感情タグBEST3
Posted by ブクログ
シェイクスピアの四大悲劇の一つ。読むと現代にも通じる愛憎劇あり。ブリテン王リアや道化、エドガー扮する乞食の狂気ぶりも描かれ、読むのに苦労した。
この狂気ぶりがシェイクスピアの「リア王」では非常に特徴的であるらしく、伝統的な秩序を重視するエドガーら善玉と新しいやり口で秩序を破壊していく悪玉のエドマンドらとの間で起こるギャップを道化の”狂気”を通して描いている。
実際読んでみて「リア王」は単純に善玉・悪玉では区別できないものがる。元々、ブリテン王リアやグロスター伯爵は近代的な感覚で見るとかなり問題がある訳であるし、リアの娘であるリーガン・ゴネリル、グロスターの庶子であるエドマンドが親世代の秩序を破壊していく。一見すると「悪玉」的な行動は中世的な旧弊を打破してやろう、という気概さえ感じられる。
結果的にリアとグロスターの浅ましい行動から、リア一家はリアとコーディーリアら三人の娘全員が、グロスター家でもグロスター伯爵とエドマンドが死ぬ。主要人物の大半が落命するという悲劇的な結末とともに、エドガーとオルバニーが新たな時代を築くことを決意し終わりを迎える。
人間の浅ましさがもたらした究極の悲劇と言っていいかもしれない。
「リア王」の悲劇は読み手によって受け取り方はいくらでもある。それだけの含みを持たせた作品だからこそ、長きに渡って読み継がれてきたのである。
本書は訳者の野島氏が脚注を本文の下段に付しており、逐一本文の含みとなる意味を確認しながら読み進めることができるので、大変読み手にやさしいように感じた。
Posted by ブクログ
遺産分配の際に自分への愛を上手く伝えられないコーデリアを相続から外すリア王。フランス王と共にフランスに旅立つコーデリア。遺産分配後に2人の娘ゴネリス、リーガンに冷たくあしらわれるリア王。グロスター伯爵の元に身を寄せるが・・・。グロスター伯爵の庶子エドマンドの陰謀。陰謀により追放されたエドガー。ゴリネルの扱いに気がふれるリア王。リア王に追放されながらも忠誠を貫くケント伯爵。エドマンドにより追放されるグロスター伯爵。伯爵のために復讐を行うエドガー。上陸したフランス軍を率いるコーデリア。
Posted by ブクログ
この戯曲はシェイクスピア中でももっとも心を刺す台詞の多い作品の一つである。
四大悲劇のハムレットの結末と同じく、救いはないのだが、そこはかとなくマクベスのような狂気もある。
また、この岩波のリア王は解説もまたたっぷりあって、脚注も本文の下に添えてあり、目に入らざるを得ないようになっているのだが、これはヘンリー四世の訳者が「まずは本文を読んで、解説はそのあとで」というようにいっていたのと対照的である。また、マクベスの訳者は当時のイギリスでの観劇者たちの理解は現代の文字をじっくり追う読者にまったく劣らないものだった、それは原文の言葉の絶妙な使われ方によると言っていた。が、このリア王の訳者はシェイクスピア劇は観るものでなく、読むものであるという意味に近いことを言っている気がする。こういう個性の洪水のような解説があるのもおもしろかった。
Posted by ブクログ
「リア王」も「ハムレット」も「オセロ」も「ロメオとジュリエット」も……、誰でも知っているシェイクスピアの戯曲は、それなりに読んだつもり、だけど、私は「戯曲」という文学形式を些か苦手としているかもしれません。ともあれ取り急ぎ、代表として、リア王を挙げます。(マクベスとかハムレットとか、幽霊が出て来たり魔術が出て来るほうが好きかも)。これもまた、純然たる「悲劇」だ。ただ、どうして末娘はいい娘なの?どうしてお姉さん(たち)には邪念がつきまとうの?シンデレラしかり(継母という事由を差し引いても)、「美女と野獣」しかり、オオクニヌシノミコトしかり(あそこはお兄さんたちだけど、あれは酷すぎる)、想い出せばいくらでも出て来る。長女の私には納得できぬ。と、些かの個人的トラウマを含めて「リア王」に代表していただきました。
Posted by ブクログ
