あらすじ
シェイクスピア(一五六四―一六一六)の喜劇精神が最も円熟した一五九○年代の初めに書かれ、古来最も多く脚光を浴びて来た作品の一つ。人肉裁判、筐選び、指輪の挿話等をたて糸とし、恋愛と友情、人情と金銭の価値の対照をよこ糸としているが、全編を巨人の如く一貫するシャイロックの性格像は余りにも有名である。
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310P
ウィリアム・シェイクスピア
イングランドの劇作家・詩人であり、イギリス・ルネサンス演劇を代表する人物でもある。卓越した人間観察眼からなる内面の心理描写により、もっとも優れているとされる英文学の作家。また彼の残した膨大な著作は、初期近代英語の実態を知るうえでの貴重な言語学的資料ともなっている。
ヴェニスの商人
by シェイクスピア、大山敏子
世の中にはまじり気のない悪徳というものはないのだ、 必ずそのうわべになにかしら美徳のしるしをつけているものだ。
彼はなぜ大学に学ばなかったのか、これもわからない。しかし彼の作品から理解できるシェイクスピアの教養の深さ、常識の豊かさ、人間性に対する洞察力のするどさは、他に比べることのできないほどのものである。
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読書好きとして一度はこういう歴史ある名著を読んでおこうと思い、拝読。
率直に、すごく面白く、意外と登場人物も限られており読みやすかった。
当時のイギリスの文化や法、背景が彷彿とさせられ、舞台はヴェニスではあるがシェイクスピアの頭の中が見て取れるようで、興味深かった。
特に印象的な人物
・ネリッサ…ポーシアの侍女であるが、発する言葉に名言が多く、印象的。
「あまり御馳走を召し上がりすぎますと、却ってこれは食物もなく、飢えている人間と同じように、やはり一種の病人だそうでございまして。してみますと、すべて中っくらいにいますということは、どうして中っくらいの幸福どころではございませんで。」
「過ぎたるは白髪を早め、適度は長生の基のようで。」
「月のあるうちはあの燈も見えませんでしたが。」
(そうよ、大きな輝きが小さな輝きを見えなくする。)
・シャイロック…富めるユダヤ人。シェイクスピアの、また当時のイギリスのユダヤ人に対する憎悪がシャイロックの性格像に表れている。解説を読むと更に興味深いが、ここに当時の偏見とも言うべき人物像が写されている。
他、印象的な言葉の引用
・「外観というものは、すべてひどい偽りかもしれぬ。そして、世間という奴は、いつも虚飾に欺かれる。世の虚飾とはすべて、魔の海へと人を誘う偽り多い岸辺でもあれば、また黒いインド美人の顔を隠す、美しい顔覆いでもあるのだ。」
・「外観によりて選ばざるもの、汝にこそ幸運は常にあり、選択もまた正しからん。かかる幸運の汝に帰せし上は、足るを知りて、ゆめ新を求なかれ。」
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あまりにも有名ですね……。でもやっぱり「有名どころ」は傑作です。ポーシャのことを「かっこいい」と思ったことがあったんだなあ、こんな人になりたい、などと。(そのついでに法衣にも憧れた)。こぞの雪いまいずこ。
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シェイクスピアの劇作
内容も面白いが、これがつくられた当時の時代背景もうかかがえる。
高利貸しのユダヤ人が非常に悪者として、またキリスト教徒が慈悲深く描かれている。また最後に高利貸しがキリスト教徒に改宗させられているのもユダヤ人からしたら非常に屈辱的であろう。
驚きは解説にあった。
この物語はシェイクスピアが考えたものではなく、もともと1300年代にあった3つの話をつなげたような内容らしい。しかし、今でも古典として多くの人に読まれれるのは、劇作として非常に完成しているからであろう。
古典はその内容だけでなく解説部分で多く背景にあるものなどを理解することができるのでこちらも一見の価値あり。
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悲劇だと思って読んでたら喜劇でびっくりした。シェイクスピアは喜劇→悲劇と作風を変えているらしい。
極悪金貸しユダヤ人のシャイロックによって、相対的にキリスト教とアントーニオが好印象となっている。アントーニオは友人のために身を差し出すため好印象だが、キリスト教もバッサーニオも作中ではいまいちパッとしない。シャイロックが強烈すぎるのだ。
演劇のおもしろいところは、監督、俳優による解釈がなされて上演されるところである。シャイロックの解釈が秀逸であれば、必ずおもしろい上演になる。
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ユダヤ人の商人が、舞台の去り際まで悪役を演じ切る、その様が好きです。時代背景はさておいて、作品の登場人物として、頭から尻まで一貫した立ち位置を保つ彼の姿に心惹かれました。
