シェイクスピアのレビュー一覧
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この本は、「タイタス•アンドロニカス」、「ファヴァシャムのアーデン」そして「あとがき」の3篇を楽しめます。
確かにすぐ殺したり、残虐な場面が多かったり(タイタス)、ちょっと下世話な表現があったり(アーデン)と、シェイクスピアらしくない作品ゆえ、長年正式にシェイクスピア作と認められなかったそうです(アーデンが最終的に認められたのは2016年!)
かなり初期の作品のせいか、よく言えばジェットコースターのようなメチャクチャな展開で、2篇ともすごく面白いです!
悪く言うと、他の有名なシェイクスピア作品のような格調の高さはあまりありません。
でも、身分を問わず、一般大衆が楽しめる戯曲として書かれたものかもしれないと思えば、まるでテレビドラマを見るように引き込まれて、スルスルと読めてしまうと思います。
訳者の河合祥一郎先生による「あとがき」で、この作品2篇にまつわる詳しい解説が読めて、これもまた勉強になりました。
迷っている方は、ぜひ読んでみてください! -
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『冬物語』
前振りとして、シチリア王レオンティーズとボヘミア王ポリクシニーズが幼い頃からの大の仲良しであること、ボヘミアの方がシチリアより貧しいことが明かされる。この友情が類なきもの、と思わせて、次の瞬間あっという間に崩れていく。もう帰る、もう帰る!と聞かないポリクシニーズが、シチリア王妃ハーマイオニの懇願で、「じゃあもう少しいようかな」と心変わりしたのだ。レオンティーズは妃ハーマイオニとポリクシニーズの密通を疑い、貴族カミローにポリクシニーズの殺害を命じる。するとカミローは計画をポリクシニーズに告げて逃げるよう指示。ますます嫉妬の炎を燃え上がらせたレオンティーズは妊娠中の妻を投獄し、生まれた赤子を捨てるがよう命じる。『オセロー』ではイアーゴーが敢えて嫉妬心を煽っていたが、レオンティーズは自身でどんどん妄想を膨らませて、とんでもない悲劇を生む。そして数年後、鄙には稀な美貌で、花の女神フローラにも例えられるパーディタが現れる。次世代の恋愛によって親世代の確執が救われる過程は『ロミオとジュリエット』の逆。
『シンベリン』
これもまた嫉妬から始まる話。
ブリテン王シンベリンの王女イモジェンは幼馴染みのポステュマスとひそかに結婚した。しかし、娘を再婚した王妃と先夫の息子クロートンと結婚させたかったシンベリンはそれを許さず、ポステュマスを追放する。イタリアに渡ったポステュマスに、ヤーキモーが賭けを提案する。自分なら口説けると言うのだ。ポステュマスはイモジェンの貞節を信じ、賭けに応じる。ヤーキモーは早速ブリテンに渡り、ポステュマスがイタリアで女遊びをしていると嘘を言うが、イモジェンはポステュマスを信じていた。ヤーキモーは賭けに勝つため、鞄の中に隠れてイモジェンの部屋に忍び込み、部屋の造りの詳細とイモージェンの胸の痣を見、イタリアに戻ると、ポステュマスに誘惑が成功したと嘘をつく。
最後は戦争まで出てくるこちらも事がどんどん大事になる展開。こちらはいわゆる悪者が最後に罰を受ける、冬物語よりは勧善懲悪的意味合いが強い。
しかし二人の王女様、やんごとなき生まれなのに苦労しますな。 -
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310P
ウィリアム・シェイクスピア
イングランドの劇作家・詩人であり、イギリス・ルネサンス演劇を代表する人物でもある。卓越した人間観察眼からなる内面の心理描写により、もっとも優れているとされる英文学の作家。また彼の残した膨大な著作は、初期近代英語の実態を知るうえでの貴重な言語学的資料ともなっている。
ヴェニスの商人
by シェイクスピア、大山敏子
世の中にはまじり気のない悪徳というものはないのだ、 必ずそのうわべになにかしら美徳のしるしをつけているものだ。
彼はなぜ大学に学ばなかったのか、これもわからない。しかし彼の作品から理解できるシェイクスピアの教養の深さ、常識の豊かさ、人間性に対する洞察力のするどさは、他に比べることのできないほどのものである。 -
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劇であるがゆえに小説とは異なり人間ドラマだけで物語が進む簡潔さ。しかし、人間の避けがたい運命がしかと刻印されている。河合祥一郎さんの解説も素晴らしい。とりわけ、コーディーリアのストア主義哲学、トルストイとオーウェルの論争の読み解き。
「…『わけのわからなさ』の中に意味がある、あるいは混沌の中に人間として生きる姿があるということを示唆しているのではないだろうか。どんなにまともに生きているつもりでも、人間である以上は愚かさを抱え、わけのわからない部分を秘めている――それがシェイクスピアの人間像だ。」
「…シェイクスピアには強烈な愛の発露がある。その愛があまりにも大きすぎるとき、『裏切られた』という思いも強烈なものとなる。嵐によって表現されるその激しさの中には、強い愛への思いとその欠如によって生じる痛みとの両方があるのであって、それゆえにこそリアは咆哮するのである。」