リア王は立派な王だと思って読んでみたが、少しも立派ではなかった。いわゆる一人の父親であり、遺産を娘たちに分与する資産家に過ぎなかった。
リア王以外に立派な人がいたかは難しい。遺産を拒んだコーディーリアか、王に苦言申し上げたケント伯だろうか。でも、結局、いなかったのかもしれない。立派さに力点をおく作品ではないから。強いて言えば、あの嵐が立派だったのかもしれない。
序盤は話がぶつぶつして煮え切らないのが、グロスター伯の目が潰れた辺りから、急速にまとまっていく展開だった。最後は悲劇ということらしいのだが、そして、誰も居なくなったわけでもないので、喜劇になりそうな気もする。まぁ、リア王にとっては悲劇だとしても。
Posted by ブクログ
リア王と言うと嘘つき娘と正直娘の話しのように思われているが、実はもっと深い「人間の性」が引き起こす悲劇として描かれている。
権力への執着は、人間にもともと兼ね備わったものであるし、それに加え男女の愛憎も、この権力争いの中に織り込まれている。
ラストで、ほとんどのキャラクターが死んで行く悲劇を観て、観客の感じるものは人間の愚かしさであり、またそれが自分の中にもあることへの戦慄であろう。
悲劇の救いとなろうと予想された、末娘のコーディーリアの愛情や、リア王の家臣のケントの忠義さえも、この悲劇の中に飲み込まれていく。
詰まるところ、救いのない悲劇である。
どのようにして、この悲劇を回避すべきかは、観客に投げ与えられるのだ。
権力の魔性の恐ろしさは、愛情や忠義すらも無力なものにしてしまう。
シェークスピアは、まずはこの人間の本性に秘められた恐ろしさを、ニヒリスティックに観客に伝えたかったのかも知れない。
Posted by ブクログ
シェークスピア四大悲劇の一つにして最高傑作と呼ばれることもあるリア王。他のものに比べてだいぶ世界観が大掛かりで、登場人物や話の筋も重厚。にしてもシェークスピアはなんでこうも最後で主要人物皆殺しにしたがるかなぁ。。。(あらすじ割愛。ググればでてくる)
元ネタありだが、悲劇にしたのはシェークスピアのオリジナルらしい。老齢・狂気・裏切り、なかなか濃い話だった。
マクベスのほうが好きだけど、まだ一回目で話の筋追うので精一杯だったからもう一回くらいは読んでみるかな、数年後。
Posted by ブクログ
シェークスピアの4大悲劇の一つにも数えられ、確かに話し全体を見てみると悲劇であったが、所々に我々人類社会に生きる者に対して、というと大げさかもしれないが、教訓というか警鐘というか、何か伝えようとしている、あるいは皮肉っているようにも読め、非常によい作品であったと思った。。
Posted by ブクログ
シェイクスピアの名言は、たくさんあるよね。
シェイクスピアの本を、小説で読みたいと思った時期もあったけど、
きっとこういう演劇台本のような形だから、
名言が背景とともに美しく浮かび上がるんだろうね。
人間の想像力の力に、乾杯!
Posted by ブクログ
エドマンドにはめられ逃亡中のエドガーと、娘2人に命を狙われコーディーリアへにしたことを後悔して狂いはじめるリア王、それぞれ物語りの裏と表が進行していて、展開がとてもドラマティックな印象を受けた
作中何度も繰り返される'nothing'の言葉の意味。無から生まれる有。つまりコーディーリアの愛、という解釈、この「リア王」のテーマはそこなのだろうか
わたしは、作中でもでてくる「運命の女神の歯車」がきれいに一周したイメージを抱いた。つまり最初に権力も知恵もあった者、有体に言えば勝ち組が、中盤では他人の策略に落ち、落ちぶれるが、最後には本質を取り戻す。
不変なものはなにひとつない(nothing)、運命の本流に流されるまま物語は転がる、そのなかでたったひとつぶれない無言で(nothing)
示すコーディーリアの愛情、それに気づくリア王、しかし最後に舞台に残る者はだれもいない。壮大なトラジェディ。
なんて全然シェイクスピア詳しくない自分ですが、さまざまな学者さんのすばらしい解釈が溢れるなか恐れ多くも感想をここに投下
4大悲劇全部読み終わりました。喜劇読むぞー たのしみ!