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物語というものは、あたかも自律した生命体のように、作者の意図を無視して、勝手に読み手に感銘を与えることがあるらしい。チェーホフは戯曲『桜の園』を喜劇のつもりで書いたが、役者たちはしばしばそれを悲劇と解釈して演じてしまい、作者を苛立たせたという。
『ヴェニスの商人』も、そういう作品のひとつである。シェイクスピアはこれを勧善懲悪の喜劇として書き、観客も当初は喜劇として楽しんだ。キリスト教の神がすべてを支配する中世西欧において、ユダヤ教徒の高利貸しシャイロックが駆逐されるべき「悪」であることは自明であり、ほとんど真理に等しかったのだろう。その「真理」に異議が申し立てられるのは19世紀。被差別民という「悲劇の人」としてシャイロックが解釈され始めたのは、西欧において神の絶対性が否定され始めたのと、ほぼ同時である。そして第二次世界大戦という真の悲劇を経て、受難者としてのシャイロック像は、いっそう現実味を帯びて定着することになる。
とはいえ実際に読んでみると、同情や哀れみの涙を寄せるには、シャイロックというキャラクターはあまりに骨太すぎるように、私には思われる。「嫌いならば殺してしまう、それが人間のすることか?」と問われて「憎けりゃ殺す、それが人間ってもんじゃないのかね?」とすかさず言い返すふてぶてしさも、「罰はこの身で引き受けるまで!」と開きなおる潔いほどの傲岸さも、どこか中世という枠に収まりきらないエネルギーを感じさせる。それは、むしろ近代以降のものであろう。中世のキリスト教的価値観を体現するアントーニオやバッサーニオが、まったくと言っていいほど生彩に欠けるのとは対照的だ。
シェイクスピアは、別に歴史を予感していたわけではないだろう。にも関わらず、その卓越した人間観察力は、結果として正しく「神に刃向かう者」を――ニーチェやマルクス、あるいはカミュなどを連想させる近代的自我を――描写しているようにみえる。ここにいたっては、もう喜劇も悲劇もない。ただ「劇」があるばかりである。作者の手綱を振り切った、生きた物語があるばかりである。
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喜劇であるためか、導入部分も魔女の予言や亡霊の告白をともなわないのでさいしょは多少たいくつだった。が、三幕あたりからやはりおもしろくなった。金貸しを言い負かすための屁理屈も好きだ。
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この年になって初めてシェークスピアを読んでみる。
演劇として見た方が、その面白さがより伝わるのかもしれない。
発表当時には、テンポの良い展開が面白かったのかなぁと思う。
ユダヤ人vsキリスト系の構図が、話しのベースになっていたことは興味深かった。
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戯曲の台本。やはり劇場で観てみたい。
人によって悲劇か喜劇かの評価が180度違うものになると思う。
シャイロックは本当に悪人?商人たちは本当に正義なのか?シェイクスピアの創作意図はわからない。
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大学の経済学史の授業で扱われたので購入。
シャイロックやアントーニオなどでこの頃の経済活動がよくわかる。
また、話の内容ももちろんおもしろい。
特に人肉裁判の下り、シャイロックが自分がいままでキリスト教徒に差別を受けてきた怒りをぶちまける長台詞は一読の価値あり
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ヴェニスの商人・アントーニオ、ユダヤの金貸・シャイロックとのいわゆる「人肉裁判」で有名な喜劇作品。
正直あんまり面白くはなかった。まずSSのような台詞形式であるため、風景や場面などが浮かびづらい。気づいたら退場していた、なんてことがままある。また、(これは現代人だからかも知れないが)シャイロックへの扱いが理不尽に感じた。きつく当たっていた人物(アントーニオ)がその本人に恨まれるのは当然じゃね…?と。従って一番の見せ場となる裁判の結果も、スッと入ってこなかった。
それでも訳者の解説は必見。「実はシェイクスピアは素材、原話は他人任せであること」・「1290〜1650年の間、ロンドンではユダヤ人が殆どおらず、しばしば嘲笑の対象とされていたこと」・「(この作品が描かれた)エリザベス期は金貸の黄金時代であったこと」など。
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さすが名作。愛と友情を以って悪を打ち破る王道ストーリーを綺麗に描ききってます。また、キリスト教の改宗を迫ったり、三つの箱の内、鉛の箱があたりだったりと、細部まで考察するポイントも多数あります!
