ問題は山積みだと感じる。
この作品に出会えた事に感謝。
依存性に関わる全ての人に読んで欲しい。