横道誠のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ発達障害診断を受けた文学研究者横道誠さんと、多分発達障害だろうなと自覚するYouTuberだいまりこさんのお二人が、生きていく上で引っかかりのある人たちをテーマに弱さというワードから考察していく一冊。
隣町珈琲という場所で対談をしながらその場のお客さんやオンライン配信を見ているお客さんの質問を受けリアルタイムで受け答えしつつ進めていくそれぞれの回の記録を起こしたもののよう。
自分も隣町珈琲の配信を何回か見たことがありますがお二人の対談は見たことがなくいつか見てみたい。
浦河べてるの家を始めた向谷地さんが書かれた、弱さについての本を先日読みましたが、本書にも浦河べてるの話がちらちら出てきて、何らかの生きづらさを抱えた人たちにとってはいまや当事者研究というワードは避けられなものとなっているのだろうか、などとまず思いました。
気になる言葉が目白押しでした。
たくさんありすぎるので少しだけ抜粋。
(20p)いろんな問題に関して、「これは自分ごとだ」と感じて、考える人の数が増えると社会全体の空気が上向いていく。
(p23)たとえば発達障害の子供が「何か困ってる?」と聞かれたら「何も困ってない!」って答えることが多いと思います。発達障害の大人でも そうかもしれません。小さい頃から自分が困っていることが当たり前の状況だから、自分がいつも困っていることを認識できていないんですよ
(同じ内容として)(p180)おとなになってから、いろんな知恵や知識が身についた後に、「本当はずっと困ってきた」と把握できるようになるわけです
(p123)(頭木弘樹さんの話の流れから)障害も異文化だということ(p178)親にしても学校の先生にしても、イライラ せざるを得ない状況に置かれているという構造的問題があってその土壌から叱る行為が芽吹いてくる(略)多くの場合、叱りたくて叱っているわけではない
発達障害者の人の場合、結構困ってることに気づいていない、または何に困っていると明確に言葉にできなくて困っているけど困っていると言えないということは多くあるように思います。しかしこれは周りも察することは難しいことが多いので、困ったままずーっと暮らしている人はかなりいるのては、と感じます。
p34にアライ(当事者を支援する非当事者。主にLGBT支援で使われることが多い言葉)について書かれている指摘について考えさせられました。要約としては、関心の高い人はアライが増えることでみんなが幸せになると分かっているからやってるけど、ほんとうに分かってほしい人たちは関心が向いてないからどうしたらそこの回路を開けるのだろうかということ。
これはLGBTの話だけでなく、障害者や要介護者など全ての福祉に関わる問題点だと思います。
まず関心のない人たちにどうやったら関心を持って自分にも関係あることとして関わってもらえるのか。
横道さんは諦めずに戦っていくことで変わってきたこともあるからそうしていくしかないという意味のことを話しています。
何でもやはり諦めたら終わり、ですね。
自分も身内に障害者や社会的弱者がいるから関心を持っているけれど、もしそういう人間が近くにいなかったら福祉に関心の薄い人間になっていた可能性は高い気がします。
やはり関わってもらう、関心を持ってもらうには自分は関係ないというスタンスをどうにかしてそういう人たちに変えてもらうしかないんでしょうね。
p220、子供を持ったら希死念慮が減るのでは?とだいさんが考えた著書を横道さんが読んで「自分には全く理解できない感覚」と話す場面がありました。
自分も似たようなことを考えたことがあり(ということは希死念慮があった時期があるということですが)、そういう考え方は産む性である女性ならではの考え方というか乗り越える方法の一つなのかなと思いました。
それが書かれただいさんの著作を読んでないので「だから(たいさんは)子供を産んだ」ということなのか、その考えとは別にお子さんを産んだのかはわからないのですが、自分はそう考えたあとに「自分の生きる道を確保するために生きる理由として子どもを産むのは違うのではないか」と思ったと同時に「もしそう思って子どもを産んでもやはり希死念慮が薄められなかった」となって万一自分が死んでしまったら残された子供はどうなるのか無責任ではないか、と考えてそんな理由で子供を産んではならないのでは、と強く思ったことを思い出しました。
子供を産むからには、純粋に産まれてほしい、子供が欲しいという気持ちで持たなくては子供に申し訳ないのではと考えました。結果的には色んな理由で子供を持たない人生を生きているわけですけども。
繋がりを持つ、関わる人を増やす、孤独だと感じる時間をどうにかして減らすか薄める。
それが大事なのだなぁとお二人の対談を総括してそう考えました。
そして著者やこの本の内容に関心のある人達がこの本を本当に手に取ってもらいたいと考えるのは、おそらくまずこういう本を絶対に手に取らないような人たちでしょう。
(だからその回路!をどうしたら…)
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Posted by ブクログ
次男が多動はなく、注意欠陥の方が強くでるADHDの診断を受けていて、彼がムーミンの本が大好きなので買ってみた。
音楽や小説、絵画など芸術系のことは大好きなのだけれど、学校であまり興味のない授業をずっと集中して聞くのはとても疲れるらしい。先生の言葉の何かがきっかけになって、蝶々がひらひらと舞うように、思考がいろんな方向に飛び回って、それを追いかけているうちに、先生の話が先に進んでしまうらしい。
こんなふうに説明できるだけでも大したもんだと思うけれど、どんな感覚なのか分かるかなと本書を買ってみた。
ムーミンは幼い頃アニメでもみていたし(確か、岸田今日子さんが声優として出ていた)、小説も何冊か読んで、小説はシュールな筋運びが好きだった。挿絵もアニメのファンシーな感じとは違い、白黒の挿絵の少し寂しげなところが好きだった。
