シェイクスピアのレビュー一覧
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「リア王」も「ハムレット」も「オセロ」も「ロメオとジュリエット」も……、誰でも知っているシェイクスピアの戯曲は、それなりに読んだつもり、だけど、私は「戯曲」という文学形式を些か苦手としているかもしれません。ともあれ取り急ぎ、代表として、リア王を挙げます。(マクベスとかハムレットとか、幽霊が出て来たり魔術が出て来るほうが好きかも)。これもまた、純然たる「悲劇」だ。ただ、どうして末娘はいい娘なの?どうしてお姉さん(たち)には邪念がつきまとうの?シンデレラしかり(継母という事由を差し引いても)、「美女と野獣」しかり、オオクニヌシノミコトしかり(あそこはお兄さんたちだけど、あれは酷すぎる)、想い出せば
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シェイクスピアの劇作
内容も面白いが、これがつくられた当時の時代背景もうかかがえる。
高利貸しのユダヤ人が非常に悪者として、またキリスト教徒が慈悲深く描かれている。また最後に高利貸しがキリスト教徒に改宗させられているのもユダヤ人からしたら非常に屈辱的であろう。
驚きは解説にあった。
この物語はシェイクスピアが考えたものではなく、もともと1300年代にあった3つの話をつなげたような内容らしい。しかし、今でも古典として多くの人に読まれれるのは、劇作として非常に完成しているからであろう。
古典はその内容だけでなく解説部分で多く背景にあるものなどを理解することができるのでこちらも一 -
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本作はユダヤ人の持つ別の特性、どうやらこれも西洋社会におけるユダヤ人への迫害を増す要因の一つになった様だが、「金融」に強いというのが、歴史的必然性を持って生まれたものであるということを教えてくれる。
シャイロック
「さて、どうだか。が、とにかく俺は金銀にも子を産ませる、だが、旦那、いいですかね。」
アントーニオ
「聞いたか、バッサーニオ?悪魔でも聖書を引くことができる、身勝手な目的にな。根性の曲った人間が、聖句を引合いに身をまもるとは、まるであの悪党の見せる作り笑も同然だ、見かけはよいが、心の腐った林檎も同然。ああ、まがい物に限って、立派な外面ときやがる。」
上記において、ユダヤ人高利貸し -
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リア王は立派な王だと思って読んでみたが、少しも立派ではなかった。いわゆる一人の父親であり、遺産を娘たちに分与する資産家に過ぎなかった。
リア王以外に立派な人がいたかは難しい。遺産を拒んだコーディーリアか、王に苦言申し上げたケント伯だろうか。でも、結局、いなかったのかもしれない。立派さに力点をおく作品ではないから。強いて言えば、あの嵐が立派だったのかもしれない。
序盤は話がぶつぶつして煮え切らないのが、グロスター伯の目が潰れた辺りから、急速にまとまっていく展開だった。最後は悲劇ということらしいのだが、そして、誰も居なくなったわけでもないので、喜劇になりそうな気もする。まぁ、リア王にとっては悲 -
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リア王の悲劇の後は、軽い喜劇で心を中和。
序盤のビアトリスとベネディックの心を探り合うような辛辣且つ軽妙な掛け合いが楽しい。フェイクと姦計に振り回され一度は諦めながらもクローディオはヒアローを、ヒアローと侍女の作り話を聞かされたビアトリスはベネディックを愛することになる。二つの恋が悪意と善意のなかで撹拌されながら、やがて不純物が取り除かれ実を結ぶ。
「友情は不変といってよいが、色と恋が絡めば話は別になる。」”Friendship is constant in all other things,
Save in the office and affairs of love.”
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アブラゼミが姿を消し、ツクツクホウシとヒグラシが夏の終わりを告げる声を聞いて、滑り込むようにこの本を読んだ。日が落ちても暑さが抜けず、生暖かい夜風が肌を撫でる今日のような夜は、この作品の舞台にぴったりだ。
若い男女たちが好きだの嫌いだのとやりあうところに、妖精たちが茶々を入れて一晩中の大騒ぎが始まるというドタバタ物語に、いつしか私も紛れ込み、彼らとともに賑やかな夏の夜の遊びを楽しむと、心なしか私の肌も汗ばんでくる。
この本は、河合祥一郎氏の訳だが、この訳のすごいところは、わかりやすさとユーモアもさることながら、原文の押韻(ライム)をことごとく、日本語に訳しきってしまったところである。さらに