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シェイクスピアで初めて読んだ作品。
悲劇作品かと思ったが、典型的な勧善懲悪ものであった(ように感じた)。
ユダヤ人差別が露骨に描かれていて、当時のシェイクスピアがどういう思いで書いたのかはわからないが、現代人の自分から見たら一種の風刺作品のようにも思えた。終始悪者扱いだったシャイロックがまた違った結末を迎えていたならば、作品は全く違った様相を呈したのだろう。
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ユダヤ人への露骨な差別にびっくり。日本にいると、ユダヤ人問題ってあまり身近ではないですが、本当に古代から大変な目に遭われた人たちなのだなと思います。キリスト教も、一国の政府が他国を敵として刷り込むことで自信の求心力を保つ必要があったということでしょうか。恋する二人のテンポの見事さは、読んでいて気持ちよく情熱的で、恋愛のめんどくささを描き切っているwポーシア聡明ですねー、最後の指輪のくだりはなんのためにあんなことしたくなるのか、意味わかんないけどそれに頭の上がらない男たちもチャーミングではないですか。
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べネチアを舞台にした、友情と恋愛、そして知恵の物語である。悪役を痛快に懲らしめる展開に加え、物語の終わり方も爽やかであり、素直に楽しめる物語であった。当時のベネチアの時代背景や、ユダヤ人とキリスト教徒の考え方の違いなどを、前提知識としてよく理解していると、さらに楽しめると感じた。また、「マクベス」同様英語で鑑賞しないと、本当のシェイクスピア作品の良さは味わえないと感じた。英語のリズム感や韻などを、翻訳されたものでは味わうことができないからだ。シェイクスピア作品については英語表現が見所の1つで、みんなが手本にしたくなるほど美しく綺麗な英語を用いているそうだ。そうした良さを味わうためにも是非英語で鑑賞したいと思った。
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授業のいわゆる課題図書だったため、題名しか知らなかった今作を初めて読んだ
半期、授業を通して、普段自分が読書をする時にはしないレベルで、それぞれの登場人物、台詞、文字に現れている物とその裏といろんなことに関して考えさせられ、学んだと思う
こんなに文学を細かく読み解いたのは初めてだと思う まぁ日本語訳を読んだからこそ可能だったんだろうけど
普段の、英語を日本語に訳して、レポートの為に自分なりに分析するのとは全然違った
内容は当然初めて知ったわけで、こんな話だったのか、と普通に物語は楽しめた
でも同時に、シェイクスピアの表現のせいか、訳し方のせいか、若干取っ付きにくいというか、表現と仲良くなれないなって、通して思ってしまった
特に箱選びのシーンというか、箱の中のメッセージがホントに分からん
勉強不足なんだとは思うけど、何が言いたいのやら・・・
箱選び、人肉裁判、指輪の主軸を通して展開される今作で、個人的にポーシアが一番好き
若いのに知恵もあって、当時ではあり得ない男装もしちゃって、ユーモアもあって、手のひらで旦那を軽く転がしちゃうようなところもある彼女が気に入った
ちょっと態度かわりすぎって思うような感じがしないでもなかったけど、彼女のあの表裏がある感じが、人間らしさをぐっと引き立てていて好き
シャイロックとかランスロットとかも人間臭いのに、主人公であるはずのアントーニオがこう、薄く感じて仕方ないのは、彼らが濃すぎるだけなのかな?
あと、こう、キリスト教感がっつりなのもあってアントーニオは好きになれんだな
まぁだからってユダヤ教のシャイロックが云々とか、同じキリスト教の他の登場人物がどうだとかはあんまりないけど、アントーニオのは強すぎて、困った シャイロックの主張もあれはあれで好きになれんだけど
Posted by ブクログ
何が凄いって、訳語が古過ぎて(30年代初版)笑える。1600年代に充てた日本語訳が、江戸っ子のべらんめえ調、東北弁、名古屋弁?父っつぁん。
こういうのって、当時で言うプロパガンダだったのかな。ユダヤ人批判の描写が物凄い。ただ、確かに当時のユダヤ人に貸金業が多かったことは確かだが...
『ユダヤ人とダイヤモンド』を思い出した。
これを読むと、正に現代の尖閣諸島問題を彷彿させるね。国際司法裁判所で争うか、という。
司法の在り方、意義。
もはや、正義とは何かという根本からの疑念。正義というよりは、正しさ、正統性か。
劇だけども、こうして書に起こすと読みやすいね、シェイクスピア。
発端、発展、解決。時系列が流れてゆく。
しかし、個人的にはハムレットの方が、人間の心理描写が秀逸だと感じたわ。
Posted by ブクログ
肉裁判のくだりと、バサーニオが恋人ポーシアに求婚する際の箱選び、そして見事ポーシアを娶る権利を得た後に彼女から貰った指輪のこと、この三つの要素からなっています。シャイロックが悪者として描かれていますが、現代ならばむしろ彼が哀れでならないという解釈もできます。何しろユダヤ人であることだけで「ジュウ」などと悪口を言われていて、さらに金貸しであるために罵られる。復讐のためにアントーニオの肉を取ろうとするも、逆転裁判で借金は帳消しになった上に罰金まで支払わされ、しかもキリスト教に改宗させられる。しかしシェイクスピアは、シャイロックが人肉裁判をするに至ったのはユダヤ人だと差別されたからだという解釈をしています。劇中のどんな悪者にだって、そうなった原因がある。シェイクスピアは16世紀という昔にあって、すでにそれを描いていたのですね。