リア王という権威の権化の転落物語。シェイクスピア四大悲劇のひとつ、ということでやはり誰も救われぬのだけれども、コーンウォール公爵に反抗した民衆の気高さには胸を打たれた。なるほど、最近読んだアンティゴネにせよ、コーディーリアにせよ、誇り高き人間性(ヒューマニティー)の発現は常に抵抗とともにあるのかもしれない。 -
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たまたま入った中古書店で安く売られていたので、購入して読むことにした。
本作を読む前に、ハムレットとマクベスを読んでいたのである程度は作者の傾向というものは理解していたが、本作はこの理解を上回っていた。
シャイクスピアの作品の中では一番好きかもしれないと思っている。
あらすじはあまりにも有名すぎるが、一応簡潔に述べると、絶対に結ばれる環境にない男女の恋の行方を描いた作品だ。
そして、数々の苦難の先に、悲劇的な結末を迎えてしまう。
この結末を迎えるにあたり、まず思うのがここまで人を愛した事があっただろうかということだ。今の常識で考えると、相手に何か瑕疵があったりすると、結婚は無理ですね、という事になりそうだ。しかし、ロミオとジューリエットはどんな障害があっても諦めることはない。このメンタルの強さは見習いたいと思った。
ロレンス神父が何かとこの二人の恋の仲をもっていたのだが、最後の一か八かの賭けのような提案はもっと用意周到に行うべきであり、結果的に二人を死なせてしまう罪は重く、怒られるでは済まされない気がした。
まあ、細かいところを指摘したところで、本作の理解に何か重大な影響が出るわけではなく、全く無意味なのだが一応記載しておく。
全体として、運命への抵抗ということを強く感じた作品だった。生きていく上で、どうしても自分の置かれた環境や、境遇に生き方や考え方を支配されがちになる。しかし、それでも何とかその運命に抵抗していく事により、本当の自分の幸せや人生の目的が見つかるのではないか。こう思った作品だった。 -
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読書好きとして一度はこういう歴史ある名著を読んでおこうと思い、拝読。
率直に、すごく面白く、意外と登場人物も限られており読みやすかった。
当時のイギリスの文化や法、背景が彷彿とさせられ、舞台はヴェニスではあるがシェイクスピアの頭の中が見て取れるようで、興味深かった。
特に印象的な人物
・ネリッサ…ポーシアの侍女であるが、発する言葉に名言が多く、印象的。
「あまり御馳走を召し上がりすぎますと、却ってこれは食物もなく、飢えている人間と同じように、やはり一種の病人だそうでございまして。してみますと、すべて中っくらいにいますということは、どうして中っくらいの幸福どころではございませんで。」
「過ぎたるは白髪を早め、適度は長生の基のようで。」
「月のあるうちはあの燈も見えませんでしたが。」
(そうよ、大きな輝きが小さな輝きを見えなくする。)
・シャイロック…富めるユダヤ人。シェイクスピアの、また当時のイギリスのユダヤ人に対する憎悪がシャイロックの性格像に表れている。解説を読むと更に興味深いが、ここに当時の偏見とも言うべき人物像が写されている。
他、印象的な言葉の引用
・「外観というものは、すべてひどい偽りかもしれぬ。そして、世間という奴は、いつも虚飾に欺かれる。世の虚飾とはすべて、魔の海へと人を誘う偽り多い岸辺でもあれば、また黒いインド美人の顔を隠す、美しい顔覆いでもあるのだ。」
・「外観によりて選ばざるもの、汝にこそ幸運は常にあり、選択もまた正しからん。かかる幸運の汝に帰せし上は、足るを知りて、ゆめ新を求なかれ。」 -
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シェイクスピアの四大悲劇の一つ。読むと現代にも通じる愛憎劇あり。ブリテン王リアや道化、エドガー扮する乞食の狂気ぶりも描かれ、読むのに苦労した。
この狂気ぶりがシェイクスピアの「リア王」では非常に特徴的であるらしく、伝統的な秩序を重視するエドガーら善玉と新しいやり口で秩序を破壊していく悪玉のエドマンドらとの間で起こるギャップを道化の”狂気”を通して描いている。
実際読んでみて「リア王」は単純に善玉・悪玉では区別できないものがる。元々、ブリテン王リアやグロスター伯爵は近代的な感覚で見るとかなり問題がある訳であるし、リアの娘であるリーガン・ゴネリル、グロスターの庶子であるエドマンドが親世代の秩序を破壊していく。一見すると「悪玉」的な行動は中世的な旧弊を打破してやろう、という気概さえ感じられる。
結果的にリアとグロスターの浅ましい行動から、リア一家はリアとコーディーリアら三人の娘全員が、グロスター家でもグロスター伯爵とエドマンドが死ぬ。主要人物の大半が落命するという悲劇的な結末とともに、エドガーとオルバニーが新たな時代を築くことを決意し終わりを迎える。
人間の浅ましさがもたらした究極の悲劇と言っていいかもしれない。
「リア王」の悲劇は読み手によって受け取り方はいくらでもある。それだけの含みを持たせた作品だからこそ、長きに渡って読み継がれてきたのである。
本書は訳者の野島氏が脚注を本文の下段に付しており、逐一本文の含みとなる意味を確認しながら読み進めることができるので、大変読み手にやさしいように感じた。