Posted by ブクログ
シェイクスピアの作品の中で『リア王』が一番好きだ、なんて言ったら通の人にばかにされるかもしれないけど、糞ったれな中坊のこころに届いたのは確かにこの作品だった。
Posted by ブクログ
初めて手にしたシェイクスピアでした。10代のはじめに読んだのかな。
正しい人が、したたかな人に陥れられる、厳しい現実を感じながら読んだのを覚えています。
Posted by ブクログ
リア王は自分を裏切った娘を罵倒するシーンがあってその言葉が「ここまで言うか」って思うほどひどいんです。だけど、リア王の台詞や現代の小説にはない表現がされていて思わず読んでしまいました。小説ではないので読みにくいかもしれませんが、慣れると面白いです。
Posted by ブクログ
有名な四大悲劇のひとつ。解説によると、4つの中でも一番悲劇らしい。
コーディリアの「Nothingで真実の愛を全てわかって」というのは甘えんぼな気がする。お姉さんたちの言葉はまぁ大げさだけど、だからって疑うのも難しい。
普段の行動や状況から、相手のことを考えて察するのは素敵な思いやりだけど…みんな悲しい嘘はいいっこなしな世の中になればいいのにね。
いい子も愚か者も死んでしまうけれど、悪い人たちもやっぱり、最後は悪事がバレてみんな死ぬ。それなら私は、不器用でもいい子で終わりたいなぁ。
Posted by ブクログ
悲劇中の悲劇。
訳し方が下手と言ったらあれかもしれないけど、原文をそのまま訳しすぎて、言葉の意味が成り立ちにくくなっているような感じを受けた。
最後の方は良かったけど、それまではとても上手く訳されてるとは言えない。
解説で、なぜコーディーリアとリアが殺されたのか、ということを書いていたのだけれど、その理由は“摂理”らしい。普遍性ではなく宇宙性。興味深い。
確かに、ただの勧善懲悪な話ではないのには、何かしらの意図があるのだろう。
Posted by ブクログ
悲劇の、ラストに向かって雪崩のように突き進んでいくさまって、カタルシスだなあ・・・。リア王は、なんだかギリシャ悲劇っぽい。オイディプスとか。それにしてもなかなか卑猥な表現が豊かで、時代もあるのだろうけれど、シェイクスピアって大衆向けだったような気がしてならない。
Posted by ブクログ
三人の娘の愛情を試そうとした老王リアは、末娘コーディーリアの真心を信じず、不実な長女と次女の甘言を軽信して裏切られる。狂乱の姿で世を呪い、嵐の荒野をさまようリア―そして、疲れはてた父と娘の美しい再会と悲惨な結末。古代ブリテン史のひとこまに材をとった、シェークスピアの作品中もっとも壮大にして残酷な悲劇。
Posted by ブクログ
とりあえず訳注、読みやすい構成だったし文章だとわからない細かい舞台の仕草とか宗教上の比喩とか教えてくれるのはありがたかったんだけど、後々の展開までネタバレするのはやめて! こちとらあらすじもロクに知らずに読んでるんだよ! 訳者の想定より無教養なこっちが悪いのかもしれないけどさぁ。
また読めば理解が深まって印象が変わるのかもしれないけど、初見では虐げる者が虐げられる者に変わっていった印象。リア王にあんまり同情できなかったのは読みが甘いせいなのかな。自分から権力手放しておいて偉ぶってたらそりゃ嫌われると思うんだけど。
リア王は末娘コーデリアを虐げ、残った姉二人に虐げられる。グロスター公は庶子エドマンドの前でエドマンドの母親との情事を語るという無神経な振る舞いをするが、後にリア王への忠義を見せ両目を抉られる。姉二人はエドマンドに弄ばれる。コーデリアは終始父思いだが、しかし父にねだられて唱えた愛の言葉は、いささか言葉足らずだったのは否めない。
善と悪、加害者と被害者、賢者と道化が移り変わる。なるほど、普遍的で面白い。
Posted by ブクログ
リア王が、自分に対する愛を娘三人に競わせ、言葉で愛を表現しなかった末の娘に怒るという有名なシーンから始まる悲劇の物語。
「原本が残っていない」というこのリア王には、非常に多くの解説や批評があるようで、お世辞にも読みやすいものではない。この本では、巻末ではなく脚注として多くの情報が提供されており、それを手掛かりに読み進めることになる。日本語訳にされてるとはいえ、リズムのいい、詩的な訳文である。
「運命の女神の車」、すなわち上のものが下になり、下のものが上になるという価値観の逆転を多用し、登場人物たちがそれぞれの運命に翻弄される。多くの含蓄を含んだ大いなる文学、という点を放っておいて、一つのストーリーとして読んでも十分、面白い。
Posted by ブクログ
グロスターが惨いことに… あずみの『きく、無惨』を少し思い出しました。
個人的にはなんだっけ、〜マンドのお兄さん(エドガーかな?)がスッキリポイントです。
Posted by ブクログ
なんで気付かないんだ、と思わせるような変装のオンパレード。
なんて悪いんだ、という上の姉二人やエドマンドはいっそすがすがしいですね。
シェイクスピアにありがちですが、最後物語が急速に収束するにあたって人が死ぬ死ぬ。
Nahum Tateによる改作・ハッピーエンドリア王読んでみたいかも。
Posted by ブクログ
三人の娘の愛情を試そうとした老王リアは、末娘コーディーリアの真心を信じず、不実な長女と次女の甘言を軽信して裏切られる。狂乱の姿で世を呪い、嵐の荒野をさまようリア―そして、疲れはてた父と娘の美しい再会と悲惨な結末。古代ブリテン史のひとこまに材をとった、シェイクスピアの作品中もっとも壮大にして残酷な悲劇(表紙より)。