本書はトーベヤンソンがニューロマイノリティであったろう、ということと、彼女のセクシュアリティのことも合わせて、作品世界の読み解きをしている。著者自身がニューロマイノリティで、その当事者が読むとこう感じられる、ということがたくさん書かれていた。
私もムーミンの世界を魅力的に感じていたのだけれど、著者の詳しい分析の数々は、そうかぁ、そう感じるのですね。。という感じで正直次男の感覚が理解できたという実感はなかった。
「ムーミンパパ海へ行く」はトーベヤンソンが父親との関係にけりをつけた作品として読めるらしく、そのテーマは今も私を苦しめているので、読んでみたいなと思った。
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Posted by ブクログ
・京都出張の帰りに京都駅の本屋で見かけて、京都理解を深めたくて購入
・京都府立大学の准教授が、京都散歩しながら京都の人、町、歴史をユーモラスに読み解く
・架空のツアーガイドとの会話など面白おかしく伝える工夫、試み
・タイトルや「長安のコピー」などドキッとする言い回しはあれど、根底には京都に対する愛があるので笑って読める
・何も考えずに読める、旅行前後の移動で読むと良いのでは
・読んだ後には京都の見え方、思い出し方がより味わい深いものになるのでは
・挑発的なタイトルだけに、書店で購入する時の定員さんの何とも言えない目線が忘れられない
・京都の方はどんな気持ちになるのだろう -
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ネタバレ人が依存症になるのは快感のためではなく、苦痛の緩和のためであるという。なるほど、我が身を振り返ってみても納得できる説である。かなり長いこと私はワーカホリックであったのだが、そのおかげで当時苦しめられていた言いようのない不全感をやり過ごすことができていた。依存症は長期的には命を危険にさらすが、短期的には今を生き延びるのに役立つことがある…皮肉なものだ。
依存症当事者の支援について、著者のお二人が重視している「ハームリダクション」という考え方にもハッとさせられるものがあった。また、「ダメ。ゼッタイ。」という対処法がいかに当事者を孤立に追い込むかという話には、思わず背筋が寒くなった。 -
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京都の人のイメージといえば、いけず、京都中心主義、伝統文化など自らが貢献せずとも誇っている、、といったなんとなく付き合いづらいものがあります。ただ実際の京都は夏は暑く冬は寒い、地下鉄は2本しかなくてバスが混んでいる、何とか通り何条上がる下がる等の住所が分かりづらい、、結局自転車が一番便利なローカルだったりします。京都のイメージといえば宇治茶やおばんざいですが、実はコーヒーとパンの消費量が日本一だったりもします。
京都は洛内のことを指し、それは秀吉によって定められたと言われます。しかし天下人としての秀吉が居住したのは伏見で、洛外に当たります。歴史的にみても京都は度々荒廃し、公家や寺社と貧民が隣り合う格差の大きな場所でした。いまは観光名所になっているようなところも実は死の影があり、表立って人を呼ぶ場所ではないのです。
著者は文学者として京都に四半世紀も住みながら、未だに京都人と自認できないジレンマを抱えつつ、改めて京都の良さをフィールドワークを通じて探しています。京都の魅力の大半は、実は洛外の四季や食といった周辺環境から供給されており、その目利きこそが京都人のプライドでもあります。
決して高いから良いわけではなく、安くとも長持ちするようなシンプルなものを好み、質実剛健な暮らしの中で侘び寂びを見つけるといった、京都人のこだわりはやっぱり外から見ると分かりづらいことこの上ないですね。一見するといけ好かないですが、懐に飛び込んでみれば面白い生態が見られるかもしれません。 -
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同時並行で『創作者の体感世界』を読んでいて、「向坂くじらさん出てきそうな雰囲気」と思っていたが、こちらで取り上げられていて驚いた。
インタビュイーによる人生史の語りがあり、それに対して著者横道のコメント(注釈)が入るというリズムで構成されている。横道本としては馴染みのない(裏返すと加工されていないリアルの)文体を浴び、息継ぎのように横道の文章を読む体験になる。そのため横道作品としての読み応え、読み物としての面白さとしては『創作者の』の方が感じられた。
しかし、等身大の人生史を「文学研究」的に発達特性の文脈で読み込んでいく仕事の様は一見の価値がある。 -
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最近注目されてきた「オープンダイアローグ」の実践書。
正しくは「オープンダイアローグ的対話実践」の実践書。
組織マネジメントのセミナーの中で、これと似たことをした。わたしにはそれが居心地悪くて、自分の至らなさが曝け出される気がして、そこから足が遠のいてしまったのだが。
この書籍の中で6回に渡って行われる実践を読んでいてももぞもぞと落ち着かない気持ちになる。
人はどこまで他人のことを思いやれるのか。心から。
思ったことを正直に、でも相手を傷つけないように言葉にすることができるのか。
実践の場の主催者が自身の長年の悩みを相談する最後の章を読んでいて、これは今問題になっているあの人に当てはまるのではないかと思った。そして、パワハラ上司側が私か…と。つらくなった。
頭では分かっていても、行動にできない、したくないと思ってしまう私もおそらくなんらかの「特性」があるのだろうな。いや、こういうことを「特性がある」ということでくくってしまっていのか、とも思うし、またそう思うこともどうなのかと思う。